災い送り・1
「『災い送り』か……」
とりあえず大通りに戻って、何を見るでもなく歩く。
この祭りの主旨を知らないとガイエンが言うので、シリスからの受け売りながら教えると、聞き終わってから意味ありげに呟いた。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
「どうかした?」
「いーや、何にも?」
そう言うガイエンの瞳は、まるで悪戯を思いついた子供のようだった。これから起こる何かが楽しみでたまらないといった表情。
「……黒炎。気付いたんだね?」
「当たり前だろ? あんなあからさまに憑いてんのに気付かないほうがおかしいって」
「それはそうだね」
あたしには理解できない会話を淡々とする二人。ただ、ガイエンがちらりと背後を見遣ったのがなんとなく気になった。
つられてガイエンの視線の先に目を遣ると、突然背筋に悪寒が走った。
すごく嫌なものがそこにいる。そう感じた。
「あ、リアも気付いたか」
ちゃっかりシリスと同じように愛称で呼んで、ガイエンがおもむろにあたしの肩を引く。
何事かと思ってガイエンを見上げると、ガイエンは「ちょっと我慢してくれよな」と、そのままあたしを抱き寄せた。
「団体さんのお越しだ。ここは任せたぜ? 『風』の聖霊さん」
「なに勝手に決めてるのかな? 普通ここは君がやるところだと思うけど。というか馴れ馴れしくリアに触らないでくれる」
冷たい口調で言い放ったシリスは、何気なく手を一閃した。するとそれが合図だったかのように、通行人の何人かがくずおれる。
気のない様子でそれを確認したシリスは、一言呟いてにこりとこっちに笑いかけた。
「結構面倒そうだな。……リア、そいつに任せるのは甚だ不本意だけど、一人でいるよりは多少ましだろうからそいつから離れないようにね」
「ちょっとそれは酷くないか?」とガイエンがぼやくのが耳に入った。でもシリスが何を考えてそんなことを言ったのか分からずに首をかしげる。
と、異常な光景が目に飛び込んできた。
「!?」
倒れた人たちから、黒い靄のようなものがずるりと出てきたのだ。驚きと言い様のない恐怖とで小さく息を呑むと、それを聞きつけたらしいガイエンが、安心させるように笑いながら頭を撫でてくれた。
そういうことはされたことがなかったからなんだか気恥ずかしくてくすぐったかったけど、おかげで少し落ち着いた。
「……あれ、何なの?」
小さく問うと、ガイエンは眉根を寄せた。
「うーん……人間が知ってるかはわかんねぇけど、聖霊内では『ヤク』って呼んでるものだ。まぁ、人の悪意とかを取り込んで歪んだ聖霊だと思えばいい」
「あれが、聖霊?」
それはどう見ても『良いもの』だったようには見えなかったから、思わず聞き返す。
ガイエンは「まぁな」と歯切れの悪い返事をした。
「厳密には『聖霊』とは言えないんだろうが……元々は聖霊だった、っつうか聖霊の一段階前のものだったっつうか」
「聖霊の一段階前?」
聖霊以前の段階があるなんて聞いたこともないけど。聖霊は最初から聖霊なのではないんだろうか。
「ああ、人間には普通見えないんだったっけか。知らないのも当たり前だよな」
ガイエンは一人で納得してうんうん頷いている。
「『聖霊』っつうのは大きく分けて二種類いるんだよ。最初から聖霊であるものと、聖霊になる可能性があるもの、ってなふうに。で、あれの元になったのは聖霊になる可能性があったやつなんだが、負の感情に自我が飲み込まれちまったわけだ。だからその存在そのものが変質したんだ。……ついでにいえば、その聖霊になる可能性があるものってのは聖霊より力が弱いから、普通人間はそいつを見ることは出来ない。だから知らないんじゃねぇかな」
ガイエンが分かりやすく解説してくれたおかげでなんとなく理解は出来た。
理解は出来たけど……。
――なんだかどんどん常識を覆されてるような気がするのは気のせいだろうか。
実体のある聖霊がいるとか、それが少なくとも二人いるとか、『炎』属性でも『破壊』を司る聖霊がいるとか、聖霊は最初から聖霊だとは限らないとか……。
きっとこんなこと知っている人なんてほんの一握りくらいのはずだ。自分が常識はずれな存在だとわかってはいたけど、なんでこうも『普通』から遠ざかることに……。
恐らく明確な答えはないだろうことを悶々と考えていたら、黒い靄が近づいてくるのが目に入った。
禍禍しい気配に自然と身体がすくむ。
だけどその黒い靄は、ある場所で突然燃え上がった。……ついさっき見た、黒い炎だ。
反射的にガイエンを見ると、少し嬉しそうに笑っていた。
「あれ限定の結界をはっておいたんだ。……他の奴らには影響ないから心配するな」
確かに他の人が結界のあるらしい場所に触れても何も起こらない。
器用だな、とちょっと場違いかもしれないことを思いながら、「ありがとう」と言うと、ガイエンは『契約しましょう』と言ったときと同じように、満面の笑みを浮かべた。
心の底から喜んでいるのだろう、笑顔。
そんな感情を向けられた経験の乏しいあたしは、どうすればいいのか分からなくてすごく困る。
悪意に慣れきったあたしに、シリスやガイエンが向けてくる好意は未知のものだといってもいい。
それは少しくすぐったくて、でもあたたかくて。
もしかしたらあたしが欲しくて欲しくて堪らなかった『家族からの愛情』はこういうものなのかもしれないと思う。
あたしがあたしであるというだけで与えられる、愛情。
頬が熱くなるのを感じて少し俯く。
と、苛立ちを滲ませたシリスの声が耳に飛び込んできた。
「リアに害を為そうだなんて、身の程をわきまえないにもほどがあるよ。塵一つ残さずに消し去ってあげなきゃね」
な、なんかすごく物騒というか、怖いんですけど。声音が冷え冷えとしてる……!
うん、あたしのために怒ってくれてるのはわかるんだけど、……やっぱり、ちょっと、怖い。
そう思ってしまうのがシリスに対してすごく申し訳ないなぁって思って、少し気分が落ち込んだ。
「こら、リア」
こつん、とガイエンに頭を小突かれた。見上げると、どこか困ったように笑っていた。
「暗い顔、すんなよ。リアが悪いわけじゃないだろ。殺気だだ漏れさせてるあいつが悪い」
言われて、驚く。どうして思ったことが分かったんだろう。
それを尋ねようとする前に、ガイエンが口を開いた。
「なんか、……響くんだよ、頭に。よくわかんねぇけど――多分これのせいだと思う」
言って、喉元の文様を指差す。
それは浮かび上がったときと変わらずそこにあって、本当に痛くないのかな、と思った。
「痛くねぇって言っただろ?」
間髪入れず答えられて、思ったことが伝わってるのが確かだと、実感する。
「悪い。こういうの嫌だろうと思って遮断できないか色々試してるけど、まだできねぇんだ。できるだけ早くどうにかするから、我慢してくれるか? どうしても我慢できなかったら――契約を、解消してくれてもいい」
真剣な目でそんなことを言ったガイエンに驚いた。
だって、あたしまで嬉しくなるような顔で、笑ってたのに。契約したこと、あんなに喜んでくれてたのに。
「……リアが嫌なこと、したくねぇんだよ。俺にどうしようもないなら、大元を断つしかないだろ」
そう、笑ってガイエンは言った。
けど、その笑顔が無理やり作られたものだってことは、会って――契約してほんの僅かしか経ってないあたしにも分かった。
「しない、よ。……契約、解消なんかしない。だって、あたしもガイエンと契約して嬉しかった、から」
こういう風に自分の気持ちを率直に伝えることが今まで殆どなかったら、照れとかそういうのでつっかえながらも、なんとか言い終える。
うう、またなんか顔熱くなってきた気がする……!
「何の話してるのかな?」
神々しいまでの笑みを浮かべたシリスが、何の前触れもなくそう問い掛けてきて思わず悲鳴をあげそうになった。すんでのところで悲鳴を飲み込んで、暴れる心臓を宥めながら恐る恐るシリスを見上げる。
あんまり突然だったから、すごく驚いた。
あたしたちとシリスの間はそれなりに距離が空いていて、すぐ傍にいきなり現れるというのは予想もしていなかったし。気配とかそういうのも多分感じなかったし。
「お前には関わりない話だよ」
「俺に関わりないかどうか決めるのは俺だよ。勝手に決め付けないでくれる?」
「勝手にっつっても、俺とリアの間のことなんだからどう考えてもお前には関係ないだろ」
「リアに関わるなら俺にだって関係あるよ。俺はリアの『守護聖霊』なんだから。そんなことも分からないの? 本当に君は外見を裏切らず馬鹿なんだね」
「お前な……っ!」
多分反論しようとしたんだろう、シリスに向かって声を荒げかけたガイエンは、途中で苦虫を噛み潰したような表情をして、口を閉じた。そして自分を落ち着かせるように一度深呼吸する。
「あー、もう馬鹿でも何でもいい。何とでも言えよ。……とりあえず『ヤク』は始末したんだろ?」
「何、いきなり。――当たり前だろう? これ以上ないほど完璧に消してきたよ」
「あっそ」
気のない返事をして、ガイエンは何か考えるように眉根を寄せた。
……どうしたんだろう。何か気になることがあるのかな。
「リア、怪我は無い? 気分が悪いとかは?」
何か考えてるらしいガイエンを興味なさ気に一瞥してからあたしに向き直ったシリスが問いかけてきた。
すっかり傍観者気分だったあたしは慌てて答える。
「だ、大丈夫だよ。シリスとガイエンが守ってくれたし……」
「そう? ならいいんだけど……。黒炎もまったく役に立たないわけじゃないみたいだね」
シリスの言にあたしは曖昧な笑みを浮かべるしか出来なかった。
気のせいでも何でもなく、シリスのガイエンに対する当たりがきつい。ものすごく。
そこまで言わなくても……とは思うものの、シリスの笑顔に負けて言い出せない。
なんでこんなに仲が険悪なのかな……いや、明らかにシリスが一方的にガイエンをないがしろにしているというか敵視しているというかそんな感じだから、『険悪』というのとはちょっと違う気もするけど、とにかくなんでなんだろう。
もしかして主(自分で言うと恥ずかしいけど)を共有するの嫌だったりしたのかな。
だったらいくら「リアが決めることだよ」ってシリスが言ってくれたからって、ちゃんと意見を聞かずにガイエンと契約したのは悪かったかも。
「し、シリス」
「? どうしたの、リア」
「ごめんね。……主共有するの、嫌だったんじゃないの?」
見当違いだったら恥ずかしい!と思いながら言うと、シリスは虚をつかれたように少し目を見開いて動きを止めた。
……え、これはどっち? やっぱりまったく見当違いだったとか!?
内心焦りながらも反応を見守っていると、シリスはなんだか泣き出す一歩手前のような、苦笑に近い笑みを浮かべた。
「――そう、見えた?」
静かに問われて、何故だか『正直に答えていいものだろうか』という考えが浮かんで、躊躇しながらも答える。
「う、えーと、……うん」
「……そっか。俺も、まだまだ、だね」
小さく独り言のように呟いて、シリスは口を閉ざした。
どこか遠くを見るように細められた目は、あたしもガイエンも、――確かに映っているはずの街並みすら見ていないように思えて、不安になった。
――…あたしはここにいるのに。どうして、見てくれないの?
ふと頭を過ぎった考えに、嫌な気分になった。
まるで、いつでも自分を見ていてもらわないと気が済まないような、そんな考えをした自分がすごく自分勝手に思えて、気持ち悪かった。
いやだ、こんな考えは捨てなくちゃ。こんな我侭なあたしはいらない。こんな自分勝手なあたしを二人が知ったら見放されてしまうかもしれない。
せっかく『守護聖霊』になってくれたのに。やっと独りじゃなくなったのに。
だからいらない、いらない、いらない!
「リア?」
腰をかがめて顔を覗き込んできたのはガイエンだった。
突然のことに顔をそむけることも出来ずに硬直したあたしにふんわりと苦笑を落としたかと思うと、「大丈夫だ」とでもいうように頭をくしゃくしゃと撫でられた。
「リアは俺の唯一の主だ。……リアが嫌だって言わない限り、なにがあっても離れないから安心しろ」
そう小さく囁いて、今度は宥めるようにぽんぽんとリズム良く叩かれた。
全部分かっているとでも言うような、何もかもを許すような瞳に、泣きそうになった。
でも泣いたりなんかしたら二人はきっとすごく慌てるだろうから、寸でのところで堪えた。