彼の隣にいた女の子2
わたしは携帯をじっと見ると、ため息を吐いた。
榮子は苦笑いを浮かべていた。
「別にただのクラスメイトでしょう。何を気にしているの?」
「それは分かっているよ。そう思ってはいるけど」
彼とその女の子が一緒にいるのを見て二日が経過した。彼と毎日メールはしているが、肝心なことは聞けないままだ。
「彼女なのに何を不安になっているんだか」
「そうなんだけどさ、何かよく見えないんだよね。気持ちとか、考えていることとか」
「それはまだ相手を知らないからでしょう。もっといろいろ聞けばいいんだよ」
「それでもつかみどころがない感じがするの。学校が違えばどうやってお互いを知っていけばいいんだろうね」
榮子は困ったような笑みを浮かべた。
「それは時間が解決してくれるんじゃないかな。試験が終われば一緒に遊びに行くでしょう。そうしたことを繰り返せばきっと分かり合えるよ」
「そうだよね」
わたしはやっと表情を緩ませた。
「榮子って何かお母さんみたいだね」
「まあ、確かに唯香は放っておけないけどね。でも、そういうことを言うと、本当のお母さんが嫉妬するよ」
彼女はくすっと笑った。
「そういうつもりじゃなくて。あの」
「分かっているよ。今は唯香が頑張らないといけないときだと思うよ。もちろん、川本さんもね。きっと焦らなくても、思いが通じ合ったのなら大丈夫だよ」
「そうだよね」
わたしは顔を緩ませた。
「それより試験のほうは大丈夫なの? 浪人なんてしたら川本さんと会えなくなるよ。二年なんてあっという間なのだから」
「それは困る」
二人で旅行に行こうという約束だってある。
「だったら今は勉強を頑張りなさい。川本さんが余裕あるなら、勉強教えてもらえば? どっちかの家で」
「わたしの家だとお父さんの許可がいるから難しいかな。お父さん過保護だもん」
お父さんは優しい。だが、恋人ができたとなればどうだろう。笑顔で受け入れてくれるとは正直思えなかった。それは今まで娘として暮らしてきた勘のようなものだ。
「まあ、家は絶対条件じゃないけど、仲良くなるのは効果的だと思うよ。川本さんがどういう家で育ってきたのか知りたいでしょう? 向こうも唯香がどういう家で育ってきたか知りたいと思っていると思う。恋人なんだもん」
「きっとそうだよね」
わたしは榮子の言葉に頷いた。
その日、帰りがけに川本さんと待ち合わせをしていたこともあり、その話をしてみることにした。
彼はわたしの話を聞くと、目を細めた。
「教えるのは構わないよ。もちろん今からでも。ただ、どこで勉強をするかだよね。どこか長居できそうなところがあればいいんだけど」
彼はあっさりとわたしの提案を受け入れてくれた。だが、どこでということに頭を悩ませているようだ。
同じ学校なら、放課後の教室でという選択肢もあっただろう。
本音は川本さんの家に行きたいが、わたしもまだ親に言うか迷っている手前、なかなか言葉に表せなかった。
「少しならお店の人も多めに見てくれるかな。試験前でなくても、分からないことがあればいつでも聞いてもらって構わないよ」
違う方向に話が流れていくのを察し、わたしは勇気を振り絞り、声を発した。
「お互いの家というのはどうかな。わたしも両親に聞いてみるから、川本さんも家の人に聞いてもらえれば嬉しいなって」
川本さんは眉をひそめた。
妙な沈黙がわたしたちの間に流れた。その沈黙を破ったのは川本さんだった。
「ごめん。俺の家は無理だと思う。そんな状態で君の家に行くのも忍びないから、できれば外がいい」
その続きの、どうしてダメなのかという理由が聞こえてくるのを待ちわびたが、彼がその具体的な何かを教えてくれることはなかった。
「そっか。どこかお店に入ろうか。よさそうなところがないか探しておくよ」
「ごめんね」
わたしは「気にしないで」と言葉を綴った。
家に人を呼びたくない理由って何だろう。
わたしの家は急に友達を連れてきても何も言われないくらいには常に片付いていたため、よくわからなかった。
わたしと付き合っていることを隠したいのと何か関係があるのだろうか。連れてきたらどんな関係なのか話題になることは必至だ。ただ、ずっとこのまま彼との距離は縮まらないのだろうか。
「家はここから歩いて十五分くらいのところにあるんだよ」
あれこれ模索しているわたしの耳に、川本さんの言葉が再び届いた。
「ただ、狭いアパートだし、人を招けるようなところじゃないんだ。本当にごめんね」
「そんなの気にならないのに」
「俺が気にしてしまう」
彼は困った表情を浮かべた。
そのとき、川本さんの携帯が鳴った。
彼はわたしに断ると、携帯を取った。
「いや、わざわざいいよ。だから……。少し家に帰るのが遅くなるから。分かった。お願いするよ」
川本さんは困ったように、それでいてどこか嬉しそうな、放っておけないという言葉が似合いそうなほほえましい笑みを浮かべていた。
わたしの胸が痛んだ。誰と話をしているのだろう。お母さんとは思えなかった。それなら妹さんかお姉さんだろうか。だったら納得できた。だが、それが家族でない第三者に向けたものだとしたら。足が小刻みに震えているのが分かった。
彼は電話を切るとわたしを見た。
「今からどうしようか」
「今日は帰って勉強する。教えてもらうためには、わたしも勉強してわからないところをはっきりさせておかないといけないでしょう」
精一杯の声を張り上げた。
彼が目を細めたのを見て、ほっと胸をなでおろした。
「そうだね。もうすぐテストだし、分からないことがあればいつでも連絡してくれてかまわないよ」
「ありがとう」
わたしたちはそこからいつも別れる交差点まで一緒に行き、別れることにした。
だが、振り返ったわたしは彼が電話を手に、いつもとは違う方向に歩いていくのに気付いてしまった。家ともバイト先ともおそらく違う。
今から誰かに会うのだろうか。
頭の中ではやめておくべきだという声が響いていたのにも関わらず、わたしは川本さんの後を追っていた。
そこからしばらく歩いた曲がり角に川本さんがいた。その隣には彼と同じ高校の制服を着た、あの少女が立っていた。彼女に手には大きなスーパーのビニール袋が二つ握られていた。
彼女は川本さんを見ると、得意げな笑みを浮かべた。
「今日はコロッケと、カレーを作ってあげる。あとスープも」
「わざわざ悪いな」
「わたしと義純の仲じゃない。今更、何を気にしているの?」
「でも、君にいろいろ迷惑をかけるのが申し訳なくて」
「それは言わない約束でしょう。わたしが好きでやっているのだから、気にしないで」
彼女はそう優しく微笑んだ。
どこで勉強をする、彼の家がどうだということが問題だったわけではない。
彼女はただの同じ学校の生徒ではなかった。その事実がわたしの胸に突き刺さっていた。
家に帰ろうと決意して、踵を返した。
だが、わたしは歩き出さなかった。
このままじゃきっとダメだと思ったのだ。
一人で考えてもやもやするよりも、はっきり答えを知ってしまったほうがいい。
もう一度振り返ると、仲良く話をする二人を見て深呼吸をした。
「川本さん」
彼は驚いたように振り返った。そして、隣にいる女の子に声をかけると、わたしのところまで寄ってきたのだ。
「何かあった?」
「そうじゃなくて」
わたしはちらりとあの子を見た。あの子は苦笑いを浮かべると、頭をかいていた。
彼女はわたしたちのところまで歩み寄ってきた。
「わたしが義純と仲良くしているから、どんな関係なのか勘ぐってしまったんじゃないの?」
「どんな関係って、ただの幼馴染だけど」
川本さんは驚いたようにわたしを見た。
彼女はわたしの傍に来ると、目を細めた。
「江本沙希です。高校二年であなたと同じ年よ。父親同士が友人だったから、そのつながりで今でも親しいの。わたしにとって彼は兄のような存在かな」
その言葉に一瞬、川本さんが顔を強張らせた。だが、いつも通りの彼にすぐに戻った。
「変な関係じゃないから安心してね。わたしは一足先に失礼しようかな」
「いいの。わたしが勝手に追いかけてきただけだから、今日は失礼します」
わたしは頭を下げ、別れの挨拶を綴るとその場を去った。
何もないのは彼女の言い方から分かった。だが、川本さんを見ていると二人の間には幼馴染以上の何かがあるようにして思えなかった。