いとこの形見
「――このお腹にいるのは貴方との子よ、国裡くん!」
「絶対に有り得ないですね」
「テメェ人の彼女孕ませておいてその言い草は何だ!」
ヒステリックな認知を求める女の人の声とそれに加勢する男の人の声、そしてそれらをばっさり切り捨てる男の人の声。
ここ一ヶ月でやたらと修羅場にエンカする私――山背穂乃香は是非エンカなんてしていなかったという事実にねじ曲げようとして――……現実に却下された。
先程通ったばかりのオートロックの扉は既に鍵をかけ終えていたのである。
唯一の希望は、曲がる前に修羅場に気付いたということだろうか。隠れやすいので、気付かれる確率はぐんと減る。家に帰れるのが遅くなるが仕方ない。長年いとこと呼び親しんできた梓が亡くなり、その子供の葵を引き取りたい今、少しでも危険は減らしたい。
加勢している男の人が切り捨てを無責任だと詰め寄っているが、“国裡くん”が国裡博希であれば、事実を言っているだけの気がする。
出自は不明だが、それを上回るヘッドフォンを外さない系イケメン。恋人や結婚相手・パートナーとして超優良物件。性別・手段問わずその座を狙う輩が後を絶たないと聞く。
……その手段を問わずの一つがこれ、なのだろう。
その突き詰めた先として梓の実の妹である愛依の顔が思い浮かんだが、やめた。
今は修羅場エンカ中なのだ。動向はしっかり確認しないと。
そう思って修羅場に意識を強く向けた、その時だった。
「私には女性を妊娠させるだけの能力がございません」
ピンポイントに衝撃的な言葉を聞いてしまい、頭が真っ白になった。
うまく修羅場の続きを拾えず、焦る間にも修羅場が終わる。ようやく拾えたのは。
「終わりましたよ」
そんな、修羅場でよく聞いた声からの終了報告だった。
「林山さんのご友人である山背さんでいらっしゃいますよね。急ぎの用事とか気分とか大丈夫ですか?」
「国裡博希――!?」
はい山背です。大丈夫です。
そう答えなきゃいけない所、本人に目の前で名指しされた衝撃で本人の名を叫んでいた。
そんな早速のやらかしに、本人は「はい、まぁ知っていますよね」とくすくすと笑うだけだった。
何とか打開せねば。そう思い口を開いたものの。
「……人を妊娠させるだけの能力がないっていうのは」
見事なまでに自爆した。
「事実ですよ。自らの意思で手放しました。気にすることはありませんよ」
それ出来たかな、と思うよりも先に感想が口から零れ出た。
「結婚や跡継ぎを求められる立場にいそうなのに、避妊手術を受けているとは意外、ですね?」
「……意外」
予想外の感想を言われたらしい国裡さんは、一拍置いてから大笑いした。
「そうですね、私はかつてそう言った立場でした。ですがちょっと生きるか死ぬかの所まで行きましてね。後処理の後、全てを投げ捨てました。
故にその手の発言される方やそれを目的として近寄って来る方は警戒対象であり、排除対象です」
もう二度と容赦はしない。そう語る言葉に、嘘偽りはないのだろう。
そう思った時、私は反射的に「では、私の意思とは関係なく迫らされたりしても私を排除してくれますか」と口にしていた。
操られたり乗っ取られたりしても。貴方は私を排除してくれますか。
「当然です。仮に貴方の意識が残ったままだったとしても、容赦なく排除してみせましょう」
その“是”に、もう一度ぺちんとした感覚が背中に響く。
あぁ、ならば大丈夫だ。言葉を持たない何かが確信を告げる。
「国裡博希さん」
いつの日か祖母が教えてくれた、カーテシーに似た動きを添えて願いを口にする。
「私、山背穂乃香は亡きいとこの吉楽梓の子、吉楽葵を引き取り、守りたいと思っています。
――力を貸して貰えますか?」
「おはようございます。寝不足その他身体のお加減はいかがでしょうか、山背さん」
「おはようございます何とか寝れました」
あの修羅場から数日後、私と国裡さんはとあるカフェで待ち合わせをしていた。葵を引き取るための作戦会議兼味方陣営の顔合わせに来てくれたのである。
そう、私のいとこの子を引き取りたいという願いに助力してくれることになったのだ。まさかの即答で。
なんでだろうとは思うが、今は葵の安全確保が先。そう切り替えようとして、あることに気が付いた。
国裡さんの耳を彩るピアスである。ヘッドフォンしてない!
予想してたらしい国裡さんは「私の本体はイヤーマフではございませんよ」と苦笑いに留めた。
「聞こえすぎる音を抑えるのに楽なので着けていますけど、必要がない位静かだったり、逆に耳を使わなきゃいけない時には外しますよ」
逆に使うとき、とは。そう思ったが、どう意味かは聞きそびれた。
母が国裡さんの顔を見るなり何かを口走ったものの、それ以外は特に何もなく挨拶が終わり、席について状況確認のターンに入ってしまった。
そして始まってしまえば、梓と葵の情報が集まりだす。
梓、享年二八歳、既婚、夫とは三年前に死別。
梓と夫の間の実子は葵、五歳の一人。
そんな基本情報を始め、生来の家族構成、養子縁組関連、実の家族への強い拒絶がよくわかる公正証書遺言とか、私の知らない話も沢山出てきた。
そろそろ一度情報整理を。そんな空気になった頃、国裡さんは急に黙り込んだ。あれ? と思った直後。
「……っ!?」
怪我をさせてでも助けることを願うような馬鹿力で叩かれた感触が、した。おまけに痛いではなく気持ち悪い。
私の顔色を見たらしい国裡さんが、低い舌打ちを漏らす。
「酷い質問ですが、貴方と葵くん、どちらか片方しか助けられないとなったら、どちらを優先しますか」
「葵を」
「了解いたしました」
闇夜を突き刺すような金色の瞳が、私を射抜く。その直後、ガチャリと音が響く。
現れたのは、亡き梓の妹――山上愛依。
今日もいつものネックレスに加えていろんなものをジャラジャラと引っ提げて「ねぇ穂乃香ちゃん」と近寄ってくる。
「葵ちゃん、梓ちゃんの実の妹である私が引き取るから、いいよって言って?」
何言ってんだこいつ。そう思いながら愛依の手元を見て、変な声が出た。その手に握られているのは、この場にはいないはずの葵、だったからだ。
「梓ちゃんの実の妹である私より、穂乃香ちゃんの方が良いって聞かないから。穂乃香ちゃんがいいよって言えば、葵ちゃん、来てくれるでしょう?」
私の動揺なんか気にせず、まるでお金を払えば手に入る商品のように。
告げる。
「ね?」
――ふざけるな気持ち悪い何で従わないといけないんだ何で葵を危険に晒さなきゃいけないんだふざけるなあぁでも隷属しなきゃいけな
「――山背穂乃香」
するりとした声が、私の名を呼ぶ。頭の中が一気にクリアになった。
相変わらず愛依が気持ち悪いし大嫌いだ。だが、ちゃんと息は吸えるし引き摺り込まれることもない。
「推測は出来ていますが、二人の名前、教えていただけますか」
「そのジャラジャラとした方が山上愛依で、連れられてる子が吉楽葵です」
問われるがままに二人の名前を教えると、国裡さんは「そうですか」と短く返しながら、私と愛依の間に立つ。
愛依は不満げな顔をしていたが、見知らぬイケメンの登場に目を輝かせた。そしていつものように近寄ろうとして、真逆の底冷えしそうな一言で、切って捨てられていた。
一瞬誰のものかわからなかった。
「山背さん。ネックレスが一つ、意匠が明らかに違うのですが、何か見覚えはございますか」
「……梓の形見! 彼女が亡くなる直前に、葵に上げた奴! です!」
何でそれを愛依がつけてるの!
その言葉は声にならなかったが、葵は何も言わずに悔しそうに俯いた。愛依の顔が、笑みに歪む。と、そこで国裡さんが、葵の目線に合せるようにしゃがみこんだ。
「葵くんでしたね。お母様の形見を人質に取られましたか」
聞いてるように見せかけた、確定形の確認。葵が声を出さずに頷いた。
「山上愛依。そのネックレスを吉楽葵に返却しなさい」
国裡さんが返却を要求する。しかし愛依は首を横に振って拒否し、葵を引き寄せて盾にしようとした。
その動作は読めていたのであろう、先に引き寄せる形でそれを阻止し、「ではまず、彼から手を放しなさい」と告げる。
葵本人が抵抗し拘束から逃れたため、国裡さんは短く褒めた。
「少々煩くなりますから、彼女の所に行っていてください。それから、山背さん。葵くんの耳を塞いでいてください。そして貴方はその子の耳を塞ぐのに必死で何も聞こえなかった。……いいですね?」
「……はい!」
静かな断定系に、反射で返事をして駆け寄ってきた葵の耳を塞ぐ。それに合わせるかのように周りの音が遠くなったような気がしたが、すぐにどうでもいいことになった。
私は葵の耳を塞ぐのに精一杯だった、だから、何も聞こえなかった!
一時的に何も受け付けていなかった耳が、しゃらりという音を拾う。
ゆっくりと目を向けると、そこには形見のペンダントが揺れていた。
「終わりましたよ」
聞き覚えのある声で終了を告げられ、今度は変な声を出さずに礼が言えそうだと思ったのも束の間。
国裡さんと形見のペンダント以外の光景が一変していた。愛依は気絶。意識のあった面々も顔色が悪い。母に至っては顔色がない。
「……何で……?」
何でこうなった?そんなつもりで呟いた言葉は、別の意味として捉えられた。
「貴方が望んだのでしょう? 形見であり魔女である、葵くんを守る力を」