イートDサックB
「今日は、どこやねん?」
「う~ん。
脇腹とか」
「それええやんけ。
ちょうど、『腹周りに、ぜい肉ついてきたな~』、
って思ってたところなんや」
「OK?」
「ええで」
ランチェは、左脇腹に、かぶりつく。
OKを出した人の左脇腹(ランチェからみて右方)に、かぶりつく。
黒くて、角があって、翼の生えた人の左脇腹に、かぶりつく。
左脇腹から肉を喰い千切り取り、口を閉じて咀嚼する。
クチャクチャ ‥
クチャクチャ ‥
口を閉じているから、響き渡りはしないが、小さな咀嚼音が聞こえる。
「左だけやったらバランス悪いから、右も喰ってくれや」
「えへの?」
口に肉がまだある状態で、ランチェは訊く。
「ええで。
ってか、その方がええ」
ランチェは、右脇腹にも、かぶりつく。
そして、嚙み千切る。
血は、出ない。
赤い血も、青い血も、緑の血も、流れない。
噛み千切り痕は、やけに滑らか。
あえて言えば、ツルンとしている。
強引に例えるなら、グミの噛み千切り痕の様。
柔軟性があって、たぷたぷ性もあるけれど、全体的にしっかりしている感じ。
千切り痕からは、薄らと、内部が見える。
内部に何かあるらしいのが、かろうじて確認できる。
が、黒の紗幕に閉ざされ、見えそうで見えない。
「う~ん。
バランス悪いな。
もういっぺん、左、ちょっと喰って」
「難儀やな~」
ランチェは再び、左脇腹にかぶりつく。
量を加減して、喰い千切る。
「どほ?」
口に肉を入れたまま、ランチャは訊く。
「ああ、なんや、ちょうどええ感じ」
角翼男は、満足そうに答える。
そこに苦痛の色は、微塵も無い。
「それで、どれぐらいイケそう?」
「ちょっと待って、今、計算するし」
角翼男は、眼を瞑る。
頭の奥深くに、思考を沈み込ませるように、眉根を寄せる。
そして、しばらく後、目を開ける。
「出た?」
「おお」
「どれくらい?」
「そやなー、脇腹の重要度、喰われた重量からして ‥ 」
「 ‥ からして ‥ ?」
「半年くらいやな」
「合わせて?」
「合わせて」
「左三ヶ月、右三ヶ月、みたいな感じ?」
「そんな感じ」
「思ったより少ないな」
「まあ、沢山喰ったように思うけど、脇腹の重要度の問題で、
そんなに日にち稼げへんのやろ」
「そうなんか」
ランチェは、角翼男と契約している。
死んだら、自分の魂を、角翼男に贈与する契約をしている。
その代わり、そう、その代わり、生きている限り随時、角翼男の体を喰わせてもらうことにしている。
何故、喰わせてもらうのか?
角翼男の体を喰わせてもらうことで、角翼男由来の能力が、ランチェが得るからだ。
その能力は、まあ、人間並みではない。
尤も、角翼男が回復しやすい部位(脇腹とか太腿とか)を、喰うことが多いが。
ランチェが契約している角翼男は、変幻自在だ。
普通の人間に変化することができ、男にも女にも、大人にも子供にもなれる。
そればかりか、動物や植物と云った有機物だけでなく、無機物にもなれる。
そこらへんの電化製品とか収納用品とか、文房具その他諸々ほとんどのものにトランスフォームできる。
一度、冷蔵庫がブッ壊れたので、角翼男に、冷蔵庫になってもらった。
新しい冷蔵庫が来るまで、感電なんのその、冷気なんのその、その冷蔵庫は役目を充分果たしてくれた。
ただ一点、を除いては満足。
その一点は、冷蔵庫内に、なんや摩訶不思議なものが、垂れ下がっていた点。
心臓っぽいものが有り、肺っぽいものが有り、腸っぽいものが有り、その他諸々垂れ下がっていた。
まあ、ハッキリ言えば、内臓っぽいものが多数、垂れ下がっていた。
さすがに、「粘液したたる」とか、不衛生なことは無かったが。
姿形を変えても、冷蔵庫の内部は、『角翼男の体の中なんやな~』と、サンチェは思った次第。
合わせて、『角翼男の内臓も、人間と変わらへんのやな~』と、変に感心もした次第。
そんな角翼男の変幻自在力に由来する能力だから、角翼男の身体の一部をを喰って、得る能力も、それに近くなる。
そのものズバリではないが、なんや関連しているような気がする。
サンチェが得る能力は、相転移。
物体の状態を、移行させる。
固体は液体に、液体は気体に、その逆々も然り。
自分は変わらないが、自分以外のものを変化させる。
今のところ、無機物でしか、試していない。
なんか、有機物で試してしまうと、エライことになりそうな気がして、サンチェはまだ、有機物では試していない。
有機物については、最初は植物から、慎重に試してゆくつもり。
それから徐々に、昆虫、爬虫類、両生類等試して行って、最終的には哺乳類に行くつもり。
いや、ぶっちゃけて言うと、最終的には、人間に使いたい。
と云って、サンチェに、世界を牛耳るとか、世の中を混乱させるとか云った野望は、無い。
単に、『ウザいやつに、思い知らせたい』だけ。
そのウザいやつが、世の中の多くの人、世界の中枢を握っている人々ならば、結果的に、世の中とか世界とかは、混乱してしまうが。
「ほな、サンチェ、練習」
「はい」
喰った後いつも、能力が身に付いているかどうか、確かめる。
能力発揮の、練習をする。
角翼男に促され、サンチェは洗面所に向かう。
戻って来たサンチェの手には、コップがある。
「ほな、どうぞ」
「はい」
サンチェは、コップを見つめる。
コップに入った水は、動かない。
動くどころか、微かなさざ波も立たない。
立たないどころか、水面が冴え冴えと滑らかになって来る。
サンチェは、コップを手に取り、逆さまにする。
水は、こぼれない。
完全に凍って、固体化している。
「そっちはOK、やな」
「そやな」
サンチェは、コップを置く。
今度は、あさっての方を向いて、コップを見つめない。
それでも、コップの中の氷は、徐々にザワつく。
震え、水面に、波紋が広がる。
水面が、震える。
さざ波が、立つ。
続いて、さざ波がうねる。
その内、ボコッボコッと、音がし出す。
音に合わせて、水面に瘤ができる。
瘤は、すぐ割れる。
割れた瘤は、白い気体を発す。
白く上がった湯気は、湿った空気を伴い、透明になるまで、上に昇る。
すぐに、水面に瘤が、次々と発生する。
次々と、瘤は、割れる。
次々と、湯気は、上がる。
音も、単発的なボコッボコッから、ボコボコボコボコと、連続して響き渡る。
気体発生は続き、コップの中の水が、半分くらいに減る。
「もう、ええんちゃうか」
「そやな」
サンチェは頷いて、視線をあさっての方に向けたまま、ちょっと眼を凝らす。
途端、コップの中の瘤発生は治まり、湯気上昇も治まる。
水面は、徐々に治まり、うねり→さざ波→波紋へと移り変わる。
先程の、逆廻しのように、水面は治まる。
「ノールックF、できるようになったんや」
「まあな」
角翼男の指摘に、サンチェは、わざとらしく、鼻の横をこする。
ドヤ顔で、こする。
ドヤ顔を治めて、サンチェは続ける。
「大丈夫みたい」
「ホンマやな。
Fの能力、ちゃんと発揮できとんな」
角翼男の身体の一部を喰うことで得られる能力を、F、と言う。
先程も述べたが、喰った部位の重要性、重量等から、身に付く能力は異なって来る。
毎回毎回、部位がちょっと違ったり、喰う重量がちょっと変動したりするので、全く同じ能力が、毎度身に付くわけではない。
傾向としては似通るが、全く同じではない。
その意味で云えば、毎回毎回、違う能力を身に付けることになる。
「今度は、どんな能力なんやろ。
前と、ほぼ同じような感じやろか?」
サンチェの問い掛けに、角翼男は、眼を瞑る。
思考を沈み込ませ、頭の中を探るように、眉間に皺を寄せる。
しばらくして、答えが出たかのように、眼を開く。
「うん。
前回より、割りと多めに喰っとるから、前回の能力に
『+α がある』、と思う」
「どんなん?」
「まあ、能力の効果が大きくなるぐらい、ちゃうか」
『そんなもんか』
角翼男には、喰われた部位の重要性、重量等から能力の加減は分かる。
が、能力の詳細や質と云ったものは、分からない。
それは、サンチェも経験上、分かっている。
でも、ちょっと、聞いてみた。
で、心でツッコミを入れてみる。
季節は、冬。
昨夜から雪が降り、道や屋根や建物等に、雪が降り積もっている。
「ちょうどええわ。
雪掻き、せえ」
角翼男は言うも、すぐに付け加える。
「いや。
厳密には、雪溶かし、か」
『そんなん、どっちでもええやん』
サンチェはこう思いながら、眼を瞑る。
自宅の屋根、近辺の歩道等のイメージを、頭の中に浮かべる。
‥‥ ‥‥
‥‥ ‥‥
サンチェと角翼男の間に、静寂が訪れる。
‥‥ ‥‥
‥‥ ‥‥
‥‥ ズサッ ‥ ザザッ ‥
‥‥ ズサッ ‥ ザザッ ‥
‥‥ ズサッ ‥ ザザッ ‥
‥‥ ズサッ ‥ ザザッ ‥
静寂を打ち破るかのように、外から屋根から、物音が響き届く。
物音は、間歇的ながらも、しばらく続く。
物音が、一段落したところで、サンチェが呟く。
眼を開けて、呟く。
「オッケ」
角翼男は、窓を開ける。
見ると、家の雪はほとんど取り払われ、雪の名残りのように、水が滴っている。
家の前の道路は、車道と歩道一体型。
車道と歩道は、白線で区分けされているに過ぎない。
その歩道側の雪も、綺麗に取り払われている。
後には、濡れた路面のみ。
「成功やな」
角翼男は、外を確認し、言う。
そのまま、続ける。
「なんか、前と違うとこあったか?」
「今はまだ、分からへん」
「前と比べて、スピードが速よなったとか、イメージし易くなったとか」
「そこらへん、あんま変わらんような気がする」
「そうか ‥ 。
ほな、ま、取り敢えず、外、出てみるか」
「そうするか」
キュッキュッ ‥
ガリガリガリガリ ‥
キュッキュッ ‥
ガリガリガリガリ ‥
靴の踏み音と、自動車の走行音が、重なる。
靴は、濡れた路面を踏む音で、自動車は、チェーンを付けたタイヤを廻す音。
サンチェは、完全防備。
寒さへの防衛体制、万全。
角翼男は、いつもと変わらす。
トップは黒のフード付きパーカーで、ボトムも黒のジーンズ。
パーカーの背から黒い翼を出している。(特注品に違いない。)
フードをいつも被っている。
フードの頭部分には、いつも膨らみがある。
寒そうな顔も素振りも、していない。
この世の作用が、角翼男には、働かないようだ。
その証拠に、寒暖に限らず、重力も働いていない。
角翼男は、サンチェの前方斜め上に浮かんでいる。
飛び進みながら、たまに後ろを振り返っている。
サンチェの進み具合に、合わせているらしい。
そこらへんは、ある意味、優しい。
よく、気が付く。
サンチェと角翼男は、行く。
道は、雪が取り払われた歩道は、最寄りの駅まで、伸びている。
サンチェは、駅に着いて見廻す。
どうやら、サンチェの家から駅までの歩道と、家の敷地部分のみ、雪が取り払われたらしい。
「なんや、歪な取り払われ方、やな」
「そやな」
角翼男の感想に、サンチェも同意する。
同意して、考える。
『なんでや?』
人々への利便性や安全性を考えたら、駅に繋がる全ての歩道で、雪が取り払われていいはず。
現に、サンチェは、そう願った。
にも関わらず、現状、こうなっている。
サンチェは、雪の取り払われた歩道を、見つめる。
見つめる。
見つめ続ける。
『ああ、もしかして』
サンチェは、眼を瞑る。
頭に、イメージ図を、思い浮かべる。
先程、雪を取り払う能力を発揮する際、参考にしたイメージ図を、再び思い浮かべる。
先程は、家から駅へ、一筋の光を思い浮かべた。
家から駅へ、歩道の上を走る、光の道を思い浮かべた。
その道を、一八〇度、ポジション・チェンジ。
駅から家への道へ、置き換える。
『ああ、そういうことか』
頭に思い浮かべ、ポジション・チェンジした道は、実際の道と、寸分違わない。
家から駅へ、つまり、駅から家へ伸びる道は、頭に思い浮かべた通り。
雪の取り払われた道は、サンチェのイメージそのまま反映。
どうやら今度の能力は、『ここら辺の一帯』とか『大体数メートル先まで』とか許さない、厳密な能力らしい。
地域とか場所とか、精密に指定する能力らしい。
「なるほど」
「何が、なるほどやねん?」
サンチェの呟きに、角翼男がツッコむ。
「今度の能力、なんや、なんとなく分かったような気がする」
「ホンマか?
どんな能力や?」
サンチェは、角翼男に、自分の想定を説明する。
角翼男は、いいような悪いような、喜ぶような困ったような、複雑な顔を浮かべる。
「う~ん。
キチンと指定できるのはええとして、
なんやあんまり、融通利かんそうな能力やな」
「そうか?
使い方次第、やろ」
「それもあるか ‥ 」
角翼男は、黙り込み考える。
道行く人は、サンチェを薄気味悪そうに、横目で眺める。
どうやら、サンチェが一人で、ああだこうだ言っているように見えているらしい。
壮大な独り言を、しゃべっているように、見られているらしい。
そんなサンチェへ、怯まず近付いて来た者がある。
「お願いしまーす」
チラシを、渡された。
食いもん屋の開店キャンペーンのチラシを、サンチェは渡される。
「痛っ!」
サンチェは、チラシを受け取る際、顔を顰める。
「どうした?」
角翼男の問いに答えず、指を見つめる。
指は、当初は、なんとも無い。
が、じわじわと縦線が入り、その縦線が赤くなり、縦線から赤いものが膨れ上がる。
縦線の傷から膨れ上がった血は、見る見る大きくなる。
「ああ、新しい紙やったから、紙の端でスパッと切ったな。
ようあんな」
角翼男は、サンチェの指を見て、診断を下す。
指の傷は、見る見る膨らむ。
指から、こぼれ落ちそうなくらい、膨らむ。
『しゃーないなー』という感じで、サンチェは、指にパクつく。
口の中で、指を舐める。
舌で、血を、掬い取る。
動作完了して、口から指を出す。
が、また、見る見る間に、血が膨らむ。
指から、こぼれ落ちそうなくらい、膨らむ。
『またかいや』という感じで、サンチェは、指にパクつく。
口の中で、指を舐める。
舌で、血を、掬い取る。
動作完了して、口から指を出す。
が、また、見る見る間に、血が膨らむ。
指から、こぼれ落ちそうなくらい、膨らむ。
『おいおい』という感じで、サンチェは、指にパクつく。
口の中で、指を舐める。
舌で、血を、掬い取る。
動作完了して、口から指を出す。
が、また、見る見る間に、血が膨らむ。
指から、こぼれ落ちそうなくらい、膨らむ。
「なんやねん」
サンチェは、溜息つく様に、呟く。
「えー加減飽きる、ちゅうねん」
血の膨らみを見つめながら、続ける。
そうしている間にも、血は膨らむ。
「手伝おか?」
「よろしく」
血がこぼれないように、サンチェは、角翼男の前に、指を差し出す。
角翼男は、指にパクつく。
口の中で、指を舐める。
舌で、血を、掬い取る。
「おお ‥ 」
数瞬後、声を漏らす。
眼を見開いて、声を漏らす。
「どうした?」
サンチェがすかさず尋ねるも、角翼男は、すぐには答えない。
一拍、間を置いて、答える。
「なんや、身体中が、ピリピリしたような感じがして」
「ピリピリ?」
「なんや、身体中に、微弱な電気が、走ったような気がして」
「なんやそれ。
朝から、身体のバランスが、おかしなったりしてんのか?」
「いや、そんなことはない」
角翼男は、答えながら、右手を見る。
握ったり開いたりを、数回繰り返す。
最終的に握り締めると、沸き立つ力を確認するかのように、右手に、力を籠める。
左手も、握ったり開いたりを、数回繰り返す。
最終的に握り締めると、沸き立つ力を確認するかのように、左手に、力を籠める。
「おお ‥ 」
角翼男は、再び呟く。
「だから、なんやねん?」
サンチェが、まだるっこそうに、問う。
「なんでもない」
角翼男は、両手を見つめたまま、サンチェに答える。
ザーザーザーザー ‥
ザーザーザーザー ‥
雨は、止まない。
ここ、数日間、降りっ放し。
ザーザーザーザー ‥
ザーザーザーザー ‥
一向に、止む気配は無い。
今日も一日、降り注ぎ続けるのだろう。
何の気も無しに点けていたテレビから、甲高い声が聞こえて来る。
サンチェは、拡散していた意識を集中して、テレビを見る。
画面では、『えらいこっちゃ』なものを、映し出している。
この雨で、水量が一時に増え、川が決壊したらしい。
川周辺の地域は、水浸しだ。
建物は例外無く、浸水している。
自衛隊は、救助に、大わらわだ。
雨が降り続くと、被害地域の拡大も、考えられる。
いや、予報では、雨が続くのは、ほぼ確実。
ならば、被害地域拡大も確実。
テレビでは、被害拡大に伴う、警戒地域拡大をアナウンスしている。
「ウチ、入ってるやん」
「しかも、要警戒区域、やな」
「あかんやん」
「避難勧告は確実で、避難指示も出かねんやろな」
「げー」
角翼男のリアルな言葉は、サンチェの希望的観測が入る隙間も無い。
リアルな現状認識意見は、続く。
「あんだけ雪降った後に、こんだけの雨なんやから、
豪雨+雪解け水で、洪水にもなるわな。
で、あんだけ雪降ったから、これはしばらく続くやろ」
「続くんか」
「そやろな。
雨止んでも、ここ数日はあかんやろ。
それこそ、水引くのは、数週間がかりとちゃうか」
「と云うことは、被害地域、ますます広がるやん」
「そうやな。
この辺り含め、今は大丈夫なところも、あかんようになるやろな」
テレビは、被害状況を映し出している。
家の屋根に取り残された人々、木の枝にしがみついてる人々、泥水の中に漂い流れる様々な物等を、映し出している。
「 ‥ ちょっと、行ってみよか」
「は?」
角翼男は、耳を疑う。
サンチェの言ったことに、耳を疑う。
「どこに?」
「ここに」
「いやいや、あかんやろ」
「なんで?」
「「なんで?」って、危ないやんけ。
しかも、行ったところで、なんもできひんやん」
「行ってみな分からん、やん」
「いやいや、行かんでも分かる」
「 ‥‥‥ 」
サンチェは黙り込み、角翼男に眼を向ける。
すがりつく様な、真摯な眼を、向ける。
向け続ける ‥
「 ‥ ああ、もう!
一緒に行ったるわ」
「ありがとう」
サンチェは微笑し、後を続ける。
「そう言うてくれると、思ってたんや」
サンチェと角翼男は、行く。
雨の中、空を飛びながら、行く。
角翼男が、少し前かがみになり、背中の翼をバサバサさせながら、宙を行く。
サンチェは、角翼男の足に掴まり、ぶら下がる様にして、宙を行く。
二人とも、濡れていない。
見ると、角翼男の周囲一cm程の空間を開けて、雨が弾かれている。
雨は、角翼男の身体で弾かれているように見えるが、その実、その空間に弾かれている。
その効果は、角翼男の下部にも及び、そのお蔭で、サンチェも濡れていない。
被害地域上空。
下は、一面の、焦げ茶世界。
一面の水面、一面の濁流、ちらほら濁流から突き出す、屋根や木々。
屋根にはまだ、少なくない人々が、残っている。
雨の中、救助を待ちかねて、残っている。
木々の高枝に、掴まっている人もいる。
一遍に救助できるもんでもないし、救助の順番があるとは云え、持つのだろうか?
そのうち、濁流に飲み込まれたり、力尽きて濁流の中に落ちたり、しないのだろうか?
サンチェは、屋根の上で立ち上がっている子どもを、見つける。
濁流に飲まれゆく家を、見ている。
濁流の中へ消えてゆく家を、見ている。
両手を握り締め、歯を食いしばり、眼を逸らさず、じっと見ている。
『この光景から逃げす、記憶にも心にも焼き付けてやる』といった構えで、見つめている。
家が、濁流に飲まれる。
完全に、飲み込まれる。
子どもは、家が濁流の中に完全に消え去るまで、眼を逸らさない。
カチッ
サンチェは、音を聞く。
身体の奥深く、心の奥深くから響く、音を聞く。
実際の音ならねど、実感の音を聞く。
「止める。広げない」
「は?」
「これ以上、被害を広げない。
濁流の流れを、逸らす」
「は?
何言うての?」
サンチェの言葉は、角翼男には、意味が分からない。
「今、説明する」
角翼男とサンチェ、上下で言葉が交わされる。
主にサンチェが説明し、角翼男が質問を挟む。
一通り説明が、終わる。
「 ‥ って ‥ 」
角翼男は、『えー、そんなんすんのかよ』の体で、呟きを漏らす。
下を、見る。
被害状況を、見る。
濁流を、見る。
泥水に取り込まれた建物を、見る。
屋根々々にだけになった家屋を、見る。
屋根の上を、見る
屋根の上の人々を、見る。
木々の上を、見る。
木々の枝に捕まっている人々を、見る ‥
「 ‥ あーもう、しゃーないなー。
契約している以上、お前には逆らえへんし」
「ありがとう。
やってくれるか?」
「やるもやらへんも、始めからそのつもりやろ」
「実は」
サンチェはこっそり舌を出す。
角翼男は、水没するには間があるであろう屋根の上に、サンチェを降ろす。
自分はすぐさま飛び上がり、川と居住地域の境、川端沿いに出る。
濁流が川から居住地域に流れ込んでいる地点を、探り当てる。
そこで、メタモルフォーゼ、トランスフォーム、変身。
壁に、なる。
壁に、変わる。
濁流が流れ込む地点全てをカバーできるように、厚さを犠牲にしても長さを稼ぐ壁に、変わる。
壁は、黒色で、薄っすらと半透明。
中に何か、吊り下がっているのが、分かる。
それは、胃の様でもあり、腸の様でもあり、他にも諸々あって、なにやら内蔵っぽい。
角翼男壁は、そのまま降下する。
ジャブジャブ、ザッパンザッパン、濁流の中へも降下を続ける。
『冷た!』
サンチェの頭の中に、角翼男の思い言葉が、飛んで来る。
角翼男壁は、川底に達したらしく、降下を停止する。
数度、微調整の動きを挟んで、ポジション取りを確定する。
このポジションの、壁の位置が、『居住地域に濁流をもたらさず、濁流を元の流れに戻すに最適』と判断し、確定する。
角翼男壁は、思い言葉とポジション取りのイメージを、飛ばす。
サンチェの頭へ、飛ばす。
『できたで』
『おお、ありがとう』
サンチェは、角翼男壁に、返事をする。
返事をしてすぐさま、頭に角翼男壁から来たイメージを、浮かべる。
角翼男壁の背側、居住地域との境に、意識を集中する。
ザブザブ ‥ ガシャガシャ ‥
ザブザブ ‥ ガキガキ ‥
ガシャガシャ ‥ ガキガキ ‥
角翼男壁の背側から、音が聞こえる。
角翼男壁と居住地域の境から、音が響く。
雨は、絶え間無く、降り注ぐ。
降り注ぐが、角翼男壁と居住地域の境では、変化を遂げる。
地上に降り注いだ雨は、その境周辺では、変化する。
ムクムクッと、変化する。
角ばった物体に、変化する。
角翼男壁と居住地域の境周辺に降り注いだ雨は、すぐさま、液体から固体へと、相転移する。
サンチェは、濁流の流入を食い止める為、なるべく厚く太い、氷の壁を作ろうとしている。
材料は、降り注ぐ雨を活用するので、事欠かない。
ガシャガシャ ‥ ガキガキ ‥
ガキガキ ‥ キュウキュウ ‥
ガキガキ ‥ キュウキュウ ‥
氷の壁が整うにつれ、氷が擦れ合う高い音も、奏でられる。
サンチェは、もう少し、厚さを稼ぐつもりだ。
『もう、あかん』
対して、角翼男壁は、限界。
もう、持ち堪えられない。
川からの濁流を、居住地域へ行かないようにと、川の流れに戻すようにと、なんとか堪えているが、もうそれも限度。
『痛い痛い、千切れる』
壁に掛かる負荷が、身体に掛かる負荷が、耐え難くなって来る。
それでも、数分粘っていたが、その数分の長いこと。
『一日千秋とは、当にこのこと』ろ、角翼男は思う。
『 ‥ あかんあかん ‥ ああ ‥ 』
ついに、角翼男壁は、決壊する。
厳密に言うと、壊れたわけでは無いが、濁流の流れを押し止める、逸らすことはできなくなる。
ドガシャ!
壁ごと濁流に流され、氷の壁にぶつかる。
濁流と一緒に、ぶつかる。
氷の壁は、角翼男壁にぶつかられ、一部弾ける。
濁流の圧力+角翼男壁の重量を支えきれず、ピシピシと、そこら中で音を立てる。
幾ら、雨+浸水で材料には事欠かなくとも、氷の壁を形作るスピードが追い付かない。
氷の壁がある程度できる以上に、濁流の圧力+角翼男壁の重量は、氷の壁を破壊してゆく。
ついに、氷の壁は、文字通り決壊する。
壁に穴が開き、そこから濁流が入り込む。
穴は、濁流が流れ出す旅大きくなり、壁を二つに分断する。
合わせて、壁のそこら中で、穴が開く。
そこら中の穴から濁流が流れ出し、それに従い、穴は大きくなる。
遂には、穴を基点として、壁は千々に分断される。
「くそっ」
サンチェは、小さく呟く。
現状の能力では、これが限度。
つまり、現状の能力では、この事態を救えない。
一端、堰止められていた濁流が、再び流入したことで、居住地域の浸水は進む。
なまじ、一時、堰き止められていたので、勢いが付いている。
勢いが付いた濁流に、それまで持ち堪えていた家屋や木々も、易々と流され沈む。
俺の能力では、ここまでか。
俺とマティの能力を足しても、ここまでか。
サンチェは、じくじくとした敗北感に打ちのめされ、濁流が荒れ狂う貢献を見ながら、立ち尽くす。
そんなサンチェの元へ、角翼男が戻って来る。
風が吹き荒ぶ中ものともせず、飛んで戻って来る。
屋根の上に着陸すると、サンチェの横に並ぶ。
横に並んで、数瞬、光景を眺める。
サンチェは、口を開く。
「なあ」
「ん?」
「今の能力では、あかんみたいやな」
「そやな」
「なあ」
「ん?」
「もう少し、喰わせてくれ」
サンチェは、角翼男の身体の提供を、再度、要請する。
能力増強の為、角翼男の身体を、もう一遍喰うつもりだ。
「あかんあかん」
「なんで?」
要請は、即却下される。
サンチェは、むくれる、憤る。
「もっぺん喰っても、おんなじ能力になるとは限らん」
「そうなんか」
「能力増強になったらええけれど、違う能力になってしもたら、
目も当てられん」
「そうか」
「液体を、固体飛ばして、直で気体にする能力なんか付いてみい、
エライことになるで」
「そーかー。
水を減らして気体にするんやから、ええんとちゃうの?」
「しっとり湿気を含んだ水蒸気が、この豪雨の中、上がるんやで。
雨の勢い強化や降雨期間延長の助けになるだけや。
つまり、氾濫する水の量は、トータルで減らへん」
「『百々巡り』 『結局同じことやから、やるだけ損』、か」
「そうそう。
その恐れがあるから、再度の喰いは、止めたほうがええ」
「今、能力変容したら、困るしなー」
「今の能力をキープしつつ、何かで増強できたらええんやけどなー」
濁流は、衰えない。
家々が次々と、濁流に飲まれる。
完全に、飲み込まれる。
子ども達は、家々が濁流の中に完全に消え去るまで、眼を逸らさない。
この光景を糧にする為か、反発力にする為か、無理矢理にでも、吐き気をもよおそうとも、眼を逸らさない。
ガキッ
角翼男は、音を聞く。
身体の奥深く、心の奥深くから響く、音を聞く。
実際の音ならねど、実感の音を聞く。
そして、すぐさま、口を開く。
「なあ」
「うん?」
「昨日、傷したとこ、見せてくれや」
「うん?」
「だから、昨日、傷したとこ」
角翼男は、一刻を急くように、言葉を返す。
「紙で切ったとこか?」
「そう」
サンチェは、絆創膏が貼ってある指を、差し出す。
‥ ベリッ
角翼男は、絆創膏を剥がす。
「何すんねん!」
角翼男は、サンチェの抗議に耳を貸さず、傷痕を探る。
傷痕を探り当てると、傷痕の左右に自分の指を当て、指に力を込める。
せっかく塞がりつつあった傷痕は、再び割れる。
「痛っ!」
割れ痕から、血が滲み出て来る。
滲み出た血は、膨らみ、丸く大きくなる。
適度な大きさになるやいなや、角翼男は、血を舐め取る。
サンチェの指から、サンチェの血を、舐め取る。
角翼男が、微かに震える。
身体中に、微弱電流が走り抜けるかのように、微かに震える。
「 ‥ 来たキタァー ‥ 」
微かに呟くと、再度、傷口に、指で圧力を掛ける。
サンチェは、傷口からの痛さを、角翼男の不可解な行動に誤魔化される。
そして、角翼男のなすがままに、成っている。
角翼男は、膨らんで大きくなった血の塊を、再度、舐め取る。
舐め取って、震える。
今度の震えは、先程より大きくハッキリしている。
身体中に、心地好いであろう電流が走り抜けているのが、傍目からも、ハッキリ分かる。
「 ‥ 来たキタァー!」
今度は、普通の声の大きさで、口に出す。
口に出した後、右手を数度、握って開く。
右手を見つめ、ウンウン頷く。
同じことを、左手にも施す。
角翼男は、ボーっとしているサンチェを見つめ、言う。
「もっぺん、トライしてみよう」
「 ‥ ああ、うん」
サンチェの返事を聞くやいなや、角翼男は、飛び上がる。
翼をはためかせ、雨空に浮かび上がり、飛び進む。
「なんやったんや?」
サンチェは、小さく呟くと、傷口を雨で洗う。
続けて、ニヤッと呟く。
「まあ、でも、再度トライは、俺もしようと思ってた」
角翼男は、川と居住地域の境、川端沿いに出る。
濁流が川から居住地域に流れ込んでいる地点の上空に、達する。
そこで、再度、メタモルフォーゼ、トランスフォーム、変身。
壁に、なる。
壁に、変わる。
濁流が流れ込む地点全てをカバーできるように、厚さを犠牲にしても長さを稼ぐ壁に、変わる。
いや、今度は、厚さを犠牲にしていない。
長さはそのままに、しっかりがっちり、厚く太くなっている。
先程の倍は、優にある。
角翼男壁は、そのまま降下する。
サブザブ、ザァッパンザァッパン、濁流の中へも降下を続ける。
『やっぱり冷た!』
サンチェの頭の中に、角翼男の思い言葉が、飛んで来る。
角翼男壁は、川底に達したらしく、降下を停止する。
数度、微調整の動きを挟んで、ポジション取りを確定する。
角翼男壁は、思い言葉とポジション取りのイメージを、飛ばす。
サンチェの頭へ、飛ばす。
『できたで』
『おお、たんびたんび、ありがとう』
サンチェは、角翼男壁に、返事をする。
返事をしてすぐさま、頭に角翼男壁から来たイメージを、浮かべる。
角翼男壁の背側にある居住地域との境に、意識を集中する。
ザブザブ ‥ ガシャガシャ ‥
ザブザブ ‥ ガキガキ ‥
ガシャガシャ ‥ ガキガキ ‥
角翼男壁の背側から、音が聞こえる。
角翼男壁と居住地域の境から、音が響く。
雨は、絶え間無く、降り注ぐ。
降り注いだ雨が、角翼男壁と居住地域の境では、変化を遂げる。
角翼男壁と居住地域の境周辺に降り注いだ雨は、すぐさま、液体から固体へと、相転移する。
サンチェは、濁流の流入を食い止める為、なるべく厚く太い、氷の壁を作ろうとしている。
材料は、降り注ぐ雨を活用するので、事欠かない。
ガシャガシャ ‥ ガキガキ ‥
ガキガキ ‥ キュウキュウ ‥
ガキガキ ‥ キュウキュウ ‥
氷の壁が整うにつれ、氷が擦れ合う高い音も、奏でられる。
どんどん、氷が、出来上がる。
どんどん、壁が厚くなる。
どんどん、居住地域の濁流が、穏やかになる。
今回は、角翼男壁の状態は、余裕。
持ち堪えられないどころか、ビクともしていない。
数時間でも、持ちそうだ。
角翼男壁と居住地域の境に、ビッシリと厚く太く、氷の壁が、出来上がる。
『こんなもんで、どう?』
『ええんちゃうか』
『ほな、上がって来てええで』
『ほい』
角翼男壁は、サブザブ、ザァッパンザァッパン、音を立てて、上昇する。
濁流の中から、這い出て来る。
濁流は、氷の壁に、直接突き当たる。
ビクとも、しない。
氷の壁は、今度は、ビクともしない。
濁流を、しっかと懐で受け止め、居住地域に行かないよう、防いでいる。
濁流を、川の流れに戻すべく、誘導もしている。
「おお」
角翼男は、上空で、壁型から人間体に戻る。
人間体の口から、感嘆の声が漏れる。
氷の壁の働きに、感心する。
角翼男は、サンチェの元へ戻る。
「今度は、ええ感じやな」
「ああ、今度はイケそう」
「後は、雨が上がって、水が引いてくれるのを待つばかりやな」
角翼男は、こう言うも、なんか引っ掛かる。
氷の壁をボーッと見る内、引っ掛かりが判明する。
それを、訊く。
「水引いても、氷の壁は残るやんか?」
「残るな」
「氷の壁が解けて、また水びたしになったりせえへんの?」
「なんもせえへんかったら、そうなるな」
「あかんやん」
サンチェは、右手の掌を前へ、ずいっと押し出す。
『皆まで言うな』と、言うように。
「それは、大丈夫」
「なんで?」
「氷が解ける段になったら、俺が調整して、水びたしにならんよう、
徐々に溶かしていく」
「ああ。
まあ、能力が無くなるまでに、あと五ヶ月はあるから、イケるやろ。
アフターケアも万全、ってとこやな」
「まあ、そんなとこ」
濁流は順調に流れ、居住地域を侵さない。
居住地域の浸水は、止まる。
濁流が入り込まなくなった為、救助活動も進む。
これで雨が止んでくれれば、徐々に水は、引いて行くだろう。
一応の目途が付いたところで、サンチェと角翼男は、帰る。
やることはやった。
後は、野となれ山となれ。
自然の働きと、人々の働きに、任せる。
サンチェと角翼男は、現地に飛ぶ。
被害を受けた居住地域へ、飛ぶ。
現状を、確認する。
数日経っているのに、濁流は全然入って来ないのに、未だ、水が引いていない区域が多い。
浸水している家屋に住んでいた人々の顔は、暗い。
避難先の体育館内の空気も、暗い。
疲れと諦観、その他諸々から醸し出される顔の表情と空気は、おしなべて暗い。
老若問わす、男女問わず。
半分方の家屋は、まだ、浸水している。
今では、床下浸水がほとんどだろうが、まだ幾らか床上浸水もありそうだ。
「もうちょっと、やるか」
サンチェは呟くと、意識を集中する。
すると、水を吸い上げて、氷ができる。
浸水が、みるみる引いてゆく。
氷は合体し、曲線を帯びた氷の壁が、二つできる。
角翼男はそれを見て、何かに気付いたかのように、口元を丸める。
サンチェを水の無い処に下ろすと、言う。
「そんじゃ、合わせ技、して来る」
そう言って、再び、飛び上がる。
上空で、角翼男壁に変身し、降下する。
二つの氷の壁の間、斜め下ぐらいに、降下する。
家屋等を壊さないように、丁寧に降下する。
着地し、合わせ技は、完了する。
間を置かず、上空をヘリコプターが、ゆく。
テレビ局のヘリコプター、らしい。
ヘリのドアから、カメラらしきものが、突き出ている。
「ご覧ください。
被害地域上空です」
レポーターらしき人物の声が、響く。
「 ‥ ん? ‥ ああ! ‥ あれは、何でしょう!?」
上から被害地域を見ると、巨大なスマイルが、浮かび上がっている。
その顔文字は、眼と口の部分しかないが、にっこりと笑っていることは分かる。
色は、眼は透明、口は黒。
被害に遭った人も遭わなかった人も、関心が有る人も無い人も、テレビを見る人みんなへ、暗い表情を吹き飛ばすかのように、微笑みかけている。
合わせ技、みんなへの浸透も、完了。
{了}




