セダ・ヴェルデの帝王
【エンリケ三世視点】
『セダ・ヴェルデ歴189年、1月1日 未明』
薔薇の香りが漂う寝室の中、柔らかな寝台に横たわる私の粗い息遣いが響いていた。
「お、お願いです……もう」
か細い声が闇の中で震える。カルメラという名の宮廷メイドは、私の体の下で抵抗する術もなく身を委ねていた。齢二十の彼女は、しなやかな体つきと長く艶やかな栗色の髪を持ち、青い瞳が特徴的な美しい女性だ。高貴な血を思わせる整った顔立ちと優雅な動きで、周囲からは「貴婦人のようなメイド」と呼ばれることもある。
だが今、その美しさは私の欲望のまま踏みにじられていた。
「黙れ」
私の声は低く、威厳に満ちている。寝室の闇の中、私の動きが続く。カルメラの絹のような肌が月明かりに照らされ、彼女の瞳から流れる涙が頬を伝うのが見える。
「陛下、どうか……」
彼女の懇願も虚しく、私の行為は続いた。柔らかなシーツが二人の体の下でしわくちゃになり、カルメラの悲鳴を抑えた声だけが部屋の静けさを破る。
やがて、私は満足し、カルメラの体から離れた。彼女は震える手で乱れた服を直そうとするが、指がうまく動いていないようだった。
「朝の準備をせよ」
私はそれだけを言うと、横向きになって眠りについた。
『セダ・ヴェルデ歴189年、1月1日 早朝』
薄明かりが窓から差し込み始めると、私は目を覚ました。寝台の周りには深紅のカーテンが垂れ下がっている。
私、エンリケ・ドミニク・セダ・ヴェルデ三世、通称エンリケ三世は、三十五歳にして西方の大帝国を治めている。黒髪にわずかな白髪が混じり、手入れの行き届いた髭を蓄えた私は、今朝も目覚めと同時に寝室の隅でうずくまる美しい女性の姿を見つけた。
カルメラは目を伏せ、水差しを両手で持っていた。彼女の栗色の髪は肩に垂れ、少し震える指が水差しを揺らしている。
「カルメラ、そこで何をしている」
私の声に、彼女はゆっくりと顔を上げた。瞳には何の感情も宿っていない。ただ従順さだけがそこにある。
「あ、朝の水をお持ちしました、陛下……そして、お願いがございます」
彼女の声は意外なほど落ち着いているが、私にはその底に隠れた恐怖が見て取れた。
「お願いだと?」
「は、はい……できましたら、わたくしめを、宮廷の務めから解いていただきたく」
カルメラは言葉を選びながら、それでも決意を込めて願い出た。
私は一瞬驚いたが、すぐに無関心に戻った。
(かわいそうな娘だ。だが朝から面倒なことに関わっている時間はない)
「勝手にするがいい。行き先はどこだ?」
「東の国へ……親類がおりますので」
カルメラは目を伏せたまま言った。嘘だとわかったが、私は特に気にしなかった。メイドなど他にもたくさんいる。
「わかった。宰相に話しておこう。下がれ。他のメイドに朝食の準備をさせよ」
カルメラは深く頭を下げると、優雅な動きで立ち上がった。彼女の顔には、安堵の色が広がっていた。
「恐れながら、ありがとうございます」
彼女は部屋を出た。
私は深いため息をつく。新年の始まり、この日はすでに多くの仕事が待っている。特に頭を悩ませているのは東方の砂漠地域への対応だ。
窓から見える首都アルカンシアの朝の景色を眺めながら、考えを巡らせる。大理石の宮殿群、塔の立ち並ぶ市街地、そして遠く水平線まで広がる帝国の領土。これ以上の拡大は本当に必要なのだろうか。
「陛下、新年の朝の儀式の準備ができました」
側近のアルフォンソ・デ・カスティージャ、通称アルフォンソが入室してきた。三十二歳の忠実な部下は、短く刈り込まれた髪と筋肉質な体つきで、いつも私の右腕として仕えている。
「ああ、すぐに行こう」
朝の準備を済ませ、私は大広間へと向かった。
金と白を基調とした大広間には、すでに多くの高官や貴族たちが集まっていた。彼らは私の姿を見ると、一斉に頭を下げる。
私は玉座に座り、皆の報告を聞き始めた。領地の収穫高、税金、新しい貿易の約束など、様々な案件が次々と上がる。やがて、予期していた東方問題が持ち出された。
「陛下、東方の砂漠地帯、アークディオンとリヴァンティアの件について報告があります」
ミゲル・サンチェス将軍、通称ミゲル将軍が前に進み出た。三十八歳の将軍は、灰色の髪と顔の傷跡が目立つ、帝国一の軍の指揮官である。
「話せ、ミゲル」
「はい。先月にアークディオンがリヴァンティアを攻め落としたことは既にお伝えした通りです。現在、砂漠地域はほぼアークディオンの支配下に入りつつあります」
私は興味深く頷いた。
「リヴァンティアの熱砂の姫君は?」
「逃げたようです。東方のリベルタス帝国へ逃れたとの情報があります」
私は顎に手をやり、考える。
「アークディオンと我々の関係は?」
「表面上は友好を保っていますが、彼らの野心は明らかです。砂漠を支配した今、西への進出を狙っているかもしれません」
私は目を細めた。
「先に攻め入るべきかもしれないな」
ミゲル将軍が一歩前に出る。
「それは可能です。我が軍は十分な準備があります。あの砂漠地帯を支配することで、東方への交易路を完全に握ることができます」
私は立ち上がり、広間の中央に置かれた大きな地図に近づいた。
北方山脈
△△△
西方海 〇アルカンシア(セダ・ヴェルデ帝国首都)
|
|
|
|
|森林地帯 草原 砂漠地帯
〇ーーーーー〇ーーーー〇ーーーーー〇ーーーーー
モレリア ガルシア フロンダ アークディオン
(最近征服)
南方海
私は地図上でフロンダを指でなぞった。
「フロンダを攻め落としたばかりなのに、住民の反乱は収まらない。砂漠まで手を伸ばせば統治はさらに難しくなるだろう」
私は不満の表情を浮かべる。
「あの何もない土地に何の価値がある? 砂と岩と太陽の熱だけだ。交易路を確保したいだけなら、海の道で十分ではないか」
側近のアルフォンソが意見を述べる。
「陛下、砂漠を支配することで、リベルタス帝国の西への進出を防ぐこともできます。また、アークディオンはすでに我々の言いなりです」
私は鼻で笑った。
「言いなり? あの若い国王ターリクは我々の言うことなど聞いていない。奴は自分の力を過信している」
広間内に静けさが流れる。
「フロンダの統治すらうまくできないのに、砂漠まで手を出して何になる」
私のつぶやきに、誰も反論できなかった。
私は玉座に戻ると、重々しく腰を下ろした。
「フロンダの反乱について報告せよ」
ミゲル将軍が再び前に出る。
「先週も三回の暴動がありました。我々の守備隊への襲撃も増えています。彼らは『自由』を求めているようです」
「自由か……」
私は思わず苦笑した。
「あの地は交易の要所だ。手放すわけにはいかない。もっと兵を送れ。住民が落ち着くまで力で抑え込むしかない」
「しかし陛下、それではさらに反感を買うだけではありませんか?」
宰相のドン・エステバン・デ・ラ・クルス、通称エステバン宰相が発言した。白髪交じりの宰相は四十八だが、その知恵は帝国に欠かせないものだ。
「ならばどうすれば良い? 彼らは我が帝国の一部となったのだ。従うべきだろう」
宰相は静かに頭を下げた。
「時間をください。新しい支配に慣れるには時間がかかります。また、現地の有力者たちを味方につける策も考えております」
私は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「わかった。だが期限は三ヶ月だ。それまでに状況が良くならなければ、厳しい措置を取る」
宰相は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下」
その後も様々な政務が続いたが、私の頭の中はフロンダと砂漠の問題でいっぱいだった。
やがて公務が終わり、私は個室に戻った。窓からは夕方の光が差し込み、部屋を赤く染めている。
「ワインを持ってこい」
その声に応じ、新しいメイドが静かに入ってきた。カルメラではない。
(あの娘はもう出発したのだろうか……まあいい)
ワインを一口飲み、私は窓の外の景色を眺めた。広大な帝国の領土が夕日に照らされている。
「これ以上の拡大に何の意味がある? 今の状態を保つだけでも難しいというのに」
独り言を言いながら、メイドが静かに立っているのを感じる。
「下がれ」
メイドは一礼して部屋を出ていった。
私は机に向かい、地図を広げる。砂漠とその先にあるリベルタス帝国。西方の大陸を二分する二つの大国。本当の脅威は砂漠の向こうにいるのかもしれない。
「リベルタス……か」
私はペンを取り、砂漠地域を丸で囲んだ。
「しばらく様子を見よう。砂漠はアークディオンのバカどもに任せておけばいい。彼らが失敗すれば、我々が出ていく理由になる」
私は地図を丸め、窓辺に立った。
「新年早々、面倒なことばかりだ」
そう言いながらも、私の唇には小さな笑みが浮かんでいた。私の野心は、砂と岩の向こう側に広がる新しい土地へと静かに向けられていた。
カルメラのことなど、もはや私の頭の中には存在しなかった。彼女はきっと東へ向かったのだろう。どこへ行こうと、私の手は届かないし、届かせる気もない。私より大きな野望がある。
アルカンシアの夜が、帝国の暗い野望を静かに包み込んでいった。
「とても面白い」★五つか四つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★二つか一つを押してね!




