a、事件の定番、使い古された文句
小説を書いているときは「文字が足りない……」と、まるで野菜不足のように文字不足を感じて読書をすることがままある。たくさんの文字を外に出すと、その反動で文字を吸収したくなるようである。だが今回はただ単に読書の波が来たようで、主にアガサ・クリスティ女史の作品を読んでいた。
手始めに名探偵ポワロが活躍する「邪悪の家」から入ったが、それまでほとんどクリスティ作品に触れてこなかったので、馴染むまでに少々時間がかかった。現在までに読んだハヤカワ・ミステリ文庫のクリスティ作品は、
・邪悪の家
・スタイルズ荘の怪事件
・ABC殺人事件
・シタフォードの秘密
・黄色いアイリス
・火曜クラブ
・アクロイド殺し
・復讐の女神
・もの言えぬ証人
・ゼロ時間へ
・カーテン
・書斎の死体
の十二冊。おおよそ上記の順番で読み、現在進行形で読んでいるのは「ひらいたトランプ」である。読書の勢いがなくなってきたので、もしかしたらこの作品で読書の波がおさまってしまうかもしれない。有名どころの「オリエント急行の殺人」「そして誰もいなくなった」「パディントン発4時50分」はテレビドラマなどで内容を知ってしまったので読む予定はない。しかし読んだあとで映像作品を見ると、いかに想像力が乏しいのかを痛感する。自分は細かい想像をしながら文章を追ってはいないのだなと改めて思うわけで、ほとんどは文章の上を目が滑っているだけなのかもしれない。五感のうち視覚から受ける情報が八割ないし九割と言われているくらいだから、映像というのは本当に強烈な情報だ。
「書斎の死体」を読む頃にはすっかりクリスティ作品に馴染み、かつ魅力的だと思うようになった。一読したのみで語るのは恐縮でもあり、また、ほかの推理小説にどういったものがあるのか詳しく知らない。だがクリスティの作品は人間模様というのか、人間の感情や心理が巧みに表現されていて、すごいなぁと感嘆する。クリスティ作品は人間心理に寄った描写や事件構成がうまいのだなと。
それからまえがきで、定番の要素というのか、そういったことを作者が語っているのも印象深かった。「書斎の死体」を読むまで知らなかったのだが、書斎の死体、という要素は定番中の定番なのだとか。自作で知らずにその要素を使っていたので、知ったときはなんというか、驚きと、少々の恥ずかしさと、反省と、納得が入り混じった気持ちだった。真顔で「マジか」とつぶやく感じでもある。こうしてミステリーや本格推理小説のことを深く考えない者、あるいはそういった話を書こうとしている初心者でも、小説の中に要素としての「書斎の死体」を盛り込むのだから、やはり思い付きやすい、場面として映える画の定番なのだと感じた。作中でも「書斎の死体なんて小説の中だけの話だと思っていた」というようなことが語られており、八十年近く前の小説であってもすでに推理小説の定番があったと思うととても興味深い。ひとが考えることは、いつの時代も似通っているものなのだろう。
「ゼロ時間へ」においては、推理小説で序盤に殺人が起こりすぎだ、みたいなことを作中の人物が語っていたが、これもまた自分がやってしまった要素で、やっちまった……と額に手を当てる心境だった。話の起承転結において、印象の強いものを序盤に配置するのは読者の興味を引くための常套手段で当たり前というのか、それが殺人事件の死体ともなれば尚更印象深いわけだが、そう考えること自体が安直だったのだろうなと反省。
しかし「書斎の死体」同様、こういった要素が、使い古された文句、定番であることを、小説を書くときに知らなくてよかったとも思った。知っていたら、逆にそうならないように考えようとして、かえって中途半端なことになっていたような気がするのだ。先例を踏襲することは悪いことではないし、結局は話が面白ければいいのかなとも思うわけである。その「話を面白くする」のが一番難しいわけだが。
クリスティ作品はたくさんあるので選ぶときに背表紙のあらすじを指標にしているのだが、「アクロイド殺し」に関しては読まなければよかったと後悔した。当時、そのトリックに関してフェアかアンフェアか論争が起こった、と書かれていたが、この一文で構えてしまったというか、もしかしたらこうなのではないか?という疑った思考が生まれてしまい、かつそれが当たってしまった。が、訳者の文章は非常に読みやすく、それまでに読んでいた作品よりもすんなりと馴染み、自分の文章を読んでいるような親近感を覚えた。
いまでこそそのトリックはカテゴリー化され、トリックのひとつとして認識されているが、当時は革新的で、ほとんどのひとは度肝を抜かれたのかなと思うと、その当時に読んでみたかったと羨ましい気持ちである。こういったことをひとつ取っても「推理小説におけるトリックの種類別体系、登場した時代と当時の人々の反応」みたいな感じで論文が書けそうである(そしておそらく既に存在していると思われる)。
話として特異だと思ったのは「復讐の女神」だった。事件の全容が三分の二くらいまで読み進めてようやく掴めるのだが、それにしても事件の断片を探る過程で退屈を覚えなかった、とても不思議な話だった。ふつうなら事件なりその事件解決の依頼なりがあり、その事件の概要が語られるものだが、この「復讐の女神」は事件解決の依頼こそあったが、事件の概要も、なにをすればいいのかも示されない。かろうじて、どこへ行くのかを示された程度である。話の構成が画期的だと思ったし、退屈を感じさせない話の運び方にも驚いた。しかし何故退屈に感じなかったのかは、理論的にはわかっていないし分析もしていない。
こうしてクリスティの作品を十二冊読んだが、ほとんど犯人がわかった試しがない。「アクロイド殺し」はメタファー的に勘付いてしまったものの、トリックを見抜いて論理的に犯人がわかったことはなく、ポワロの相棒のヘイスティングズ以下の思考力だなと自嘲するばかりである。ミス・マープルが作中で散々「ひとのことばを簡単に信じるな」と苦言を呈しているというのに、私はどうしてもすべてを鵜呑みにしてしまい、誰が怪しいのかも、なにが怪しいのかも、なにを拠りどころにして考えればいいのかもわからず、文章を読み進めるしかなくなってしまうのである。
本当に、推理って難しい。




