祝賀と沈黙
【カルメラ二十歳視点】
『セダ・ヴェルデ歴189年、アークディオン歴302年、1月12日 午後』
アークディオンの城門が見えてきた。十日以上もの旅を経て、ついに砂漠の入口にたどり着いた。私が乗る馬車が砂色の城壁に近づくにつれ、遠くから賑やかな音が聞こえてくる。
門は大きく開かれ、兵士たちが立ち並ぶ。彼らの槍には色とりどりの旗や布が結ばれていた。
「アークディオンへようこそ! 今日も祝賀は続いておりますぞ!」
門番が大声で叫ぶ。何かを祝っているらしい。
馬車が城門をくぐると、そこは別世界だった。市民たちが通りに溢れ、歓声を上げている。壁には「リヴァンティア征服」と書かれた旗が掲げられていた。
「リヴァンティア征服記念の祝賀だよ」
同じ馬車に乗っていた老婆が教えてくれる。
「リヴァンティアとは?」
「砂漠の向こうにある国さ。アークディオンが攻め落としたんだよ。ターリク国王様の大勝利さ!」
(勝者の笑顔は、美しかった。だが、私にはまぶしすぎる)
馬車が停まると、私は静かに降りる。周りでは人々が踊り、笑い、酒を飲んでいる。兵士たちは勲章を誇らしげに輝かせ、道行く人々から祝福を受けていた。
「リヴァンティアの戦利品だ! 安く売るよ!」
商人たちが叫ぶ声が聞こえる。彼らの店先には、見慣れない口の広い壺や、鮮やかな絨毯、動物のはく製などが並べられていた。
人ごみを掻き分け、私は市場へと歩を進めた。ここでは異国の香辛料の香りが漂い、耳慣れない音楽が響いている。
「踊れ、踊れ! お前たちリヴァンティアの女らしく踊るのだ!」
広場には青と赤の衣装を着た少女たちが集められ、踊らされていた。彼女たちの顔には笑顔はなく、ただ機械的に体を動かしているだけだった。
一人の少女と目が合う。黒髪に青い瞳を持つ美しい少女だが、その目は虚ろで光を失っていた。
(あのとき、私も、こんな目をしていたのだろうか)
目をそらし、急いでその場を離れる。王宮からの逃亡者である私には、この少女たちを助ける力などない。
日が暮れてきた。宿を探して歩き回るが、どこも満室だという。
「祝賀の祝いでね、最近は空き部屋なんてないよ」
五軒目の宿の主人に言われ、私は肩を落とした。
「どこか、安い食堂はありませんか?」
「市場の西側に『砂の休み処』という店があるよ。そこは安いし、泊まる場所も紹介してくれるかもしれない」
礼を言い、指示された方向へ向かう。
『砂の休み処』は小さな食堂だった。中に入ると、煮込み料理の香りが漂い、数人の客が静かに食事をしていた。カウンター近くの隅の席に座り、メニューを見る。
「パンと水をください」
私の財布は軽くなっていた。王子からの金貨は大切に取っておかねばならない。
しばらくすると、顔を布で覆った旅商人のような男性が、私の向かいの席に座った。
「よろしいですか? 混んでいるもので」
私は小さくうなずく。男性の目だけが見えるが、その目は優しげで、年齢は三十代くらいだろうか。
「西からの旅人ですね」
男性の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「どうして?」
「手の形、立ち居振る舞い、そして何より、その美しさ。宮廷で育った人特有の佇まいです」
男性は静かに言った。
「私はナシームと申します。風の商人と呼ばれています。砂漠を渡る商人です」
私は警戒心を抱きながらも、どこか信頼できる雰囲気を感じた。
「あなたはこの街に長居するつもりですか?」
「いいえ」
私は小声で答えた。
「東へ行きたいのです。リベルタスという国へ」
男性の目が少し大きくなった。
「リベルタスへ? 東の帝国だ。だが、自由は時に命より高くつく。覚悟はあるかい?」
私は固い表情で頷く。
「はい。何があってもリベルタスへ行きます」
風の商人は周りを見回し、声を落とした。
「三日後、私は商隊を率いて砂漠を越える。メルヴという交易都市を目指すのです。メルヴはリベルタスの首都、オーロラハイドも近い」
彼は懐から小さな布を取り出し、私に渡した。
「これは砂漠の護符です。これを持っていれば、私の商隊に加わることができる。明後日の夕方、南門の外で待っていなさい」
「ありがとうございます。でも、なぜ私を?」
風の商人は静かに笑った。
「西の宮廷から逃げてきた人を、私は何人も見てきた。その目には、なんとも言えない諦めや絶望がある。そんな目をした人を見捨てられなくてね」
彼は立ち上がり、数枚の銀貨をテーブルに置いた。
「これで今夜の宿代くらいにはなるでしょう。裏通りの『砂の月』という宿なら、空き部屋があるはずです」
言い終えると、風の商人は静かに店を出て行った。
その夜、『砂の月』という小さな宿で一室を借りた私は、窓から見える月を眺めていた。
王子からもらった金貨の袋を握りしめる。フェルナンド王子から貰った金貨だ。
(やっぱり、男が怖い……)
突然、陛下の荒い息遣いが耳元に蘇る。身体が勝手に震え始め、息が止まりそうになる。強ばった指で胸元を掴み、必死に空気を求めた。
「やめて……お願い……」
誰もいない部屋で、私は声にならない声をあげる。陛下の重みと香りが幻のように体を押しつぶす。痛みと恐怖の記憶が鮮明に蘇り、私は膝を抱えてベッドの隅で小さく丸くなった。
闇の中で汗が流れ、震える手が止まらない。どれだけ身体を拭いても、あの感触が消えることはなかった。いつまでこの悪夢は続くのだろう。
時間が過ぎるのを待ちながら、ただベッドに横たわる。震えが少しずつ収まってくると、窓から見える月に目を向けた。
(私はまだ震えている。でも、その震えを押し殺すことを、私はもうやめた)
月の光が震える指先を照らす中、私はゆっくりと息を整えた。
明後日。砂漠を越える旅が始まる。そして、その先には自由の国、リベルタスがある。
傷ついた私の心でも、新しい人生への一歩へと、また一つ近づいた。
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