裁きの街
【カルメラ二十歳視点】
『セダ・ヴェルデ歴189年、アークディオン歴302年、1月25日 夕暮れ』
砂漠の旅の果て、リヴァンティアの城壁が見えてきた。砂岩でできた城壁は夕日に照らされて黄金色に輝き、まるで幻のように美しい。私の背後では風の商人ナシームが、子どもたちに水を分け与えていた。
「カルメラさん、あれがリヴァンティアです。かつて熱砂の姫君が治めていた国」
ナシームの言葉に、私は小さくうなずく。十日以上に及ぶ砂漠の旅は過酷だった。灼熱の砂と厳しい冷え込み、そして時折襲ってくる砂嵐に何度も命の危険を感じた。
「熱砂の姫君とは?」
「水を操る権能を持つ姫君。踊りで泉を浄化し、民に水を与えていたといいます。だが、アークディオンの襲撃で国を失い、東へ逃れたとか」
カラカラと乾いた風が吹き、私の髪を揺らす。
城門に近づくと、アークディオンの兵士たちが立ち並んでいた。彼らの砂色の鎧は、リヴァンティアの城壁と同化していて、まるで砂漠から生まれたかのような存在感だった。
「風の商人ナシーム、商品申告書と入城税を」
門番が淡々と言う。
「いつもより秩序があるな」
ナシームは言いながらも、素直に書類と銀貨を差し出した。意外な反応に、私は彼を見上げる。
「アークディオン支配下になっても、むしろ入国審査は厳格になったが公正になった。以前は賄賂で揺れていたからな」
ナシームは私に小声で付け加えた。
城門をくぐると、市場は整然と区画整理されていた。露店は整列し、場所ごとに商品が分けられている。アークディオンの旗がそこかしこに掲げられているが、巡回する兵士たちは威圧的ではなく、むしろ秩序を維持しているようだった。
「ザイナ姫のおかげで、街は整然としている。不思議なものだ」
ナシームの声には複雑な感情が混ざっていた。
商隊は市場の片隅にある宿に落ち着いた。小さな部屋を与えられ、久しぶりの屋根の下での就寝に、疲れた体が喜びを感じる。
翌朝、私は市場へと足を運んだ。ナシームは商談で忙しく、私は一人でリヴァンティアの街を探索することにした。
街は不思議と静かだった。人々の表情は引き締まり、声も控えめだが、恐怖に怯えているようには見えない。むしろ、秩序に従っているように見えた。
中央広場に着くと、きれいに整備された泉があった。そこでは地元の役人らしき男性が、整然と列を作って水を汲む人々を監督していた。
「次の人、どうぞ。一人五分以内に」
彼は冷淡ながらも公平に声をかけていた。
しかし、私の視線の先で、ある光景が目に入った。役人が列から外れた場所で、年配の商人から何かを受け取っているのだ。
(あれは……賄賂?)
役人は素早く手の中に何かを隠し、商人に小さくうなずいた。
突然、馬のひづめの音が広場に響き渡った。人々が慌てて道を開ける。
「ザイナ姫のお出ましだ」
誰かがささやく声が聞こえた。
赤いサリーを身にまとった若い女性が、馬上から広場を見下ろしていた。彼女は十六、七ほどに見えるが、その眼差しは鋭く威厳に満ちている。側には騎士団長と思われる男性が厳しい表情で立っていた。
「ハリード団長、あの役人は何をしているの?」
ザイナ姫の声は穏やかだが、その目は氷のように冷たかった。
「調べてまいります」
ハリード団長と呼ばれた男性は馬から降り、先ほどの役人に近づいた。彼の動きは猫のように静かで素早い。
「イブラヒム、姫が御覧になっておられる。何を隠している?」
役人は顔面蒼白になった。
「何も……何もありません」
「手を見せろ」
震える手を広げると、そこには金貨が数枚光っていた。
「これは……私が」
「姫、賄賂を受け取っていたようです」
ハリード団長の冷たい報告に、広場は水を打ったように静まり返った。
ザイナ姫はゆっくりと馬から降り、役人の前に立った。
「イブラヒム、あなたはリヴァンティアの生まれだったわね。私たちはあなたに仕事を与え、信頼していた」
彼女の声は悲しみを含んでいた。
「姫様、これは誤解です!ただの……」
「嘘をつくな」
ザイナ姫の声は低く、しかし響き渡った。
「ハリード団長、この者の処分をお願い」
ハリード団長はうなずくと、役人の腕をつかんだ。
「姫の名において、汚職の罪で逮捕する。刑は明日、公開で執行される」
役人は膝から崩れ落ち、泣きじゃくった。
「お許しを!姫様、もう二度としません!」
しかし、ザイナ姫の表情は変わらなかった。
「リヴァンティアの秩序を乱す者には容赦はない。例外を作れば、全てが崩れる」
役人が引きずられていく様子を、私は凍りついたように見つめていた。その時、ザイナ姫の視線が私に向けられた。
「西からの旅人ですね」
彼女の声に、私は思わず体を震わせた。
「は、はい……」
「明日の刑の執行を見ていきなさい。これがアークディオン支配下のリヴァンティアの在り方です」
ザイナ姫の目に浮かぶ光が、一瞬、セダ・ヴェルデの皇帝の目を思い起こさせた。冷酷さと計算高さが混じり合い、何よりも力への執着を感じさせる目だった。
彼女が立ち去った後、私は急いで宿へ戻った。
「ナシーム、私、この街にいたくない」
私の震える声に、ナシームは驚いた様子で振り返った。
「何があったのですか?」
私はザイナ姫と役人の一件を説明した。
「あの目、あの声……セダ・ヴェルデの皇帝と同じなの。あの人の下にいると、また私は……」
言葉に詰まり、私は膝を抱えるように座り込んだ。
ナシームはしばらく黙っていたが、やがて決意したように立ち上がった。
「わかりました。今夜、出発しましょう。ロヴァニアまでは険しい道のりですが、フェリカ王国の支配下なら、アークディオンの手は届きません」
夜になり、私たちは荷物をまとめ、密かに街を出ることにした。ナシームはリヴァンティアの古い友人から、城壁の監視が手薄な場所を教えてもらっていた。
「さあ、行きましょう」
夜の闇に紛れ、私たちは小さな脇門から街を抜け出した。月明かりだけを頼りに、砂漠の中を東へと進む。
「リヴァンティアからロヴァニアまでは約十二日の行程です。フェリカ王国はリベルタス帝国の一部です。あと少しです、頑張りましょう!」
ナシームの言葉に、私は僅かな希望を抱いた。
振り返ると、リヴァンティアの城壁が月に照らされて青白く輝いていた。秩序と恐怖が共存する街。表面上の平和の下に潜む冷酷さ。
「カルメラさん。ザイナ姫は、外からは公正に見えるかもしれない。だが、あの目は嘘をつけない。権力を持つ者の本性は、その裁きの瞬間に現れるもの」
ナシームは静かに語った。
私は自分の胸に手を当てた。まだセダ・ヴェルデ皇帝の部屋で犯された恐怖が消えない。同じ恐怖をこの街でも感じるなんて。
「リベルタス……自由の国。本当にあるのでしょうか」
「ありますとも。砂漠の向こうに」
ナシームの確かな声に、私は前を向いた。
ロヴァニアを目指し、私たちは月明かりの下、砂漠の道を歩き始めた。自由への長い旅路は、まだ続いている。
(いつか、すべての恐怖から解放される日が来るのだろうか……)
砂漠の風が私の願いを運び去り、星空の下で私たちの影は長く伸びていった。
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