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思いがけない再会1

 わたしはあくびをかみ殺すと、机の上で顔を伏せた。

 またあの変な夢だ。

 だが、妙に懐かしい気がするのは気のせいなのだろうか。

 気のせいと問いかけた自らの言葉に、自嘲的にわかる。気のせい以外のなにがあるのだろう。


 こんなことを延々としていてもどうしょうもない。

 わたしにはわたしのやるべきことがある。

 まずは目先の宿題だ。明日までに英語のプリントを仕上げないといけない。


「そんなことより英語のプリントをしないと」


 そう呟き、ベッドから起き上がったタイミングを見計らったかのように、携帯が鳴った。飛びつくように確認したが、発信主は榮子だった。

 わたしは落胆を滲ませて、電話を取った。

 陽気な声が耳をかすめた。


「今日、遊びに行かない?」

「いいけど、どこに?」

「唯香の好きな場所でいいよ。日帰りできる範囲ならどこでも付き合う」


「どうして?」

「今日は一人でいたくないんじゃないかなと思ってね。つきあってあげるよ」


 わたしが断られた日ということを気にしているのだろう。

 ふっと潮の香りが鼻先をついた気がした。当然、気のせいであることも分かっていた。


 何かが頭の中に蘇りそうになる。その何かは分厚い不透明なガラスで覆われたように、その先を見ることができない。

 だが、その不鮮明なものに抗うように、わたしの唇から自然に言葉が毀れた。


「海に行きたい」

「海ってまだ寒いよ。まさか泳いだりしないよね」


「ただ見るだけでいいよ。だってあのときも」

「あのとき?」

「なんでもない」


 わたしは何を言おうとしたのだろう。そういえば夢でもそうだった。

 海を見に行こうと約束をして…「わたし」は行ったのだろうか。


 そもそもわたしがわたしかもわからないわけで。

 考えを巡らせていると、明るい声が届いた。


「いいよ。付き合ってあげる」


 そんなわけでわたしはそれから一時間後に待ち合わせをして海に行くことになった。


 地下鉄の駅を出ると、潮の香りが届いた。そこから歩いて数分のところに海があるため、わたしたちは歩いて海まで行くことになった。細い道を抜けた後、一気に広い世界が目の前に広がった。ここではない。そう分かっているはずなのに、心臓が大きく鼓動した。目の奥がじんわりと熱を持つのが分かった。


「やっぱり寒いね……」


 榮子は顔をしかめ、わたしの腕を掴んだ。

 わたしと海の間に入ると、腕を掴んだ。


「あそこでなにか食べよう。おごってあげるから」

「まだついたばかりなのに」

「急にお腹が空いたの」


 彼女の指した先には木造建築の家を改装したと思しき喫茶店があった。

 わたしは意味が分からず、彼女に腕を引かれた。

 そのとき、強い風がわたしの脇を抜けた。


 わたしは風に促されるように、後ろを振り返っていた。そして、一秒後目を見張っていた。


 そこには淡い水色のシャツを着た川本さんがが立っていたのだ。彼はぼんやりと海を眺めていた。

 わたしの足はおのずと止まった。

 榮子は深々とため息を吐いた。


「どうする? 話しかける? それともむこうでわたしのおごりで何か食べる?」


 彼女はデートの誘いを断られたということを気にしていたのだろう。

 それも断った日に、一人で海に来るなんて時間がないわけではなかったのだ。


「そうだね」


 本来なら避けてもおかしくないはずなのに、わたしには彼に冷たくされるという不安を微塵も感じなかった。挨拶だけでもしてくると言葉を綴ろうとしたとき、彼が振り返った。彼は目を見張った。


 彼は目を細めると、わたしたちのところまで歩み寄ってきた。


「偶然だな。彼女は友達?」


 わたしが返事をする前に、榮子がわたしと彼の間に割って入った。


「そうです。そもそもいいご身分ですね。今日はバイトじゃなかったんですか?」

「今からだよ。もう少ししたら行くつもり」

「だったら、それまで唯香に付き合ってあげればよかったじゃないですか」


 榮子は頬を膨らませ、彼を睨んだ。

 彼は榮子の冷たい態度の理由に気付いたのだろう。

 苦笑いを浮かべると、髪の毛に触れた。


「いや、昼からバイトなのに、遊びに行くなんて失礼だろう。どこかに出かけることもできないし」

「確かにそうだけど。それでも唯香はあなたに会いたかったんだと思います。だって、唯香はそうでもしないとあなたに会えないから」


 彼女は頬を膨らませた。


「榮子」


 わたしは彼女をたしなめた。

 川本さんは小さく声を漏らした。


「そうだね。悪かったよ」

「だったら一緒に帰ってあげてください。わたしは用事を思い出したので、一足先に帰ります」

「分かった」


 彼はすかさずそう返事をし、優しく微笑んだ。

 わたしの心臓が大きく震えた。胃の奥が妙に熱を持つのが分かった。


「じゃ、先に帰るね」


 榮子はためらうわたしの肩を軽くたたいた。自分とここで別れてしまうのを気にするなと言っているようだった。

 ここまでわたしのわがままに付き合ってもらったのに、彼女はそうしたことを微塵も感じさせなかった。


「この時期に海にくるのは珍しいね」

「なんとなく、そういう気分だったんです。川本さんも同じですよね」

「そうだね」


 彼は一度言葉を切った。そして、海に視線を投げかけた。


「俺、なぜかわからないけど、無性に海が見たくなったんだ」


 わたしは夢が原因だ。彼にもきっと何かがあったのだろう。その理由が気にならないといえば嘘になる。それでも、今、こうして同じ時間を共有できただけも幸せだった。


「これからバイトがあるから帰らないといけないんだ。君はどうする?」

「わたしも帰ります」


 わたしたちはそれから電車に乗り、近くの駅に戻った。その間、ほんの少しだけ話をした。お互いの学校についての話だ。こんなことがあったという他愛ない、きっと友達としたなら、すぐあとには忘れてしまうだろう。だが、きっとわたしは何年後もその会話を覚えているだろうという気がした。


 駅を出ると、彼のバイト先の近くで別れることになった。


「今日は一緒に帰ってくださってありがとうございました」

「いや、俺こそ、悪かった。君に会いたくないと思ったわけじゃないんだ。誤解されたままじゃなくてよかったよ」


 彼はそうさらりと言った。だが、わたしはその言葉に思わず反応してしまっていた。


 じゃあ、と去っていこうとする彼を呼び止めた。

 もう一度、勇気を出してみようと思ったのだ。


「いつでもいいので、ほんの少しだけでもいいから、また会いたいです」


 彼の顔がわずかに赤くなるのが分かった。


「分かった」


 わたしは顔がにやけるのを抑えながら、頭を下げ、その場を後にした。


 家に帰ると、榮子からメールが届いていた。わたしと彼がどうなったかを問うものだ。だから、わたしは一緒に帰ったこととまた会ってくれると言っていたと伝えておいた。榮子からの返事はすぐに届いた。彼女はわたしと彼とのやりとりをとても喜んでくれているように感じた。


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