研究の成果
ある駆け出しの研究者がいた。二十代後半で、可能性を秘めてはいたものの、まだその実力を発揮した成果をあげてはいなかった。
そんな彼はまったくモテなかった。容姿もダメ、会話もダメ、金を稼げるかどうかはまだ分からなかったが、貧乏一家の次男坊で奨学金で大学院まで通い詰めたのだから、余裕があるはずもない。出会いもないのでとうに諦めていた。
しかし、バレンタインデーに彼の使っているデスクの上に包みがあった。ラッピングとメッセージカード「義理です」から、チョコレートに間違いなかった。差出人の名前はなかった。
彼はそれを手にとって、どうしようか迷った。相手に心当たりがないので食べる気にはならないものの、捨てるのはちょっと惜しかったのだ。毎年気にしてないそぶりを見せつつも、そういう点では彼も人並みに男だった。
結局彼は封を開けずに家に持ち帰って記念に取っておくことにした。しかし誰からの物だったのか確かめることはせず、研究に没頭している間にそのことを忘れてしまっていた。
それから六年後。
自らの研究室を持つようになり、今まで暖めていた研究にようやく集中し始めた時、彼のプロジェクトチームに女性が入ってきた。
彼女は、そこそこに容姿もよく、そこそこに愛想もよく、そこそこに研究者として優秀で、まさに紅一点の存在として研究室の中で可愛がられるようになった。特にバレンタインデーには彼女から彼を含めた研究室のみんなに義理チョコが配られるようになったりして、浮いた話の一つもない男どもにとってささやかな楽しみとなっていた。
彼が研究室を持ってから更に四年後。
三十も後半に足を踏み入れたその年、彼の研究はいよいよ大詰めを迎えていた。
その年のバレンタインデー。毎年のように義理チョコを配っていた彼女は今年、彼にだけはチョコレートを渡さなかった。それが意味するところ、彼は夢想した。
この研究が完成し特許を取れれば大きなお金が入る。彼女はそのことを評価して彼と結婚したいと考えているのかもしれない。今日、義理チョコを渡さなかったのは、後で本命チョコを渡しに来るつもりだからではないだろうか、と。
果たして、調べ物と称して自分の研究室で最後まで残っていた彼の元に、彼女が現れた。
彼はそわそわしながら、なんの用だと聞いた。
彼女はお別れの挨拶をしにきた、と答えた。
予想外の言葉に彼は驚いて言葉が出なかった。
彼女はそんな彼の心情を察して、ある書類を見せた。彼の研究に関する特許の申請から特許権の取得までを記されたものだった。そして、権利者であるはずの彼の名前はそこになく、彼女と他数人の名前があるだけだった。
彼は放心しながら、どういうことだと問いかける。彼女はあっさりと、彼の研究を盗むスパイだったのだと答えた。
つまり、彼は自らの研究に専念し、論文申請の手続き等の雑事を全て彼女に任せていた結果、それがそっくり裏目に出たのだ。彼は事情を全て理解して、がっくりと机につっぷした。
もう説明する必要はないと判断して出て行こうとする彼女を彼は呼び止め、この書類を渡すから今年のバレンタインデーはチョコレートを渡さなかったのか、と最後に聞いた。
振り返った彼女は答えた。メッセージカードと一緒に送りましたよ、と。そのラッピングとメッセージカードの特徴について細かく説明する。
受け取った記憶なんてないと思っていた彼は、彼女の話を聞くうちに、みるみる顔を歪ませていく。
そんな彼の表情を見て彼女は満面の笑みを浮かべた。
「あっ、届いてました? 最後に実験の成果をご自分で確認できてよかったですね、先生!」