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あと1話で完結です。
エヴリンは薬室へ向かった。棚にまとめられた採集帳、丸められた羊皮紙、木の皮の裏に書かれたレシピたちを順に広げていく。精霊達のいう魔獣のうんちについた卵というのはどこからきたのか。
「魔獣のうんちってどこで手に入れたの!なんの魔獣!?言いなさい!じゃないとお仕置きよ!」
精霊達はわーきゃー言いながら、畑の片隅に作られたコンポストにエヴリンを案内した。
そこにあったのはまるで肥溜めのようになった魔獣の糞の山。ご丁寧に樽に入れて蓋までしてあった。
「ゔっ…」
エヴリンは怒り心頭で今にも叫び出したいところだったが、それより早く魔虫殺しを作らなくては。覚えておきなさいよ、と精霊達を嗜めて、注意深くひとさじ分をガラス瓶に入れ、自分専用の薬草箱を開いた。
そこには顕微鏡のような物、薬剤師として必要な簡易ポット、秤やすり鉢などが入っている。虫下しの薬は昔作ったことがある。魔虫殺しとはまた違うだろうが、毒をもって毒を制すという言葉もある。同じ魔虫から作られた解毒剤なら通用するかもしれない。
寄せ集めの情報でエヴリンは魔虫殺しを作ることにした。幸い、精霊達はとても協力的だった。フィリッパが精霊王様のお気に入りだから死んでもらっては困る、という話だが、元はと言えば精霊達の仕業かもしれないのだ。何かを隠しているようだし、フィリッパが元に戻ったら詳しく聞き出せるに違いない。
「チダの芽、カイニン藻、コンドニアの皮…それからモシュの種…。妖精の羽…はないから、代わりにスゲの綿毛…と、精霊の涙」
虫下しの材料に魔虫の卵から抽出した毒素を数滴合わせる。何度か試行錯誤を繰り返しながら、それぞれの素材の適量を合わせていく。エヴリンはフィリッパほどではないものの、新薬制作は得意とする。もちろん本人の魔力の精度と精霊との相性にもよるが、薬作りのセンスがあるのだ。
その間も、精霊達は罪悪感からか、精霊王に対する恐怖心からか、ひとまず甲斐甲斐しくフィリッパの面倒を見てくれた。容体は全くと言って変わらないけれど、まだ生きている。自分の髪の毛と前歯を使ったエリクサーなぞ気持ち悪くも思うが、効き目があるのならとりあえず目を瞑ろう。
フィリッパの皮膚下で時折蠢くように現れるミミズ腫れは、きっと魔虫が体内を移動しているからだ。心臓や脳に入り込まれたら一巻の終わり。早く早くと焦る手を落ち着けて、エヴリンは魔虫殺しの薬を煎じ丸一昼夜。
『汗拭くワ』
『あっ、ずるい!僕も拭くー!』
『ちょ!これはアタシの!』
舐めるようにエヴリンの額に集まってくる精霊達を手で払いながら、ようやく完成した。
「出来た…けど、まずは試してみないと…。魔虫の卵を口に入れるのはちょっと勇気がいるけど」
なんたって、魔獣の糞に潜んでいた卵なのだ。わかって口に入れるのはものすごく勇気がいる。できれば避けて通りたい。でも時間がない。他の方法で検証するには圧倒的に時間が足りないから。
意を決して魔虫の卵を体内に入れて、一晩。真夜中に脂汗をかきながら飛び起きて、尋常じゃない腹痛と下痢と嘔吐に這いつくばりながら魔虫殺しを口に含むと、あまりの不味さに気が遠くなった。吐き出さないように両手で口を塞ぎ無理やり飲み込む。
「グフゥッ、うぐっ……げぇっ。せ、精霊達絶対許さないからね…っ!」
正当な恨み節だ。
『責任転嫁は良くないぞー』
『そうだ、頑張れーエヴぅー』
『フィリッパのためよー』
「やかましいわっ…っ!!うぅっ、き、気持ちわる…」
呪うように唸りを上げて気がつくと、朝になっていた。
熱は下がって、体調も悪くはない。胃の中を全て吐き出したせいか、ちょっと目眩がするが腹痛も治ったようだ。周囲は散々なことになっていたため、ささっと水を浴び掃除をする。当然精霊達にも手伝わせた。
念のため、その日は薬草を煎じて、粥を作って食べた。その日1日様子を見たが、どうやら大丈夫のようだ。これならフィリッパに与えても問題ないだろう……味以外は。フィリッパには精霊の作ったエリクサーも用意してあるし、最悪のケース、精霊王に来てもらってなんとかしてもらおう。
愛し子なんだから、きっと助けてくれるよね?と、そこまで考えて、ふと気がついた。
「……あれっ、ちょっと待って、ねえ。時間を巻き戻されたら、今薬与えてもダメなんじゃ……」
『あっそれねー、結界の外にいれば大丈夫だよー』
「えっそうなの?」
『だって、人間一人の力で世界の時間を戻すなんて無理に決まってるー』
『結界がなかったら、あんなのできっこないもん』
『だからあの結界の中だけおかしいんだよー』
『外にいれば干渉されないよー』
つまり。
結界の中は箱庭のような状態で、外界とは本当に遮断されているのか。ならば結界がなくなったら、どうなるのだろうか。
『どうもならないワ。基本同じように時間は進んでいくし』
『ただ時間を戻すことは簡単にできなくなるし、お天気もそうそう変えられないねー』
『聖女の使う神聖魔法は、人の魔法じゃないから知らないけどー』
『聖女は神に頼んで魔法を使うでしょー。エヴたちは精霊に頼んで魔法を使うでしょー。同じことだよねー』
『でも、この結界壊れたらもう一度作るのは無理だろうーねー』
「え、どうして…?」
『この辺一帯のマソをあの結界の中に吸収してるから、この辺はマソが異常に少ないんだよー』
『だから森も育たないし、マソ吸い取るだけ吸い取って戻さないから土もカラカラなのー』
『だから魔法もうまく使えないのー』
そうか。聖女の使う魔法も魔素を取り込んでいるって事よね。神聖魔法だろうが、精霊魔法だろうが魔素がなければ魔法は成り立たない。始まりの魔法は同じということ。
自然がなければ。魔素がなければ、魔法は使えなくなるんだ。
『僕たちもいつも腹ペコなのー』
『だからエヴの髪は美味しいご馳走ー』
『目玉も本当は欲しいんだけど、フィリッパ怒ると精霊王様も怒るからダメー』
「……前歯と髪の毛だけで我慢しなさいよ」
『汗も舐めていいー?』
「変態じみた発言はやめてっ?!」
『結界壊れたら、森作るー?』
『そしたらエヴの目玉くれるー?』
「あげないってば!どれだけお腹空いてるのよ、あんた達!」
今までそれだけフィリッパに集っていたという事なのか。恐ろしい。
『あとねー、エヴが結界の中にいないとなると、時間が戻った時に歪みが生じるかも知れないワ』
「え?」
『時間が繰り返される条件に、同じ素材がないとダメなのー』
『足りなかったり多かったりすると歪みが生じるんだよー』
『辻褄が合わなくなると歪みができてー』
『辻褄を合わせようとして突発的な事故がおきたり、結界が壊れたりー?』
「え?待って。つまり最初の時は私が死んで、時間が戻ったけど…」
『二度目の時は、エヴが生かされたから、その代償が他の人になったのー』
「三度目の時は私も生かされて、街の惨事も起こらなかったから」
『あの医者が代わりになったんだよねー』
「でもそれは、あなた達が魔虫の卵を…」
『代償になるものがなかったら、あの卵は問題にならなかったんだよー』
「ええ、ほんとに…?」
『それだけ結界が薄ーくなってるんだよねー』
『もう少ししたらパーンって壊れるよー』
『楽しみ、楽しみ』
何気に楽しそうに話しているけど、それってとてもまずいのでは。精霊達の言うもう少しというのが、精霊から見てもう少しなのか、人間から見てもう少しなのかはわからないけれど、きっと近いうちに結界は壊れてしまう。結界という瓶の中で、天候やら空間やら時間やらに魔素を魔力に変えて消費しているから。薄く引き伸ばされた結界はいずれその荷重に耐えられなくなり割れてしまう。
これがフィリッパの危惧していた事なのか。
『ともかくまずはフィリッパを助けよう!そろそろ精霊王様が嗅ぎつけて来そうだし!』
精霊たちは、そうなると自分たちの役目を果たさなかったと言って怒られることになるのがわかっている。
愛し子のお目付役としてここに派遣されたのに、愛し子を病気にして放置し、その子供から騙すように賄賂をもらった上で愛し子を助けたなんて精霊王にばれた日には、自分たちの存在意識が危なくなる。
いくらお腹が空いているからとはいえ、愛し子を病気にさせたのは、まずかった。あと前歯も生えてこないなんて知らなかった。昔、妖精が歯を集めているのを羨ましげに見ていた覚えがあったから。また生えてくるものなんだと思っていた。
精霊王様の愛は深い。深いが故に怒らせると海より深く沈められる。千年くらい赦してもらえない可能性もあるし、その間に藻屑となって消えてしまうかも知れない。
賄賂を貰わなくても、フィリッパを助けることはできるのだけど、美味しいものがもらえるならばこっそりもらっちゃえと思ったのだ。
フィリッパが元気になった地点で、娘の髪と抜け歯の理由を知るであろうフィリッパから、雷を落とされて苦情を言われるであろう精霊王に全ての悪事がバレることになるのだが、そこまで精霊たちの考えは深くない。
現場さえ見つからなければ大丈夫と思っているのだ。
「ゴフッ、ゴホッ!ゴホッ、ごほっ!」
魔虫殺しの薬を飲んで咳ごみ始めた母の上半身を起こし、エヴリンは続けて自分の魔力のこもった黒髪と前歯を煎じ、薬草と精霊達の魔法を混ぜ合わせて作った栄養剤をフィリッパに与えた。
「ゲェッ、グハァッ!マッズ!不味いわ、エヴ!なにこれ!?」
吐き出さんばかりの勢いで嘔吐いたフィリッパの口を塞ぎ、飲み込ませることに成功するエヴリンを睨みつけ、フィリッパが顔を真っ赤にして涙目で訴えた。
「もちろん薬よ!母さん!よかった!助かった!!具合の悪いところは?ない?」
「気が遠くなるほど不味くて舌の感覚がなくなったけど!?」
うわあっと泣きながら抱きつく娘に驚きながら、フィリッパは気がついた。
「私もしかして…?」
「そうよ!朝起きたら泡吹いて死にそうでっ!本当に大変だったんだから!何回、時間をやり直したと思ってんの!?さあ、こうなる前になに口に入れたのか言いなさい!」
心配と嬉しさと、怒りと悲しみの間で感情が大混乱したエヴリンは鬼の面相でフィリッパを叱りつけた。
*****
「なるほど、エヴも何度か危険な目にあったのね。申し訳なかったわ。ごめんなさい」
母の腕に抱かれながら、スンスンと鼻を鳴らすエヴリンの頭を撫でながらフィリッパがキスを落とした。
「元はと言えば、精霊たち。あなた方が、泥団子で遊んで私の顔面に当てたのがそもそもの原因なのよね……?」
『……えっ、な、何のコト?』
「この辺の土は、栄養価が低いから、魔獣の糞尿を混ぜ合わせたらどうかってどこかから持ち込んできたのよね?それで、私が要らないと言ったから喧嘩になって、糞まじりの泥合戦になったのよね?」
『……あっ。そんなことも、あったような』
「……へぇ」
「うちの娘の前歯が一本なくなってるの、どういう事かしら?」
『…あの、その、』
「髪の毛も、ずいぶん、すごく、とっても、短くなってるようなんだけど?」
『えっと、えっと、それはね』
「これはもう、精霊王様に絶対!厳しく!詳しく!報告しないとね?」
『ヒィィッ!?それだけはっ!お願いします!それだけはっ!!!』
必死の形相で縋り付く精霊たちに、母フィリッパは容赦なかった。
愛し子の呼び出しを受けニコニコ顔で現れた精霊王が、直後に魔王の形相で精霊たちを海の底に沈めたことは言うまでもない。
精霊王はエヴリンの無くした歯の代わりに精霊樹の樹脂で作った入れ歯を進呈することを約束し、精霊国からたっぷりの腐葉土を謝罪がわりに持ってきて帰っていった。
「本当は頼りたくなかったんだけど、必要になるかも知れないから」
そう。精霊たちの悪戯で寄生虫の卵を植え付けられた医者から蔓延した病気は、現聖女の聖魔法では治らない。魔のものでも呪いでもないからだ。
基本的に、聖魔法は外傷や呪い、魔物に対してその真価を発揮する。寄生虫が魔のものだったのならそれも効いたのかもしれないが、一旦人の体内に入った寄生虫はその名の通り取り込んだ人間に寄生し、その人の持つ魔力に順応してしまうせいで、聖魔法は全く効かなかった。
寄生した虫は、最初こそ寄生主を殺してしまうことになったとしても、徐々に寄生主を殺さないように順応してしまう。そうなれば、薬で下すしか方法はない。ましてや外敵から守られて、結界の中で純粋培養されて生まれ育ったソラビア王国の住民達に害虫の免疫力や抵抗力は皆無なのだ。
「王子様が時間を戻すかも知れないよ?」
「でしょうね。この国の王族はおめでたいものね…。ねえ、エヴは考えたことがあるかしら。時間というものは細い弾力性のあるゴムのようなものだって」
フィリッパの考えでは、決められた空間内での時間の巻き戻りは、一本のゴムをねじりに捻って巻き戻しているようなもので、ある一定のところまでいくとそれ以上捻れないようになる。もしそこで手を離せば、捻れたゴムはものすごい勢いであるべき長さに戻っていく。
この王国は、何度同じことを繰り返しているのだろうか。繰り返し、繰り返し捻っていくことで、ある日パチンとはじけてしまったら。
「今すぐそうなるというわけではないけれど、その昔、時空を操る種族がいたそうよ」
好きなように時間を操り自分たちに都合よく歴史を曲げ続け、ある日突然、その種族は世界から姿を消してしまったらしい。一定の空間で時間を捻りすぎて弾け飛び、結局、時空間から弾き出されてしまったのだという。
「まあ、昔話の一種の教訓でね。時や寿命を無闇矢鱈に変えてはならないってことを薬師は学ぶのよ。覚えておいてね…。でも、助けてくれてありがとう。エヴにはまだまだ教えなきゃいけないことが一杯あるから、今回ばかりは感謝するわ」
そして数日後、エヴとフィリッパは、時空の歪みを確認した。ぱきりと天空のどこかで結界にヒビが入り、一瞬めまいのようなものを感じたのだ。
「母さん、私」
「うん、行ってらっしゃい。その方にわかってもらえるといいわね?」
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