5 王子に危機迫る
「ふふ。ありがとうございます。王子。でも……」
泣き顔のまま微笑んだミリヤムは続ける。
「私は今『追放された聖女の娘』であることを誇りに思っているのです。母は父と過ごした日々のことを話すとき、いつも楽しそうでした。そして、全く後悔していませんでした」
「……」
「でも、私の心の中にはどこか引け目があったのでしょうね。母が死んでから『ニクアツシイタケ』を食べることが出来なかった。でも、今日は食べることが出来た。これも王子のおかげです。ありがとうございます」
王子は絶句した。この自分と同い年の小さな少女は何という業を背負って、たった一人で生きてきたのだろう。王城から逃げ延びてきた自分を世界一不幸な人間だと思っていた過去の自分が恥ずかしい。いやそんなことより、今、自分がやるべきことは何か?
そこまで考え、王子は口を開く。
「ミリヤムッ! 明日から僕も『野草』も『岩塩』も『薪』も、もちろん『ニクアツシイタケ』も採ってくるっ! 採り方を教えてくれっ!」
「え? え? はい」
ミリヤムはもう泣いているのだか、笑っているのだか、分からない顔になった。しかし、最後は頷いたのだ。
◇◇◇
その日を境にただミリヤムから出されたものを食べていただけだった王子は、素材の採取と薪割りに精出すようになった。
そうは言っても人間そう簡単に変わらない。思うように「素材」が採取出来なかったり、「薪」がうまく割れずに王子はしばしば癇癪を起こした。
それに対し、ミリヤムは相変わらず「『野草』は王子に採ってほしくて生えていてくれていたわけじゃありません。自分にとって生きやすいように生えてるんです。採りにくいのは当たり前です」とか「力任せに斧を振ったら、『薪』が勝手なところに飛んでいくのは当然の理です。ちゃんと見て振ってください」といった全く遠慮というものがない物言いをする。
しかし、二人の心理的な距離が縮まっていることは間違いないようだ。
その証拠と言えば、すれ違った時に体の一部が接触すれば赤面する。双方ともがだ。
そして、男女が互いに好意を持った時、どういうことをするかは十五歳の王族である王子は当然に教育を受けている。
ミリヤムにしても母の過去をああして語った以上、そういうことは承知している。
だが、双方とも次の一歩が踏み出せないのは、ひとえに今の関係が心地よく壊したくないのである。
多くの人間がいる空間であれば、好意をもって近づき、拒絶されても他に人間はたくさんいる。
しかし、ここは二人しかいないのである。相手はかけがえのない存在だ。
ただ、そういった緩やかな日々はある日突然終わりを告げることになる。
◇◇◇
「王子っ! フリードリヒ王子はおられるかっ!」
山間に声が響く。
「我らは王城からの使者っ! ここにフリードリヒ王子がおられると聞き、お迎えにあがった。戦乱は終わった。王城に戻られたいっ!」
家の外には十人ほどの男たち。
ミリヤムは声を潜める。
「王子。知った顔ですか?」
窓の隙間から様子を窺った王子は首を振る。
「いや知らない顔だ」
「そうですか。それは良かった」
ミリヤムは不敵に笑う。
「私は僧侶なので気配で感じました。あれは魔物が人間に擬態したものです」
「何? 魔物がここまで来たのか?」
王子はここへ来る時に持ってきた剣を取る。王城にいた時に最低限の剣術は教えられていた。だが、実戦はやったことがない。自分の剣術がどこまで魔物に通用するのか、さっぱり分からない。
「逃げた方がいいか?」
王子の問いにミリヤムは、不敵な笑みを止めない。
「まあ王子は見ていてください。『追放された聖女の娘』の腕前をお見せしましょう。逃げるのはいつでも出来ますから」
◇◇◇
ミリヤムはゆっくりと重い扉を開けると、堂々と男たちの前に出て行く。王子はミリヤムの指示通り、間を置いてから家から出て、距離を置いて様子を窺う。
「何だ? 貴様は? 王子はどうした?」
男たちはミリヤムを見て、不機嫌そうに声を荒げる。
「私は『追放された聖女の娘』ミリヤム」
「何? 『追放された聖女』? 聖女様、いや今は王妃様の前に聖女をやっていて、肉食して追放されたという女の娘か?」
「まず一点目、我が母は肉食などしていません。冤罪です。二点目、我が母の代わりに着任した聖女は王妃になったのですか?」
「前の国王は無能であったため、遠縁のハーゲンベック公爵が王位についた。その時、聖女様も王妃様になられたんだっ!」
「それは妙ですね。聖女は『肉食』とともに『性行為』も禁忌とされているはずですが?」
「聖女が『性行為』を禁忌とされている? そんなことは知らん。教典にもない」
「ふうむ。教典にないということになったのですか」
ミリヤムは大きく息を吐く。
「まあそうだということになれば、それでもいいですがね」
「これ以上の問答は不要だっ! とっとと王子を出せっ!」
「あなた方のような小物の魔物相手に王子が出るまでもありません。私『追放された聖女の娘』が一人いれば十分です」
「何だとっ!」
男たちは怒り、色めき立つ。その怒りにより、彼らは本来の姿を現した。頭には二本の角、口は耳まで裂け、二本の牙がはみだし、手の爪は鋭く、長く伸び、体色は深緑色に変わった。
次回第6話「追放された聖女の娘は封印の眼鏡を外す」