思いがけない再会2
榮子は一連の出来事を詳しく聞きながら、笑みを浮かべた。翌日、榮子にその後のことを聞かれたためだ。
「海に行きたいと言い出したときは驚いたけど、結果的によかったね」
「榮子のお蔭だと思う。ありがとう」
「少しでも役に立てたのなら、よかった。何か、放っておけなかったんだよね。二人とも。余計なお節介にならずにすんでよかったよ」
彼女はペットボトルのお茶を口に運んだ。
「これからは自分たちで頑張らないとね」
「たちっていうか、わたしがだよね」
「そうだね」
榮子は苦笑いを浮かべると、頬をかいた。
「バイトは週に三、四日?」
わたしは頷いた。
「だったら、バイトのない日にでも誘ってみたら?」
「そのつもり。でも、来週くらいまで待つことにするよ。あまりしつこく誘っても迷惑になりそうだもの」
「唯香がそれでいいならいいんじゃないかな」
彼女は優しく微笑んでいた。
「唯香、榮子、英語のプリントを出して」
そう声をかけて着たのはクラスメイトの田岡広佳だ。
「今日提出だっけ?」
榮子は鞄からプリントを取りだすと、広佳に渡した。
わたしはそのプリントを見て、我に返った。
「家に忘れてきた」
「今日も? どうするの? 何人かやってない子もいて、部活に行く前に出そうと思っているけど」
広佳は目を見張った。先週、英語の課題が出ていたのだ。今日は英語の末田先生が出張で戻ってこないため、学級委員の広佳が集めることになっていた。
彼女の言葉を示すように、何人かのクラスメイトが必死にプリントと向き合っていた。
「取りに帰っていい?」
「いいよ。唯香の家近いし、部活の途中で出しに行くよ」
「ありがとう」
わたしはほっと胸をなでおろした。
ホームルームが終わると、わたしは真っ先に家に帰ることにした。
家から学校までは歩いて十分足らずだ。そのため、七分ほどで家に到着した。
鍵は開いていて、リビングにも電気がともっていた。お母さんがいるようだったが、わたしはまずプリントを探すために部屋に直行した。
机の上に重ねた教科書の束の下に、折りたたまれたプリントを発見した。
わたしはそれを手に玄関先に戻った。
ちょうど、お母さんがリビングから顔を覗かせた。
「どうしたの?」
「英語のプリントを忘れちゃったの。今から学校に戻るところ」
「電話してくれたら持っていってあげたのに。それなら途中まで送ってあげるわよ。どうせ今から買い物にいくところだったのだから」
「ありがとう」
お母さんはすぐに車の鍵とバッグを持ってリビングから出てきた。そして、お母さんと一緒に車に乗り込んだ。学校の前まで送ってもらうのは気が咎めたため、近くのわき道を入ったところでおろしてもらうことになった。
わたしはふと手元のプリントに視線を落とした。そして、何気なくそれを開いてみた。同時に血の気が引くのが分かった。
ちょうど車が目的地に着き停車した。
「唯香? 降りないの? 学校まで行く?」
「ありがとう。おりる」
わたしは慌てて車を降りるた。
「後で迎えに来ようか?」
「大丈夫。歩いて帰れるよ」
お母さんはわたしの言葉に会釈し、すぐに車を走らせた。お母さんの乗った車がすぐに見えなくなった。
わたしはプリントの最後の問題を解いてなかったのだ。
翌週まで待ってもらえるということで、日曜日にしようと思っていたが、昨日は川本さんに会えたことでいっぱいいっぱいでプリントのことなど完全に忘れてしまっていた。
長文を読み、空欄を埋めるもの、内容理解を問うものが最後の問題だ。
英語は得意なほうだ。今からさっと読み、考えながら学校に行けば解けるだろう。そう思い、目を走らせるが、焦る気持ちが先立っているのか内容が十分に入ってこなかった。
「何やってるの?」
わたしは聞き覚えのある声に顔を上げた。そして、プリントを握る力を込めていた。
「川本さん、どうしてここに」
「それより、プリントがくしゃくしゃになるよ」
そう言われてやっと手の力を緩めた。
「この近くの本屋で問題集を買っていたんだ。で、たまたま君を見かけたというわけ」
彼は手にしてた書店の袋をわたしに見せた。
「何かあった?」
「いや、あの、英語の問題が解けなくて」
手を差し出してくれた彼に、プリントを渡した。
彼はさっと目を通した。
「これって、問一はa、問二はb、問三はa、問四はc、問五はbだよね」
わたしは驚き、プリントを受け取った。そして、彼の言った答えと問題を照合する。確かに合っている気がする。彼はわたしの比でないほど、すらすらと答えてしまった。
「これでも受験生だからね」
彼は苦笑いを浮かべていた。
今日も問題集を買っていたし、おそらく彼はかなり勉強をしているんだ。受験をしないと言っていても。
わたしは口から出てきそうになった言葉を飲み込んだ。
「ごめん。俺が言ったらいけなかったね。これ、宿題だよね」
「そうなんですけど、今日出さないといけないもので、するのを忘れていて」
「俺がいうのもなんだけど、復習はしておくように」
「そうします」
「早く行ったほうがいいよ。じゃあな」
わたしは彼に促され走り出した。だが、すぐに足を止めた。
せっかく会えたのに、ここで別れるのは寂しい気がしたのだ。
勇気を出して、言葉を紡ぎ出した。
「今日はバイトですか?」
「今日は休み」
「だったら、一緒に帰りませんか? これださないといけないけど、すぐに戻ってきます」
彼は虚をつかれたような表情を浮かべた。
わたしはそこで我に返った。
彼が今から本屋に行くならともかく、用事を終えた後他校の前でさほど親しくないわたしを待ってほしいなど非常識にもほどがある。非常識な提案に自分の顔が赤くなるのが分かった。
「ごめんなさい。やっぱりいいです。また連絡します」
「いいよ。この辺りで待っているよ」
彼はそう目を細めた。
彼はただ優しい人なんだ。
そんな彼のやさしさに付け入ってしまった気がしたが、わたしはお礼を言うと、学校の中に戻ることにした。
プリントに答えを書きこみ、教室に入る。すると、広佳が英語のテキストとノートを広げていた。もう教室に残っているのは彼女だけのようだ。
わたしを待っていてくれたのだろう。
「ごめんね」
「気にしないで。どうせ予習しないといけなかったしね」
彼女はにこやかに微笑むとテキストとノートを手早く片づけた。
「もう大丈夫だよ」
「でも」
戸惑うわたしの肩を広佳は軽く叩いた。
「だってここで唯香を引き留めたら、あの人も困るでしょう?」
そう広佳はいたずらっぽく微笑むと窓の外を指さした。
「見てたの?」
「たまたまね。お詫びにその人の話でも聞かせてよ」
「話なんてできるほどまだ知らないから」
「言い訳はいいから、とりあえず行きなさい。待たせておくのはダメだよ」
わたしは広佳に促され、教室を後にした。
「あの人、めちゃくちゃかっこよくない?」
門の近くで女子生徒がそんな会話をしているのが聞こえてきた。彼女たちの視線の先にいるのは、川本さんだ。川本さんは視線に気づいていないのか無表情のまま空を見つめていた。
「誰か待っているんじゃないの?」
「でも、誰もいないじゃない。声かけてみない?」
「先生に見つかったら大変だよ」
「大丈夫だよ。近くにいないもの」
わたしは慌てて川本さんのところに駆け寄った。
彼をこんなところで待たせてしまった申し訳なさと、他の女の子と話をしてほしくないという気持ちからだ。