熱砂の姫君と粉雪
【レオン視点】
『リベルタス歴17年、11月30日 午後』
オーロラハイドの空が灰色に沈んでいた。
僕は黒の城、訓練場での稽古を終え、汗を拭いながら休憩していた。約一か月半の訓練で、僕の体はすっかり引き締まり、剣の扱いも上達した。カイルお兄ちゃんの特訓は厳しかったが、行軍や兵の配置など、指揮官としての知識が身についた。
「レオン、今日はこれで終わりだ。よく頑張ったな」
カイルお兄ちゃんが僕の肩を叩く。彼の表情には満足感が浮かんでいた。
「ありがとう、お兄ちゃん。随分と強くなった気がするよ」
僕は木剣を杖代わりにしてなんとか立つ。
皇帝は、いつも限界まで鍛えてくれた。
「ああ、成長したな。明日から来春の作戦会議が始まる。バートルとヒューゴもグラナリアから戻ってくるし、メルヴからの使者も来る予定だ。本格的な準備を始めるぞ」
兄の言葉には自信と期待が混じっていた。彼の目には、僕への信頼の光が宿っている。
「うん、わかった。ファリーナちゃんの国を取り戻そう!」
僕の決意に、カイルお兄ちゃんは満足げにうなずく。
「そういや、ファリーナはどこだ? 最近は毎日、お前の稽古を見に来ていたじゃないか」
「今日は朝から体調が優れないみたいで、部屋で休んでるよ。砂漠の国の人だから、オーロラハイドの冬は厳しいみたいなんだ」
そう話していると、僕は空から何か白いものが舞い落ちるのを見つけた。
「あっ!」
カイルお兄ちゃんも同時に空を見上げる。
「ああ、今年最初の雪だな」
小さな白い結晶が、ゆっくりと舞い降りてくる。
「そうだ! ファリーナちゃんに見せなきゃ! 初めての雪だよ!」
僕は急いでコートを羽織ると、城内へと駆け出した。
「レオン! 風邪引くなよ!」
後ろからカイルお兄ちゃんの声が聞こえたが、僕は既に走り出していた。
階段を駆け上がり、ファリーナちゃんの客室のドアをノックする。
『コンコンコン』
「ファリーナちゃん! 大変だよ! 外に出てきて!」
「な、なんじゃ? 妾は少し体が……」
ドアの向こうから、彼女の弱々しい声が聞こえる。
「雪が降ってきたんだ! 君が見たかった雪だよ!」
僕の言葉に、ドアが勢いよく開いた。そこには薄い毛布を身にまとったファリーナちゃんが立っていた。
「ほ、本当なのか!? 雪じゃと?」
彼女の目は、体調が優れないにもかかわらず、好奇心で輝いていた。
「そうだよ! さあ、着替えて! 外を見に行こう!」
ファリーナちゃんは一瞬ためらったが、すぐにうなずいた。
「少し待つのじゃ! 特別な衣装を着るぞ!」
彼女は急いで部屋に戻ると、扉を閉めた。僕は廊下で待つこと数分、やがて扉が開き、ファリーナちゃんが姿を現した。
彼女が身につけていたのは、リヴァンティアで初めて見た時の踊り子の衣装だった。青と赤のセパレート服に、半透明の羽衣を羽織っている。腰には小さな鈴が付けられ、歩くたびに「チリンチリン」と涼やかな音を立てる。
「その格好じゃ寒いよ! 上にコートを着て……」
「大丈夫じゃ! 気合じゃ!」
彼女は誇らしげに言うと、僕の手を取り、急いで城の中央庭園へと向かった。
庭園に出ると、辺りは徐々に白く染まり始めていた。まだ雪は地面を覆うほどではないが、樹木の枝や石畳の上に、うっすらと白い粉が積もり始めている。
「これが……雪なのじゃな……」
ファリーナちゃんは息を呑み、空を見上げた。彼女の瞳に、雪の結晶が映り込む。
「そうだよ。冬になるとオーロラハイドでは雪が降るんだ」
僕の説明に、彼女は耳を傾けようともせず、庭園の中央へと歩み出た。
「妾が踊れば、この雪はより美しく降るのではないかのう?」
彼女はそう言うと、両手を広げ、ゆっくりと回り始めた。
空から舞い落ちる雪と、庭園の松明の明かりが、幻想的な光景を作り出す。ファリーナちゃんの踊りは、リヴァンティアの泉での踊りとは違っていた。より自由に、喜びに満ちている。
「砂漠では、空から降るのは熱い砂のみ。こんな冷たくも美しいものが降るなんて……」
彼女の声は風に乗って僕の耳に届く。
踊りながら、彼女の指先から青い光が漏れ始めた。彼女の権能が目覚めたのだ。不思議なことに、青い光は雪の結晶と同化し、より一層輝きを増した。
「見てたもれ! 雪が水になるのじゃ!」
彼女が両手を天に向けると、雪が手のひらで溶ける。
僕はその光景に見とれていた。砂漠の国からやってきた姫君が、雪の中で踊る姿は、なんとも不思議で美しかった。
気づくと、庭園の周りには城の住人たちが集まり始めていた。エリュアやユリアさん、そして三人のママたちも姿を見せ、この幻想的な光景を静かに見守っている。
「美しい……」
エルミーラママの声が、静かに響いた。
雪はどんどん強く降り始め、庭園は白銀の世界へと変わっていく。ファリーナちゃんの黒髪に雪が積もり、彼女の足跡が庭園に模様を描いていた。
「レオン! こちらへ来るのじゃ!」
ファリーナちゃんが僕を呼ぶ。彼女の微笑みには、純粋な喜びが溢れていた。
僕は彼女の元へ走り寄り、手を取った。
「冷たくないの?」
「いいえ、不思議と暖かいのじゃ。この雪という水は、妾の権能と共鳴するようじゃな」
彼女の手は確かに暖かかった。まるで権能の力で体温を保っているかのようだ。
突然、彼女は僕の頬に口づけをした。冷たい雪と彼女の暖かい唇のコントラストが、僕の心臓を高鳴らせる。
「リヴァンティアを取り戻したら、今度は妾の国にも雪を降らせられないかのう?」
彼女の無邪気な問いに、僕は微笑んだ。
「それは難しいかもしれないね。でも、君の水の権能があれば、何か面白いことができるかもしれないよ」
彼女はくすくすと笑いながら、再び踊り始めた。彼女の周りでは、雪が渦を巻き、青い光と混ざり合って小さな竜巻のようになっている。
「この思い出を砂漠に持ち帰るのじゃ!」
彼女の宣言は、決意に満ちていた。
雪の中で踊る彼女を見ながら、僕は春の出兵に向けて心を引き締める。
(なんとかしよう。ファリーナちゃんの国を取り戻す。そして彼女の笑顔を守り続ける)
白い雪が降り続ける中、二人の誓いは静かに、しかし確かに結ばれていった。
オーロラハイドの冬空の下、熱砂の姫君は新たな世界を受け入れ、そして来たるべき戦いに向けて、新たな一歩を踏み出したのだった。
雪と踊りと、二人の約束。白銀の世界は、これからの旅路を優しく照らし出していた。
【第三章 熱砂の姫君編 完 ・ 第四章 心の門編 へと続く】
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