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本日2本目です。
「誰か、誰か助けて!お医者様を…っ!」
再度の魔法にウォレスは込み上げる吐き気を抑えながらも馬から飛び降り、なんとか少女の腕を取った。
「君!」
ウォレスが呼びかけると、ハッとして少女が上を見上げた。慌てていて馬の姿すら目に入っていなかったのだろう、オレンジ色の目をまん丸にしてウォレスを見上げている。顔色は悪く、オリーブ色の肌に白っぽいそばかすが目に入った。ウォレスはチラリと少女の後ろで酒樽を下ろしている男を見る。
大丈夫だ。あの災難はもう降りかかってこない。ほっと息を吐き、少女をも救えたことでウォレスは安堵した。これで誰も死なずに済む。先程まで見ていた阿鼻叫喚の風景を思い出すと身震いをした。
「いきなり通りに飛び出すなど危ないだろう!もう少しで馬に蹴られるところだった。下手をすれば、後ろの荷馬車にぶつかり、落ちた酒樽から複数の死者を出すところだったんだぞ!そうなったら君はそこにいる男に暴行を受けて二目と見られない顔になっていた」
必要のないことまで口にして、酒樽を下ろし終わった男は訝しげに振り返り『俺のことか?』と言わんばかりに気不味気に己を指差している。完全なる冤罪だ。
「えっ?酒樽…?あれっ?なんで私…。ああっ、それよりも!騎士様!お願いします!母さんが、母が死にそうなんです!どうかお医者様を!」
ウォレスの注意に小首を傾げ理解しようとしたものの、我に返った少女は、思い出したようにウォレスに縋り付くと懇願した。
内心、ウォレスは少女が死なずに済んだ事に胸を撫で下ろしていたのだが、母親を助けようと慌てていたことを知ると、無下にするのも憚られて部下のフィンに頼み、町医者を連れてくるよう指示を出した。
「早急にこの娘の母親を見るように伝えてくれ」
「御意」
それを見た人々は、親切な第二王子とテキパキと動く騎士達にますます好意を持ち、よかったなエヴリン、と少女を慰めていた。エヴリンはあたりを見渡して小首を傾げながらも、ぎこちなく笑みを浮かべていた。
よく見れば異国人のような風貌の少女だ。この国は外界から完全隔離をされていて、陽射しも計算の上で遮光されているせいか、色素の薄い人間ばかりだ。そんな中で黒髪にオリーブ色の肌というのはかなり異質だとウォリスは改めてエヴリンと呼ばれる少女を見た。花売りだというが、花を育てている農家は少ない。一体どこで手に入れているのだろうか。
エヴリンを見ながら考え込むウォレスに、部下のフィンはおや?と思う。今まで、一個人に興味を持つことはなかったウォレスがなぜか少女から目を離せないでいる。まさかとは思うが、平民の少女をお気に召したということだろうか。
「人助けをされましたね」
慌ててやってきた町医者に銀貨を渡し、エヴリンに連れて行かれるのを見ながら、戻ってきたフィンが笑顔でウォレスに告げた。
「うん。まあ、あの子の母親が助かるかどうかは神のみぞ知るところだけどね。そこまでは私も面倒は見られないよ」
「あの娘はそれでもきっと感謝の念を持ちますよ。それで?」
「?それで?」
「おや。殿下が初めて女性に興味を持ったと思ったんですが、違いましたか?」
「そんなわけあるか。馬鹿も休み休みに言え」
呆れた顔でフィンを小突くと、ここにはもう用はないとばかりに騎士達を酒場へと誘った。
ウォレスの魔力は人並み以上ではあるものの、2回に渡る巻き戻しでかなりの魔力を消費したようだった。数秒では気にもならない微量だが、数分、数十分と間が開くと魔力量の消費も多いようだ。国の大事には、魔法石と水晶鏡の助けを借りることができるというが、個人ではおそらく数時間がせいぜいだろう。これはいい検分になったとウォレスは内心ごちた。
そのまま酒場で馬鹿騒ぎをしようかと思っていたが、巻き戻り前の惨劇が目に焼き付いていたのと疲労感で、仲間の騎士達には好きに飲めと言いつけて自身は南の砦にある自室へと戻っていった。
これで元通りになったと考えていたウォレスだったが、数日後。事は更に深刻な状況を呼んだ。
*****
「流行病?」
部下のフィンから報告を受けたウォレスは眉を顰めた。
「は。下町の一角から熱病のような流行病が発生し、蔓延しているようです。本日の視察は中止されるべきかと思われます」
「ほんの数日前、下町に行った時はそんな様子はなかっただろう?どこから発生したんだ?」
「それが、どうやら町医者から被害が広まったようなのです」
「町医者?」
「ええ、先日視察に出られた際、こちらに接触して来た少女を覚えていらしゃますか?」
ウォレスはぎくりとする。
「あ、ああ。確か、エヴリンとかいう少女だな。彼女がなんだ?」
「いえ、少女が関係しているとは思えないのですが、その時に少女の母親が病に倒れたことで、町医者を用意なされたでしょう?あの医者が発端のようなのです」
「なんだって?」
調べによると、その医者はエヴリンの母親を診てすぐに戻ってきたらしいが、その日の夜中にその医者が発熱した。身体中に黄色い斑点が体に浮かび、念の為次の日は休診にしたのだが、その医者の家族が同じ症状で発病。別の医者に診察を願い出たのだが、その時には医者の体は浮腫み、火傷跡のようなミミズ腫れが手足に浮かび疫病と診断された。当然町医者とその家族は隔離されたのだが、時すでに遅し。じわじわとその疫病は広がりつつあるという。
「なんてことだ…」
ウォレスは、これまでにないほど後悔した。絶対にその母親と関わっているに違いない。そうでなければ、とんでもない偶然だ。エヴリンの母親はきっと何かの感染症を保持していたのだ。エヴリンに触れた自分はなんの症状もないことから、エヴリン自身はおそらくあの地点で発病はしていないはずだが。
あの時。平民のあの女を助けようなどと思わなければ。
何故ケチをつけられたなどと思ったのか。
だがあの事故からすでに一週間は経っている。あの時点に戻ろうなどと思ったら、魔力が圧倒的に足りないだろう。数十分の巻き戻りだけでも気分を悪くしたくらいなのだ。
「それは、つまり…あの少女の母親が元々の発端か……?」
「可能性としては高いですが確証はありません。現在少女の居住地を探しているところですが」
「エヴリンはーーあの子はどうなっているかわかるか?」
「いえ。何分、町医者と接触ができず少女の家も確定できていない状態ですし。何よりあの地区一帯が現在のところ隔離された状態なので、少女の姿も確認できないのです」
「……父上に相談してみよう」
本当のことを言うわけにはいかない。この状態を打開するにはウォレスの力が必要になると言われるだろう。そうなれば、魔法石と水晶鏡の力を借りて巻き戻り、過去の2回については誰にも気付かれずに済むに違いない。
だが、ことはウォレスが思うより急速に進んでいた。
「ウォレス!ウォレス!困った事になった」
父王に面会を申し出てすぐ、王が慌ててウォレスに会いに来た。
「父上、巷で流行病が」
「巷どころの騒ぎではない。孫息子が、初孫が発病した!」
「なんですって?」
初孫というのは、他でもない第一王子の最近生まれたばかりの長男キングスリーのことだ。彼がいるからこそ、第二王子は自由の身になった。その彼がもしもいなくなってしまえば、また次の子ができるまで第二王子はスペアとして生きなければならない。
二十年生きてきてようやく得た自由が奪われてしまう。
ウォレスは、清廉な騎士でも、公平で正義感の強い男でもなんでもない。そのように周りが勝手に思っているだけで、本人は至って自分勝手な生き物だと思っている。確かによく見られたいと思って努力はするし負けん気も強いが、責任感はほどほど。兄であるレオポルドのように高潔でもなければ、その地位に執着はないし、自由に憧れている。とはいえ、王族としての自覚はある。国や自分のためになる事には努力は惜しまないし、取り巻く人間関係も大切にする人間くさい男でもある。
そんな男が、国民の生命を脅かす原因を作るなどもってのほかだ。そんな事に責任は持てない。これまで戦争もなく他国の牽制もなく、ただただ平和に過ごしてきたソラビア王国で、ウォレスは今まで感じたことのない重責をその背にずっしりと感じた。
「王宮医師の調べでは、王太子も王太子妃である聖女もキャリアの可能性がある。お前も調べた方が良い。わしと王妃は大丈夫のようだが、聖女でも治せない奇病とは…!どうやら王宮に出入りする商人から持ち込まれたようだ。最悪の場合、お前の力が必要となる。そのお前が病原菌持ちとあってはお手上げだからな。早急に調べを受けろ」
「そ、それよりも、時間を戻した方が早いのではないですか!?」
「それは病がいつから発生したのか、どの地点まで逆行すれば良いのかわかってからだ。そもそも聖女に治せない奇病というのは通常ではありえんのだ。どこぞの国の陰謀かもしれんが、結界を超えてくるとなると考えも及ばん。謀反を企てた内部の人間の仕業かもしれん。未知の病原菌となれば厄介だ」
「…っ」
「時空や天候を操る魔法を持つ者がいないとは限らない。結界が弱っているのかもしれんが、聖女があの状態ではそれも調べがつかん。とにかくお前がキャリアでないことを祈るよ。ああーー王太子の宮にはくれぐれも近付かんようにな」
ウォレスには、その病が出てきた日時も理由もほぼ正確に掴めている。だがそれを説明するには、己の過失も含めて話さなければならない。
「いや、今回の事実だけ伝えて逆行については黙っていても問題ない、か……」
急ぎ足で部屋に戻ったウォレスは、あの日のことを振り返った。
あの町医者から感染症が広がったことはわかっている。あの事故の前に戻れば、病は広がらず問題は解決できるはずだ。
もしウォレスがあの時エヴリンを殺していたら、町医者はエヴリンの母を診ることはなく、病は蔓延しなかった。エヴリンは死に、その母親も死ぬ。誰もエヴリンの家を知らないというのが気がかりだが、却って都合が良いか。いや、だが母親の死体から感染症が広まりでもしたら…。まずは居在地を確定してから時を戻すか。
二人の命は失われるが、城下町全体のことを考えればやむを得ない。
エヴリンがウイルス保持者だったとして、騎士たちには遺体に素手で触れないように指示を出し、浄化魔法を使える人間に洗浄を頼めばすくなくとも王宮に菌を持ち込むことはないだろう。それから母親の方も焼却処分にすれば感染は免れるはず。
「……なんとか、なるか…?」
王宮の魔法石と水晶鏡の力を借りれば魔力的には問題はないだろう。だが、その前に父上たちを説得させるだけの証拠を提出しなければ。
「フィル!街に降りる。用意しろ」
「し、しかし殿下!」
「町医者が原因ならば、あの日が問題の日だ。あの女…エヴリンの所在地を調べる!急ぐぞ」
「あの少女、ですか。殿下、やはり…」
フィンが驚いたような表情を作り、すぐに考え込むように視線を逸らす。ウォレス自身が気が付いていない初恋なのでは、とフィンは見当違いな事を考えていた。せっかく自由になった身なのだ。平民であろうと貧民であろうと、我らが第二王子が望むのだ。第一騎士団副団長として、団長の幸せを潰すわけにはいかなかった。
「わかりました。協力しましょう!」
予想外のフィンの思考に気づくはずもなく、ウォレスは覚悟を決めた。
元はと言えば己の責任だ。王宮の魔法石と水晶鏡を使った巻き戻しは一度しか許可は降りないだろうが、どのみちこれ以上のやり直しは精神的に厳しいし、魔力も足りるかどうか分からない。
死をもって贖罪するつもりでーー。
いや、死にたいわけではないが、甥っ子を殺したと追及されるよりは、己のプライドを守れる訳で。
大慌てで準備を整え、城下町に降りたウォレスは聞き込みを続け、とうとう少女の所在地を朧げながら確認することができた。
「まさか、結界の外に住んでいるとは…」
誰も知らなかったわけだ。
結界の外は危険極まりなく、魔獣が闊歩し魔素が濃いため呼吸もしにくいと聞く。他国から来る商人たちは慣れているから大丈夫だというが、結界に守られたこの国から出たことのない人間は好んで外に出ようなどとはしないものだ。
当然、王子であるウォレスも結界の外に出たことはなかった。
結界膜は簡単に出入りはできる。王国に対して害意があるものは弾かれ聖炎によって消滅させられるというが、見たことはない。そもそも国に認められた商人や招かれた客しかこの国には入れないのだ。少女は何度もこの結界膜を超えて街で花を売っているのだ。だから、悪い人間ではないのだろうが、花の出どころが結界の外となると話は別だ。
町医者が戻ってきて以来、彼女の姿を見たものはいないようで、もしかしたら既に死んでいるのかもしれない。だがウォレスはそれを確認に行くだけの勇気を持っていなかった。
結界の外は未知の世界なのだ。外に出たが最後、おかしな病気になって戻って来れなかったら。時間を戻せるのは自分だけだ。誰も自分を助けられない。もしもそこで自分が死んでしまったら、この国に広まった感染症は消すことが出来ないし、この国が終わるかもしれない。
「国と女一人は天秤にかけられない。……どうせ馬に蹴られて死ぬ運命だったのだ。悪いが、犠牲になってもらう」
ウォレスは急いで王宮に戻り、国王に調査書を出し、進言した。
「ピンポイントで時間を巻き戻します」
果たして。
ウォレスは馬上にいた。
魔法石と水晶鏡の補助があったせいか、体はそれほど辛くはない。最初の時の方が辛かったくらいだ。多少の魔力酔いと頭痛はあるものの、吐き気はない。だが耳の奥で、キリキリと氷がひび割れるような音がする。以前使った時には感じなかったものだ。一体何の余波だろうかとウォレスは訝しんだ。
そして気が付いた。いつまで経ってもエヴリンが現れないことに。
「何故…」
「殿下、どうされました?」
何も覚えていないフィルは、挙動不審なウォレスを見て首を傾げた。
「いや、……」
戻る時間帯を間違えたのか。いやでも実際自分はここにいる。キョロキョロとあたりを見回したが、あの日覚えている通り。
いや。
いた。
エヴリンが少し離れた路地からニヤリと笑いこちらを見ていた。
髪型が違う。長かった黒髪は短く首元で刈られ、笑った口からみえた歯が一本かけている。
ぎくりと青ざめたウォレスだったが、少女はゆっくりと近づき王子に言った。
「そう何度も殺されませんよ」と。
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