災い送り・6
慌てておじいさんとエディトさんにお礼(二人にはお礼を言われるようなことはしてない、と言われたけど)を言って、お店を出た。
そして、扉を開けたその先に――シリスとガイエンが、居た。
シリスはなんと言うか、思い詰めたような硬い表情で、ガイエンは困ったように苦笑している。
「……リア」
静かに、シリスがあたしの名前を呼ぶ。
「……二人とも、何でここに?」
シリスもガイエンも怒ってるとかそういう感じじゃないけど、なんだか少し身構えてしまう。
二人とも追いかけてこなかったはずなのに、どうしてここが分かったんだろう。
「リアが、心配で」
ぽつりと言ったシリスに続けて、ガイエンが口を開く。
「戻ってくるまで待とうかとも思ったんだけどな。顔合わすかはともかく、近くにいたほうがいいかと思って気配辿って来たんだよ」
……そうだった。あたしから気配が辿れるのと同じように、シリスやガイエンからだってあたしの気配を辿れるんだ。
……多分、心配、してくれたんだよね。
ありがとう、って言うべきか、ごめんなさいって言うべきか判断がつかなくて、言葉に迷ってたら、シリスが一歩、あたしに近付いて。
「……さっきは、俺が言い過ぎた。嫌な気持ちにさせて、ごめん」
そう言って、深く頭を下げた。
「し、シリス……!?」
いきなりの行動に、名前を呼ぶしかできなかった。
そんなあたしにシリスの後ろに居たガイエンが苦笑しているのが見えたけど、言葉を向ける余裕はなかった。
さっきのことについて謝ってくれてるのはわかる。
ちゃんと向き合わなきゃって思ってたから、シリスの方からそのことについて触れてくれたのは正直助かった気分……なんだけど。
「あの、とりあえず、顔上げて…!」
こんな深々と頭下げられると、ものすごく落ち着かない。
あ、なんかデジャヴ?とか一瞬思ったけど、この場面でそんなこと考えてるからこそ自分が動揺してるって自覚する。
エディトさんの時もそうだったけど、あたしって人に頭下げられるのが苦手だった、らしい。された経験が皆無だったから知らなかった。
「でも……」
頭を下げたままのシリスが何か言い募ろうとしたみたいだったけど、のんびり聞けるような精神的余裕はない。
ちょっと迷ったけど、思い切ってシリスの肩に手をかける。
驚いたみたいにビクッとしたシリスは、あたしがシリスの身体を起こそうとしてるってわかったのか、戸惑ったふうにゆっくりと顔を上げた。
「リア……」
どんな顔をすればいいのかわからないって感じの、困ったような顔のシリスがあたしを見下ろす。そして、途方に暮れたみたいに、名前を呼んだ。
綺麗な綺麗な、透き通ったブルーの瞳が、感情に揺れている。
何の感情になのかはちゃんとわからないけど、あたしの言葉を待ってるのだけは、わかった。
「……あの、あのね。色々、言いたいこととか、謝りたいこととか、聞きたいこととか……あるんだけど」
「……うん」
「ちゃんと話すから――話したい、から。……聞いて、くれる?」
さらっとスマートに、っていうふうにはいかなかったけど、最後までちゃんと言えた。
ほっと安心しかけて、慌てて付け加える。
「聞いてもらうだけじゃなくて、シリスの話も聞きたいの。さっき謝ってくれたことも含めて。……その、当然、シリスがよければ、だけど」
足りなかったのは『話し合い』だから。一方的に言うんじゃなくて、お互いにちゃんと言いたいことを言わないと駄目だよね、と思っての言葉だったんだけど。
「……っ」
はっとしたように息を呑んだシリスは、一瞬目を見開いて固まって――それから、何だか泣きそうに笑った。
「……うん。うん、俺も、」
まるで項垂れるみたいに、シリスがあたしの肩に頭を寄せる。
「ちゃんと話したいし、聞きたい。……聞いて、欲しい」
ゆるく身体に回された腕に、そっと手を添える。そうしなきゃって、何となく思った。
「――……」
ほんの少し空気が揺れて、シリスが何かを言ったんだってわかったけど、何て言ったのかはわからなかった。
でもそれは多分、あたしに伝えたくて発した言葉じゃないんだろうって思ったから、聞き返さなかった。
ただ、少しだけ、添えた手に力を込めた。
少し離れた場所に居たガイエンが、「よかったな」とでも言うように柔らかい笑みを向けてくるのに、あたしも笑い返した。
その後。
ひとまず落ち着いて話をするために宿に戻って、色々と話した。
エディトさんと会ってからの一部始終とか、シリスの言動にあたしが勝手にわだかまり…みたいなものを抱いていたこととか、言わなくちゃいけないことも、言いにくいことも、何もかも。
シリスもガイエンも、ちゃんと聞いてくれたし、ちゃんと言葉を返してくれた。それぞれが思ってたこととか、考えとかも、口にしてくれた。
シリスとしてはガイエンを心底嫌ってるとかそういうことはなかったらしいけど、第一印象が悪かった(やっぱりシリスが居ない時に接触したっていうのが引っかかってたみたい)のもあって、つい嫌味を言ってしまってた……らしい。
ガイエンはガイエンで、そういうシリスの心情もなんとなく分かってたし、やっぱり『主なしの黒炎』の異名がつくような自分の性質がちょっとしたコンプレックスになっていたから、あえて自分から刺激するのもどうかと思ってのあの態度だった、ってことらしい。
……ええっと、薄々分かってたけど、あたしちょっと空回り気味だった、よね……。
で、でも、あのままずっと居ても、いつか何かが駄目になってただろうから、これで良かったんだと思おう。うん。
「それで、リア。……その、『ヤク』のことなんだけど」
一応の和解(って言うのも何だか違う気がするけど)が済んだ後、シリスは難しい顔でそう切り出した。
「……エディトさんのこと?」
「そう。彼は、『異界』に『送』って欲しいってことで間違いないんだね?」
「うん。本人がそう言ってたし……」
「そうか……」
言ったきり、わずかに眉間に皺を寄せて考え込んでしまったシリスに不安になる。
何か問題があるんだろうか。あたしじゃ『送』れないとか、エディトさんに危険があるだとか……。
「……どうしたの?」
恐る恐る訊ねてみれば、シリスはやっぱり難しい顔のまま、小さく溜息を吐いてから答えてくれた。
「――これは、多分なんだけど。『ヤク』の彼が、身体の持ち主にずっと憑いてたって言うなら、彼が身体の持ち主にとって『守護聖霊』に近い存在になっていた可能性が高い。元々、『聖霊』と『ヤク』は全く違うけれど、ある意味では同じものと言っていい。彼を『異界』に『送』るってことは、身体の持ち主が、……――『守護聖霊』を失うのと、同じことになるんじゃないかと思う。それを彼と身体の持ち主が分かってるかどうかが……」
「それって――つまり、ちょっと前のあたしと同じになるってこと?」
甦るのは、わずかな恐れとたくさんの悪意に満ちた場所。ひそめられながらも耳につく声と、視線。無意識に身体が強張った。
『守護なし』であるというだけで蔑まれる、それはきっと、単純だからこそどうしようもないこと。
ぽん、と肩に手を置かれる感触がして見上げれば、ガイエンがすぐ傍に居た。その紫暗の瞳が「今は一人じゃないだろ?」って言ってるみたいで、ほっと身体から力が抜けた。
正面に目を向ければ、シリスが気遣うみたいにあたしを見ていて、さっき言い淀んだのもあたしを思ってのことだったんだろうって分かった。
こういうふうに、大事にしてもらえてるって感じるたび、何だか泣きたいような、苦しいような、そんな気分になる。
嫌だからじゃなくて、ただ、あんまりにもそれがあたたかいから。
「でも、エディトさんは、もうクランさんの身体の中に居場所はないって言ってたけど……」
「それが気にかかるんだ。彼はもう、純粋な『ヤク』じゃないのかもしれない」
「……どういうこと?」
シリスの言葉の意味がよく分からなくて、首を傾げる。
シリスは言葉に迷うみたいにちょっと間をおいて、ゆっくりと話し始めた。
「まず、自我を持っていることからして普通の『ヤク』じゃない。色々な条件が重なったことで偶発的に得たものなんだろうけど、だとすれば『ヤク』というよりは『聖霊』と言ってもいい。もしくは『ヤク』になる前の状態と、『聖霊』になる一歩手前――その両方の狭間のような感じなのかもしれない」
ええと、『ヤク』は『聖霊になる可能性のあるやつ』が負の感情に食われてなるものだってガイエンが言ってたよね。
つまり、『聖霊になる可能性のあるやつ』が『ヤク』になるのと、『聖霊』になるのと、そのちょうど中間地点に居る感じなのかな。エディトさんからは『ヤク』の気配がするんだし、『ヤク』なのは間違いないんだろうけど……。
シリスとガイエンに確認してみると、そう考えるのが一番納得ができるらしい。あたしは『聖霊』のことも『ヤク』のことも、もちろんその前段階の存在のこともよく分からないから何とも言えないけど、少なくともエディトさんが『ヤク』っていうには違和感があるんだろうっていうのは何となく分かった。
エディトさん自身も他の『ヤク』と一緒くたにされるのはちょっと複雑みたいだったし。
でも、だとしたら、エディトさんの望むように、エディトさんを『異界』に『送』るだけじゃ駄目なんだろうか。
クランさんに守護聖霊がいないとしたらエディトさんに分からないはずないし、自分がいなくなればクランさんが『守護なし』状態になるって分かってて言ってきたなら、やっぱり他に方法が思いつかなかったんじゃないかと思うんだけど……。
エディトさんの考えが分からなくなってきてぐるぐる考えてたら、不意に部屋のドアが叩かれる音が響いた。
何故かシリスとガイエンが戸惑った顔をしていて、不思議に思う。……二人ともどうしたんだろう。
その間にも何度か音が響いて――それから、遠慮がちな声がドアの向こう側から聞こえてきた。
「――すみません、不躾で申し訳ないんですが、少しお話をさせてもらえませんか。……エディトのことで」
ドア越しのせいで少しくぐもっていたけれど、その声は間違いなくエディトさんのもので――だけど、エディトさんではないのだと、言葉の内容が告げる。
「……僕はクラン。クラン=フォン=エディト=ザクラーシュと言います」
……その、タイミングの良すぎる登場に。
ちょっとの間、固まってしまったのは仕方ない……と思う。