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火曜日の少年  作者: 糸尾文伽
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 五月の連休が明けても、鍵は箱に入ったままだった。

 毎回確認する癖が付いてしまった自分に、さつきはいささかげんなりする。いっそ忘れてしまいたいのに、ついつい気になって箱を覗いてしまうのだ。

 不可解なことに、今度こそ無くなっていてほしいと思う反面、おそらくまだ残っているだろうと確信している自分もいる。結果的にその予想が外れたことはなかった。取りに来てほしくないわけでは、決してないのに。

 無機質な光沢を放つ、「S」のキーホルダー。細かな傷がいくつも付いた、ありふれた自転車の鍵。

 それは、さつきの脳内に楔のように打ち込まれたまま。ずっと、箱の中に鎮座していた。




 チャイムが四限目終了を知らせると、教室はにわかに騒がしくなる。

 お弁当を持参した生徒は仲の良いグループでまとまり、購買へ向かう生徒が足早に教室を出て行く。四月のうちはどこか余所余所しさがあったさつきのクラスも、今はすっかり打ち解けた雰囲気になっていた。

「てかさぁ、テスト、マジで嫌なんだけど」

 席の近い女子たちとお弁当を広げていたさつきは、クラスメイトの嘆きに深くうなずいた。

「わかる、ほんとそれ。中学より教科多いし、ヤバくない?」

「もう勉強してる?」

「まっさか。全然やってないって」

 他の女子も、箸を動かしながら口々に同意する。

 中間テストは五月末である。あと二週間と少しだ。まだテスト期間には入っておらず部活動も通常通りだが、高校に入って最初のテストということもあり、皆なんとなく周りの出方を伺っている雰囲気がある。図書館で自習する生徒も、徐々に増えつつあった。

「順位とか出るのかなぁ、学年で何位とかクラス内で何位とか」

「科目ごとに出るって聞いたけど」

 さつきが答えると、えーやだぁ何それ、と波紋が広がる。

 さすがに廊下に貼り出されたりはしないが、テスト終了後に貰う成績表には科目ごとに順位が載るようだ。受験コースや内部進学コースなどに分かれていて学年全員が同じテストを受けるわけではないので、何人中何位、という形で表示されるらしい。成績上位の生徒は優越感に浸れるかもしれないが、うっかり最下位でも取ってしまった日には、きっと成績表の存在自体を抹消してしまいたくなる。

 どんよりした空気が漂ったところで、友達の一人が「そういえばさ」と言い出した。

「うちのクラスさ、他より人数少ないじゃん?」

「あー、それ謎だよね」

 別の女子が相槌を打つ。

 さつきのクラスは39人という中途半端な人数である。他のクラスが40人もしくは41人という人数だということを知った時は、首を傾げたものだ。クラス編成の時に何かあったのだろうかと思ったが、わざわざ担任教師に聞くほどの興味はなかったので、結局謎のまま一か月が過ぎていた。

 皆の顔が好奇心に彩られたのを見て、クラスメイトは意味深に人差し指を立てる。

「隣のクラスの子から聞いたんだけど、ほんとはもう一人いたらしいよ」

「えっマジで?! どういうこと?!」

「ちょっとーやめてよ、怖い話じゃん!」

「違う違う、ホラーとかじゃなくてガチの話!」

 途端に甲高い声を上げ始めた女子のグループを、近くにいた男子たちが怪訝そうに見てくる。気になって、さつきは知らず知らずのうちに身を乗り出していた。

「その子、部活が一緒なんだけどさ。西中の出身なんだよね」

 西中、というのは青柳学院高校の近くにある公立中学だ。私立なので出身中学にそこまで偏りはないが、西中からは毎年必ず何人か入学してくるという。やはり、通学時間が短いというのは進学先を選ぶ際の大きなポイントなのだろう。

「うちのクラスにはいないよね、西中って」

「それが、実は『いた』ってこと」

 隣のクラスの西中出身の女子生徒は、入学式で驚いた。いるはずの生徒が一人、「いなかった」からだ。

 それは、同じ中学から、晴れてこの高校に進学を決めていたはずの同級生で。


「卒業式の直後にね。交通事故で、亡くなったんだって」


 彼女がそれを知った時には、既に葬儀も終わっていた。

 そこまで親しい間柄ではなかったので、入学式に他の友人から聞かされるまで知らなかったのだ。

「じゃあ、その亡くなった子が、うちのクラスだったってこと?」

「たぶんね。人数考えたらそうとしか思えなくない?」

「男子? 女子?」

「男子だって。けっこう頭のいい子だったみたいだよ」

 成績はいつも上位で、生徒会役員もやっていた優等生だという。だから、そこまで親しくない同級生でも顔と名前は知っていたのだ。

「なんか……すごいかわいそうだね」

 一人がぽつりとこぼした。

「せっかく高校決まってたのに、一日も来れずに事故で亡くなるなんて……」

 皆が黙って頷く。さつきも同感だった。

 辛い受験勉強を終えて、中学を無事に卒業して。いよいよ高校に入学という、希望に溢れた未来を突然に断たれたとしたら、無念極まりないだろう。本人も、家族も。

「なんて名前だったのかな、その子」

「えーっと、何つってたかな。聞いたんだけど」

 うーん、としばらく唸っていたクラスメイトは、やがてぱっと顔を上げた。

「思い出した。中尾くん、だったと思う」

「中尾? それが名字?」

「うん。フルネームはたしか、中尾柊一郎」


 ――なかお、しゅういちろう。


 あの日、拾ったキーホルダーの感触が蘇る。

 青いプラスチックの「S」。あれが、名前のイニシャルだとしたら。

 西中の出身者なら、自転車通学も可能だろう。そのくらい、この高校からは近い。


「どしたの、箸止まってるよ」

 友達から声をかけられ、さつきは急いで「ううん、なんでもない」と笑った。

 いるはずだったクラスメイトの話は、まだ続いている。

「でもさ、ほんとに未練残るよね。あたしだったら絶対悔しいもん」

「だよね。ふらっと出てきちゃいそう」

「だーかーらー、やめてってば、そういうの」

 怖がる声にも、なんとなく覇気がない。皆、さすがに他人事とは思えないのだろう。中学の卒業式なんて、まだほんの最近の話だ。

 ――ふらっと出てきちゃいそう。

 わざとおどけたようなクラスメイトの言葉が、耳の奥にこびりついて、離れなかった。

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