不自由ない生活と自由なき生活1
わたしはあくびをかみ殺した。
何だったんだろう。あの夢は。
昨夜、妙な夢を見た。
起きてしばらくは状況が飲み込めず、ただベッドに茫然と座り込んでいた。
夢と呼ぶにはあまりに全てがリアルで、まるで自分で見てきたような鮮明なもの。
わたしが出てきてはいたが、それをわたしと断言していいのかは分からなかった。今の日本とは違う。着物のようなものを着ていて、だが、着物といっても平安時代の十二単とは違っていた。もっと動きやすく、袖もすそも短いものだ。
鞄から日本史の資料集を取りだすと、後ろからぱらぱらとめくった。
大正時代、明治時代は明らかに違うだろう。
時代をもう少し遡ると、江戸時代のページにたどり着いた。首を傾げ、もう少し遡ると、安土桃山時代、室町時代に到達した。
あえていうなら、こんな感じの着物だった気がする。
このあたりは中学校のときも勉強の一環としてやったし、テレビなどでも題材にされやすいところでもある。
わたしは再びあくびをかみ殺した。
まあ、きっとそうしたテレビで見た記憶が残っていて、あんな夢を見たんだろう。
どこかのお城のお姫様になっている夢を見たなど、あまりに馬鹿げていて人には言えない。
わたしは再び資料集のページを遡る。そして、わたしの手は鎌倉時代で止まった。
そういえば、この時代もそんな感じの着物を着ていたはずだ。
桜の花やあの男性ほどではないが、この鎌倉時代もそうだった。
うまく言えないけれど、どこかに引っかかりを感じる時代。
わたしはそこまで考えて首を横に振った。
時代というよりは鎌倉幕府を開いたというこの人に引っ掛かりを感じているといったほうが正しいだろう。
わたしはそこに載っている、源頼朝の絵に視線を落とした。
そのとき、わたしの机に影がかかった。榮子が不思議そうな顔をして、こちらを見ていた。
「休み時間まで勉強?」
「そうでもないんだけどね」
夢で見た時代を確かめようとしたなんて言えば、きっと笑うだろう。
わたしは資料集を閉じた。
「志望大学決めた? 進路希望の紙、来週までだよね」
「お母さんは法学部がいいと言っているし、それで出す予定。まあ、高校二年の今の段階はそんなに重要視するようなものでもないけどね」
「弁護士かいいね。唯香に似合いそう」
「でも、試験に受からないとなれないし、お母さんの話を聞く限り大変そうだよ」
「大丈夫だよ。きっとなれるよ」
わたしは気のない返事をした。
彼女の中ではわたしが弁護士志望だという思い込みが進展しているようだ。
司法試験は少し前に試験制度が変わり、お母さんが受験していたころとは一変したようだ。
お母さんが合格したときより受かりやすくなったらしいけれど。
問題はそこまでわたしにやる気があるかどうかだ。
わたしはある程度名前の知れた中高一貫の学校に通い、高校二年になったばかりだ。
成績はクラスでいいほうといったくらいで、特別目立った生徒というわけではない。
もっともお母さんはこの学校の出身で、模試でも優秀な成績を残し、才女として名が知られていたようだ。
だからこそ、わたしはある意味先生たちにとっては期待外れだった。
優秀なのはお母さんだけではない。お父さんも地元では有名な進学高校を出て、誰でも知っているような有名大学を卒業していた。そのため、当然わたしも大学に行くのは大前提として人生設計がなされていた。ただ、希望は伝えられてもこの学部に行くようにと強制されたことはない。そうした希望は子供の希望に沿うような形でもっていきたいと考えているようだった。ただ、ばりばり働くというイメージがないわたしはそこから適当な会社に就職して、結婚するんだろうと考えていた。
ただ、結婚や就職なんてわたしにとっては当分先のことだ。それこそ、昔の時代とは違うのだから。
そのとき、先生が入ってきたため、わたしはテキストを机の上に出した。
学校を出ると一息ついた。
明日学校に行けば休み。かといって週末になにか予定があるわけでもないのだけれど。こんな面白みのない毎日を積み重ねていくのに何の意味があるのだろう。学校に行くのは面倒だし、休みはきてほしいが、受験なんて面倒なものはこないでほしいとは思う。将来の選択なんてあと五年くらいは先延ばししたい。だから、わたしはお母さんの勧めるままに法学部に行くんだろうという気がしていた。
隣を歩いていた榮子が足をとめて、お腹を押さえた。
「何か買って帰らない? お腹すいちゃった」
「いいけど」
わたしは榮子に誘われるがまま、コンビニに入った。
榮子はお菓子コーナーで目を輝かせながら、お菓子を選んでいた。
特にお腹が空いていなかったわたしはチョコレートをひと箱と飴玉を一袋買うことにした。
勉強中にでも食べればいいだろう。
「先に支払いを済ませてくるね」
「分かった」
わたしはその足でレジまで行く。そして、レジでチョコを差し出した。
だが、わたしの動きはそこで止まった。わたしは目を見張るのを自覚した。なぜかといえば、わたしの目の前にいたのが昨日見かけたあの人だったからだ。
彼も一瞬目を見張った気がしたが、すぐに目をそらし、商品をスキャンした。
「二百二十八円になります」
わたしは財布を慌てて鞄から取り出した。小銭を出そうとしたが、手が震えてうまくつかめなかった。なんとか五百円を取り出し、小銭を青いケースの中に入れた。
彼は慣れた手つきで会計をすませ、商品を袋に入れわたしに渡した。
続いてお釣りを渡す。
「唯香? 後ろ、後ろ」
いつの間にかビニール袋を手にした榮子がわたしに耳打ちした。後ろには怪訝そうな表情でわたしを見たお客さんがこちらを見つめていた。
わたしは顔が赤くなるのを自覚し、その場を離れた。
店の外に出ると一息ついた。
「どうしたの? 唯香らしくない」
榮子は気づいていないのだろう。店員が昨日のあの人だったということに。
わたしは高鳴る鼓動を抑えるために拳を握り胸を軽く小突いた。
そして、「なんでもない」と言葉を紡ぎ出した。
「ならいいけど」
榮子は買ったばかりのチョコレートの封をあけ、口の中に放り込んだ。
「唯香は食べないの?」
「今はいいかな」
わたしはあいまいに微笑んだ。
本当は飴玉くらいならと思ったが、どうしてもそんな気分にならなかったのだ。
「ごめんね。つきあわせちゃって」
「やっぱり食べるね」
申し訳なさそうに微笑む友達を見て、わたしは一つ飴を取り出し、口に放り込んだ。
なりゆきでお店に入ることにはなったが、謝られるようなことは何もなかった。
彼にこうして会えたのだから。
「無理に食べなくても」
「無理にじゃないよ」
わたしは笑みを浮かべた。
それから他愛ないやり取りをして、彼女と家の近くでわかれた。
だが、いつものように友達とのやりとりに集中することはできなかった。
原因はたった一つ。あの人のことが気になっていたかためだ。
あの人は何歳くらいなのだろう。
高校生か大学生か。大人っぽい顔立ちはそれ以上にも見える。
わたしはお店でもらったレシートを取りだした。だが、そこにはレジを打った人が番号で表記されていた。どこの誰なのか全くわからず、わたしは短くため息を吐いた。