ロヴァニアの宿屋にて
【熱砂の姫君 ファリーナちゃん14歳視点】
『リヴァンティア歴208年、リベルタス歴17年、9月10日 夕刻』
妾たちはロヴァニアの宿屋につく。西日が石畳を赤く染め、木々の影が長く伸びていた。
こんなに遠くに来たことはなかったのじゃ。リヴァンティアから幾日も馬を走らせ、見知らぬ土地を踏む不安と、新たな冒険への期待が入り混じる。
途中何度か追っ手の騎兵やらラクダ騎兵が迫ってきたけど、全部レオンが権能で追い払ってくれたのじゃ……
あの光景は忘れられぬ。
レオンの周りに青白い光が立ち上がり、彼の声が風のように追っ手の心に響く。「家へ帰れ」という言葉と共に、追っ手たちが恍惚とした表情で引き返していく様は、まるで幻のようじゃった。
そのたびに、妾は胸の高まりを感じた。
水の権能を持つ兄のラシームとは全く異なる力を、レオンはまるで呼吸をするように自然に扱う。彼の横顔が夕日に照らされると、あの泉の前で出会った日のように、異国の優しい日差しを思い出すのじゃ。妾も兄も水を操る力しか持たぬが、レオンの力は人の心そのものに届くもの。それが妾の胸を高鳴らせるのじゃ。
宰相のラシームは黙ってラクダを走らせ、セリウスは地図を確認しておる。みな疲れているが、身の危険は今のところ遠のいたようじゃ。
「今日の宿はここで大丈夫だと思うよ」
レオンの優しい言葉に、妾は頷く。
「べ、別にそなたが助けてくれたからといって、特別感謝しておるわけではないからな! たまたま妾の道を同じくしただけじゃ! ……じゃが、無事に宿についたのは、少しはそなたの力があったかもしれぬな」
妾は頬を膨らませ、顔を少し横に向けながら言った。本当は心の底から感謝しているのに、素直に言えぬのじゃ。
宿は小さいながらも清潔で、一階には食事処がある。壁には見たことのない植物の絵が飾られ、窓からは異国の景色が広がっておる。砂漠の景色に慣れた妾には、あまりに緑が多く、不思議な気分じゃった。
もう我慢はできぬ。
ロヴァニアの宿の一階で食事をしたあと、妾はレオンの部屋で待った。石で造られた宮殿とは違い、この宿は木の温もりが感じられる。部屋の中央には小さなベッドがあり、窓からは月明かりが差し込んでおる。
ドアの向こうから足音が聞こえ、誰かか部屋に入ってくる。レオンじゃろう。
「入っていいかな?」
レオンの声が聞こえる。妾の胸が高鳴った。
「どうぞ」
彼の赤い髪が月明かりを受けて、まるで炎のように見えた。
「ファリーナちゃん、大丈夫? 疲れてない?」
彼の優しい言葉に、妾の胸がさらに高鳴る。
「平気じゃ。妾は強いからの。それより、レオン……」
言葉に詰まる。伝えたいことはあるのに、どう言えばよいか分からぬ。
レオンは静かにベッドの端に腰掛け、窓から見える月を見つめた。
「追っ手もいなくなったし、ここなら少しは安心できるね。明日はオーロラハイドを目指すよ」
「オーロラハイド……そなたの故郷なのじゃな」
異国の名前を口にすると、不思議と温かな気持ちになる。
「そうだよ。オーロラハイドならきっと安全だよ。カイルお兄ちゃんやママたちも、新しい友達を歓迎してくれるはずだから。ファリーナちゃんも、リヴァンティアを取り戻す日まで、そこで安全に暮らせるよ」
レオンの瞳には優しさが溢れておった。妾は彼の隣に腰掛け、震える手で彼の手に触れた。
「レオン……妾な、そなたのことが……」
言葉にするのが恥ずかしく、顔が熱くなる。
レオンが驚いた表情で妾を見つめる。
「ファリーナちゃん……」
彼の瞳に映る妾の姿は、国を失った姫ではなく、ただの少女のようじゃった。
「べ、別に妾は泉の前でそなたを初めて見たときに、特別な感情を抱いたわけではないからな! ただの赤髪の異国の少年じゃと思っておったのじゃ! ……じゃが、そなたの笑顔が少し気になっただけじゃよ。ほんの少しな……」
妾は指でローブの端をくるくると弄りながら、うつむき加減に言った。本音を隠すために強がる言葉じゃが、声の震えが妾の本当の気持ちを漏らしておる。
レオンの顔が赤くなる。彼もまた、言葉に詰まっているようじゃ。
「僕も、ファリーナちゃんの踊りを見たとき、すごく美しいって思ったんだ。泉が光る瞬間、君が輝いていて……」
彼の言葉に、妾の心臓が爆ぜそうになる。
恥ずかしさを振り切るように、妾は身を乗り出し、彼の頬に唇を寄せた。柔らかな触れ合いに、両方の体がびくりと震える。
「妾の初めてじゃ」
耳まで赤くしながら、妾は囁いた。
レオンは静かに妾の手を取り、そっと唇に触れた。異国の作法なのか、妾の手に口づけをしたのじゃ。その感触に、妾の体が熱くなる。
「僕も、初めてだよ」
レオンの声は、いつもよりも低く響いた。
妾は勇気を出して、彼の唇を探る。ぎこちない口づけは、それでも甘く、身体中が蜜のように溶けていく感覚じゃった。
レオンの腕が妾の背中を包み、互いの鼓動が重なり合う。言葉以上に、触れ合いが全てを語っておる。
妾の指が彼の赤い髪に触れると、思ったよりも柔らかく、心地良い感触じゃった。彼の指も同じように、妾の黒髪を優しく梳かしておる。
「ファリーナちゃん……」
レオンの吐息が妾の耳に触れ、全身に甘い震えが走る。
「べ、別に妾はそなたのことなど……特別だとは思っておらぬからな! ただ、その……旅の道連れとして悪くないと思っただけじゃからな!」
顔を真っ赤にして、妾は視線を逸らした。本当の気持ちとは裏腹に、強がりの言葉しか出てこぬ。レオンの顔にも赤みが差し、彼は少し困ったように笑みを浮かべた。
二人の唇が再び触れ合い、今度はより深く、より長く続いた。それは妾にとって、砂漠の夜明けのような、新しい世界の始まりを感じさせるものじゃった。
やがて互いの唇が離れると、レオンの額が妾の額に触れる。二人の呼吸が一つになり、心臓の鼓動すら同じリズムを刻んでいるように感じられた。
「僕も、ファリーナちゃんのこと、好きだよ」
レオンの言葉に、妾の目に涙が浮かぶ。それは嬉しさの涙じゃ。
妾は彼の胸に頭を預け、彼の鼓動を聞きながら、安らかな気持ちに包まれた。彼の手は妾の背中を優しく撫で、それだけで全身に甘い電流が走る。
「そ、そなたが望むなら、今宵くらいここに居てやってもよいのじゃ! べ、別に妾が望んでおるわけではないからな!」
妾は顔を真っ赤にして、胸の内とは裏腹な言葉を吐いた。レオンは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに優しい笑みに変わった。
「うん、僕も一緒にいたいよ。ありがとう、ファリーナちゃん」
彼の素直な言葉に、妾の心は溶けそうになる。だが、顔を上げずに小さく「ふんっ」と鼻を鳴らしただけじゃ。初めて触れ合う肌の温もりと、彼の腕の力強さに包まれ、妾は自分がこれまでに感じたことのない幸せに満たされておった。
明日からは、また旅が続く。アークディオンの追っ手や、未知の危険との戦いが待っておるかもしれぬ。
じゃが今は、この瞬間だけが全てじゃ。
妾は彼の胸に頬を寄せ、互いの温もりを感じながら、静かに目を閉じた。月明かりが二人を包み込み、窓の外では星々が静かに瞬いておった。
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