それは私であって私じゃない
第5回書き出し祭り提出作品です。
聖女が歌う西の教会、巫女が舞う東の神楽殿、魔女が癒す北の森、歩荷が運ぶ南の山脈、かつて守り人が守っていた中央の泉――この世界の神々が創りし象徴を、当代聖女である彼女――通称・簒奪の聖女は模型のように眼下に収めていた。
おかしいですわね。わたくし礼拝堂で聖女の務めをこなすべく数刻は歌い続けていたはずですのに。
明日からの学園生活を前にいつもより念入りに歌っていた彼女は過去のループでも辿りついたことのない場所でそう呟いた。
この世界は聖女選定の儀前から八年間をループしている。
忘れたり思い出したりを繰り返しながら今を生きる彼女は、初めてのはずのこの場所で無意識に深く息を吸った。
吐き出されるは聖女の歌の中で最も難しく、最も効果のある歌だ。
1曲分丸々歌い切ると、背後から拍手が齎された。
「その歌、とても綺麗に歌い上げるのね。でも」
「“あの子の方がもっと綺麗に歌っただろうに”ですの? 女神様……――っ!?」
振り返ろうとして動きを止めた彼女に、拍手を送った人物は人離れした綺麗すぎる顔で笑った。
「そうよ、私は西の教会の女神。わかるものなのね」
心底嬉しそうな女神の声に、安心して彼女はゆっくりと振り向いた。
「あなたはどうしてここに呼ばれたと思う?」
「存じてはいけない情報を存じていた――辺りかと存じますが、いかがでして? 女神様」
聖女の意味を忘れられた教会で簒奪の聖女として君臨する彼女は、その身を守る情報を他者に預けず自分で握っている。故に迷いなく言った彼女に、女神は「例えば?」と返した。
「――“この世界はループしている”」
女神の瞳をじっと見つめて返答を待つと、困ったような、複雑な溜息と共に是が返ってきた。
「ループの記憶は、あってはならないモノ。記憶を一度全て消して支障のない記憶のみを戻すことにしたわ」
想定外の言葉を投げかけられ、彼女は動きを止めた。
「安心して。記憶喪失になる訳でもないし、このループを生きる上では問題ないわ」
女神はそう告げたが、彼女の答えは否だった。
それは私であって私じゃない。
声もなく呟かれたその言葉は女神の言葉を止めるには十分だった。
「たとえ今回のループに支障が出なくても、数多の苦い記憶も、手に負えない感情も、全てわたくしですわ。渡すわけには参りません……!」
「でも今のあなたは、この世界に与えるダメージが甚大すぎる……! ループ脱出前に世界が壊れてしまう。それだけは、駄目なの……!」
譲らぬ主張に、何かが爆ぜる音がした。やがて過激な音になり、互いの瞳の色が変わり――やがて覚悟を決めたような息を吸う音が木霊した瞬間、手を叩く音が耳元で響いた。
「展開が気になるところですが、ここから先は有料だよ」
ここを見ている外の部外者に向けられた一方的な宣言が、一発触発の空気を打ち砕くついでに二人を目の前に呼び寄せていた。
重要かなと思って語り部していたけど、やめていいかな。
そう思いながら張本人を見上げると、彼女の警戒した視線が私達を捕らえ、困惑の色を宿した。
世界のジオラマしかなかったあの場所から、世界を監視するように映す額縁や大振りのソファなどの異様な場所に突然連れて来られたら誰だって困惑する。
女神も呆れたような声を吐き出した。
「あなたはこの世界を鑑賞するだけだったはずよ?」
「……干渉したわけではないし、あの場所で実力行使しようとした二人をこちらに呼んだだけよ」
張本人は大げさに竦めてみせると、女神は嫌な顔をした。
彼女が「どなたでいらっしゃいますの?」と尋ねると、一応協力者だと返した。
「神だから協力神と呼ぶべきかしら? 世界維持に力を貸してくれる代わりに、ループを見たいという変わり者よ。そっちの少女は協力神が連れてきた子で、協力神が不在の間に見ている観測者ですって」
「好きに呼んで下さい、聖女様」
努めて明るく言うと、協力神は「お茶にしましょう」と拗ねた声で呟いた。
「ここならあの場所と違って外の野次馬に漏れることはないし、仮に再び実力行使になってもあの世界には影響はないわ。そこだけは誓約するわ」
協力神がそう言った途端、何かが縛られる音がした。
「ここがあの世界に全く影響を及ばさない世界だとしても、知らなければ警戒を解けないでしょう?」
協力神は彼女を安心させようとしたが、彼女は四人の中で異質なのは自分だと認識するに終わってしまい、私は溜息を吐いてテーブルに置いたままの茶葉缶に手を伸ばした。
「お待たせしました」
私は思いつく限りの毒対策をした上で目の前で毒見をしながらお茶を差し出すと、彼女は礼を言って受け取ってくれた。
神達にはドン引かれたが、毒や罠に警戒している彼女にお茶を出すのならば、まだ足りてない。
女神にもお茶を出し、協力神にも出す。女神が一口飲み、穏やかに一息ついたのを見て、確認を終えたらしい彼女も一口飲んでくれた。
ただ、協力神だけは一口飲んで顔をしかめた。色水に文句がある模様。
彼女から何か言いたげな視線が向けられたが、私も色水だと返した。
「ところで、何故ループの記憶を消しているのですか?」
ループ脱出なら記憶を持っていた方が有利なのでは?と気になっていたことを聞いてみると、彼女からも視線を向けられた女神が口を開いた。
「ループとは巻き戻しが一定の期間で繰り返し発生してしまう現象よ。
致命的なモノを回避する最終手段でもあるけれど、巻き戻すということ自体が世界を滅ぼしかねないダメージを与えるわ。」
「もし記憶の一つでも持ち越しに成功してしまった場合、通常の巻き戻しよりダメージが増えてしまう。既に何度も記憶を持ちこしている貴方はダメージが桁違いよ」
ダメージを軽減しようとループの記憶を消しているにも関わらず、不完全だったり無意味だったり思い出し続ける彼女に、女神はいつも頭を抱えていたことを思い出す。
「遂に呼び出したと聞いて来てみたらお互い譲らずの実力行使寸前で吃驚したわよ」
「それで冒頭に至る、と。……致命的なモノを回避する手段は巻き戻し以外に無いのですか?」
苦笑いする協力神に、私は納得しながら逃げの話題を口にした。簒奪の聖女は、それ位では揺らがない。
「外部の人を入れるのが打開策としては一般的かしら。ループを始めてしまった時点で投入を試みたものの、悉く妨害されて既に危険な状態だわ」
外から人を入れたとしても望む結果になるとは限らないし、逆に滅ぼすこともある。
だが妨害は聞いてないと協力神が睨むと、女神は苦々しく口を開いた。
「転生は何をしても死産してしまうし、転移に至ってはこの世界に着いた途端に肉体が爆散するわ。残された魂は分解されて私の所に還ってこなかったわ」
協力神はあまりの酷さに頭を抱えながら溜息を吐いていると、彼女はどういうこと?と言いたげな視線を送ってきた。そんな彼女に、協力神はあっさりと神事情をぶちまけた。
「彼女以外のあの世界の神は、ループし始めるより前に行動不能になり眠っているわ」
全く言う気のなかったらしい女神が、協力神の胸倉を掴んだ。しかし彼女の瞳はそれを見ることなかった。瞳が切り替わったからだ。
頭を急速回転して交渉に挑む簒奪の聖女の象徴と言えるような瞳は、神たちを全く映すことはなく交渉のカードを作りだした。
「魂もしくは精神のみを他の器にお入れした場合、どうなりますの?」
「元の器に入っていた精神が肉体を全て明け渡し、入る側もその器で動くことを受け入れれば理論上は可能よ」
静かに交渉を突き付けられた神達は、勢いを削がれて呆然と顔を見合わせた。
「……可能でございますのね?
……女神様、ここに都合の良い器がございますわ。わたくし、これからも何度でも思い出す自信がありましてよ。
記憶がある限り、わたくしはあの子をお守りします。けれど女神様の望みは、そうではないのではなくって?
ですので、わたくしの器を差し出しますの」
記憶は差し出せないが、身体なら差し出せる。そう告げる彼女に、女神ははっきりと顔をしかめた。
「わたくしはあの子に生きていて欲しく存じます。けれどそれではループを出られるとは限りませんわ。
わたくしが器を差し出すことによって新たな可能性を得られるのならば、わたくしはそれに賭けたく存じます」
「面白いわね。可能にするために力を貸しても良いわよ?
……対価は、貴方視点のループの語り部となること。貴方は一切干渉出来ない。けれどずっと見ていなくてはならない。何があってもそれを受け入れなきゃいけない。どうする?」
「それで女神様の負担が減るのでしたら、喜んで」
あまりの即答に、悲痛な顔をして女神は叫んだ。
「あなたは聖女よ、世界の住人なの! 私の庇護下よ!」
「御身はどなたにお守りいただけますの、女神様? わたくしはいつだって他者を守るように教えられて参りました。わたくし、女神様のこともお守りしたく存じます」
そう言われた女神は熟れた果実が弾けたような顔をした後、ボロボロと涙を零し、新たな名前を呟いた。
「あなたが協力者となるのならば、私はあなたの神様じゃない。そう呼んで」
嬉しさより悔しさを滲ませた涙一粒も、神と呼ぶに相応しき美しさだった。
けれど彼女は、慣れ親しんだ女神と言う単語を飲み込んで、新たな名を口にした。
ああ、これならきっと大丈夫。だから。
――さぁ、新たなループを始めよう。
1人で祈るだけのループではなく、2人で掴み取るループを。