砂漠の勢力図
【レオン視点】
『リベルタス歴17年、9月22日 昼過ぎ』
ロヴァニアを出発してから12日、遂にメルヴの城壁が見えてきた。
フタコブラクダの背に揺られ、砂漠の暑さに耐えながらの長旅だったが、久々に見る城壁に安堵を覚える。以前と違うのは、城壁の砂岩化工事がさらに進んでいたことだ。
「レオンよ、お腹がすいておらぬか? 妾が持ってきたデーツを食べるのじゃ!」
ファリーナちゃんと仲良くラクダを歩かせる。
「大丈夫だよ、ファリーナさん。さっき食べたばかりだから」
彼女に『さん』と呼びかけると、満足げな表情になるのが見て取れた。
「ふふん、そうじゃったな。妾としたことが忘れておった」
ファリーナちゃんは得意げに胸を張ると、ラクダを少し加速させて先に行く。その背中を見ていると、つい笑みがこぼれる。
後方を確認すると、ラシーム宰相とセリウスくんが話し込みながらラクダを走らせていた。彼らは何やら真剣な表情で、今後の戦略について相談しているのだろう。
「おお! 城門が開いたぞ! だれか出迎えに来ておるのう!」
前を走るファリーナちゃんが叫ぶ。確かに城門が開き、人々が出てきている。
城門から現れたのは、メルヴ総督の狐のハッサンだった。彼はいつもの太った体躯をゆすりながら、両手を広げて歓迎の意を示している。その隣には息子のサイードと、娘のサフィーナが立っていた。
僕たちは城門の前でラクダを止め、砂の上に降り立った。
「おお~これはこれは! メルヴへようこそ! レオン殿、セリウス殿、それに、こちらが噂に聞く熱砂の姫君とリヴァンティア宰相ラシーム殿であろう! 初めてお目にかかれて光栄じゃ!」
ハッサンは満面の笑みで出迎えてくれる。彼はファリーナちゃんとラシーム宰相に深々と頭を下げた。
「ハッサン総督、お力添えありがとうございます」
僕は礼儀正しく頭を下げた。
「レオンさ~ん! 無事で良かったわ~!」
ハッサンの横からサフィーナが飛び出し、いきなり僕に抱きついてきた。
「わっ! サフィーナちゃん、久しぶり」
僕はバランスを崩しながらも彼女を受け止める。サフィーナは僕の胸に顔を埋めながら、しがみついてくる。
「ちょっと? サフィーナとやら、レオンにくっつきすぎじゃぞ! 離れるのじゃ!」
ファリーナちゃんが素早く近づき、サフィーナの肩を引っ張った。
「あら~? 熱砂の姫君って、こんな子だったの? うわさで聞いていたよりずっと子供っぽいわね~」
サフィーナは僕から離れず、逆にさらに抱きついてくる。
「な、なんじゃと! 妾はリヴァンティアの女王じゃぞ! 敬意を示すのじゃ!」
ファリーナちゃんの顔が真っ赤になり、拳を握り締める。
セリウスくんが間に入り、なだめようとするが、二人の女の子はにらみ合う。
「みなさん、総督府に行きましょう。まずは果物を食べるのです!」
ハッサンの声が響き渡り、一同は静かに従った。
総督府の会議室に案内され、全員が席に着く。テーブルの上には冷たい飲み物と果物が用意されていた。
「まずは乾杯じゃ! ようこそメルヴへ! 特に熱砂の姫君とラシーム宰相殿、初めてのご対面に感謝します!」
ハッサンが杯を上げると、全員がそれに続いた。だが、ラシーム宰相の表情は重い。
「ハッサン総督、実はただの訪問ではないのです。数週間前、アークディオンがリヴァンティアを襲撃し、宮殿が陥落しました」
会議室に緊張が走る。ハッサンの顔から笑みが消え、目を見開いた。
「なんじゃと!? アークディオンがリヴァンティアを!?」
僕はうなずき、続けた。
「突然の襲撃でした。西門を内側から開かれ、抵抗する間もなく城を奪われました。熱砂の姫君と宰相様は辛うじて東門から脱出できたのです」
ハッサンの顔が怒りで赤くなっていく。彼は拳を固く握りしめた。
「これは許せぬ! このハッサンとしても座視できぬ。メルヴの兵、武器、食料、すべてを動員しても構わぬぞ! リヴァンティアを取り戻さねば!」
ハッサンの声には激しい怒りが含まれていた。彼の顔からはいつもの軽薄さが消え、信頼できる指導者の威厳が感じられた。
「詳しい状況を教えてくれ。どのような手段で攻め込まれたのだ?」
ハッサンの質問に、ラシーム宰相が答える。
「どうやら西門を守る役人たちが買収されたようです。夜半、内側から門が開かれ、一万ほどの兵が一気に侵入してきました。我々は準備不足で、わずか三千の兵しか集められませんでした」
ハッサンは髭を撫でながら、憤りを隠せない様子だ。
「役人の買収か……卑劣な手段よのう。裏切り者には天罰が下るであろう」
「しかし、メルヴだけではアークディオンには太刀打ちできません。オーロラハイドの力も必要です」
ラクダのサイードの冷静な指摘に、全員が頷いた。
会議が一段落し、僕たちは休憩のため別々の部屋に案内された。僕が部屋に入ると、しばらくしてノックの音がした。
「どうぞ」
ドアが開き、ファリーナちゃんが顔をのぞかせた。
「レオン、話があるのじゃ」
彼女は恥ずかしそうに部屋に入ってくる。
「どうしたの、ファリーナさん?」
「さっきのサフィーナとやらじゃが……なんじゃあの態度は! 妾はあんなに馴れ馴れしくされては黙っておれぬのじゃ!」
彼女の頬が膨らみ、怒りというより拗ねたような表情をしている。
「サフィーナちゃんはああいう子だよ。気にしないで」
「ムー、レオンはあのサフィーナとやらのことが好きなのか?」
その質問には困った。
「ん~違うよ、友達だし」
僕の言葉にファリーナちゃんの表情が少し和らいだ。
「そうか……それならば、妾とレオンの関係を明らかにしてもよいのじゃな?」
「え? どういう意味?」
彼女の瞳が輝き、ニヤリと笑った。
「べ、別にレオンが嫌がるなら言わぬ。ロヴァニアの宿でのことなど……」
彼女の言葉に、僕の顔が熱くなった。あの夜のことを思い出すと、今でも胸が高鳴る。
「う、うん……まあ、別に隠すことじゃないし」
僕の答えに、彼女は嬉しそうな表情を浮かべた。
『コンコンコン』
「レオンさんいる~?」
サフィーナの声だった。
「あっ、来たのじゃ! 今ここで決着つけるのじゃ!」
ファリーナちゃんが勢いよく立ち上がり、ドアを開けた。
「なんの用じゃ? 妾とレオンは二人だけの話をしておる」
サフィーナは驚いたように目を見開き、二人を交互に見る。
「あら? 失礼したわね。でも、私とレオンさんはこれから大事な話があるから、後にしてもらえるかしら?」
「なに言っておる! 妾とレオンはもう夫婦じゃぞ! ロヴァニアの宿で結ばれたのじゃ!」
ファリーナちゃんの発言に、部屋は静まり返った。僕の顔は完全に真っ赤になっていたはずだ。
「え……なに……?」
サフィーナの顔から血の気が引いていく。
「そうじゃ! 妾たちはもう一つになったのじゃ! 悪いが、レオンは妾のものじゃ!」
ファリーナちゃんは胸を張り、誇らしげに宣言した。
「そ、そんな……レオンさん、本当なの?」
サフィーナが震える声で尋ねる。
「あ、あの……その……」
言葉に詰まる僕を見て、サフィーナは全てを理解したようだった。
「わ~ん! 聞きたくないわ~!」
彼女は泣きながら廊下へ走り去ってしまった。
「ファ、ファリーナさん、そんなことまで言わなくても……」
「何を言う! 事実じゃろう? 妾はレオンが好きなのじゃ! それでよいじゃろう?」
彼女は腕を組み、誇らしげにあごを上げていた。
ところが、この騒動はすぐに総督府中に広まってしまった。
夕食の席で、ハッサンが僕の肩を叩きながら大声で言った。
「これはこれは、レオン殿! 熱砂の姫君と結ばれたとは! おめでとうございます! リベルタス帝国とリヴァンティアが血で結ばれるとは、なんと素晴らしいことか!」
全員の視線が僕に集中する。
「おめでとうございます、レオンくん!」
ラクダのサイードまでもが祝福の言葉を述べる。
「レオン! キミ本当に結婚したの?」
セリウスくんが驚いた表情で僕に尋ねる。
「あ、あの……まだ正式な結婚じゃないよ」
僕の言葉に、ファリーナちゃんが顔を赤らめる。
「そうじゃ、まだ妾たちは誓いを交わしただけじゃ。正式な結婚はリヴァンティアを取り戻してからするのじゃ!」
彼女の言葉に、全員が納得したようだった。
「おお~そうか、そうか。それなら、レオン殿、もう一人側室としてうちのサフィーナはどうじゃ? メルヴとの関係も強固になるぞい!」
ハッサンの突然の提案に、僕は飲んでいた果実水を噴き出しそうになった。
「お、お父様! そんな!」
テーブルの隅で食事をしていたサフィーナが顔を真っ赤にして抗議する。
「ふむ、悪くない案ですね。結束を固めるには良い案かも……」
ラシーム宰相までもが真剣に考えている様子だった。
「な、なんじゃと!? そんなことは許さぬ! レオンは妾のものじゃ!」
ファリーナちゃんが立ち上がって叫ぶ。
「あ、あわわわ、僕はまだそんな……けど、それより大事なことがあるんじゃないかな?」
僕は話題を変えようと必死だった。
「レオンくん! まずはリヴァンティアの奪還作戦を考えないと……」
セリウスくんが僕を助けてくれた。
夕食の後、ラシーム宰相とハッサン総督が真面目な話を始めた。
「ハッサン殿、アークディオンに対抗するには、オーロラハイドの力が必要です。レオン様はリベルタス皇帝の弟。彼を通じてリベルタス帝国の支援を得られれば……」
「そうじゃな、リヴァンティアを取り戻すには、リベルタス帝国の力を借りるのが一番じゃ」
ハッサンが髭をさすりながら同意する。
「でも、オーロラハイドまではまだ長い旅になります」
セリウスくんが心配そうに言った。
「心配するな。このハッサンがメルヴの兵を付けて送る! お前たちは安全にオーロラハイドまで行き、カイル皇帝に事情を説明するのじゃ!」
ハッサンの言葉に、全員が頷いた。
「ありがとうございます、ハッサン殿」
僕は心から感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
一同が就寝の準備に入り、僕も自分の部屋に戻った。
窓から見える砂漠の夜空には、無数の星が瞬いている。僕は深く息を吐き出した。
(ここからが本当の戦いの始まりだな……)
ファリーナちゃんとの関係、アークディオンとの戦い、そしてオーロラハイドでの兄の判断。全てが僕たちの未来を左右する。
ノックの音がして、ドアが開く。
「レオン、まだ起きておるか?」
ファリーナちゃんが小さな声で言った。
「うん、入りなよ」
彼女は静かに部屋に入ると、窓際に立つ僕の隣に来た。
「明日からまた旅がはじまるのじゃな」
「そうだね。でも今度はオーロラハイドだから、僕の生まれたところだよ」
彼女は僕の手を握り、肩にもたれかかった。
「レオン、妾たちは、リヴァンティアを取り戻せるじゃろうか……」
彼女の声には不安が混じっていた。
「大丈夫だよ。僕とお兄ちゃんが必ず力になるから」
僕は彼女の手を優しく握り返した。
「ありがとう……レオン、妾はそなたがおってくれて本当に良かったのじゃ」
二人は窓から見える星空を見つめながら、明日からの旅に思いを馳せた。
メルヴ草原の風が窓を通り抜け、部屋の中の炎をゆらめかせる。
明日から始まる長い旅路。そして、その先に待つ大きな戦い。
僕たちの未来が明るいと信じて、ファリーナちゃんを抱き寄せた。
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