ある悲しき歴史の断片2
本を閉じたとき、わたしの携帯にメールが届いた。榮子からだろう。そう油断してメールを確認したわたしの心臓は一気に高鳴った。送信者は川本さんだったのだ。
君はその二人のことが気になる? 調べたいと思っている?
わたしはすぐに返事を送った。もちろん、「はい」だ。
一分ほどで川本さんからメールが届いた。
俺もなんだ。よかったらだけど、二人でその大姫と義高のことを調べてみない? あまりに資料がないから、二人で一緒に調べたほうがはかどると思う。
わたしは自分の顔がにやけるのがわかった。デートとは違うと分かっていた。何かの共同作業に過ぎないと。それでも彼に会う理由ができたことはわたしにとって大きな進展だった。
わたしもそうしたいです。お願いします。
わたしはそう返信した。
その後、何度かやり取りをして、明後日二人で図書館に行き、もう一度調べてみようということになった。その日はバイトも休みで、学校も早く終わるらしい。
わたしは山積みされた本を見て、くらくらとめまいが覚えそうになった。約束の比、彼と図書館で待ちあわせをしたのだが、わたしを出迎えてくれたのは川本さんと積まれた本の数々だった。そして、その一冊ずつが分厚い。歴史書のようなものから、頼朝や大姫の母親である北条政子の伝記的なものまであった。
わたしは川本さんの正面に座った。
「その本を読みますね」
「いや、これは目を通したんだけど、そんなに載ってないな」
「全部?」
「といってもすべては読んでないよ。出てくる可能性のある部分は限られているしね。学校の図書室でも調べてみたけど、同じようなものだった」
川本さんと会えると胸を高鳴らせながら来たのに、彼にとっては本当に作業のようだ。
彼の行動は間違ってはいないのだけど。
わたしと川本さんは本を棚に戻しに行くことにした。
そのとき、ふと大姫と義高について書かれたと思しき小説のようなものを見かけた。
「こうしたものを読んでみてもいいんだろうけど、どうしても創作が多くなりそうだよな」
川本さんはだからこうした本を選ばなかったのだろう。こうしたものは創作ありきなのはわかっているが、わたしもどことなく気が進まなかった。
わたしたちは本をもとにあった場所に片づけると、その本の前にどちらかともなく戻ってきた。そして、お互いの顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「えり好みしている場合じゃないか」
彼は苦笑いを浮かべると、本を手に取った。
「これは長いから借りるよ」
「終わったらわたしも読んでみたい」
「分かった。読み終わったら教える。明日か明後日には終わると思うけど」
彼はそう会釈をした。
「よく本を読むんですか? 読むのが早いんですね」
「たまにね。最近はよく読むかな」
それは受験を諦めたからだろうか。さすがにそんな無神経なことは言えないけれど。
「吾妻鏡は読んでみた?」
「まだです」
「そっか。何か複雑だよな」
曖昧な言葉だったが、その何かが何を指すのかをおのずと分かってしまった。
わたしたちは結局何の成果もあげられずに、図書館を後にした。
その日、家に帰って吾妻鏡を読んでみた。
やはりなんとも言えない気持ちになってしまった。
わたしはあくびをかみ殺すと、机に伏せた。昨日はずっと本を読んでいたため、眠るのが十二時を回っていた。いつも十一時に眠るわたしには一時間以上の夜更かしは堪えてしまったようだ。
「今日は眠そうだね。どうしたの?」
「本を読んでいたの」
「川本さんのおすすめの本でも借りたの?」
わたしは目を輝かせながらそう問いかけた榮子の言葉に苦笑いを浮かべた。
昨日、榮子には川本さんと一緒に図書館で待ち合わせをしていると伝えたためだ。
若干違うが、お勧めといえばそうなのだろう。
「いろいろうるさく言ってくるのがうざくて、喧嘩したら、一昨日彼氏と別れちゃった」
「そうなの? 大変だったね」
「でも、お蔭で森田さんと付き合えたし、よかったかな」
「え? 森田さんってバイト先の人?」
クラスメイトの話し声がわたしの耳に届いた。わたしの三つ前の席で三人のクラスメイトがそんな会話が繰り広ていた。
彼氏ができたと言っているクラスメイトは髪を耳にかけると得意げに微笑んだ。
「まあね。かっこよかったし、迷っていたんだよね。ちょうどよかったよ」
「さすがだね」
「たまたまだよ」
新しい彼氏か。
人の恋愛は自由だし、それをどうこういう権利はない。きっとそうして何度か人を好きになり、様々な思惑とともにその先の未来へと歩んでいくのだろう。それが当たり前のことだ。
だが、幼い恋心をずっといただき続けた大姫のような思いもあっておかしくはないはずだ。たとえそれが幼稚園くらいの年で、両想いだったとしても。
「榮子の初恋っていつ?」
「小学校三年かな」
「その人とは会ってる?」
「全然。告白もしなかったし、そのままだよ」
彼女は肩をすくめた。
「じゃあ、唯香の初恋はいつ?」
「わたしは」
まだと言いかけて、言葉を噤んだ。今までなら自信満々に「まだだ」と言えたのに、今はそう言えない。なぜなら、わたしはあの人のことを恐らく好きだからだ。
榮子はわたしの心を見透かしたかのように目を細めた。
「今なんだね。いいんじゃない? 初恋の相手と結ばれるなんて」
「でも、向こうはわたしのことを意識していないと思う」
確かに妙な共通点はあるし、話はするようになった。そのおかげで彼にこうして会える。だが、彼がわたしを女としてみているとは思えなかった。
「それは川本さんにしかわからないけど、少し前のメールも送れない、また会えないという状態に比べたら前進したと思うよ。もっとも向こうの気持ちを考えずに暴走しないようにね」
「分かっている」
わたしは苦笑いを浮かべた。
川本さんから今朝メールが届き、本を読み終えたので、わたしに貸してくれるそうだ。
あれだけの本を読み、家に帰ってからも読んでしまったのは感服するばかりだ。吾妻鏡を一冊読み終えて疲れてしまったわたしとは違う。
「何?」
「歴史上の人物のことが気になっていたら、川本さんも同じ人が気になっているらしくて一緒に調べようということになったの」
「そういうことか。川本さんはものすごくまじめな人なんだね。和泉高校だし、さすがという気はするけど」
「めちゃくちゃ成績もいいみたいなんだよね」
「だったら同じ大学に行けるんじゃない? だったら、国立志願でしょう?」
「どうだろう」
わたしは榮子の言葉にドキリとして、あいまいにぼかした。
彼は大学に行かないなど、言い出せなかったのだ。
彼のお父さんがわたしの両親のような感じだったら、きっと彼も夢を追い続けることができただろうに。