街道の決断
【ゼファー視点】
ゴブリンとの国境線交渉を終え、我々はルシエント伯爵への報告のため、オーロラハイドを出発していた。馬車は街道をなだらかに進み、周囲には清々しい風景が広がっていた。
馬上でリリーが手綱を握る。元騎士の彼女は馬の扱いに長け、滑らかな操作で車輪の揺れをも最小限に抑えていた。シドは後部座席で帳簿を広げ、数字を追っている。
「シドよ、そんなに仕事ばかりしていては身体に障るぞ」
俺が言うと、シドは静かに顔を上げた。目の下には薄く影が落ちている。
「……オーロラハイドの経済は待ってくれん。ゴブリンとの交渉が成立した今、新たな交易計画が必要だ」
彼の言葉に口を閉ざす。確かにシドの献身的な働きで街は潤い始めていた。先日の会計では税も無事納められ、余剰金さえ出たほどだ。
「ゼファー様、この街道は伯爵領に入りましたね」
リリーの声に我に返る。確かに風景が変わっていた。道幅は広がり、舗装も施されている。けれど宿場町は寂れ、往来する旅人も少なかった。
シドの声が低く響く。
「……以前はもっと栄えていたはずだが」
俺も気になり、質問を投げかける。
「ルシエント伯爵も貴族の権能を持っていたはずだが、治安維持に使わないのか?」
シドは視線を落とし、しばし考えていた。
「権能を使えば民は従うだろう。だが心からの信頼は生まれない」
言葉に重みがある。俺は思わず自分の権能――貴族神授領域を思い出す。ゴブリンを「帰れ」と操った時の感覚。酷薄とまでは言わないが、あれは人の意志を無視した力だった。
「……貴族とは、寄り添いながら導くものか」
俺の言葉に、シドは小さく頷いた。それが最も教条的とは言え、真理を含んでいた。
馬車は高台を越え、細い森の入口へ差し掛かる。午後の日差しが木々の間から差し込み、黄金の光の筋が地面を照らしていた。
「もうすぐ森を抜けます!」
リリーの声が弾んだ。その時――空気を切り裂く音が聞こえた。
『ヒュン、ヒュンッ!』
立て続けに放たれた矢が、馬の前に突き刺さる。驚いた馬が嘶き、足を止めた。
「ゼファー、待ち伏せです!」
リリーの声が張り詰める。彼女は即座に手綱を引き、馬車の前に身を寄せた。森の陰から数人の男たちが姿を現した。木々の間から、さらに多くの人影が見える。
粗末な衣服に身を包み、錆びた剣や粗雑な斧を手にしている。賊――いや、その身なりはどこか農民のようだ。
「馬車を止めろ! 金目のものを置いていけ!」
最前列の男が叫んだ。二十代半ばか。やせこけた頬に、硬い表情が張り付いている。
俺はシドに素早く指示を出した。
「シド、馬車の陰に隠れろ。リリー、護衛を頼む」
シドは一瞬だけ躊躇したが、すぐに従った。彼の戦いは別の場所にある。
俺とリリーは馬車から飛び降り、剣を抜いた。
「何者だ? 我々に何の用だ?」
尋ねる俺に、男はニヤリと笑みを浮かべた。
「この街道を仕切る者だ。金を出せば通してやる」
周囲を確認する。十人ほどの賊が円陣を組むように我々を取り囲んでいた。数で圧倒されている。だが悪い位置ではない。二人で背を合わせれば、死角を消せる。
「俺はオーロラハイド男爵ゼファーだ。道を開けろ」
賊のうち何人かが顔を見合わせた。男爵の名が通じている様子だ。だが首領格の男は意に介さない。
「偉そうに、この街道でお前の称号は何の価値もない!」
男が合図を出す。賊たちが一斉に襲いかかってきた。
リリーが一瞬で二人をいなし、俺も剣を構えて迎え撃つ。賊たちの動きは乱雑で隙だらけ。訓練された戦士ではない──単なる素人の集まりだった。
それでも数は力だ。一人、また一人と倒しながらも、次第に疲労が蓄積していく。
「くそっ」
咄嗟に横薙ぎを避けたが、別の男の剣が肩をかすめた。切り傷こそないが、衝撃で腕に痺れが走る。
リリーも奮戦しているが、徐々に追い詰められていた。一人の賊が彼女の背後から忍び寄る。
「リリー、後ろだ!」
俺は咄嗟に飛び出し、男の斧を受け止めた。
『ギィンッ!』
鋼と鋼がぶつかる音。腕に激痛が走る。男を突き飛ばし、距離を取る。
再び襲いかかる男を、今度は冷静に迎え撃った。練度の違いは明らかだ。斧を振りかぶった男の腕を一閃する。
「うわぁっ!」
男が悲鳴を上げて倒れる。その様子に、他の賊たちが怯みはじめた。
俺は静かに剣を構え直し、賊たちに問いかけた。
「武器を捨てろ。そして伏せろ」
声に力を込める。権能は使わない。人の意志を操らずとも、威圧だけで十分だった。賊たちは互いを見つめ、躊躇いながらも一人、また一人と武器を捨て、地面に伏した。
最後に首領格の男も、悔しそうに剣を投げ捨てた。
俺は彼に剣を突きつけ、尋ねた。
「お前たち、何者だ? なぜ賊に?」
男は俯いたまま、声を絞り出す。
「俺たちは……元は農民でした。皆、村を追われた者たちです」
「村を追われた?」
「……税が払えず、土地を失ったのです。他に生きる術がなかった」
俺は男を見つめた。粗末とはいえ、その服装は確かに農民のものだった。指は農作業で硬く、顔は太陽に焼けている。
「伯爵領の農民か」
「……はい。豊作の頃は良かった。だが三年前から少しずつ税が上がり、それからも税は重くなるばかり」
男の言葉を、他の賊たちも頷いて肯定している。一人の若い賊は、まだ少年と言える年齢だった。
俺は剣を下ろした。
「本当に生きるため、か」
「……はい」
決断するのに、時間はかからなかった。
「賊をやめる気はあるか?」
男たちの間に、どよめきが走る。困惑と期待が入り混じった表情だ。
「オーロラハイドで働け」
ようやく男が顔を上げた。目には疑念と希望が揺れている。
「本気……ですか?」
「ああ。だが条件がある」
男たちは息を詰めた。
「塩田で働くんだ。オーロラハイドは塩で栄えている。お前たちの腕と背中が必要だ」
「塩田……ですか?」
「そうだ。いったんは奴隷になってもらう。給金は払う。だが信頼を得るまでは監視下に置く」
男たちの間に再びどよめきが広がった。やがて首領が静かに口を開く。
「よろしいですか……我々は、あなた方を襲ったのです」
「そのことは、働きながら償え。力を悪に使うか、生きるために使うか。選ぶのはお前たちだ」
男は長い沈黙の後、ゆっくりと頭を下げた。
「……わかりました。オーロラハイドで、働かせてください」
俺は頷き、ヒューゴ宛の紹介状を書いた。これがあれば彼らを受け入れてくれるだろう。
「これを持って、オーロラハイドへ向かえ。軍司令官ヒューゴに渡すんだ」
男は恐る恐る紙を受け取った。そこには簡潔に事情と、彼らを塩田奴隷として採用する旨が記されていた。
「ありがとう……ございます」
震える声で礼を言う男に、俺は小さく頷いた。
「オーロラハイドでは、働けば食える。胸を張って生きろ」
賊たちは再び深々と頭を下げ、森の中へと消えていった。
馬車に戻ると、リリーが心配そうに俺を見つめている。
「大丈夫? 怪我は?」
「かすり傷だ、問題ない」
シドも姿を現し、静かに尋ねた。
「……あの者たちを、本当に雇うつもりか?」
「ああ。悪のままなら、いずれ死ぬか捕まるかだ。人手も足りないしな」
シドはしばし考え込んだ後、頷いた。
「……理にかなっている。塩の増産にも寄与するだろう」
馬車は再び動き出し、森を抜けていく。
俺は考え込んでいた。伯爵領の衰退。税に苦しむ農民たち。これらの問題は一つの症状に過ぎないのかもしれない。
「ルシエント伯爵には、この件も報告しよう」
リリーが明るい声で応じる。
「きっと、良い解決策を考えてくれると思います」
馬車は陽光の下、舗装された街道を滑るように進んでいった。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




