教皇!
【カルメラ視点】
『リベルタス歴18年、7月10日 昼』
オーロラハイドの街は、朝から熱気に包まれていた。今日は特別な日。カイル皇帝陛下の誕生日を祝う「カイル誕生祭」と、男女がお互いの気持ちを花に託して伝え合う「花の祭り」が同時に行われるのだ。例年通りなら、街中が活気に満ち溢れ、笑顔と音楽で彩られるはずだった。
だが、今年はいつもと違う。それに加えて、レオン様の教皇就任式典が執り行われるというのだから、民衆の興奮は最高潮に達していた。広場には朝早くから多くの人々が集まり、今か今かと式典の始まりを待ちわびている。屋台からは食欲をそそる香りが漂い、子供たちは楽しげに走り回っていた。
私は、皇帝陛下やレオン様、そして多くの人々の優しさに触れ、少しずつ心の傷を癒しつつあった。オーロラハイドの冬は厳しかったが、それ以上に人々の温かさが私の心を溶かしてくれたのだ。今では、男性に対する過度な恐怖心も薄れ、穏やかな日々を送れるようになっていた。
広場に設けられた特設の祭壇は、白い布と色とりどりの花で飾られ、荘厳な雰囲気を醸し出している。やがて、割れんばかりの拍手と歓声の中、カイル皇帝陛下が姿を現した。黒の豪奢な礼服に身を包み、胸にはリベルタス帝国の紋章が輝いている。その堂々とした姿は、若くして帝国の頂点に立つ者の威厳に満ちていた。
「皆の者、今日は集まってくれてありがとう! 今日は、我が弟レオンが、オーロラ教の新たな指導者、教皇として就任する日だ! 盛大に祝おうではないか!」
カイル皇帝の力強い声が広場に響き渡る。民衆は再び歓声を上げ、その声はオーロラハイドの空高く舞い上がった。
続いて、レオン様が祭壇へと歩みを進める。純白の法衣に身を包み、その表情は緊張と決意が入り混じっているようだった。彼の赤い髪が、祭壇の白い布に鮮やかに映える。
レオン様が祭壇の中央に立つと、広場は水を打ったように静まり返った。誰もが固唾を飲んで、その瞬間を見守っている。
その時だった。
真夏だというのに、空に淡い光のカーテンが現れた。オーロラだ。緑やピンク、紫色の光が優雅に揺らめき、まるで天がレオン様の就任を祝福しているかのよう。民衆からは、どよめきと歓声が同時に沸き起こった。
「おおっ! オーロラだ!」
「真夏にオーロラが見られるなんて!」
「レオン様は神に選ばれたお方なのだ!」
人々の興奮が頂点に達する中、レオン様の後方に、一人の女性が静かに姿を現した。
その女性は、見たこともないほど美しい人だった。純白のドレスはまるで雪の結晶を編み込んだかのように輝き、背中からは大きな白い翼が生えている。女神……いや、天使と呼ぶにふさわしい神々しい姿。彼女の表情は穏やかで、その瞳は慈愛に満ち溢れていた。
(あ……あの方は……)
私は息を呑んだ。そのお顔立ちは、どこかで見たことがあるような気がする。でも、思い出せない。ただ、その神々しいまでの美しさに、心が震えるのを感じた。
カイル皇帝とユリア様は、その女神らしき女性を見て、何やらひそひそと話している。
「なあ、ユリア。アウローラさん、いくらなんでも若作りしすぎじゃねぇか? 背中の羽も気合入りすぎだろ」
「カイル様、シーッ! アウローラお姉さまは、今日は女神様としてお出ましなのですから!」
ユリア様は皇帝陛下の口を慌てて手で押さえている。レオン様も、背後の女神様を見て苦笑いを浮かべているようだった。
(カイル様たちは、あの方をご存知なのかしら? でも、あんなに美しい方が、ただの知り合いのはずがないわ……)
広場では、女神の降臨に誰もが驚き、そして敬虔な祈りを捧げ始めていた。私もまた、自然と両手を胸の前で組み、静かに目を閉じる。
教皇レオン様と、その後ろに立つ女神様。その神々しいお姿に、私の心は洗われるようだった。セダ・ヴェルデの宮殿で受けた屈辱も、砂漠での過酷な旅も、全てがこの瞬間のためにあったのかもしれない。そう思えるほど、今の私は満たされた気持ちでいっぱいだった。
女神様が右手を静かに上げると、オーロラはさらに輝きを増し、広場全体を幻想的な光で包み込んだ。その光は暖かく、優しく、まるで母の腕に抱かれているような安心感を与えてくれる。
「リベルタスの民よ、わたくしはオーロラハイドの守護女神アウローラ。今日、この聖なる地に、新たな光が灯ります」
女神様の声は、鈴を転がすように美しく、広場の隅々まで響き渡った。
「レオン・リベルタス。汝は、民を導き、弱き者を助け、正義を貫くことを誓いますか?」
「はい、誓います」
レオン様の声は、若々しくも力強かった。その瞳には、教皇としての責任と覚悟が宿っている。
女神アウローラ様は、優しく微笑むと、どこからともなく現れた純金の杖をレオン様に手渡した。
「では、この聖杖を受け取りなさい。これより、汝はオーロラ教の最高指導者、教皇レオンとなります。民と共に歩み、この地に永遠の平和と繁栄をもたらすのです」
レオン様は恭しく杖を受け取り、高く掲げた。その瞬間、オーロラの光が一層強くなり、まるで天からの祝福が降り注ぐかのように、広場全体が黄金色の輝きに包まれた。
「教皇レオン様、万歳!」
「女神アウローラ様、万歳!」
「リベルタス帝国、万歳!」
民衆の歓声が、オーロラハイドの空にこだまする。私もまた、興奮と感動で胸がいっぱいになり、涙が頬を伝うのを感じた。
(ああ、なんて素晴らしい日なのでしょう……レオン様、そして女神アウローラ様、どうかこのカルメラにも、あなたの祝福をお与えください……)
私は心の中で深く祈りを捧げた。セダ・ヴェルデの宮殿を追われた名もなきメイドが、今、この聖なる場所で、新しい人生の光を見つけようとしていた。
式典が終わり、祝宴が始まると、広場は再び賑わいを取り戻した。ヤキトリやオーロラハイド風お好み焼きの屋台からは美味しそうな匂いが立ち込め、子供たちは色とりどりの花飾りを手に、楽しげに踊っている。
私もナシームやメルヴの仲間たちと共に、ささやかな宴の輪に加わった。熱々のヤキトリを頬張り、甘い果実水を飲む。オーロラハイドの料理は、どれも素朴ながら心温まる味わいだ。
「カルメラさん、顔色が良くなりましたね」
ナシームが優しい笑顔で声をかけてくれた。彼の顔には、安堵の色が浮かんでいる。
「はい、ナシームさんのおかげです。そして、レオン様と……女神様のおかげです」
私は胸に手を当て、再び空を見上げた。オーロラの光は消えていたが、その温もりはまだ心に残っている。
ふと見ると、祭壇の近くで、カイル皇帝陛下とユリア様、そしてレオン様が、先ほどの女神様と親しげに談笑している姿が見えた。女神様は、まるで普通の女性のように屈託なく笑い、レオン様の肩を叩いたりしている。
「アウローラさん、今日の演出、派手すぎだよ! びっくりしたじゃないか!」
レオン様が少し呆れたように言うと、女神様は悪戯っぽく笑った。
「あら、レオンくんの教皇就任ですもの。これくらいしないと盛り上がらないじゃない?」
「でも、あの羽はどこから出したんですか? それに、いつものアウローラお姉さまと全然雰囲気が違いましたよ」
ユリア様が不思議そうに尋ねる。
「ふふん、それは女神の秘密よ。でも、たまにはああいうのもいいでしょ?」
(やはり、カイル様たちはあの方をご存知だったのね……でも、女神様とあんなに親しげに話せるなんて……リベルタス帝国は、本当に不思議な国だわ)
宴は夜更けまで続き、オーロラハイドの街は祝福の光と喜びに包まれていた。私は、この温かい場所で、新しい人生を歩み始める決意を新たにする。セダ・ヴェルデでの辛い記憶はまだ完全に消えたわけではない。だが、レオン様の癒しの力と、この街の人々の優しさが、私に前を向く勇気を与えてくれた。
(いつか、私も誰かの心を癒せるような、そんな人間になりたい……)
そう願いながら、私は夜空に輝く星を見上げた。オーロラハイドの星は、故郷の星よりもずっと優しく、暖かく輝いているように感じられた。この地でなら、きっと新しい自分を見つけられるはずだ。そう信じて、私は静かに微笑んだ。レオン様の教皇就任という歴史的な一日が、私の人生にとっても、忘れられない特別な一日となったのだった。
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