重なり合う思い出1
わたしは鎌倉の旅行案内を見て、ふっとため息を吐いた。彼と一緒に鎌倉旅行に行く話をしていたため、鎌倉という場所に興味がわいたのだ。
約束を守ってくれれば、彼と一緒に旅行ができる。それは嬉しいはずなのに、どこか心は重い。
何に重荷を感じているのか、わたし自身がよくわかっていなかった。
親の説得?
旅費のこと?
彼が約束を忘れてしまうかもしれないこと?
いくつもの候補をあげるがしっくりこない。
なんかもっと根底にある何かに抵抗を覚えているのだ。
榮子がわたしの顔を覗きこんだ。
「帰らないの?」
「帰る。ごめん」
帰りのホームルームも終わり、いつの間にか教室はがらんとしていた。
わたしは慌てて携帯を片づけると、帰り支度を整えた。
教室の外に出たとき、榮子が口を開いた。
「ねえ、あの人の名前って川本義純って言うんだよね?」
「そうだけど? フルネームを教えたっけ?」
「わたしの近所の人が和泉高校に通っていて、川本さんのことを聞いたら知っていたんだ。名前もその人から聞いた。ものすごく成績がいいんだってね。入学以来、学年トップクラスの成績なんだって」
「そうなんだ」
彼は成績が優秀なのではないかと予測はしていたが、それ以上だ。
榮子の顔がふっと暗くなった。
「でも、大学に行かないとかいう噂があって、先生たちが行ったほうがいいと説得しているとか」
わたしは今の気持ちを言葉にできず、頭をかいた。
「知ってたの?」
「一応ね」
「そっか。何で大学に行かないんだろうね。もったいない」
わたしは返事に困った。
すると榮子は両手を胸の位置まで持ってくると横に振った。
「無理に聞き出そうとかじゃないから。ただ行けるなら、大学はいったほうがいいよねって思ったの。お金の問題なら、奨学金とかもあるしね。そう考えると、わたしなんか恵まれているんだろうな。中学から私立だし、大学も私立の医学部以外なら好きなところに進んでいいと言われているもの」
「わたしも同じようなものだよ」
榮子はわたしの前の席の椅子を引き、そこに腰掛けた。困ったような笑みを浮かべた。
きっと彼の家はそこまで余裕がないのだろう。
お父さんがいるみたいだが、お父さんは何をしているのだろう。
彼にはお母さんはいるのだろうか。
いるとは断言できなかった。彼からお母さんの話題が出てきたことは一度もなかったから。
「わたしたちが気にしても仕方ないんだけどね。川本さんはどうしているの?」
「分からない」
「最近は会ってないの?」
「忙しいみたいだもの」
彼から借りた本を読んでみて、それを返却はした。ただ、彼はなかなか時間の都合がつかないとかで、図書館が休みの日に返却ポストに入れておいたのだ。そのため、お母さんと彼があってからは彼とは会っていない。
ただ、いつも通りの時間を過ごしているとはいいがたかった。お母さんは彼に興味がわいたようでいろいろ聞いてはくる。
わたしは彼のことをそこまで知らないし、お母さんには学費のことも言い出せなかった。だから、わたしは会話が深くなりそうだと、笑顔でごまかすのを繰り返してた。お母さんはそれを照れ隠しと思っているようだけれど。
わたし自身川本さんに会いたくないわけではない。彼には聞きたいことがいろいろあった。まずはあの夢をまだ見ているかだ。その内容がわたしがつい最近見たものと同じかどうかを確認したかった。
そして、もう一つ。あの本を読んだ感想を聞いてみたかった。わたしの感想はなんとも言えないものだった。しっくりくる部分もあれば、どうも引っかかりを覚える部分もある。
わたしは結局、ラストをほとんど読まずに飛ばしてしまった。義高が亡くなってからのエピソードだ。大姫は義高の死後、彼を思い続ける。その一方で頼朝は他の人と婚姻を進めようとする。それを大姫は頑なに拒み続けたようだ。ようだと思ってしまうのは、内容をほとんど飛ばしてしまったから。彼女の心の中には命が尽きるまで義高の存在があり続けた。それを純愛だと人はいうのだろう。
だが、わたしにはいいようのない悲しみを与えるだけだった。彼はあの本を読んでどう思ったのだろう。最後まで読めたのだろうか。
なにも彼女たちだけが特別というわけではないことは分かっていた。日本の歴史上、争いがあった時代は少なくない。政略結婚に、結婚相手との死別。仲間だと思っていた人が敵になる。敵と婚姻を結ぶ。今の日本では普通の家に育ったのなら、あまり考えられないことだ。今まではそうしたことを単語上の出来事として捕えていたフシがあっただろう。だが、あの夢以降は見方が変わってしまった。歴史の教科書で書かれている以上に多くの悲しみや憎しみが存在していたのだろう。今までになく、歴史上の人物について考えてしまう機会が増えてしまった。
「そんなに会いたいなら、どこかに誘えばいいのに」
「誘うって言っても用事がないもの」
「せっかくいい感じで会っていたのに」
「あれは調べものをしていたんだよ。たまたま二人して同じものに興味がわいてね」
「何? それ?」
「理由は深く聞かないでくれるなら教える」
「約束する」
わたしは榮子がそう言ったため、二人で会っていた理由を伝えることにした。
「鎌倉時代の、源頼朝の娘と木曽義仲の息子について調べていたの。大姫と義高っていうの」
一瞬榮子は顔をゆがめた。彼女はそっと唇を噛んだ。二人のことを知識として知っていたのかもしれない。
「マニアックだね。でも、そんなに資料はないんじゃないの? だから図書館か」
「そういうこと。結局何もわからなかったもの」
「難しく考えずに、会いたいって言えば?」
「そんな告白するようなことは言えない。そもそも相手に彼女や好きな人がいるかもわからないもの」
「いないと思うよ。いたら、唯香にそんなに頻繁に会わないと思う」
「そうだといいけどね」
わたしは理由がないと会えないが、そういう意味では大姫と義高が羨ましかった。婚約者であり、同じ家に住む二人はいつでも会うことができたのだ。
近づいたと思っても、なかなか遠い。わたしは会う理由さえ探している段階なのだ。
「バイト先に行かないと約束したのが痛いよね。今頃、向こうもそう思っていたりして」
「まさか。でも、バイト先に行けたらまた違うんだろうね」
わたしはふと首を傾げた。
たしかに二人はいつでも会えた。だが、それはわたしの夢に限ればお城の中に限ったことだ。二人が一緒に過ごしたのは一年と少しの間。彼らはあの海に出かけて以降、外で会えることはできたのだろうか。たとえ監視があったとしても、屋敷の外での唯一の思い出が海だったのだろうか。
わたしたちは学校を出ると、家への道を急いだ。途中、榮子が気遣ってくれたのか、彼のバイト先に行こうかと言ってくれた。だが、行かないと言った手前、その申し出は断ることにした。もう過去のことかもしれないが、それでも彼から言われたことを破りたくはなかった。それが彼の望みなのだから。