人ならざる血の使い道
第20回書き出し祭り参加作品です。
特別会場 テーマ:和ファン
おきつねさまの恩返しの最後の依り代と、外つ国の禁忌の生きる書。
子をなすことは可能だけど、半分にも満たぬ人の子。それが己が血を構成する全てで――おっかさんもきっと、こんな風に使い道を切り開いたのだろう。
「アイヌモシリの娘にして、新しきチロンヌプ、エプンキネ。
僕、三郎と結婚してくれますか」
告げた和歌の意味をすっ飛ばして、和歌を贈る意味を告げれば、エプンキネは顔を真っ赤にして、髪を大きく揺らして固まった。
「三郎、あの、言う相手を間違えてない?」
「間違えてないけど?」
ぎぎぎと音を立てそうな動きをしてから現実逃避を試みる彼女に、さくっと退路を断つ。さて、ここからなんて言葉を続ければいいのだろうか。
売り言葉に買い言葉で始まってしおまった球根に、内心冷や汗が止まらない。京から蝦夷地にやってきて何とかなっているのだ、何とかなるの精神でぶち当たり。
「元の場所に返してきなさい!?!?!?」
「本を婿に取ったおっかさんには言われたくないですね!!!!」
「それでも神様に類する存在を連れてくるとは思わないでしょうが!!!!」
どうにか求婚を受け取ってもらえた相手を見せに行くと、おっかさんからの正体を看破したことによる混乱の叫びが飛んできた。
「尋問も申し開きも、少し頭を冷やして整理してからするべきでしょう」と言うおとっさんの言葉でエプンキネを家の中に案内して、お茶を出して一息。
頭が冷えたので仕切り直しだ。
「三郎の母、みつです」
「三郎の父の枸櫞です。」
「エプンキネと申します。チロンヌプとアイヌの間の子です。」
初対面同士が名乗り合い、挨拶が始まった。声を出す前に正体を看破されたエプンキネは、素直に情報を開示した。
「チロンヌプ?」
「この地の狐の神のことです。エプンキネはその一柱の子と言うことになります。」
おとっさんとおっかさんから「なるほど」の声が上がった。「詳しいのね?」と言う疑いのまなざしに、「調べましたから」と軽く流しておく。
「初対面でおきつねの言葉で話されたので、念のために調べました」
当時アイヌ語が喋れなかったので助かったとは言え、何か違う対応が必要だったら困る。最初はそんな自分本位だった。
「口説いて良い相手かどうかなど、本格的に調べだしたのはおきつねたちに番う相手として勧められてからになりますけどね。いろいろと難航しました。」
本格的に調べるのにかかった時間と、交渉にかかった時間を思い出してしまい、遠い目になる。
彼女の唯一の存命の身内が、高齢であるにも関わらず、年単位で粘ってきたのだ。かなりヒヤヒヤした。
「私たちのことは息子から何か聞きましたか?」
「おきつねさまの恩返しの最後の依り代と、外つ国の禁忌の生きる書、と聞いています。……二人の血を引いた三郎も、人とは同じ時間を歩めぬことも。」
それについては覚悟が出来ている。そうエプンキネが告げれば、おっかさんは軽く息を吐いた。
「互いが人ならざるものであることは覚悟の上なのはわかりました。
……それで、なぜ結婚相手として捉えるようになったのです?」
……それは浮ついた恋愛話を根掘り葉掘りするような声ではなく、相手の利益を詐取するなど悪質な目的がないかを問うたもので。
来るだろうと思っていた尋問の一つが、来た。
「彼女であれば、生前だけではなく死後も夫婦でいられると思えたからです」
おとっさんは生ける書だ。呪いを詰め込まれ、呪いによって成立する代物、呪いそのもの。おっかさんがそれに抵抗して新たな存在にしようとあがいているのを知っているが、間に合うかどうか。
とは言え、それは口にしない。
「理由はそれだけではありません」
「……何かな」
「黒船以来、江戸は外つ国に振り回されてきましたが……近頃の江戸の様子がおかしい。まだ情報が来ていないだけで、すでに落ちていてもおかしくありません。
そして、政が変わるのならば、これまでの比にならない開拓をするのでしょう。
特にここはロシアが他のどの外つ国より近く、目に見える脅威として対策を急ぐ必要があります。
理学に基づいた守りを置くならば、外つ国の形に揃えた兵を置けは済む話です。
ですが、理学の及ばぬものに対してはそうではない。
カムイと巫術とともにあり続けたこの地に、他の何を持ってこようと馴染まない。人間の寿命程度では見掛け倒しにすらならない。
ならば、この地に由来する。新たな存在を作ればいい。アイヌモシリの民も、和人も、これからここに根付くものにも使える、新しいものを。
おっかさんが己が血を、おとっさんに使ったように。僕はこの血を使いたいと思ている。
――そして、その隣にエプンキネがいてほしいと思っている」
そう言い切ってみせれば、おとっさんが「血を使う、か。やっぱりこの子はあなたの息子だよ、みつ」と笑う。
おかっさんはぐぬぬという顔をしたが、「一度休憩をいれよう。何を判断するにしても、頭を冷やしてからのほうがいいからね」と立ち上がった。
「お茶を入れなおそう。あとせっかくだから、羊羹も出そう。みつも手伝ってくれるかな」
誘われたおっかさんも立ち上がり、二人そろって姿が見えなくなったところで少しだけ気が抜けた。
「お疲れ様です。……羊羹って、たまに三郎がくれる、黒くて甘いお菓子ですよね、初対面の私に出していいものなのですか?」
「人を招くって言ったらおとっさん嬉々として小豆を炊き始めたからね。料理はおとっさんの入り婿の象徴だし、食べてってくれるとありがたい、かな……」
入り婿、と口にして思い出す。二人の結婚の経緯を。
それは黒船の少し前。おっかさんが、まだ、京の商家の三女だったころ。
婚約相手の父が倒れ、葬式を上げた後。代替わりしたその瞬間、遺言を無視して婚約破棄を一方的に通告してきたという。
「みつ、」
「あの人は私に流れるこの血の価値を理解していました。よくしていただきました。あの方の娘になるなら、あれと結婚してもいいかなと思いました。ですが、あの人は亡くなり、この血の価値を理解できぬ愚か者が家を継いだ。ついでに他所の娘にうつつを抜かして婚約自体をなかったことにする。
家同士の利益すらない今、愚か者の手垢がついたものを願う意味がありますか?」
絶縁以外いらぬ。
みつが告げた拒絶は、みつ以外の全てが凍り付いた。
当然だ。だってこれはいかに相手からむしり取るかを話し合う場だったのだからだ。婚約破棄の現場はあまりにもひどく、居合わせた家族皆がブチギレているというのもある。ただそれ以上に、己の結婚について何も言ってこなかったみつがどう思っていたかを初めて聞いたからなのだろう。結婚話を持ってきたおととさんですら凍り付いてるのがその証だ。
ちりりとした罪悪感がわいてくるけれど、これは好機だ。そう考えることにして、口を開いた。
「愚か者の力をそぐ目的で根こそぎ奪うことについては否定しませんが、私を憐れんでくれるというのなら、あの愚か者には関係ないものでほしいものがあります。」
欲しいもの、に反応しておととさんが「……言ってみろ」と口にする。
「研究用として私に渡されていた外つ国の黒い本。あれを正式に私にください。
それから、次の結婚話についてなのですが、婿を取ります。
相手をおととさんの配下につけるので、相手を選ぶ自由をください」
「いいだろう。……妻の遺言だからな。一回だけだぞ」
「ありがとうございます」
想定外だったらしい私の要求が通ると、皆に詰め寄られた。余りの勢いに固まっていると、おととさんが助舟を出してくれた。
「みつ、せっかくだから件の本を持ってきて披露しなさい。」
「はい、取ってまいります」
私は助舟に乗ってさっと立ち上がる。今話に出てきた本が見られるとあって、私を邪魔せずに通してくれた。その道を通って一度部屋に行き、本をとって戻ってくる。
見せやすい位置を陣取り、触ってはいけないと警告を出しながら包みを解く。
真っ黒で、署名もなく。彫り加工されているだけに見える本に、脈が暴れる。
「外つ国でも禁忌の、呪いの本です。この本は人を喰う」
「久々に現物を見たが、やはり触りたいとは思えんな。なぜこの本を希望した?」
「婿にします。おととさん。先程の言葉。違えませんよね?」
「……あっ、ああ!男に二言はない!」
おととさんのその宣言を耳にして、一緒に持ってきた宝珠を手に、祈り文句を口にする。
「おきつねさまおきつねさま、対価を差し上げます。私に力を。」
手の中の宝珠は消え、きつね耳としっぽが生える。
それらを確認して、残る4つの宝珠を本の四隅に置き、血を一滴垂らして本に触れれば。宝珠と血が本に吸い込まれ、方陣が浮かび上がる。
光を放ち、何かがごっそり引き出されるのと引き換えに、外つ国の髪色をした一人の男が、そこに現れた。
「……久しぶりだね」
「なぜ起こした。結婚話があったんじゃないのか」
「ああ、それなくなったのよね。だから婿にしようと思って」
「は?」
「考えたのです。あなたの呪いをどうにかする方法を。
解くことができぬなら、新しい役割を与え、鎮め、変えてしまえばいい。」
神が人を娶るときに神に近くなるなら、人が人外を娶る時には人に近くなるはず。
その考えのもと、みつはこう口にした。
「私と結婚いたしましょう」