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内省随筆  作者: 近藤 回
本章

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4、作り手の意図、受け手の解釈

 音楽でも、小説でも、絵画でも、作り手と、ほとんどの場合は作り手が手掛けたものをなんらかの形で受け取る受け手がいる。作り手はいろいろなものを生み出し、商業でも個人でも関係なく、そこにいろいろな意味を、思考や感情やそのほかを、意図していなくても込めていると思う。あるいはそれが希望からくるものでも打算からくるものであっても、作られたものにはほとんどの場合、存在意義がある。誰かの思惑が潜んでいる。


 しかしどんなに意図的な狙いがあっても、受け手によってさまざまに解釈される。これは私自身が痛感したことなのだが、私は小学校の頃、授業で作った俳句が入選した。だが何故入選をしたのか疑問だった。私が作った俳句は確か、


「スイカ食べ うさぎと一緒に 星を見る」


 という感じだったと思う。こんな平凡な俳句が何故入選したのか、その頃の私はついぞわからず、なんとなく嫌で表彰式も欠席した。


 そのことに気付いたのが何年後だったのかは覚えていない。が、私は唐突にこの謎が解けた。私は小学生の頃、うさぎを実際に飼っていた。前述の俳句は、現実のことをすこし脚色してことばを並べただけのものだった。スイカはあまりすきではなかった。しかし、私の推測ではあるが、審査員はこれを別の意図として捉えた。


「スイカ食べ (月の)うさぎと一緒に 星を見る」


 と解釈したのだ。こう解釈すると途端に場面がロマンチックになる。

 縁側で蚊取り線香を焚きながらスイカを食べていると、夜空にふと満月が浮かんでいることに気が付く。満月はあたりを煌々と照らし、そこに住んでいるうさぎは瞬いている星々を見守っている……みたいに解釈したのではないだろうか。講評などは見ていないのでわからないが、私はこの推測で大いに腑に落ちた。

 同時に、作り手の意図しない解釈をされてしまうのだなと、がっかりもした。この場合、この俳句にはなんのテーマもメッセージも込めていないので落ち込みはしなかった。しかしこころを込めて作ったものがもし、あらぬ誤解や解釈をされてしまったらと思うと、恐怖が湧くし悲しくもなる。


 もちろんテーマやメッセージは、作られたものの根幹を成し、どんなものよりも大事であることは重々理解している。そういった話のほうがひとに伝えやすくもあるだろう。私は自分の小説に明確なテーマやメッセージを見付けられなかったばかりに、あらすじを書くのにひどく苦労した。読み手を(ほとんど)意識していない場合、こういった弊害がでるのだなと、なるほどなぁと納得した。


 しかし解釈は、受け手の数だけ存在する。

 それを思うと、空虚な気持ちになった。

 それは、きっと私もしていることだ。数えきれないほどしているはずだ。


 つい先日、「Better Day to Get Away」(2018、brainchild's)という曲をたまたまラジオで聴き、のちに購入したが、聴けば聴くほどすごいと思った。歌詞が、あの文章の短さで、いろいろな情景が私の中に浮かんできたのだ。英語の部分は、英語が苦手なこともあってわからないが、本当に、あれだけで表現できるというのがすごい。もちろん曲の長さに左右されてしまうところもあるだろうが、説明ではなく情景を伝えるというのは、俳句や短歌に通じるところがあると思う。文字をこれでもかと詰め込んでしまう割には五感の描写をちょくちょく忘れる私とは真逆だ。曲調は、いままで私が聴いてきたものとはまったく違うもので、この曲は私の中に“カッコいい曲”という新たな概念を生み出した。


 しかし前述した通り、間違った解釈をしているのかなと思うときがある(常に思っているわけではない)。かと言って、作り手として、受け手の解釈にすべてを任せるような演劇「ゴド―を待ちながら」(1952、サミュエル・ベケット作)の如きスタンスにもなれず、本当に難しい。結局のところ、いろいろなことが勘違いで成り立っているように感じた(例に挙げたが「ゴド―」は概要を知っている程度)。


 私は小説を書き終わってから、小説はある種の「箱庭療法」だったのではないか、と思ったことがある。書いた内容のあれやそれやこれは、自分の好みで、願望の現れで、こころの叫びであることを否定することは不可能だ。実際、自分が感じたことを登場人物に語らせてもいるし、自分のこころを整理するために彼らを利用した節がある。


 そして懸念がひとつ。

 読み手がそういったことを勘繰りはしないだろうかと、不安になる。物語を純粋に楽しまず、受け取らず、この作者はこれが好みなのだ、こういったことに変に固執しているのだと思われないか、時々悩んでしまう。どこかしら偏っているのは当たり前で、そういったことを勘繰らせてしまうほどに詰まらない話を書いてしまっていたのなら話は別だ。だが、物語の向こうにある作り手の、人間としての傾向を変に勘繰られるのは、気持ちが悪い。作り手の人間性を理解するのと違うのはなんとなくわかるが、なにが違うのかまではわからない。


 根本にあるものが肯定か否定か、だとするのなら、否定をされたくない、ただそれだけのことなのかもしれない。

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