不自由ない生活と自由なき生活2
わたしは店内を覗きこむと、ため息を吐いた。
今日は「はずれ」の日だ。
彼に出会ってから翌週の週末になっていた。
あれから毎日コンビニの前を通り、彼が店の中にいるか確認した。
平日は金曜日以外、彼を見かけることはなく、土日も夕方に入っていたようだ。
遠くからそれとなく見るだけなら、そんなに問題はないはずだ。
落胆を滲ませ家に帰ろうとしたとき、背後に人影があるのに気付いた。
わたしは思わず後ろにのけぞった。
そこには学ランを着たあの男の人の姿があったのだ。
「何か店に用?」
わたしはすぐに答えられなかった。
あなたに会うために毎日店を覗いていたなど言えるわけもない。
彼はくすりと笑った。
「まあいいけど、噂になっているよ。毎日、店内をうかがう女子高生がいると」
「噂」
さっと血の気が引いた。毎日彼がいるか確認をするので精一杯でそこまで考えが回らなかった。客観的に考えれば、かなり気持ち悪い人だ。
「自分に気があるとかないとか。変な誤解を与えたくないなら、あまり妙な行動はとらないことだな」
「気がある?」
噂の本意を悟り、わたしはほっと胸をなでおろした。
「じゃあ、何か」
「用というわけじゃないの。ただ」
わたしはそれ以上の言葉を紡ぎ出すことができなかった。初対面の人に何かを感じて付きまとっていたなんてストーカー以外の何物でもない。そもそも彼がわたしを見て驚いたというのもわたしの妄想だったのかもしれない。
「俺は川本義純。高校三年」
わたしは驚いて彼を見た。
「まずは自己紹介でもしようと思ってさ。少しでも俺のことがわかれば言いやすいだろう」
「大田唯香です。高校二年」
わたしは彼のやさしさに甘えるように、自己紹介を済ませた。
「一つ下か。もっと離れているのかと思ったよ」
彼はそういうと、優しく微笑んだ。
幼いと言われたのかもしれないが、不思議と嫌な気はしなかった。
「高校三年なのにバイトされているんですね」
「いろいろと生活していくからにはお金がかかるんだよ。それに大学に行くかは分からない」
「ごめんなさい」
わたしの学校は当たり前のようにほぼ全員が大学に進学する。そのため、就職という進路を今まで考えたことがなかったのだ。
「謝る必要はないよ。父さんが前の仕事をやめてからはずっとそんな感じだから」
彼は明るく笑った。
だが、彼のわたしを庇ってくれた言葉にも、胸の痛みを感じた。
お父さんが仕事を辞めたのなら、お母さんが働いているのだろうか。
どちらにせよ、十分な稼ぎがあるなら、生活費のためにアルバイトをしたりはしないだろう。
わたしは自分の浅はかな発言を恥じた。
だが、わたしは引っ掛かりも覚えた。彼が大学入試を控えていると思ったのは高校三年という学年だけではない。
彼の制服についた校章も一因となっていた。
「和泉高校に通われているんですか?」
「そうだけど」
この辺りではトップの名門といってもおかしくない県立高校だ。わたしの通っている高校よりも若干レベルが高いとされている。そんな高校に通って大学に進学しないのは、彼が高校に入って著しく成績を落としたのだろうか。
「要は大学ってお金がかかるだろう。だからだよ。国立に通ってバイトしながらって手もあるけど、金銭的に難しいと思うんだよな。ってか、初対面の人に語る話じゃないか」
彼は苦笑いを浮かべて頭をかいた。
彼は学校に通い、早く終わる日はこうしてバイトに勤しんでいるのだろうか。
それも自分の生活費を稼ぐために。
家に帰って好きなことをして、ごはんはお母さんや瑤子さんが作ってくれる生活をしているわたしには到底想像できないことだった。
「いろいろ聞いてしまってごめんなさい。でも、川本さんとは初対面じゃないですよ」
一度だけすれ違ったことがあった。それに彼に会計をしてもらった。だから、こうして会うのは三度目だ。三度という回数にわたしは首を傾げた。
本当にそうなのだろうか。わたしはもっと前に彼に会ったことがある気がした。
「一度店に来たことがあったよな。いや、君が覚えてるかは分からないけど、その少し前に公園の近くですれ違ったかな」
わたしは驚いて彼を見た。
「覚えています」
自分でも驚くほど、声高に主張した。
彼もわたしを見て目を見張った。だが、すぐに目を細めた。
「で、そろそろ本題に入ろうか。何かあるなら力になるけど。一人自分目当てに君がこの店を覗いていると勘違いしている奴がいて、悪いこと言わないからそういうことはやめたほうがいいよ」
勘違いという言葉にドキッとした。
他の人が好きだと思われてしまっては困る。彼にはなおさらだ。
「分かりました。誤解されたくないからやめておきます」
「じゃあ、これで解決かな。そいつもしばらくしたら勘違いだったと気づくだろうし、あまり悪くは思わないでやってほしいんだ」
「分かりました」
「じゃあな」
彼はそう言うと、コンビニの裏手に回ろうとした。
「義純さん」
わたしは思わず彼の名前を呼んだ。
わたしは思わず彼の名前を呼んだ。
彼の頬がわずかに赤くなり、わたしは名前で呼んでしまったことに気付いた。
「じゃなくて、川本さんですね」
わたしは彼の傍まで歩み寄った。
彼との約束を守れば、わたしはもう彼に会う手段を失ってしまうためだ。
彼の名前と学年と、どの高校に通っているかしか知らない。そんな彼にこんなことを言うなんておかしいのも分かっていた。そもそも今までナンパをする人などありえないと思っていた。でも、今のわたしの行動はナンパと思われてもおかしくない。だが、決してかっこいい人だからというわけではない。もう二度と会えないのは嫌だという気持ちがわたしをそうさせていた。
「わたしはあなたを一目見たくて、ここに通っていたんです。だから、また会いたい」
彼は目を見張った。
だが、次の言葉がなかなか聞こえてこなかった。
やっぱりこういうことを言うのは非常識だったのだろか。
わたしが唇を噛んだ時、優しい声が耳をかすめた。
「君さ、男相手によくそんなことしてるの?」
「してません。あなただから。あなたにまた会えなくなるのが嫌なの」
わたしの視界が霞む。彼にそんな風に言われたのが悲しかったのだ。
「意地悪を言って悪かった。分かった。かといって店に来てもらうのもあれだから、とりあえず携帯の番号でも交換しようか」
彼はそういうと携帯を取りだした。
わたしは二つ返事で彼と番号を交換した。
わたしはベッドに寝ころびながら、携帯の番号を表示した。
あの人の番号を手に入れらるなんて、なんていい日なのだろう。
これであの人にいつでも連絡が取れると思うと、不思議と顔がにやけてきてしまった。
ただ、問題はどうやって連絡を取るかだ。さすがに世間話でもしようものなら、迷惑をかけてしまう。
「せめて同じ高校だったらな」
おそらく中学三年のときに、同じ高校を受けると言えば、両親は許可してくれただろう。だが、それも今となっては後の祭りだ。
それでも一歩前進したのだと言い聞かせ携帯を閉じたとき、ドアがノックされた。
部屋の外に出るとお母さんが立っていた。
「ごはんよ」
わたしはお母さんと一緒にリビングに戻った。すると、そこにはいつの間に帰ったのかお父さんの姿もあった。
わたしはお父さんの正面の席に座った。そこがわたしの席だ。
もうテーブルの上には食事が並んでいた。あとはご飯を入れるだけのようだ。
お父さんは読んでいた本をテーブルの上に置くと、目を細めた。
「学校はどうだ?」
「普通かな。一年のころとそんなに変わらないよ」
「そうだな」
お父さんはにこやかに笑った。
家の中ではにこやかだが、仕事となると人が変わると以前お父さんと同じ会社の人が言っていたことがある。
「進路希望はどうした?」
「一応法学部にしたよ。といっても本決定じゃないけどね」
「あと二年あるから、気が変われば好きなところを受ければいいさ。ただ、県外の大学に行きたいなら、前もって相談してほしい」
「分かっている」
わたしは会釈した。
お母さんが三人分のごはんを入れてくれ、お父さんの隣の席に座った。
お父さんとお母さんはともに子供にはその子の望む教育を受けさせたいと思っているのだろう。だからこそ、わたしにとっては大学に行くのは決定事項で、大学院に進みたいと言っても、たとえ大学を卒業した後に再受験したいといっても親は歓迎してくれるだろう。ある意味恵まれた環境にはいる。
だが、彼にとってはそのわたしにとって当然のことが当然ではないのだろう。