5.沈没する車輪
「王子? だから……何を……言っているの、で、す、か……」
シンクフォイルの声が、だんだんと小さくなっていった。
そして、それに連動するかのように、みるみると顔が青ざめていった。
「大丈夫ですぞ、覚えているところから、仰って頂ければ良いのですぞ?」
マスケスが、優しい口調で促した。
「私は……私は、気付いたら雪深い森の中に居て……寒くて、村まで必死に歩いて……そう、そうしたらアルバに似た少女に助けられて……」
すると、唐突に、シンクフォイルが叫び出した。
「先生! アルバが! アルバが死にました!」
「やはり、混乱しているのですな……でも、大丈夫ですぞ、アルバ殿は大丈夫ですから」
マスケスは、肩をさすりながら、シンクフォイルを、なだめてやった。
すると、突然、今度は自信に満ちた表情になると、おもむろに懐から『王家の紋章』を取り出した。
「マスケス、これをどうするつもりだ?」
余りにも唐突だったため、マスケスは声が出なかった。
「マスケス! 聞いている? の……か……」
と、また、急に声のトーンが下がると、表情を歪ませていった。
あの時と同じだった。
アルバが死に、絶望に苛まれ、王子の記憶を宿した時と同じだった。
自身と王子の間を、行ったり来たりしていた、あの曖昧なシンクフォイルと同じだった。
「シンクフォイル殿?」
マスケスが、声を掛けるも、シンクフォイルは、虚ろな瞳をチラリと動かすだけで、何も応じなかった。
それどころか、体からは力が抜け、先ほどまで握っていた『王家の紋章』を、ポトリと落としてしまった。
「王子の記憶が薄れつつあるのですかな?」
マスケスは独り言のように呟いた。
「いや、記憶そのものが、全て抜け落ちていっているのですかな?」
マスケスは、シンクフォイルの顔を覗き込んだ。
もはや、瞳さえも動かず、鼻からは血が滴っていた。
そして、そのまま、シンクフォイルは、死んだように突っ立っている。
「我ながら、気の毒なことをしてしまいましたな……ですが、シンクフォイル殿、あなたのおかげで、半島の平和は、きっと約束されましたぞ」
マスケスは、シンクフォイルに降り積もる雪を払ってやった。
「立派にやり遂げたのですぞ! さすがですな! ですが、こんな結末では、あんまりですな。
民のために正義を貫き、王となるべく研鑽した結果、自身は忘却の彼方へと沈んで行くなんて、酷すぎですな。
シンクフォイル殿、あなたに非はありませんぞ。
なにもかも、全ての責任は、このマスケスにあるのですからな。
であるのなら、せめて、できることは致しましょうな。
そう、せめて、安らかに……シンクフォイル殿、どうか、安らかに」
そう言って、マスケスは、ゆっくりとシンクフォイルの元へ近寄っていった。
そして、懐から『年輪の仮面』を取り出すと、仮面の表面を外側から中心に向かってスルリと撫でた。
「今度は、のんびりと生きなされ」
すると、それをシンクフォイルの顔に当てがった。
「先ほどの神父様ですぞ。穏やかで、とても正義感の強い人でしてな。どことなく、シンクフォイル殿に似てましたからな、きっと、王子よりも馴染むはずですぞ」
マスケスが話し掛けている最中も、『年輪の仮面』からは、スルスルと根が張っていき、あっという間にシンクフォイルを包み込んだ。
そして、仮面の輪が中心部分へと、吸い込まれていることを確認すると、マスケスは、亡くなった神父の顔を思い浮かべた。
「新しい人生ですぞ。今度は誰にも利用されず、幸せに生きてくだされ」
マスケスは、願いを込め、シンクフォイルに向けて、幻導力を解き放った。
と同時に、シンクフォイルの顔からは、『年輪の仮面』が、ポロリと剥がれ落ち、新雪に沈んでいった。
それはまるで、シンクフォイルの人格そのものが、真っ白い雪に溶け込むかのようであった。
「さて、神父様。そろそろ、お戻りにならないと、風邪を引いてしまいますな」
マスケスは、『年輪の仮面』と『王家の紋章』を拾い上げると、神父に戻るよう促した。
それは、マスケスの都合だが、神父となったシンクフォイルへの気遣いでもあった。
「そうですね。冷え込んできたので、そろそろ戻りましょうか」
そう言うと、何かに疑問を抱くそぶりも見せずに、シンクフォイルは、そそくさと丘を下って行った。
マスケスは、シンクフォイルが、丘を下りきるまで、その後ろ姿を眺めていた。
「何度見ても、不思議なものですな。でも、これで穏やかに暮らせるのであれば、報われますかな?」
マスケスは、そう呟くと『王家の紋章』を墓穴に投げ込んだ。
そして、寒さでかじかむ手で、土を被せていった。
『ヴォーアムの王子、安らかに』
マスケスは、碑文を刻み終えると、一度だけ墓石に手を合わせた。
「こんなもんですかな? まあ、神父には申し訳ないですが、これも、半島の平和のためなら、了承して頂けるでしょう」
マスケスは、ぼそりと呟くと、ゆっくりと、立ち上がった。
「さて、残りはヴォーアムだけですな。どうしますかな? 一度帰国し、アルバの様子を確認でもしますかな? いや、その前に、クリニカ王への報告が先ですかな? うーん……」
ブツブツと独り言を言いながら、マスケスは、真っ白な雪を踏み締めながら、丘を下って行った。




