表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

3

 エヴリンの母親が発熱して倒れてから一週間が経つ。


 最初は風邪を引いたのか、飲水に当たったのかと軽く考えていたのだが、症状は悪くなるばかり。育てている薬草の力は弱く、あまり効いていないようだ。


 何が原因なのかわからない。


 もしかすると、肥料に使った魔法王国で栽培された野菜に問題があったのか。


 エヴリンの母フィリッパは、精霊の助けを得て精霊魔法を使い薬草を育て、自然治癒力を高める方法を取る薬師だ。エヴリンは一通りの技術は学んでいるし薬師として十分やっていけるのだが、常にフィリッパと一緒にいるため、薬草だけでなく草花や野菜を育てる事を好んだ。


 精霊に愛される母は薬草や植物を育てるのが上手く、知識も豊富で旅の薬師として有名だった。豊かな緑色の髪と夕焼けのようなオレンジ色の瞳でいつまでも少女のように可愛らしい母の周りには、常に精霊がそばにいてキラキラと輝いている。父の顔も覚えていないエヴリンにとって母はエヴリンの全てだった。


 海の向こうから来た船乗りだったという父に似て、肌色が違うエヴリンを疎む人間も多かったが、魔力を多く含む艶のある黒髪は精霊にたいそう好まれた。お人好しな母を守る為に、気が強く少々口が悪いのは愛嬌だ。旅をするのは楽しかったし、母がいればそれでよかった。


 だがこの国に来て、全ての状況が変わってしまった。


 ソラビア国は精霊魔法を全く信じていなかった。この国では全ての魔法は空気中の魔素を取り込み、体内で精製させられる。精霊魔法は精霊の気まぐれによる魔法で不安定であり、同じ薬でも効果が一定しないことから邪道であると信じている。そして、精霊が住む森は同じように魔獣が住む。光と影、生と死のように精霊と魔獣は表裏一体なのだと結論づけた。


 結果として、森を切り開き森林を持たない国となったのだ。王家の持つ気象、時間、空間を操る魔法で俗世から切り離された国を作り上げ、聖女による神聖魔法を組み合わせ結界を張り巡らせたのである。


 空気中に含まれる魔素はことごとく結界に吸収され、王国周辺にはわずかな魔素しか残されていない。山を切り崩し、森を伐採し、空間を切り取って作られた魔法王国ソラビア。結界の外に残されたのは砂漠化の進んだ荒野だけ。


 王国は知らなかった。空気中に含まれる魔素は、森や自然が作り出していることを。精霊たちの魔力が緑に溢れ魔素の糧となっていることを。空気があれば魔素がある、と勘違いをしているのだ。


 エヴリンたちが旅をしている時はここまで酷くはなかった。だがこの数年でほとんどの精霊が姿を消し、ソラビア国周辺の土地は荒廃していった。このままいけば砂漠化がさらに進み、地盤が緩む。魔法で守られているうちはいいが、それも何年持つものか。


 当然のことながら、エヴリンと母親は職を失った。


 土がなければ薬草は育たず、精霊がいなければ魔法が使えず、薬を作ることもままならない。純粋培養の結界の中では魔力のこもった薬草は育たないし、国から許可も下りなかった。


 仕方なく結界の外にあった土地に残されていた廃屋で雨風を防ぎ、僅かに残された土塊から畑を作って薬草を育てた。下手をすれば反逆罪で罰せられる可能性もあったので、せいぜいベリーが僅かに実る程度の低木しか育てられないし、育たなかった。


幸い、井戸はまだ綺麗な地下水を湛えており、薬草を育てるのには問題はなかった。精霊のいない土地を肥沃にするのは難しく、エヴリンは街の食堂などで日雇いの仕事をしながら野菜クズなどを集めて持ち帰り、肥料を作った。少しでも魔素を自然に還元させるためだ。


「やっぱり王国で育った野菜クズじゃ、肥料にもならないわね」


「でも先立つものを育てておかないと、旅の途中でバテちゃうもの。頑張ってお金も貯めないと」


 そんなことを続けていくうちに、薬草畑にわずかながら精霊が戻ってきた。


 精霊は花や果実を好む。エヴリン達の育てた野菜や薬草は、精霊の助けを得て大きな花をつけ、祝福を受けた薬草は効果も高かった。そこで母は薬草を花に見立てて売ることで、王都に住む人々の慢性的な病を治そうと試みたのだ。色とりどりの花をつける薬草は視覚や香りから精神面を安定にし、薬効をゆっくり鼻腔から取り入れ免疫力を高めていく。そうすることで、少しでも外界の空気に慣れ、いずれ来るであろう結界の崩壊時に備えてほしいと。


「母さんはなんでそんなことするの?精霊を捨てた国なのに」


「ここで生まれて育った人達は、精霊を捨てた訳じゃないのよエヴ。ただ知らないだけ。だからエヴと私は精霊の大切さを教えてあげるの。そうしたらいつかきっと、誰かが気付いて森を育てようとすると思うの」


 魔法で作られた水は、ミネラルを含まず栄養価が低い。それがこの国には循環している。幸か不幸かそのおかげで結界の外に地下水はまだ残っている。まだ今ならば、この大地を助けることはできるのだ。もし、森を作ることさえ許されれば。魔法で育てられた野菜にしても、結界に守られフィルターに掛けられた天候の中で耐性を持たず、病気にかかりやすいし味も悪い。そんな守られた環境の中で育ってきた人々も、外敵に弱く病気になりやすいのだ。いつか結界が崩れた時、誰一人として外気に対応できずこの国は廃れてしまうだろう。


 医学はそれほど発達しておらず、ほとんどを魔法で治すため細菌や未知の病原菌に対応が遅れてしまうのをフィリッパは危惧していた。


 それなのに。


 フィリッパが高熱で倒れてから十日目、エヴリンが畑から帰ってくると、母が寝台で苦しみながら泡を吹いていた。


「母さん!?母さん、どうしたの?」


 エヴリンは慌てて医者を呼びに行こうと家を飛び出した。町医者が役に立つとは思えないが、既に発熱で体力を奪われていた母の容体の急変に、どうしたらいいのかわからずパニックになったのだ。


 ところが街角で自分が馬に蹴られて死んだ。


 えっ?と思ったら同じ場面に出会し、今度は自分が助かり、代わりにとんでもない惨事が起こっていた。その上、ぶつかったガタイのいい男に馬乗りになって散々殴られて、気を失ったはずなのに。


 また同じ場面に出会した。繰り返されるデジャ・ヴュにエヴリンははたと冷静になった。


 誰かが、時間を巻き戻している…?


 今度は馬に蹴られる前に騎士に止められ、自分が馬に蹴られる事もなく、惨事も起こらず。


 自分の腕を掴んだ騎士と目が合った。瞳の中にまぶされた光の粒がエヴリンの疑惑を確かなものにした。


 掴まれた手から入り込んでくる不安定な感情と、罪悪感、嘔吐感、魔力の流れ…。


(この人が、時間を戻している)


 はっと我に戻って、医者を呼んでくれと懇願した。藁にもすがる思いだった。断られると思ったのに、その人はうんざりした顔をしながらも他の騎士に命令を出した。それだけで地位の高い人なのだと言うことがわかる。


(時間を操ることのできる人といえば。……もしかして噂に聞く、第二王子かしら)


 騎士に引きづられるようにやってきた年老いた町医者を連れて、急いで結界の外まで連れて行き、母を見てもらおうとしたが、フィリッパは医者を連れて戻った時には虫の息だった。


「お、お前さん、結界の外で暮らしとったんか!こんなところじゃ治るもんも治らんだろう!結界の中にいれば余計な病原菌は持ち込まれんと言うのに!ワシまで危険な目に遭わす気か!厄介な他国民め!」


 フィリッパを診る事もせず、町医者はプリプリと怒って戻っていった。フィリッパの言ったとおり、あの町医者はきっと生まれてから一度たりとも結界の外に出たことがないのだろう。きっとあの医者ではフィリッパを助ける事はできない。でも、そんなことはもうどうでもよかった。


「母さん…」


 絶望したエヴリンは、虫の息の母を前にして精霊達に懇願した。母がいなければ一人ぼっちになってしまう。この国で自分は生きていく術を持たない。母がいなければ、薬草だっていつまで作れるかわからないし、このまま精霊のいない土地の侵食は進んでしまう。この土地を離れても、一人で荒野を旅するなんて自殺行為だ。商人に頼むにも、お金もない。ここから動けないのだ。


「精霊たち、お願いだから私に力を貸してちょうだい。あなたたちの好むこの髪の毛だってあげる。なんでも欲しいものをあげるから、母さんを助けて!このままじゃ母さんが死んじゃう!」


 フィリッパの死は、精霊たちにとっても悲しむべきものだったし、あってはならないことだった。


 フィリッパは精霊王の愛し子なのだ。


 普段、フィリッパを飛ばしてエヴリンとは会話をしない精霊達ではあったが、そんなことに拘っている場合ではない。精霊達はヒソヒソと相談して頷いた。


『あのねー、フィリッパは魔虫の毒に冒されてるよ』


『魔虫悪いやつー。土の中に住んでるー』


「魔虫?こんな乾いた土の中に?」


『えっとねー、それはねー、魔獣のーー『あっ!それは言っちゃダメなやつー!』ふぐぅっ』


 何かを話しかけた精霊の一人が、大量の精霊によって阻まれた。ボコスカに殴られている。


「な、何?どういうこと?」


『アタシ達、手伝うー。でも魔力がいるのー!いっぱい、いっぱいいるのー』


 何か隠し事があるようだけど、気まぐれな精霊達も、自分たちの主人である精霊王の愛し子を見殺しにはできないらしい。エヴリンを助ける事に同意した。


 エヴリンの黒髪は精霊たちの好む魔力がたっぷり詰まっている。精霊の愛し子の子供なのだから当たり前なのだが、精霊達はそれを欲した。フィリッパの子供でなければ、理由をつけて根こそぎむしり取っていたかもしれないほど、欲しがっている。時々抜け落ちた髪の毛数本を争うようにして拾っている場面に出くわすこともあるくらいだ。


『本当はぁ、目玉が欲しいところなんだけどー。元気になったフィリッパが見たら怒るワよねぇ。愛し子を怒らせて精霊王様に怒られるのは目に見えてる。だから、アンタの髪の毛とー、前歯の一本で我慢してあげるワ。前歯がなくても生きていくのに問題はないワよね?』


『目玉のゼリーがあると最上級のエリクサーになるんだけど、取り上げちゃったら二度と手に入らないものね。ダメダメ』


『前歯はコナにして地面に撒くと美味しい野菜ができるワよね』


『髪の毛はネクターに浸して養老酒にすると美味しいワね』



 グロテスクな話で盛り上がる精霊たちを見ながら、抜け歯の未婚女性を好む男はいないだろうな、とエヴリンはため息を吐くものの、そんなもので母が元気になるのなら全然問題はない。それに、片目をなくすよりは断然マシだ。


 精霊達は精霊体だ。当然肉体を持たないから、体の一部が欠けるということはありえない。そのためか肉体の不備の不便さには気がつかないものらしい。時に残酷なことをさらりと言ってのけ、それによって人命が落ちても「あれー?死んじゃった?」で終わらせる事も多い。


 だから精霊達のいうことを全てを鵜呑みにするのは危険なのだが。


 一つにまとめていた長い黒髪をバッサリと首元で切り、前歯は気合で引っこ抜こうとしたのを見た精霊たちが慌てて止め、精霊魔法ですんなりとひっこ抜かれた。抜いた歯茎から出た血をみて興奮した精霊たちに集られて吸い取られ、アガアガと暴れるうちに、あっという間に止血も終わり、舌で触れてみて歯がないことが確認できた。不思議なことに痛みもない。あとから痛みがぶりかえってこないことを願うしかない。


『歯抜けもかわいーよー』


『うわー!こんなに髪の毛くれるの?数本でもよかっ『うるさい、黙れー!』ーーぎゃっ!』


『だったら歯は要らなかっ『あっ!ソレも言っちゃダメ!』ーーグハァッ!』


「ちょっと待って、なんかあんた達」


『うそうそー!歯もいるよー。うん、絶対!』


『また生えてくるからいいよねー』


「前歯はもう生えてこないよ!大人の歯だもん!」


『えっ…!?嘘、それはダメだよ、だめ!怒られちゃうよー!』


『は、生えてくるようおまじないする!?』


『フィリッパ治すにはまず魔虫をなんとかしないとぉ』


『そうそう!魔虫を退治したらエリクサーでなんとかなるねー』


『エリクサーはエヴの髪と前歯で作るー』


「魔虫退治ってどうすればいいの!?」


『えっとねー、そうだ!魔虫殺しがいいと思うー』


「魔虫殺し…母さんのレシピに載ってるかもしれない!必要なものは町でもらってくるしか…」


『あっそうだー、エヴはしばらく城下町に行かないほうがいいよぉ』


「え?なんで?」


『あの医者がねー、結界の外の菌を持ってったからー』


『アタシたちを無視するから、そう言うことになるのよねー』


『ねー』


「ちょ、ちょっと待って?どう言うこと?」


『えへへ。だってあの偉そうな医者、フィリッパのことちゃんと診なかったしー。だから魔獣のうんちについてた卵くっつけてやったの!えらい?』


「ええっ!?だめだよ!そんなことして魔獣が街中で育ったらどうするのよ!」


『魔獣じゃないよ、魔獣のうんちについてた卵だよ』


「尚更ダメじゃないの!魔獣のうんちって、どこでそんなもん手に入れたの!?」


『えっと、えっとねー、あっちかなー』


 エヴリンは、泣きそうになって両手で顔を覆った。精霊達の悪戯がここまで酷かった事は今までなかった。


「このままじゃ、城下町で寄生虫が育って大変な騒ぎになって。ああ、そんなことになったら、外界に免疫のない人たちのことだからあっという間に死病になって……真っ先に疑われるの、私じゃない!どうすんのよそんな魔虫…魔虫ってまさか母さんもソレのせい?!」


『え、えっと、えっとねぇ』


『違うよー、僕達じゃないよー…多分?』


『そうかも、しれないなー、なんて、思ったり?』


「何してくれんのよ、あなた達!」


 うガァっと叫んでみても後の祭りだ。精霊達はわかりやすく視線を外しているのもいる。きっとフィリッパにも精霊が何かしたのに違いない。いつものように悪戯で人の命を弄ぶなんて、何を考えているのか。精霊の愛し子なんて、ほんと面倒ごとばかり起こしてクソの役にも立たない。


「あんた達、絶対に精霊の王様に言いつけてやる!母さんにもしものことがあったら絶対許さないんだから!」


『ええっ!ひどいー!せっかく助けてあげるって言ってるのにー!』


「ひどいのはどっちよ!」


 ああ、願わくば時間を戻して無かったことにーー。


「……そうだ。あの人なら」


 第二王子。あの人、あの場面で何度か時間を遡ってやり直した。


「私が気づいた限りで2回。もし、街で病が流行ったら、きっと時間を戻すはず。だって、あの人が時間を戻した結果がコレなんだもの」


 本来ならあそこで、エヴリンが死ぬはずだったのに、なぜか助けてくれた。二度目も、三度目だって。でもその度に、誰か代わりの人が死んでしまったから。


 あの人ならやり直してくれるような気がする。


「母さんが治れば医者を呼ぶ必要もない。そうなれば、私との接触事故もなくなる、はず」


 そうすれば寄生虫問題も解消される。寄生虫が孵化するまでの時間はそれほどない。人間の体で持っても三日。被害が広がるのは一週間前後ってところだろうか。


「よし。魔虫殺しを作らなきゃ!」



読んでいただきありがとうございます。


短編の『婚約破棄を告げられましたが、理由がわからなかったので思うところを述べていったら、謝罪された件について』がコミカライズされました!マッグガーデン様より11月1日より配信開始です。

イラストは、いなる様が美しく描いてくださいました。


よろしければ下記リンクから是非見てください!

https://booklive.jp/product/index/title_id/20050451/vol_no/001

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ