重なり合う思い出2
わたしは自分の考えを笑った。望みなんて大げさだ。他愛ない約束事に過ぎないのに。それでもこの心の引っ掛かりをうまく説明できなかった。
「わたしも何か考えてみるよ」
そう言ってくれた榮子と別れ、自分の家に帰ろうとした。だが、わたしの足はおのずととまった。
そして、今の場所を確認して、家とは違う方向に歩き出していた。わたしの目的地はあの川本さんと再会した海だった。
平日の学校がある日に彼があんな場所にくるかどうかは分からない。むしろいない可能性が高い。そう分かっているのに、わたしの足は止まらなかった。
きっとわたしにとってはあの海が何よりも大事な場所だった。あの海とは違う海なのに。
何かで殴られたかのように頭が痛んだ。同時に目頭が熱くなってきた。思い出せそうで思い出せない。だが、その答えを誰かに聞くことなどできない。なぜこのような意味の分からない症状に悩まされているのだろう。
駅についたわたしは、ちょうどやってきた地下鉄に乗り込んでいた。
駅を降りるとわたしは海への道を急いだ。まるで何かに急き立てられるかのように、駆け出していた。だが、わたしの淡い気持ちは潮風にかき消された。川本さんどころか、人の気配さえなかった。
わたしの視界がじんわりとかすんだ。分かっていたはずなのに、何を期待していたのだろう。
急く思いでわたしは携帯を取りだしていた。そして、彼に電話をかけていた。
だが、呼び出し音がならなかった。
わたしは携帯を手に、その場にうずくまった。
電源が切れたのかもしれない。前向きに考えようとしても、ネガティブな気持ちが一瞬で飲み込んでしまった。
彼はわたしの前からふっと消えてしまうのだろうか。あのときのように。
あのとき。そう。また会えると再会の約束をして、わたしの前から去っていってしまったかのように。
わたしは自嘲的に嗤った。今のわたしは間違いなくやばい人だ。
そもそも彼とそんな約束をしたことさえないのに。
何を考えているのだろう。
そう思っても、目からあふれてくる涙は増える一方だった。
吹き付ける風は強くなり、太陽の位置も徐々に低くなっていた。
何度目か分からない車のクラクションとともに携帯が音楽を奏で始めた。発信者はお母さんだ。
電話を取ると、すぐに慌てたような声が耳に届いた。
「今、どこにいるの?」
わたしは返事に困った。まさか海に着ているなど言い出せなかった。来たいと思ったのも、あの夢に触発されたからだ。お母さんはわたしの言葉を鼻で笑うだろう。
「唯香?」
「太田さん?」
ほぼ同時に違う声が聞こえてきて、顔を上げると川本さんがこちらにかけてくるのが見えた。
まさか会えるなんて思わなかった。
電話越しにお母さんが何かを言うが、わたしの耳には届いていなかった。
やっとの思いで声を絞り出した。
「今から帰るから、ごめん」
「ちょっと、唯香? 今から迎えに行くわ」
わたしは電話を切ると、電源も切った。
川本さんが息を切らした状態でわたしのところに到着した。
「どうしたの? こんなところで。それもこんな時間まで」
「会いたかったから」
さっきは榮子の言葉を否定していたのに、わたしの口から気持ちがあふれ出した。
「もう会えなくなるのは嫌なの。だから」
「ちょっと待って。落ち着いて」
彼はわたしを諌めた。わたしは自分の口にした言葉の意味を理解して、唇を噛んだ。
彼は困惑の色を滲ませていた。
きっと優しい彼はどうやって場を収めようか迷っているのだろう。
冗談にしてしまえばいい。だが、わたしは自分の気持ちを取り繕うことができずにいた。
「もう会えなくなるなんて、そんなことはないよ。俺もずっと君に会いたいと思っていた」
予期せぬ言葉に目を見張った。
彼は照れたように微笑んだ。
「だから、こうして会えただけで嬉しい。すごく大事な人だと思っている」
「本当に?」
「本当」
彼は短く息を吐いた。
「でも、冷静に考える面もあって、俺と君は正直つりあわないと思っている。俺は今の生活で精いっぱいで、君とは生活レベル自体が違うんだろうなって気がした」
「そんなの関係ないじゃない」
「関係あるよ。きっと俺の親が迷惑をかけてしまう。だから、もう会わないほうがいいかもしれないってずっと考えていた。さっき言っていたことと矛盾しているよな」
彼は悲しそうに微笑んだ。
潮風が彼の髪をやさしくなでた。
「それでも気づいたらここにきてしまっていた。君がいたのは驚いたけど、いや、どこかで君に会えるんじゃないかって思っていたんだと思う。君に会えてすごく嬉しかった。それで分かったよ。俺は君のことが好きなんだって」
彼の頬がわずかに赤く染まっていた。
わたしは彼から聞こえてきた言葉が信じられなかった。
まさか彼がわたしと同じ気持ちを抱いてくれていたなんて考えもしなかったのだ。
わたしの視界が霞み、彼の輪郭がぼやけてきた。
「ごめん。泣かせるつもりじゃなかったんだ」
「違うの。嬉しいの。だって、わたしもあなたのことが好きだから」
わたしは涙を拭いながら、精一杯微笑んだ。
何に惹かれたのかは分からない。ただ、彼と一緒にいたい。
心の中にある何かがそう訴えていた。
彼の顔が一気に赤くなった。わたしも同じくらい赤くなっているだろう。
わたしも彼もどちらかともなく黙ってしまった。
「困ったな。そのあとのことを何も考えてなかった」
彼はそう苦笑いを浮かべて、頭をかいた。
「そのあとって彼氏、うんん、恋人になってくれるんじゃないの?」
「でも、どこかに遊びに行ったりはできないと思う。きっと不自由な想いをさせてしまうから」
恋人とどこかに行ったり多くの思い出を作ったりすること。それは当然憧れる。
だが、わたしの望みはそんなものじゃなかった。
「それでもいいよ。ただ、わたしはあなたに理由もなく会えるきっかけがほしいの。恋人だったら、会いたいと思えばいつでも会えるでしょう。それだけでいいの」
「変なことを言っているかもしれないけど、俺は君には一生敵わない気がするよ」
彼はそう頬をかいて、苦笑いを浮かべた。
「敵わないって変な言い方だね。そんなにお互いのことを知っているわけでもないのに」
「俺もそう思うけど、そういう気がする」
彼はそう優しい笑みを浮かべていた。
恋愛はどうやってはじめるのだろう。相手を知って好きになって、恋人になりたいと願うのがセオリーなのだろか。わたしが知っているのは、顔と名前とどの学校に通っているか、あと年齢くらいだ。分からないことも多いし、驚くことも多いだろう。でも、わたしはそんな条件よりもただ彼と一緒にいたいと思ったのだ。