罅だらけの晩餐を
第9回書き出し祭り提出作品です
「だからやめてって言ったのに」
世界のどこか、人の存在できない場所で。人が作ってきた言葉で、それは悲鳴を上げた。
「私はちゃんと言ったのに!」
……悲鳴?
否。
上げられたのは、滅亡確定のお知らせ。
新たな罅を抱え込むことが出来ず、世界は、遂に砕けたのだ。
空が、地面が、建物が、罅に呑まれて虚無となる。
罅に触れてしまった人は、世界の悲鳴を原液で受信させられて廃人となる。
その光景に無関係だと思っていた民衆は呆気なくパニックになり、科学を妄信する軍隊は問題ないと制圧を開始。
対して世界の悲鳴を聞き取れていた人々は遂にその日が来てしまったかと絶望した。
私――ボリーヴァは、「頑張ったのにな」と言う絶望と諦観と、ほんの少しの納得で心を埋め尽くされていた。
私は世界より与えられた礎の一つ――セマルを受け継ぎ、守ってきた巫女。世界を守り次代に繋ぐ役目を持っていたにも関わらず、守り切ることが出来ず滅ばせてしまった。
「科学の暴走を止められず、滅ぶのを止められない……力のない巫女でごめんなさい」
遥か昔、どこからか現れた異邦人が齎した異物――科学。世界に負担をかけず、個人の資質に左右されることなく誰でも使うことのできる平等を齎すはずだったそれは、長い時間をかけて変質。
世界に致命的な負担を強い、世界を滅亡に導いた。
「それを言うなら私のせいだよ、ボリーヴァのお姉ちゃん」
「……ビールィカ」
私以上に絶望が滲んだ声を発したのはビールィカ。白い尻尾を持つ異邦人だ。
彼女が異邦人だと分かった時は荒れに荒れた。生贄にすべきと言う意見まで出たが、特殊な事情が発覚。
科学に渡ると危険極まりなく、切り札としてここで匿うことになった。
「私がここにたどり着いてしまったから。私が生贄になっていないから、滅亡を確定させてしまった。そうでしょ?」
「……違うわ。それは違う。この世界はあなたの有無に関わらず滅ぶ運命だった。あなたのせいではないわ」
ほんの一瞬、息が詰まる。けれどそれは否定して、あなたのせいではないと繰り返し口にした。
そっと手を握り、ほんの少しだけビールィカの力を借りる。この滅亡を受け入れられない客を追い返すためだ。息をするように発動させて立ち入れなくする。
しかし相手は科学で底上げし訓練を受けた戦闘職の塊――武装した軍隊。進めないとわかると銃撃による飽和戦に切り替えた。
ローテーションを組み、切らす気のない構えは敵に回ると厄介にも程がある。どこかで一度引きはがすべきか? と考えていると、急に強い衝撃を加えられ、斜め前に突き飛ばされた。
幸い他の人に受け止められ転ぶことはなかったけれど、手は離れてしまっていた。私は咄嗟に握っていたはずの手の行方を見ようとそちらを見て――考えが甘かったことを思い知る。
そこに在ったのは銃を突き付けられ、身動きを許されなくなったビールィカの姿で。それはつまり彼女に突き飛ばされていなかったら私がこうなっていたということの証だった。
今しがた起動させた守りの結界は、入って来るものを阻むもの。発動時点で既に内にいる敵に対しては効かない。
飽和戦は最初から囮で、本命はおそらく私だったのだろう。
「……彼女を放しなさい」
「素晴らしき至高にして絶対の存在である科学に無条件降伏し、礎を明け渡すなら放してやってもいいが?」
まるで守る気のない約束をするかのように降伏を求めてくるこの男は、軍の特殊部隊の副官。
何度名乗られても憶える気にならない程の科学の狂信者で、軍でも一部の人から名前を憶えられていないとの噂だ。私も憶えていない。
流れるように科学賛美を始めるだけで鬱陶しいのに、無駄に実力があるので厄介で仕方ない。
「そうやって他の礎も否定して奪い、壊して滅亡を推し進める筆頭のあなたの言葉が信じられると思うの?」
「それは貴様らが無駄な抵抗をするからだろう? それに科学は世界を滅ぼしてなどいない。貴様ら神霊術の自作自演の制御できない悍ましい罅を、さも此方が引き起こしたように言ってくれるな。
不愉快だ」
「……世界の最後の悲鳴を、否定しないでちょうだい……!」
科学を妄信する軍は、世界の悲鳴を聞き取ることが出来ない。頭ではわかっていても、訂正を要求せずにはいられなかった。
「悲鳴? 世界が悲鳴を上げられるわけがないだろう? ならばこれは制御できるものだ。
貴様らが制御できないのであれば、科学が完璧に制御してやろうか? そうすれば貴様らも科学こそが至高で神霊術がいらない存在だというのがわかるだろう?」
男が手を伸ばした先にはまた新たな罅が走るところで、また一歩滅亡が進行したことを知らせてくる。
この世界の最後の悲鳴を、何だと思っているのだろう。私たちからすればふざけているとしか言いようのない言葉に、ぷつり、と言う何かが切れた音がした。
「科学そのものはいいものだし、神霊術に頼らずとも世界を回していくことは出来るだろうね。――でも。
でもその科学を取り扱うあなたたちが世界を滅ぼすよ」
静かな予言めいた声が、身動きを許されなくなったはずのビールィカから発せられた。喋るな、と言わんばかりに銃口が彼女に押し付けられるけれど、全く意に介する気配がない。
……違う。これは意に介して差し上げる気がない、だ。その証拠に、ビールィカは続きを口にした。
「神霊術も科学も、扱うのは人なんだよ。人を豊かにするのが人であれば、人の命を奪うのも人なんだよ。
いくら科学が正しくても、使い手が世界を滅ぼすの」
「――貴様!」
それは我々に対する侮辱か、と激高する狂信者に、ビールィカは経験則だよ、と軽やかに返す。
「……ボリーヴァのお姉ちゃんは。ここの人々は、礎を守ってきた人々は、世界の悲鳴を正しく受け止めてこの世界を守ろうとしていた。大切な人たちも、思想の違うあなたたちのことも、差別することもなく。
でもあなたたちはそれを踏みにじった。守ろうとする努力も、世界の悲鳴も、科学への妄信一つで踏みにじった。世界を滅亡へと導き続けた」
ぴしり、と言う一際大きな罅が入る音がした。遂に目視できる距離に罅が入り始めたのである。
罅がここまで辿り着いたということは、礎のない軍都辺りではすでに呑まれてしまっているのだろう。彼らの帰る場所は、もうない。
……いや、帰ろうとすることももう叶わない。その証拠に、絶叫と共に飽和戦のローテーションに穴が開き始めている。
「この世界に来てから、私はずっと頭が痛かった。加護を受けるまで、世界の痛みや苦しみによる悲鳴が聞こえ続けてたからね。
あなたたちが受け取れずにいたのは、今となっては残念だよ」
憐みのこめられた声が狂信者に差し向けられ、何かを言おうとしたその瞬間。足元に新たな罅が走り、破裂するような絶叫が男から発せられた。
罅に直接触れたことで、世界の痛みや苦しみによる悲鳴を受信させられたのだ。聞いてこなかった身には耐えきれるものではなく、何度も気絶と覚醒を繰り返して廃人に近付いていく。
ビールィカはそんな狂信者を横目に罅の上を歩く。まるで持っていないものを見せつけるように、悠然と。
彼女は悲鳴が聞こえていない訳では無い。むしろ聞こえすぎていて、彼女の一部と化している。それでも平然と歩いていられるのは、異邦人ゆえにこの世界の法則に縛られていないことと彼女の事情が大きい。
しかし、それを知る由もない狂信者は、ただ理解が出来ずに視線がビールィカに釘付けになるだけだ。
私は彼女が後ろに控える位置に着いたのを確認して、別れの言葉を口にする。
「セマルの巫女たる私が宣言する。この世界に未来はないよ。この世界を救う手段はもうない。この世界の滅びはもう覆らない。
――あなたたちは、私たちとここで滅びるのよ」
私の言葉が伝わったかどうかはわからない。けれど、絶叫の種類が変わったことは聞き取れた。おそらく、滅びる以外の道がないと理解してしまったのだろう。
……でももう遅い。たった一人の例外――特殊な事情を抱えるビールィカを除いて世界と共に滅びるしかない。
彼女だけが、この世界と共に滅ばない。滅ぶことが出来ない。何て言えばいいか迷っていると、ぽす、と抱きしめられた。
「覚えているよ、ボリーヴァのお姉ちゃん。
この世界が、生きた証を、滅んでいく様を、あなたたちのことを。私が覚えている」
「……ビールィカ」
それがこれからの私に出来ることだから、と付け足された一言に、一粒の涙が頬を伝う。彼女は命運を共にすることが出来ない。それでも、出来ることをしようとしてくれている。
そのことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……ありがとう。
あなたのこの先の人生が、少しでも穏やかなものでありますように。少しでも痛みや苦しみから遠ざかりますように」
せめてものお礼として、この先の未来に祈りを捧げる。
ふっと見上げた空には、元の空色を見つけるのも難しいくらいの罅が走り回っている。完全に滅んでしまうまで半日もないだろうことが窺えた。
世界を救ってくれる勇者はいない。世界を救うことはもう出来ない。
でも、ビールィカの旅支度と晩餐を囲むくらいの時間なら取れるだろう。
そう思った時に脳裏をかすめたのは、ビールィカと初めて会った日のこと。懐かしさがこみあげてくる。
そう、それは私が巫女を継ぐ少し前のことだ。