アカウント名はキナばあばの孫
「お母さんったら、誠人は男の子なのに編み物なんか教えて。暇だからって。」
母はキナばあちゃんを非難したけど、編み物は面白かった。
雪国で一人暮らしをしているキナばあちゃん(母方の祖母)は12月末になるとやってきてうちで一緒に年を越す事があった。
小学3年の時、キナばあちゃんが編み物をしているのを見てやりたくなった。教えてもらって虜になった。
小さい頃からぬいぐるみが好きだった。ふわふわして柔らかくて可愛い。不満なのは3つ上の姉さんにはふんだんに与えられるその可愛いものが、俺には青いものだったり、硬い電車やゴツゴツした怪獣だった事だ。
編み物を教わってからは自分で作れる事に気づいた。でも、可愛いぬいぐるみや編み物が好きな事はずっと秘密にしている。家族にすら、男の子にしては変な趣味って言われるのだから。
師匠のキナばあちゃんだけは唯一の理解者で、道具や毛糸や本を時々送ってくれた。
俺が高校1年の時に病気でキナばあちゃんが亡くなった。孫の中で俺にだけ形見分けが決まっていて、それはキナばあちゃんの使っていた編み物グッズで、開けただけで思い出に圧倒されて箱を抱えて大泣きした。きっと親戚中で変人扱いだろうけど構わなかった。生前、いろんなことを調べるのが好きなキナばあちゃんが
「ジェンダーバイアスって言うんだって。誠人はそんなの気にすること無いだ。」
と言ってくれたから、大丈夫だ。
だけど、キナばあちゃんが亡くなって気軽に相談できる師匠がいなくなってしまった。
セーターやマフラーなど身につける物は作品を見せている欲求が満たされる。けど勉強と部活が忙しくなると、出来上がるのに時間がかかる大作よりはかぎ針編みで小物を作るのが楽しくなってきた。あみぐるみだったり、たわしだったり、ストラップだったり可愛い小物達だ。すぐできる達成感が良い。ただ出来た小物達を見せる相手がいない。それがいまいちだった。
その師匠不足と見せたい欲はスマホが、SNSが解決してくれた。編み物専用の匿名アカウントだ。手芸本の出版社や手芸用品会社の公式アカウントをフォローすると次々と新しい情報がやってくる。疑問に答えてくれたり、作品をアップするといいねを付けてくれるフォロワー達がいる。ここでは編み物好きの自分の性別や見た目を気にしないでいてくれる。編み物と生きる場所があった。
高3の6月に卓球部を引退すると塾に通った。編み物も少し休んでいた。本当は編み物が出来る専門学校に行きたかったけど、
「編み物で飯を食えるのか?」
と父に言われてそれに具体的に答えられなかった。結局大学に入ってから進路を決められる総合文系という受験の仕方を選択した。
そのうちに塾で親身になってくれる俺の担任の女の先生が俺の志望大学出身だと聞いた。その武原由美先生は綺麗な大人な女性という雰囲気だ。でもそんなのはどうでも良かった。
※ジェンダーバイアスとは
ジェンダーを訳すと「社会的文化的性差」バイアスは「偏見」。より、男女の役割について固定的な観念を持つことを意味します。(第二東京弁護士会のHPより抜粋させて頂きました。)ここでは冒頭の誠人の母のセリフがまさにジェンダーバイアスです。