シャイリィの研究者・5
「っリア!!」
切羽詰ったような――どこか泣きそうな顔で部屋に飛び込んできたシリスとガイエンに、あたしはちょっと申し訳ない気分になった。
心配かけちゃったんだろうなぁ……。
でもあの状況で、誓約しないっていう選択肢をあたしは選べなかった。状況が許さなかったっていうのもあるけど、心情的にも。
ネクトの事情を知ってるから、それで気が済むのなら誓約してもいいと思ったのは本当。
それはきっと、事情を知らないシリス達にとっては承服しかねることなのかもしれないけど。
でも、あたしが選んだことだ。心配も(もしかしたら怒りも)甘んじてあたしが受けるべきだろう。
部屋に現れたと同時に異常をひとつも逃すものかとでもいうような必死な目で見られて、ちょっと居心地が悪いけど……それだけ心配してくれたってことだろうし。
一通り観察(?)して、異常がないことを確信したんだろう、シリスとガイエンが安心したように小さく溜息を吐いた。そしてすぐに険しい顔になって、ネクトに視線を向ける。
「……どういうつもりかな?」
シリスが向ける剣呑な視線にも、ネクトは動揺を見せない。それどころか、どこか楽しそうな顔すらした。
「どういうつもりも何も、ただ誓ってもらっただけなんだけどねぇ。あえて言うなら、保険ってところ?」
クスクスと笑いながら言うネクトに、シリスとガイエンの纏う雰囲気が更に鋭くなる。
……ど、どうしよう。予想してはいたけど、やっぱりネクトに任せて丸く収まる気がしない……。第一声から雰囲気悪化させちゃってるし。
どうにか会話に割り込まないと、と考える間にも、三人の間の空気は冷えていく。
「保険ってなんだよ。っつーか、俺達が聞きたいのはそんな曖昧な説明じゃないっての」
「詳細な説明が聞きたいって? それは俺サマ的に了承できないんだよねぇ。なんと言っても俺サマのプライバシーに関わっちゃうからさぁ。大丈夫大丈夫、そんなピリピリしなくても、命に関わるような誓約じゃないよ」
「ンな入りにくい空間にリアラが居なきゃ、少しはその言葉信じられたんだろうけどな? 信じるにはちょっと怪しすぎんだよ、お前」
「おやおや、随分な言い草だねぇ。でもここ、俺サマのプライベートな空間だしね? 簡単に知覚できるような場所なワケないでしょ」
「……後ろ暗いことがないと言うなら、俺達に手が出せない場所で誓約なんてさせないでほしいね」
「それは俺サマだけのせいじゃないと思うけど。守護聖霊のくせに目を離したのはキミ達だし、リアラはここに自主的に来たワケだし?」
「確かにそれはそうだけどな、何もここでなきゃ誓約できねぇってワケでもねぇんだろ? だったら自分の知らないところで他の聖霊からの干渉があった守護聖霊がどう思うかくらい予想して、波風立てないようにすんのがフツーじゃねぇの?」
「フツー、ねぇ? それが何を示しているのかは知らないし知ろうとも思わないけど、俺サマにとって無価値なら関係ないし。……っていうか君達、ちょっとどうかと思うくらいリアラのこと好きなんだねぇ。正直心配しすぎって言うか、まるでリアラが一人で行動することすらできない子供みたいな扱いにも思えるけど?」
揶揄するような響きのネクトの言葉に、シリスとガイエンは虚をつかれたように言葉を詰まらせる。
そんな二人を見て、ネクトは浮かべていた笑みを深める。
「図星って感じ? まあ、リアラのことを君達がどう扱おうと俺サマには関係ないワケだけど、でもそういうのって本人の為にならないんじゃないの? 少なくとも俺サマの知ってるリアラは一人でも生きていける能力を持ってたと思うけどね」
何せ俺サマが育てたようなモノだし、と言うネクトに、あたしは反射的に返す。
「育てられた覚えはありません」
「うん、俺サマも育てた覚えはないよ?」
打てば響くように返された言葉に、軽い虚脱感を覚えたのは当然のことだと思う。
「……それ、発言が矛盾してませんか」
「してないしてない。育てた『ような』モノだってちゃんと言ったし」
……うん、確かにそうかもしれないけど、そうかもしれないけど……!
ぶつけきれないモヤモヤとした気持ちを持て余して口を噤む。
と、ジオの低い声が、ひっそりと耳元に響いた。
「――…リアラ。我が主と会話をするよりも、風の〈原初〉と『黒炎』を優先した方が良いのではないか」
口調はいつでも変わらない淡々としたものなんだけど、至近距離で囁かれたので、一瞬思考が停止する。
そんなあたしに、ジオは軽く首を傾げた。
「……どうした」
どうしたもこうしたもない。ぞわぞわする身体を宥めつつ、いつの間にか横に立っていたジオを仰ぎ見る。視線がちょっと恨みがましくなったのは仕方ない。
でもジオは「本当に理由が分からない」といった、どこかキョトンとした顔であたしを見返した。
……天然って、時と場合によっては故意にやる人より性質悪いと思う。ネクトとジオがそれぞれの良い例だ。
「……とりあえず、耳元で喋るのやめて」
「何故」
「何ででも」
低くて響くイイ声すぎてちょっとした凶器になるから、とは言わない。更につっこまれそうな予感がする。そこを答えるのは嫌すぎる。何の羞恥プレイだって感じだ。
あたしとジオのやりとりを聞いてニヤニヤしてる(ニコニコなんて可愛いものじゃない。ニヤニヤだ。あれは絶対ジオの最初の言葉も聞こえていたに違いない)ネクトと、何だかすごく微妙な、筆舌に尽くしがたい表情をしているシリスとガイエン。
ともかく、ジオの言葉は正論だ。きちんと説明とフォローをするために(あと、何とも微妙な雰囲気になっている場を取り繕うためにも)、あたしはシリス達の方へと近づいた。
「シリス、ガイエン」
「……リア」
「えっと……ごめん、なさい。心配かけちゃったんだよね?」
様子を窺いながらそう言うと、二人ともちょっと困ったみたいな顔をして、それから小さく溜息を吐いた。
……普段は仲悪いふうだけど、実は結構似てるよね、二人とも。
「そりゃ、心配したよ。ちょっと出ただけだと思ってたら誓約なんてしてるんだから」
「まあ、しちまったもんは仕方ねぇけど……どういう誓約したのか聞いても良いか?」
聞かれて、どこまで話したものかと考える。誓約の中身だけ聞いて納得してもらえるかは微妙かもしれない。
この場合、それ以上つっこまれた場合が問題だ。とりあえずネクトの事情を勝手に話すわけにはいかないから、それ以外の部分を説明すればいいだろうか。
「さっきあたしがもらった――これを肌身離さず持ってるっていう誓約なんだけど」
手の中の短剣を掲げて言うと、シリスは理解できない、といった面持ちで訊いてくる。
「……? 何のために」
「それは、――」
「だーかーらー、保険だって」
「君には聞いてないよ」
「聞かれてなくても答えるのが筋かなって思ったんだけどねぇ。リアラも話しにくいだろうし」
会話に割り込んできたネクトは、だけど場を引っ掻き回すつもりで発言したんじゃないみたいだった。
面倒そうだけど、いつものちゃらんぽらんな雰囲気が少しだけ引っ込んでいる……気がする。多分。
「俺サマの壮大な『魔物撲滅』計画の一環でね、ちょっとリアラに協力してもらう必要があったんだよ。ソレ持ってれば、ピンポイントでリアラのところにジオの力を発現できるからさぁ」
「魔物……?」
怪訝な顔をしたシリスたちに、ネクトは笑みを浮かべたまま続ける。
「どうやらリアラが狙われてるっぽいんだよね。目的とかはイマイチ分からないんだけど」
「狙われてるって、――つまりリアを囮にするってことか?!」
途端に、今までの比じゃなく険を含んだ眼差しがネクトに向けられる。
……ネクト本人はどこ吹く風だけど、空気が段違いに重く鋭くなった。っていうかこれ、多分殺気っていうよね……。
「ふ、二人とも」
慌ててシリス達の前に立つ。ちょっと怖かったけど、ジオの力を揮えるネクトと風の〈原初〉のシリスと『黒炎』のガイエンが一触即発状態なんてヤバすぎる。何よりあたしの心臓がもたない。
「――…そいつを、庇うの?」
静かに言ったシリスの声に、わけもなく逃げ出したくなる。怒ってるって如実に分かるのに、傍目には冷静なのが余計に怖い。
「そういうわけじゃ、……いや、そうなのかもしれないけど。あのね、二人とも誤解してると思う」
「誤解?」
ぴくり、とガイエンの眉が上がる。シリスは無反応だ。
ガイエンからのプレッシャーはちょっと減った気がするから、ガイエンの方が冷静なのかもしれない。
「うん。確かに囮にしようとしてるって思われても仕方ない言い方だったけど、そうじゃなくて。あたしが、……狙われてるって確証があるから、誓約させたのもあると思う。そうだよね?」
振り返って問うと、ネクトはやっぱりいつもの笑みのまま、「まぁね」と言った。
「幾らジオの力があっても、流石に離れた場所にいるんじゃうまく力使えないし。いつか接触があるって分かってても、その『いつか』を悠長に待ってはいられないんだよね。俺サマ忙しいし。だから手っ取り早くソレ持っててもらおうとね。でも君達の様子だと何かと難癖つけて持たせないかもしれないと思ったから、こういう手をとったってワケ。守護聖霊って基本的に他の聖霊の干渉嫌うし、君達の場合それに輪をかけてうるさそうだし」
相も変わらずズケズケと、オブラートに包むなんてことをせずに言うネクトに、シリスたちはあからさまに嫌そうな顔をしたけど、結局何も言わなかった。
あたしは二人に向き直って、小さく深呼吸する。これから言おうとしてることは、ちょっと気合を入れないと言い出しにくい。
「……えっと、ね。心配、してくれるのは嬉しいよ。シリスもガイエンも、すごくよくしてくれてるって分かってる。……色々あったから、二人があたしの行動に不安を持つのも仕方ないのかなって思うし、ネクトのことも知らないから、心配も警戒も当然かなって思うけど……でも、あたしはネクトがそういう人じゃないって知ってるから、大丈夫だよ」
言い方次第で心配を拒絶するニュアンスになっちゃいそうで、ドキドキする。ちゃんと伝わってるかな、不快にさせちゃわないかな。
そんなあたしの心情を知ってか知らずか(絶対に前者だけど)、ネクトが茶々を入れてくる。
「おやぁ? 俺サマってばリアラに愛されちゃってるねぇ」
「いや愛してませんから。信用してるだけです」
「信用、ねぇ……自分で言うのもなんだけど、リアラって人を見る目なくない?」
「……本当、自分で言うことじゃないですよね、それ」
思いっきり茶化されたわけだけど、でも今のはあたしの本心だ。ネクトの軸は絶対にブレないから、信用している。
あたしはネクトにとってある意味特別だけど、でも無価値な『人間』の一人でもあるのだ。無価値だからどうなろうと知ったことじゃないと思ってるけど、無価値だからこそ、関わることすら面倒だとネクトは思ってる。
わざわざ自分の剣と同じ性質のものを渡してきたのは、あたしを放っておいても大丈夫な状態にするためだ。あたしを無理矢理同行させるのも、ジオの力を使ってあたしに常に意識を向けておく――監視するのも、ネクトにとっては煩わしいことでしかないから、短剣を媒介にすることにしたんだろう。
そんなこと、わざわざ説明なんかする気はネクトにはないんだろうし、本人にとっては『面倒だから』の一言で認識されてるんだろうけど、事情を知ってれば結構単純なネクトの思考回路は分かる方だと自負している。多分この考えは間違いじゃないと思う。
なんてことを考えてたら、ガイエンが深ーく息を吐いた。シリスは何だか仏頂面をしている。
「……成程ね。確かにちょっと俺らにも余裕なかったかもなー。……ごめんな、リア」
弱ったような笑顔で謝られて、逆に慌ててしまう。
「え、いや、謝られることじゃ……」
「でも謝った方が俺の気分的にもスッキリするし、素直に受け取ってくれると嬉しいんだけどな。……ただ、今後はこういう行動をもうちょっと控えてくれると俺らの心的に助かる」
ガイエンが言うのと前後して、シリスも口を開いた。
「俺も……少し冷静じゃなかったと思う。ごめん」
「いやお前、『少し』じゃねぇだろ」
「うるさいよ」
「いや、……ま、いいけど」
二人の軽口を聞いて、やっといつもの雰囲気に戻ったことを実感して、胸を撫で下ろした。
「……これからは、あたしも二人を心配させないように頑張るから。心配かけて、本当にごめんね」
あたしの言葉に、シリスとガイエンはちょっとだけ眉尻を下げて、でもちゃんとした笑顔を返してくれた。




