始まりの風
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彼は目覚めた。
暗い闇が支配する空間で。
永遠ともいえる長き眠りから、目覚めた。
彼は意外そうに呟く。
「もう二度と、目が覚めるなんてことはないと思ってたんだけど……」
誰にも呼ばれないまま、目覚めることなどなく消えるのだろうと。
けれど彼は目覚めた。声なき声が自分を呼ぶのを感じて。
それは少女の声。まだ見ぬ自分の主たる少女の。
「どんな子かな?できればライバルはいない方がいいな」
主は独り占めしたいからね、と、笑いながら身を起こす。
「でも俺を呼ぶほどの力を持つなら、ライバルはたくさんだろうなあ……」
彼の瞳は期待でいっぱいで。
自分を呼ぶ声がする方へ、わくわくしながら向かっていった。
顔も知らぬ、自分の主となる少女のもとへ。
* * *
『リア』
誰かが、呼ぶ声がする。
『迎えにきたよ、リア』
……誰? 誰があたしを迎えに来るって言うの?
親にさえ見捨てられたあたしみたいな子を。
『君は、自由を手に入れる』
……あなたは、誰…………?
鳥のさえずりで目が覚めた。見慣れた天井をぼんやりと見つめる。
誰かが、あたしを呼ぶ夢を見た。『迎えに来た』とか『自由』がどうとか言ってたような……。
どうせただの夢だろうけど。
自己完結して身を起こす。恐る恐る床に足を踏み出し、ベッドから出た。
はっきり言ってボロいこの家は、一応国から提供されたものだ。いくら隙間風が入り放題だろうと、床が今にも抜けるんじゃないかって言うくらい不吉な音を出そうとも、文句は言えない。
少しひんやりとした朝の空気に刺激されて、頭がはっきりしてくる。
朝食の用意をしながら今日の予定を確認して、気が重くなった。
「やだなぁ、外に出るの………」
あのわずかな恐れとたくさんの悪意に満ちた場所を思うだけで、逃げ出したくなった。
ここはアリア大陸の都、シャイリィ。
あたし、リアラ・クレイルは、そのシャイリィのごくごく平凡な住民だ。……『守護聖霊』がいないことを除けば。
この世界に住む『聖霊』。
彼等は弱き人間達と『契約』を交わし、力を貸してきた。
普通は物心がついて自分の属性を知った頃に『契約』をするものなんだけど、あたしはその『誰だって持っているはずの聖霊』を持っていない。
『契約』は聖霊からもちかけられるものなので自分ではどうしようもなく、『守護なしのリアラ』なんて不名誉な通り名まで持ってしまった。
こんな例は過去にないとかで、『不吉の象徴』だの『できそこない』だの『天に見放された子』だの、挙げ句には『魔族』とまで言われてきた。
『こんな気味悪い子は自分の子じゃない』と両親はあたしが小さい頃にどこかに行ってしまって、援助資金で何とか生きてるような状況だ。
それもこれもあたしに聖霊がいないせいだけど、今はすでにあきらめの境地だ。
……時々無性に、何もかもが嫌になるけど。
陽が十分に高くなったころあたしは市に出向いた。
ものすごく気が進まないけど仕方ない。食料が底をついてしまっていたのだ。飢え死にはごめんだし、ここは腹を括ろう。
「ああ、また来たわ。『守護なし』が……」
「まったく、国も何を考えてるのかしら。『守護なし』なんかを都に置いて」
「決まってるわ、監視のためよ。聖霊が契約しようとしない子よ? 地方に遣ったらどんなことをするかわからないでしょう」
「そうよね……」
ひそひそと、囁く声で聞こえてくる悪意。周りを憚っているかのようでいながら、あたしに聞こえるように。
………ああ、いやだ。『守護なし』だからなんだって言うんだろう。
『守護なし』は生きているのさえ罪だとでも?
聞こえよがしに話す大人たちを、極力無視して品物を物色する。
決して多いとは言えない援助資金ではそう贅沢はできないのだ。買うものには吟味に吟味を重ね、必要最低量だけを確保できればいい。
「すみません」
栄養価の高い果物を売る店のひとつに声をかける。店主は一度身を震わせて、怯えたように言った。
「……なんだい」
「これを二つと向こうに置いてある赤いのを三つ。幾らですか」
「………代金はいいよ。勝手に持って行きな」
そそくさと奥に戻った店主に掛ける言葉も見当たらず、仕方なく相場の代金を置いて品物を取った。
ここに来て、いい思いをしたことなんて一度もない。囁き声で悪意をぶつけられるか、この店主のように怯えた視線を投げかけられるかだ。
………あたしは何もしていないのに。
帰路に着いたあたしの頬を、一陣の風が撫でた。
夢で聞いた『自由』という言葉を不意に思い出す。
風は何にも縛られず、何処にでも行けるからだろうか。『自由』そのものとも思える。
あたしには一生自由なんてないんだろうな。
万が一『守護聖霊』ができたとしても誰もあたしを普通とは見てくれないだろうし。ましてや『守護聖霊』がいない今のままなら、この土地から離れることができるかも怪しい。
……っていうかなんで今日はこんなに考えが暗いんだろう。やっぱあの変な夢のせいで調子狂ってるのかな。
「あれ……?」
いつもより遠回りして帰ると、あたしの家である廃墟寸前のボロ家の前にめちゃめちゃ不釣り合いな美人がいた。
薄く水色がかった銀髪に、白い肌。目は透き通るようなブルー。
絵からそのまま抜け出してきたんじゃないかと思うような美貌を持つ人が、今にも崩れそうな蔦絡み放題の家の戸に背を預けてる図は、アンバランスだけど神秘的に見えてくるから不思議だ。
「うちに何か御用ですか」
声を掛けるとその人は優雅な仕草でこっちを向いた。そしてにっこりと微笑む。
「リア、お帰り」
質問の答えになってないうえにこの状況にはあまりに不似合いな言葉を言われて、一瞬自分がおかしくなったのかと思った。
でもその次の瞬間、あたしがおかしくなったんじゃなくてこの目の前の美人がおかしいんだということが否応なしに分かった。
「……やっと会えた…っ………」
そう言ってその人が遠慮も何もなしに抱き付いてきたから。
線の細い見た目からは想像も出来なかったくらいの力強い抱擁で、物心ついてから人に抱きしめられた経験が皆無に等しいあたしは面食らった。
それもこの人男だ。さっきはよくわからなかったけど、抱きしめられてみてわかった。
肩幅は広いし、背も高い。……何より胸がない。
「ちょっ……何なんですか、あなた」
その銀髪碧眼男の胸を押し退けながら言うと、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「俺のこと、わからない?」
「あなたとは初対面のはずですけど」
「うん、初対面だ。だからわかるはずなんだけど」
どう考えても矛盾している台詞を吐きながら、それでもその人は真面目そのものだ。
「俺は君と『契約』するために来たんだ」
…………………………は?
「ようするに『聖霊』なんだよ」
あたしは今度こそ耳を疑った。
だって……『聖霊』には実体はないはずだ。だけどさっき抱きしめられた時ちゃんと感触あったし。この人が聖霊だなんてありえない。
「というわけだから、リア。契約してくれないか」
「無理です」
何処の世界に突然現れた自称・聖霊の男と即決で契約できる人間がいるんだろう。いくら相手が一生に一度目に出来るかどうかというほどの美形であって、あたしが常日頃誰でもいいから守護聖霊になって欲しいと思っていても、さすがに初対面で馴れ馴れしく愛称で呼んでくるような怪しさ大爆発の目の前の相手とすぐさま契約しようとは思えなかった。
「それは困るなぁ…。契約しないとまずいことになるんだけど……」
『まずいこと』…………?
「それってどういう………」
問い掛けようとしたそのとき、信じられない事が起きた。
メキメキと異様な音を立てながら、家に絡まっていた蔦が巨大化したのだ。
〈カゼノセイレイツカイ………コロス!〉
まるで生き物のようにうねる蔦と、頭に直接響くおどろおどろしい声。
「魔物!?」
思わず叫んだあたしに向かって、自称・聖霊の男はのんきにパチパチ手を叩いた。
「御名答。あれは君を狙ってきた魔物だ。君が覚醒する前に手をうたなければと焦ってるんだね」
あまりに緊張感のない喋り方に『ぶん殴ってやろうか』と思ったけど、そうする前に腕を強く引かれた。
今まであたしが立っていた地面を突き破って無数の蔦が現れる。
「まずいことになるって言ったのはこういう意味だよ、リア。上位クラスの聖霊なら魔物を滅ぼすことも出来るのは知ってるだろう? 君の力は強い。一度目覚めればどんな聖霊をも惹きつけ、そして使役できる。それだけに魔物にとっては脅威なんだ。……わかるね?」
まるで幼い子供に言い聞かせるように優しく、その人は言った。
「君の力が強すぎるがゆえに、並大抵の聖霊では君を守れない。だから今まで君には『守護聖霊』がいなかった。下手に契約を結べば、とても危険な状態で力が目覚めてしまうから。だが、時は満ちた。もう君は『契約』を結べる。……逆に言えば、結ばなければならない状態にある」
浮遊感が体を包み、次の瞬間には蔦が届かないくらい高くにいた。
あたしを宙に浮かせている張本人はさっきと同じように優しい声音で、でも力強く、あたしが心の奥で長い長い間欲してやまなかった言葉を紡ぐ。
「俺は風の聖霊、シリス。……もう一度言う。俺と契約してくれないか」
混乱。混乱。混乱。
だけど彼…シリスの瞳は、これ以上ないほど真剣だった。
だから頷いてしまったのだ。その真摯な瞳に惹かれて。
「名前を呼ぶんだ、リア。そうすれば契約は成就する」
言われて、ためらいながら呼んだ。
「………シリス」
刹那、風が歓喜を表すかのように踊り狂った。シリスが穏やかに微笑む。
悲鳴をあげる間もなくシリスの風に引き裂かれた魔物が、視界の端で塵になるのが見えた。同時に宙に浮いた身体がゆっくりと下降していく。
「これで、俺は君の『守護聖霊』だ。君は『守護なし』なんかじゃなくなる」
優しく微笑んだ彼が、あまりの展開の早さについていけないあたしの目を覗きこんで、問う。
「これからリアはどうしたい? 君はもう自由だ。どこでも行けるし、一人で生きていける。………ずっと、憧れていたんだろう?」
そう、憧れていた。こんな家に縛り付けられて、自由になることなんて数えるほどしかなくて。
『守護なし』じゃ仕事にも就けない。一人で生きていくのなんて、夢のまた夢だった。
「外に、出たい。……都だけじゃなくて、大陸中を見てみたい」
風のように、自由に生きてみたい。本当はずっとそう思ってた。
……それが、叶うの?
「君が望むなら」
――君が望むなら、なんだってするよ。
そう言って、彼は極上の笑みを浮かべた。