1 ボーイミーツガール
知様主催「ぺこりんグルメ祭」及び高取和生様主催「眼鏡ラブ企画」参加作品です。
その少年は前につんのめった形で倒れていた。
よく見ると服装はかなり高品質のもののようだ。
王族もしくは高位の貴族の家系の者であろう。
「ふう」
それを見つめる少女は小さく溜息を吐いた。その服装は聖職者のそれだが、少年のそれとは対照的にボロボロに傷んでいる。
「聖職者の端くれである以上、助けないわけにもいきませんか」
◇◇◇
鍋から漂う、初めて嗅ぐ食欲を思い出させる匂いに少年は目を覚ました。
小さな家の小さな寝台からむくりと起き上がると、聖職者らしき少女が何やらこちらに背を向けたまま煮ているようだ。
「ここは一体どこだっ?」
少年は怒気を帯びたような声で問いかける。
「私の家です」
少女は背を向けたまま、淡々と答える。
「『私の家』じゃ分からないっ! ここは一体どこなんだっ?」
なおも怒気を帯びた声で問いかける少年に少女は初めて振り向く。
度の強そうな眼鏡をかけ、地味だが顔立ちは整っている。少年はどきりとした。
「あきれた。ここはどこかって、あなたが自分でここへ来たんでしょう? 私が連れてきたわけじゃありません」
ピシャリと言い返す少女。その言葉に感情を刺激されたか少年は涙声になる。
「だっ、だって本当に分からないんだっ!」
「……」
「みっ、三日前までは普通に王城で暮らしてたんだ。そうしたらいきなり城に魔物がたくさん入ってきて。お付きの者に『王子。この城は魔物に占領されました。急いで逃げましょう』と言われて、何も分からないまま逃げてきたんだ」
「……」
「お付きの者たちに連れられるがまま逃げていた。そのうちにお付きの者も一人二人といなくなって、気がついたらこの山にいた。そして、疲れて、お腹が空いて、倒れちゃったんだ」
「……はあ、あなた様は王子で、王城は魔物に占領されたんですか」
王子は自分の言ってしまった言葉に慌てる。
「おっ、おまえ、魔物の仲間か? ぼっ、僕を魔物に突き出そうってのか?」
「はああ」
少女はあきれたように大きな溜息を吐く。
「心配しなくともここには私一人しかいませんよ。それとも王子。あなたは十五歳の女の子一人に勝てないほど弱っちいのですか?」
「ばっ、馬鹿にするなっ!」
王子は顔を真っ赤にして大声を出す。
「いくら末っ子とはいえ、僕だって王子だぞっ! 剣術だって教わってきたんだっ!」
「なら、そこでおとなしくしていてください。私は鍋を焦がすわけにはいかないから、お話はいったん打ち切りにしますね」
「まっ、待てっ! 話はまだ終わっていないぞっ!」
「おとなしく待っていてください。大体、この鍋はあなたのための食事でもあるのですよ」
少女にピシャリと言われ、王子は沈黙した。
◇◇◇
鍋からは良い匂いが漂い、王子の食欲をそそり、期待は高まった。
しかし、すぐに失望に変わった。スープが盛られた食器はあまりにも粗末だった。王城で使われたそれに比べるとみすぼらしいと言うしかない。
「なんだ。この汚い食器は?」
「汚くはありません。毎回綺麗に洗って、天日で乾燥しています。至って衛生的です」
「僕は王子だぞっ! 衛生的なのは当たり前だろうが、そういうことを言っているのではないっ! もっと高貴なる者が使うにふさわしい食器はないのかと聞いているんだ」
「私の家には高貴なる者が使うにふさわしい食器とやらはありません。もう一度言いますが、私が王子をここに連れてきたわけではありません。王子が転がりこんできたのです。高貴なる者が使うにふさわしい食器とやらを用意しなければならない理由はありません」
「ぐぬぬぬ」
これ以上反論できなかった王子。何とも悔しいが、スープから良い匂いがするのは事実だし、大変空腹なのも事実だ。
「王族として庶民の暮らしを知るのも時には大事だ。いただくとしよう」
◇◇◇
少女はそんな王子の言葉を完全にスルーし、着席すると両手を合わせた。
「我らを見守りし大いなる神よ。今日も日々の恵みをありがとうございます。いただきます」
王子は両手を合わせる少女を呆然として見ていたが、良い匂いに誘惑されたか、「いただきます」も言わず、スープにかぶりついた。
「うまいっ!」
少女は呆れ顔だ。
「王子。あなたは食事の前に『いただきます』も言わずに食べるのですか?」
「普段は言う。だが今は緊急事態だ。空腹で死にそうなのだ。すぐ食べないと死ぬ。だから食うことが優先だ」
「まあ今回は仕方がないということで大目に見ましょう。次回はちゃんと言ってください。王族なんでしょう」
「分かった分かった。うまいっ! うまいじゃないかっ! お代わりをくれっ!」
「ふう。それだけ元気なら命の心配はないですね。はいはい。お腹が空いてるんじゃないかと思って、今回は多めに作ってますよ」
「おおっ、待ってましたっ! うまいっ! どんどん入るぞっ! お代わりっ!」
「はいはい」
◇◇◇
「むっ」
三杯目のスープを受け取った王子はそれをしげしげとながめた。そして、問うた。
「ところでこれは何のスープなのだ? 中に入っている緑のものは何だ?」
「ああ野草です。『野草のスープ』ですよ。今回はその中でもアザミ、イラクサ、ヨシナですね」
「やそう? 『やそう』とは何だ?」
「この山に自生している草です」
次回第2話「王子は『肉』に情熱を燃やす」