第一章~低層突破は難しい~Ep14
夜のダンジョン。
静かな夜空。
星一つない欠けることのない満月だけが照らす空間。
その姿は幻想的なものではなくただただ閑散とした世界。
どこから吹いているのか分からない風が葉を揺らす音。
モンスターたちの鼓動が響く。
なぜほとんどのプレイヤーたちが夜のダンジョンを恐れるのか。
確かにその暗さも一因ではある。
しかしそれはあくまで初心者にとってのものでしかない。
ダンジョンを照らす方法などいくつか挙げられる。
【光魔法】【炎魔法】によっても視界を確保できるし、最前線プレイヤーたちは己の感覚だけで看破する。
ではなぜここまでプレイヤーがいないのか。
それは、モンスターが強いという単純な答えだけではない。
「なんだこいつら!?」
俺は試作罠などと言っている場合ではなかった。
相対するのは何匹いるのかもわからない赤の光。
八つ一セットのその複眼が無数の束となって俺を捉えている。
「逃げ切れない!」
俺を執拗に追いかけてくるのは体長1メートルほどの巨大蜘蛛。
『フォレストナイト・スパイダー』
彼らのその武器はその剛糸。
あらゆるものをからめとるその糸は夜のダンジョンに迷い込んだ他のモンスターさえもただの獲物に変えてしまう。
そして夜のモンスターの性質。
――戦闘相手であるプレイヤーのステータス値より低いステータスが、相対者と同等まで引き上げられる。
俺はSTRもVITも0だから相手の攻撃力や防御力は増加しないが、その俊敏さが等しくなるまで上昇したのだ。
そしてその糸が放たれた直後、躱した俺を追うように空中でターンする。
「やばっ!」
ギリギリで俺の顔の上を通過していく剛糸。
矢を放ち、その複眼を貫いていくが、相手はその糸を操り、当たる前に矢をからめとっていく。
キリがないッ!
蜘蛛たちは地面を木の上を這うように迫ってくる。
総数20体。
情け程度にばらまくトラばさみ。
感知能力でも備えているのか、ほとんどの蜘蛛はその上を跳躍し躱していく。
それでも一匹くらいはかかる奴もいる。
少しでも数を減らし、矢を放つ。
もっと的確に!
もっと高速で!
反応しろ!
捉えろ!
見極めろ!
射出される剛糸を躱し、枝の上へ跳躍、振り返り様に糸を放ってきた蜘蛛の頭部を穿つ。
木々を縫うように走り、敵の糸を木に絡ませていく。
徐々に作り上げられる巨大な蜘蛛の巣。
木々の間には無数の白線が引かれ、蜘蛛たちはその中を平然と通る。
『ギュルルルルルルルル!?』
突如、悲鳴を上げて動きを止める蜘蛛たち。
蜘蛛の糸に交じって引かれていた極小糸。
その身体で思い切りトリガーを引いた蜘蛛たちはその両サイドから迫ってきた巨大な剣山にその身体をつぶされる。
グシャリと、次々にその身体を鎮めていく蜘蛛たち。
「走り回ってる間に少しずつ設置しといた罠に上手く誘導できたか」
俺は残党に向かって矢を放ちその息を止める。
『大顎』、俺が作った対空の試作罠。
木々を縫うようにめぐりめぐらされた蜘蛛の巣によって、蜘蛛たちをこの罠にかけることに成功したのだ。
今回は材料費を抑えるために木製で作ったが、鉄製で作ればその威力は大きいだろう。
その高い拘束力を持つ大顎の中で呻きをあげる蜘蛛たちに追撃の矢を放ち、光の粒子へと変えていく。
「に、逃げ切ったか」
こうして二時間に及んだ俺の逃走劇は終結した。
疲れ切った俺は、試作罠の試しも出来たので、一層に戻り、町へ向かう。
どこまでも追いかけてくる狼たちを矢で穿ち、牽制。
蜘蛛を倒してもまた狼に追われる。
低層突破がまだなされていない理由だ。
――次層へ行くにはその前の層を踏破してからでないとたどり着けない。
そしてそれは帰りも同様だ。
「あぁ! もうしつこいぞ!」
群れをなして追走してくる狼。
足を貫き牽制するがその俊敏さで何発かは躱される矢。
そしてこのDTDには他のプレイヤーが行っている戦闘への干渉禁止などというルールはない。
それはモンスターも同じなようで…………。
「うそ、だろ…………」
突如目の前にその姿をあらわしたゴースト。
その黒マントから放たれた一戟が俺のHPを刈り取った。
強制的に教会へと戻された俺。
大量のドロップアイテムを換金し、すっかりマイホームと化しているガウスの工房へ。
矢を補充し、代金を置いておくのはもうルーティンワークとなっていた。
俺は今日でその実用性を実感できた大顎を買ってきた大量の木材を使って生産する。
すっかり夜遅くなった頃、俺は寝落ちしていた。
目を覚ましたのは今回のダイブ四日目の午前六時。
少し寝坊をしてしまったようだ。
また一日、ダンジョン探索が始まる。
ウサギ、ゴブリンを無視し一層を駆け抜ける。
一刻の猶予も惜しむように塔の扉を開け、中のオークへ急襲。
オークの背後へと回り、円形の部屋の隅へと高速移動。
そして、ワンアクションしてからオークの方を振り返る。
今更になってようやく咆哮を放つ巨体。
『グォオオオオオオオオ!』
という声はもう俺の耳に入ってこない。
奴の唯一太った腹部へと矢を放つ。
巨体のせいで細かな動きが出来ない彼はその一矢をもらう。
オークの中で最も柔らかい部分である腹部に矢が吸い込まれる。
クリティカルヒットではないが、奴の内部に深々と刺さった矢は奴に痛みを与え続ける。
俺はそこを集中砲火し、動くたびに悲鳴を上げるオークを嘲るかのように部屋の中を駆けまわる。
しかし、学習能力の高いオークはこの一戦の中だけで、俺の新しい動きを掴んだのか、徐々に追いついてくる槍撃。
顔をしかめる俺。
速度を落とす。
汗をかき、苦痛の声を上げる俺に奴は、口角をひきあげる。
そして壁面に追い詰められた俺に向かって渾身の突撃を敢行するオーク。
「ふっ」
今までの苦痛が嘘だったかのように笑みを浮かべるプレイヤーに目を見開く。
しかしもう遅かった。
部屋の隅へと激突したオークはその突進が空振りに終わったことを怒る。
だが、振り返り標的を探す時間はなかった。
『グルォオオ!?』
悲鳴を上げるオーク。
姿勢を低くした槍撃を繰り出していたオークはその頭部を巨大な大顎で挟まれていた。
俺が序盤にしたワンアクション――大顎の設置。
罠が効かないことはないとトラばさみによってわかっていた。
そしてこの大顎ならオークでさえも捉えることができるのではと考えたのだ。
直径1メートルほどの木の剣山がオークを咀嚼している。
悲鳴を上げ続け暴れるオークに俺は矢でとどめを刺す。
「大顎はかなり使えるな」
俺は二層の森で、既に蜂を撃破していた。
とはいっても前回よりは少数の集団だったからだが。
流石に数十の群れに一気に襲われたらひとたまりもないだろう。
俺は二層の森を探索していく。
どうやらこの森には蜂とカブトムシと、そしてあと一種類のモンスターがいるらしい。
「うっ!」
寸前のところで回避する。
投げられたナイフ。
索敵マップでは捕捉しているが、視認できない。
木の葉の中を群れで駆け、仲間を呼び、高速移動する俺を捉え続ける影たち。
『フォレストモンキー』
一層のゴブリンと同様に武器を扱うモンスター。
次々と投降されるナイフをギリギリで躱す。
体長50センチほどの茶色の、本当に猿だ。
しかし、仲間を呼ぶ声と止まることのないナイフの乱舞。
本当に反撃する間がない。
敵の攻撃10に対して1の頻度で放つ矢。
しかも視認できない分、索敵マップだけを頼りに放った矢は命中しない。
俺は顔をしかめ、それでも矢を放つ。
一向に姿を現さない猿。
「賢いな」
いい戦術だ。
心の中で感心するが、対処方はいまだ思いつかない。
索敵マップと体をできるだけリンクさせ、矢を放つしかない。
全神経を集中させる。
索敵マップと体とをつないでいく。
矢を放ちながら誤差を修正。
身体に感覚を刻み込んでいく。
飛び交う刃を踊るように流していく。
駆け抜ける風、徐々に増えていく悲鳴。
時間がたてばたつほどに、その正確性が上がっていく。
『キャゥウウ!?』
一匹、また一匹と額を打ち抜かれて猿が木から落ちていく。
【索敵】の効果を極限まで引き出し、敵の身体の造形まで把握。
その急所を的確に打ち抜いていく。
駆けまわる狙撃手に猿たちは徐々にHPを減らす。
六時間が経過し、夕日が沈もうとしている。
数匹まで数を減らした猿たちは、何時まで経っても当ることのないナイフを恐怖に支配されながら投降し、襲い来る矢から懸命に逃げる。
「逃がすかよ!」
立場が逆転していた。
無数の光が月明かりだけの世界を照らし、散っていった。
長い逃走劇。
それは弱者の逃走劇では終わらない。
逃げて逃げて逃げた先にある一筋の光。
起死回生の一手を打ち、逃走者は襲撃者へと下剋上を果たす。
それがこのDTDでソロプレイをする青年の戦いだった。