40話
一瞬、頭の中で回路が弾け飛んだような感覚の後。
目の前に、黒い髪、黒い瞳の女性が立っている。
筋肉質な引き締まった体の中心、心臓の位置には深く包丁が突き刺さっている。
……よくもまあ、躊躇い傷もろくに作らず、ああまでぶっすりいったものだ。
「『ダフネ』か」
「ああ、そうだ」
そして、『ダフネ』は胸に突き刺さった包丁をものともせず、普通に喋りさえしたのだ。
「それで、お前は誰だ」
……なんというか、自分自身と会話をしているような気分になるな。
「……『プレイヤー』だよ。この1年間、『ダフネ』が何をやるか、お前の目線でずっと見ていた」
そう言うと、『ダフネ』は不審げに眉を顰めた。
「どういうことだ」
「あまり深く考えなくていい。幽霊が1人憑りついていたとでも思ってくれ」
「そうか」
……話の分かる奴で良かった。
「折角だから答え合わせをさせてくれないか。『ダフネ』が何を考えていたのか」
バグが起きたのは結局、トレーニア夫妻、騎士2人、ペロミアさん、サージスと戦った時だけだ。
つまり、それ以外では『ダフネ』は殺意以外の何かを感じていたことになる。
折角だから『ダフネ』が死ぬまでの間に聞いておこうと思ったのだ。
「私の目線でずっと見ていたんじゃなかったのか」
「何を思っていたかまでは分からなかったんだ」
そう言うと、そういうものか、と『ダフネ』は納得したらしい。
「何を考えていたのか、と言われてもな」
「ああ、じゃあ、ノイエが死んだときは?」
実を言えばノイエ相手にどういう気持ちで接していたのか自体が気になるんだが、それは置いておこう。
「心が千切れそうだったさ」
……しょっぱなからこれか。
そんなことを表情一つ動かさずに言われても説得力に欠ける。
「キルシスに『何か勘違いしているようだが、ノイエは別に恋人では無かった』と言っていなかったか?」
「事実、そうだっただろう。それに、そうでも思わなければ壊れてしまいそうだった」
……『ダフネ』は非常に表情の表現に乏しい、と。
或いは、『プレイヤー』との乖離のせいで、感情を表に出せないキャラクターになってしまっているのかもしれないが。
「殺したくなかったなら助命をキルシスに頼んだのは?」
「まさか助命するように言ったら殺されるなんて、誰が思う?」
成程。確かにそうだ。『プレイヤー』は選択肢の先を知っているが、それを『ダフネ』が知る由も無い。
淡々と述べる『ダフネ』に新鮮さを感じながら、次の質問に移る。
「じゃあ、次だな。エーリックの時は?」
「まさかあんなことになるなんて、思っていなかった。従兄弟を死なせるつもりなんて無かった」
これも同じか。『ダフネ』は本当に、自分の家族に会いたかっただけで、そしてエーリックとすれ違いの果てにああなってしまった、と。
まあ、そういう心情だったとしても筋は通るな。
「レヴォルとリエルは?あの時シェルターを1人分しか作らなかったのは何故だ?」
「魔法陣と干渉して1人分のシェルターにしかならなかったんだ」
成程、手を抜いた個所はそういう風に補完されるのか。
「じゃあ、ジェニストは……気づいたら死んでた、っていう事か」
「びっくりしたとも。思わず証拠隠滅してしまった」
そうだろうな。あれは酷い。そして『ダフネ』は何もしていない。殺害を疑われないためにとりあえず証拠隠滅する、というのも分からなくはない。
「騎士2人とトレーニア夫妻とペロミアさんと国王は?」
「国王は……なんでだろうな。許せなかったんだ。世界全体が。魔王に最愛の人を殺された。国王には従兄弟を……いや、八つ当たりだったのかもしれない」
成程。『ダフネ』は自暴自棄になっていた、と。
「騎士2人とトレーニアとペロミアさんは?」
「すまないが、その人たちの事は知らない」
……バグった相手の事は知らない、という事か。
「じゃあ、サージスは?」
「サージスは……くそ、なんだか曖昧にしか覚えていないんだが……」
半分ちょっとバグってたからな。
「ノイエを殺した魔王の部下だったから、だろうか……いや、多分、私を愛していたからだと、思う」
……愛されていたから、殺した、という事か?
「それは何故」
「てちかちとにてらちにとにかいのなすいかちくにからくちもにみみみちとにみみしいにかかちみみしちのちすちとちほまにとなもらとにみちみちにかららのちとににかららもらかかち」
「……は?」
「理解できないかもしれないが、そうとしか言いようがない。それが自然だと思ったんだ」
一瞬バグったか、と身構えたが、おかしくなったのは一部分だけだったらしい。
……半分バグっていたからな。あれ。仕方ないか。
「で、キルシスと部下は?」
「決まっているだろう。ノイエを殺した奴を殺しただけだ」
「敵討ちの感想をどうぞ」
「思っていたよりすっきりした」
それは良かったな。
……この『ダフネ』、やはり乙女ゲームの主人公ではあるが……大分、『プレイヤー』に引きずられてるな……。
「……さて。ところで、『ダフネ』。まだ死なないのか」
そろそろ出血多量で死んでくれてもいい頃だと思うんだが。
「そうだな。まだ死なないみたいだ」
「死んでくれないと困るんだが」
「それは何故?」
何故、と言われると……返答に困るな、これ。
これはデスゲームかもしれなくて、あなたが死なないとこちらの大切な人が死ぬかもしれない、なんて説明するのもアホらしい。
「言えないような理由、という事か」
言い淀んでいると、勝手に解釈された。
「こちらにはこちらの事情がある、とだけ」
「そうか」
そして瞬間、嫌な予感がして飛び退くと、足元の地面が爆発していた。
「なら、こっちもこっちの事情でお前を殺させてもらおう」
……ああ、うん、こうなるような気はしていた。
相手は怪我をしていて、かつ装備無しの丸腰ではあるが、それでも『筋力』も『魔力』もカンストしている化け物である。
そして一方、自分はというと……『ダフネ』程のスペックは無いだろう。少なくとも、魔法は使えない。この時点で詰んでいるようなものだが。
あるのは元々自分が持っていたスペックに非常に近しいものと、知識と、それからプレイヤースキルだけだ。
……この状態で、『ダフネ』を殺せ、というのか。
無理があるだろう、これ。
これが『丙』の最終関門か。無理ゲーだ。無理ゲーだ、これ。
……だが、だからといって投げる訳にはいかないし、投げるのは性に合わない。
殆ど勘、それから『ダフネ』を操作していた時の記憶で魔法を避けていく。
一旦魔王城の瓦礫の陰に隠れて、隠れながら魔法を避けていく。
ある意味、『自分ならどう動くか』の通りに『ダフネ』が動いてくれるのは有難い。かなり行動に予想が付くから、この低スペック状態でもなんとかなっている。
なってはいるが……どうするか。
このままじゃ埒が明かない。こちらには攻撃手段が無いというのに、攻撃手段を豊富に持っているハイスペックな相手を倒さなければいけない。
攻撃手段になりそうなものは……うん、無いな。
というより、無いようにしたのだ。
こうなるような可能性、『ダフネ』がバグる可能性を考慮して、『ダフネ』の装備は全て外したし、『ダフネ』を殺すための道具も装備品でもなんでもない包丁を選んだ。
およそ、『ダフネ』を強化する材料は全て除いた訳だが、それによって自分を強化する材料も失っている、というか。
どうしようもないことだが。
どうするか、と考えていたら、すぐ隣の瓦礫が跡形も無く消し飛んだ。接近戦に持ち込まない辺りが慎重で実に『自分らしい』戦い方だと思う。
……そうだな。自分のリーチまで相手との間合いを詰めない事には始まらない。
相手のリーチでしかない位置にいたとしても、勝つことはできない。
ましてや、粘り切られたらこちらの負けだ。こちらにはタイムリミットがある。
トメント(12月)30日23時59分59秒が終わった瞬間にゲームセットだ。
まだ時間はあるが、それでものんびりしていていい理由にはならないな。
……よし。腹を括ろう。
『ダフネ』が魔法で瓦礫をまた消し飛ばすのに合わせて、陰から飛び出した。
『ダフネ』の反応は流石に速かった。
一瞬でこちらに目標を定めて魔法を撃ってくる。
勿論、それは予測できていたのでいきなり方向転換することで『ダフネ』を一瞬混乱させる。
それでもすぐ発射された魔法を、しかしむしろそれに突っ込んでいくようにして避けて、『ダフネ』との距離を縮める。
魔力の壁で反応してきたので、その壁を蹴って登るようにして、壁の上から『ダフネ』の頭を狙って膝蹴り。
「っ!」
……も、それも魔力の壁に遮られて叶わない。
ぎりぎりまでは行けたんだが。残念。
そのまま魔力の壁を蹴って離脱してもいいが、それはせずに壁の終わる部分を勘で当てて、そこからまた膝蹴り。
それも届くことなく遮られたので、諦めて離脱……しようとして、スペックの変化が仇になった。
『ダフネ』の体に慣れた身としては、いきなりスペックが落ちているようなものなのだ。
離脱できるタイミングを見誤った。『ダフネ』になら可能でも、自分でも可能とは限らない。
そして当然のように、腹部に拳を叩きこまれる。
……意識が飛びかけたが、なんとか持ちこたえてすぐまたその場を離脱。
低い姿勢からまっすぐ『ダフネ』に突っ込んでいき、そのまま方向転換すると見せかけて、『ダフネ』が保険で出した魔力の壁を蹴ってもう一撃。
も、それも恐ろしいスピードで躱され、代わりに一撃、腕に貰ってしまった。
叩き落されて、なんとか地面を転がって逃げるが、腕は見事に折れていた。
とりあえず一旦逃げる、なんていう事が通用する相手でも無いのでもう一度、十分にフェイントを掛けつつ突っ込んでいけば、今度こそ完璧に捕まった。
……こりゃ、駄目だ。
「……驚いたな。まるで自分と戦っているようだったよ」
『ダフネ』によって地面に押さえつけられているが、そんなことをしなくても、腕も脚も肋骨も折れているような状況で戦えるわけがない。
何か気の利いたセリフの1つでも言いたいが、声を出そうにも、激しい痛みがそれを許さない。
『ダフネ』は何か言い淀んで、そして、それからずっと刺さりっぱなしだった包丁を抜いて、それを手に持ち、振り上げて、そして。
ただ、『死なない』ように、強く意識を持った。それだけだった。
「何故死なない。化け物か」
ぐさぐさと包丁で腹部を、腕を、脚を、あらゆる場所を刺されているが、死なない。
『プレイヤー』が『条件2』を満たさないでいる限り、このゲームはまだ終わらない!
「片っ端から潰していけばいいんだろうか……それとも、燃やすか」
勿論、死なないだけだ。
もう反撃の余地は無い。
痛みまでリアル、という仕様の所為で永遠にも思える苦しみを味わうことになっている。いっそ死んだ方が楽なのではないだろうか。
しかし、死なない。死ねない。
最後に残った、『ダフネ』というキャラクターを死なせる、もしくは消滅させないと、条件を満たせないのだから。
「……なあ、何故、お前は死なないんだ」
困惑するような、問いかけるような『ダフネ』の声に思う。
何故、というのならば。
ユキノの……大切な人の為である。
その時、『ダフネ』が顔を顰めた。
その腹部……包丁が刺さっていたのに血すら出ていなかったそこから、血が一筋、流れ落ちた。
不思議そうにその傷を見る『ダフネ』を見て、自分が今考えた事をもう一度考えて。
そして急速に思い出した。
今まで『ダフネ』を操作して、『ダフネ』が受けた痛みは、そのまま自分の痛みであったことを。
だから、その可能性は、あり得る。
必死に、良く回らない頭で、今『ダフネ』が何を感じているのか、考える。
……愛する人を失って、そして愛してくれる人を、家族を、次々また失って。
復讐の為に国王を殺し、そして魔王すら殺して。
それは、『大切な人の為』に。
そして全て終わって、そして、そして……忘れてはいけない。『ダフネ』は、自殺しようとしていたのだ!
つまり、ダフネは、今、死にたい。
それが分かった途端、『ダフネ』の腹部から勢いよく血が噴き出した。
「なっ」
困惑、そして安堵をそこから感じ取ると、腕から、そして脚から……自分の傷がそのまま『ダフネ』に反映されていく。
「何、故」
そう言いながら、悔しそうな、嬉しそうな顔をしているのは、自分に影響されている部分が少なからずあるからか。
或いは、或いは……もっと、感傷的な、何かだろうか。
……考えなくても、もう感じている。とっくに胸が苦しい。
そしてそれは正解なんだろう。その証拠に、『ダフネ』は地に伏した。
「……なあ、思い出した。何故、騎士達や、トレーニアや、ペロミアさんを殺したのか」
隣に倒れた『ダフネ』は急速に力を失っていくようだった。
「殺したかったから、殺したんだ。理不尽に、殺してやりたかった」
『ダフネ』がそう言った途端、『ダフネ』の傷はますます酷くなる。
「恨みも無い。むしろ、ペロミアさんには世話になっていたぐらいだったけれど……殺さなきゃ、いけなかった、んだ。……それに、楽しかった。戦うのは、楽しい」
『ダフネ』と目が合う。
「そうだろ?」
その誇らしげで、それでいてどこか寂しそうな顔を見て、その苦しみと諦めと……どうしようもない達成感をそこに見て、体全体を支配している痛みより鋭い痛みを感じて、何故自分がシミュレーションゲームが苦手なのか、なんとなく分かったような気がした。
どこかでかちり、と、全てが収まるような音を聞いた。