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塩の煙と粉雪の村

【ゼファー視点】


 骨の髄まで凍てつくような北の辺境。ここで、千三百キログラムもの海水を延々と煮詰めても、得られる塩は、たったの二十キログラムぽっちだ。


 割に合わねぇ仕事だってのは分かってる。それでも俺は、今日も夜明け前から凍える浜辺へと向かう。


 空からは、容赦なく粉雪が舞い落ち、肌を刺す。ツンと鼻につく、冷たい潮の匂いが辺り一面に立ち込めていた。


 両手に提げた鉄製のバケツは、たった今、荒れ狂う波打ち際で汲んできたばかりの海水で、なみなみと満杯になっている。クソ重てぇ。


 息を吸い込むたびに、凍てついた空気が肺を焼き、バケツの重みで両肩はもう抜け落ちそうなくらい痛む。だが、ここで足を止めるわけにはいかねぇ。


 V字に切り立つ、滑りやすい崖の急な小道を、一歩一歩踏みしめて登り、海岸のすぐそばに建てた粗末な番屋の、大釜へとこの海水を運び込む。


 このクソみてぇな肉体労働だけが、この凍てついた辺境の地で、生きるための『金』に変わる、俺にとって唯一の道だからだ。


「フッ、フッ、フッ、フッ……! はぁ……あと、もう少しだ……!」


 吐く息は、まるで白い煙のように濃く、激しい労働で熱くなった俺の体からは、周囲の刺すような寒さの中でも、もうもうと湯気が立ちのぼっていた。


 崖道を登りきり、少し歩くと、雪に半ば埋もれた粗末な番屋の煙突から、白い煙がもくもくと立ち上っているのが見えてくる。あれが俺の仕事場だ。


 番屋の中は、もうもうと立ち込める湯気で何も見えねぇくらいだが、その中央に据えられた大きな鉄釜の中では、すでに海水が地鳴りのような音を立てて、グツグツと煮えたぎっていた。


『ザバーッ!』


 バケツに残っていた海水を、大釜の中へ景気よくぶち込む。


「ふうっ……! これで、今日の海水運びは一仕事終わりだな。あとは、こいつが煮詰まって塩になるのを、ひたすら待つだけか……」


 俺は、額の汗を腕でぐいっと拭った。


 それにしても、汗をかきすぎたせいか、喉がカラカラに渇いたぜ。


 俺は、番屋の薄暗い部屋の隅に置いてある、大きな素焼きの(かめ)へと近寄った。この中身は、もちろん貴重な真水だ。


 (かめ)を覗き込むと、揺れる水面に、薄汚れた自分の顔がぼんやりと映った。


 短く刈り込んだ金髪に、我ながら意思の強そうな、太い眉。そして、右の頬には、昔兵士だった頃につけられた、深々と刻まれた古い刀傷が一本、痛々しく走っている。


 他のヤツらからは、俺の歳は二十代の後半から、せいぜい三十代の前半くらいに見える、なんて言われるが、残念ながら俺は孤児なんでな。正確な年齢(とし)も、生まれた日も、さっぱり分からねぇ。


 おまけに、以前はどこぞの貴族の元から逃げ出してきた、元逃亡奴隷っていう、ありがたくもねぇオマケ付きの経歴の持ち主だ。我ながら、ろくでもねぇ人生だな。


(まあ、俺自身は、自分の年齢(とし)とか、元奴隷だったとか、そんな過去のことは、もうあまり気にしてねぇけどな。それよりも、今は水だ、水! 喉が渇いて死にそうだぜ!)


 俺は、傍らに置いてあった木の(わん)(かめ)に突っ込み、なみなみと冷たい真水をすくうと、それを一気に喉へと流し込んだ。


「かぁ~っ! やっぱり、格別に美味いぜ! 生き返るようだ! ……おっと、いけねぇ、いけねぇ。火が、弱まってきやがったな。薪をくべねぇと。薪、薪!」


 俺は、番屋の外に出ると、壁に立てかけてあった使い古しの斧を手に取り、手慣れた手つきで、積み上げてあった丸太を次々と薪へと変えていく。


 割ったばかりの薪を、燃え盛る窯の中へと手際よくくべていくと、しばらくして、パチパチという音と共に、再び火力が勢いよく上がってきた。


「よしよし、これでまたしばらくはいい感じだな」


 外は刺すように寒いため、本当なら、こうしてガンガン海水を煮ている窯の近くにずっといたいのは山々だが、いかんせん、あまり近すぎると今度は熱くてたまらねぇ。


 俺は、汗で濡れた頭と顔、そして上半身を、汚れた手拭いでゴシゴシと拭くと、使い古してヨレヨレになった、黒い分厚い毛皮のコートを羽織った。これがないと、夜は凍え死んじまう。


 そして、窯の熱がちょうど心地よく感じるくらいの、絶妙な距離に置いてある、手作りの丸太椅子にどっかりと腰を下ろすと、少しだけ目を閉じて、休息を取ることにした。


 それから、三十分だけ仮眠を取った。長年の経験で、これ以上寝ると逆に体がだるくなるって分かってる。


 ハッと目を覚まし、窯の火加減を確認する。


「……火は、うん、まだ良い感じだな」


 大釜の中で煮詰まっている海水は、さっきよりもだいぶ量が減り、うっすらと乳白色に濁っている。


 よし、そろそろ塩が結晶化してきた証拠だ。


「おおっ! こいつは上出来だ! 綺麗な結晶の塩じゃねぇか! これなら、街へ持っていけば、きっと高く売れるに違いねぇな!」


 俺は、思わず笑みがこぼれた。


 あとは、この釜の底に溜まった塩の結晶を、大きな網じゃくしで丁寧にすくい上げれば、待ちに待った『白い塩』の完成だ。


 俺は、番屋の壁に掛けてあった大きな木製のザルを手に取ると、釜の塩の結晶を、崩さないように、ゆっくりと、そして丁寧にすくい上げていく。


「本当なら、太陽の下でじっくり天日で干すのが一番いいんだろうけど、ここのところ、ずっとこんなクソみてぇな粉雪だからなぁ……。仕方ねぇ、煎って乾かすか!」


 俺は、番屋の隅にあるもう一つのかまどに、大きな平たい鉄製のフライパンを置き、そこに濡れた塩の結晶を薄く広げていく。


 そして、焦げ付かせないように、そして塩の風味を損なわないように、マメに火加減を調整しながら、木べらで絶えずかき混ぜ、じっくりと丁寧に水分を飛ばしていく。地味だが、一番神経を使う作業だ。


 結局、この単調で、しかし気の抜けない作業を、夜が完全に明けるまで延々と繰り返して、ようやく目当ての二十キログラムの、真っ白でサラサラとした極上の塩を得ることができた。


 出来上がったばかりの、まだほんのり温かい塩を、破れないように慎重に、丈夫な麻袋へと大切に詰めていく。ずっしりとした重みが、心地良い。


 ここ数日間、ほとんど徹夜続きで体はクタクタのはずなんだが、この塩を街へ持っていって売れば、大金が入るんだっていう興奮の方が勝って、不思議と眠気なんて感じちゃいねぇ。


(俺は、この辺り一帯の『塩の専売権』を、持ってるからな。作れば作るだけ、儲けになるんだ! 笑いが止まらねぇぜ!)


「やっぱり、塩みてぇなモンを入れるのは、麻袋が一番だよな。革袋なんかにいれちまったら、すぐに湿気っちまいそうだ」


 塩を麻袋に詰めながら、住民をどうしようか考える。


「このだだっ広い土地に、俺一人っきりってのは、ちと寂しすぎるぜ。……あーあ、どっかから、気立てのいい、可愛い女の子でも流れ着いてきてくれねぇかなぁ!」


 俺は、一人そんな馬鹿なことを考えながら、窯の火が完全に燃え尽きるように、通気口を石でそっと塞いだ。


 こうしておけば、中の薪が燃え尽きると、やがて火は自然に消えるはずだ。火の始末は大事だからな。


 この、まだ名前すらついていない寂れた村は、紛れもなく俺の領地だ。


 だが、悲しいかな、今のところ、その領民であるはずの住人は、俺一人しかいやしねぇ。


 元々ここに住んでいたヤツらは、度重なる戦争で死んじまったか、あるいは、こんな厳しい土地での暮らしに嫌気がさして、とっくの昔にどこかへ逃げ出しちまったのだ。


「エドワード王から、褒美として辺境の村を押し付けられても、正直嬉しくもなんともねぇんだが……。かと言って、領主である以上、国にはちゃんと税金を納めねぇといけねぇしなぁ」


 やっぱり、どうしても住民が欲しいところだ。この塩作りも、俺一人でやるには、そろそろ限界を感じてる。


 ……そう考えると、可愛い女の子じゃなくても、屈強な男手でもいいから、誰か手伝ってくれるヤツがいねぇもんかなぁ。ううむ、どうしたもんか……?


 そんなことをつらつらと考えながら、燃え残った窯の火で少しだけ暖を取り、うとうととまた少しだけ眠ると、東の空が白み始め、すっかり夜が明けてきた。


 俺は、ズシリと重い塩の入った麻袋を背中に担ぎ上げると、一番近くにある、街へと向けて、雪の残る凍てついた道を一人黙々と歩き始めた。


 相変わらず、チラチラと頼りない粉雪が頬に舞い落ちては溶けていくが、空を覆う分厚い雲の流れは、心なしか少しだけ速くなってきたような気がする。


 雲が流れていき、冬晴れになりそうな予感がした。


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