36話
沈む右手に握られた剣を取ろうとした左手の指を掠めるようにして、再び見えない刃が飛ぶ。
……バグが2段構えなんて聞いてないぞ。
しかし、参った。
剣も利き腕も失う、というのは流石にまずい。
魔法だけで戦うにしても、発動に腕を使うのだ。
そして、絶えず傷口から溢れ、水に溶けていく血液。
失血によって『ダフネ』のスペックが落ちていくのが分かる。
こんな所までリアルに作りこまなくてもいいだろうに、このゲームはどこまでもリアルだった。
離脱しなければ、と魔法を発動させようとした時、背後から飛んできた剣に背から刺される。
骨を絶たれたのだろう。
体が動かない。
続いて飛んできた本体の方……サージスが持つ、半ばから消えている剣が正面から来る。
咄嗟に魔法の障壁を展開して防いだが……失策だった。
次の魔法を、と集中するが、何時まで経ってもピントが合わない感覚。一向に像を結ばない。
予想以上にダメージが大きいらしい。魔法を使うのにも支障が出ている。
この壁を解除すれば間違いなく刺されるが、一旦解除しないと瞬間移動できそうにない。
……しかし、今は何とか拮抗しているものの、いつ破られるか分からない。集中力も魔力も長くはもたないだろう。
くそ、もう一度刺されてもまだ魔法を発動させるだけの余力があるだろうか。
詰み、か?
これが普通のゲームだったらコンティニュ―して何度でもやり直す。クリアできるまでプレイヤースキルを磨き続ける。
けれどこのゲームではそれができない。
ユキノがいる。だからこのゲームは降りられない。
……甘く見ていた訳じゃ無い。むしろ存分に警戒した。そしてベストは尽くせたと思う。
それでも尚これだったのだから、プレイヤースキルが足りなかったのか、或いは、初めから……いや、それは無い。
負けイベントでは無い。それは絶対にありえない。
どんなにゲームバランスがおかしくても、不可能な訳じゃ無いはずだ。
少なくとも、それを信じて足掻くしか自分にはもう道が残されていない。
信じる事。このゲームがゲームだと信じ、このゲームを制作した人がゲームを制作したと信じる事。
この状況をなんとかする方法を、バグの解除以外に思いつかない。
周らない頭で考える。
違う事を求めている条件4つ。
達成を目指す条件を宣誓する場面なんてなかったんだから、それぞれバグの条件はきっと同じ。
だとすれば、何が起きたら、『300人中287人が死ぬ』事になる?
勿論、287人の中にはバグによる死亡じゃない人だっているだろう。
それでもその大半はバグによって死んだ。
ならば、バグの条件は『攻略対象を殺そうとする事』では無いはずだ。
また、国王……テドル・クロナレイ・エルヴァラントを殺害しようとした時に殆どバグらなかった事を考えると、『イベントを逸脱した時』でも無い。
そして。
……きっと、そうだな。『ストーリーから逸脱した時』でも、無い。
ユキノは真っ先にバグを起こして死んだ。
考えろ。考えろ。
自分とは相成れない嗜好を持つユキノが真っ先に満たす条件は何だ。
自分とは違う考え方で物を考えるユキノがやりそうで、また、会場に居た多くの人がやって、そして自分がやらなかった事は何だ。
……そして、生き残った『挑戦者』は皆、ゲームを相当やりこんでいる、という事。
むしろ、『ゲームをやりこんだ者が生き残った』という事。
……「これは現実では無い。あくまで『ゲーム』である」。
『甲』と『乙』はそれらを分かった上で、それに触れないように、或いは触れてしまっても問題無いように動けるか。
『丁』は触れるか触れないかの線をどこまで行けるか。
そして『丙』はそれに真っ向から立ち向かう。
その超えるか超えないか、立ち向かうか寄り添うかの『一線』を、自分はきっと勘違いしていた。
……すとん、と納得がいく。
ユキノ他、乙女ゲームが好きなお姉さん方の大半がやりそうなことだ。
『ステラ・フィオーラ』をやりこんだ人が生き残った事にも納得がいく。
自分が苦手でやらなかった事で、ユキノはきっと得意な事で。ユキノはそれを行うという意識すらなく行っていたに違いない。
きっとそれは『シミュレーションゲーム』の正しい遊び方なのだろうから。
「サージス」
霞む視界にそれを捉えて、水の中で口を動かす。
声は伝わらないだろうが、それでいい。
薄く笑って。
「愛してる」
死ね。
果たして、サージスは動きを止めた。
それは1秒程度だったかもしれないが、それで十分だ。
魔力の壁を消して、まずは沈んだ右腕を追いかけて瞬間移動して、腕と剣を拾う。
拾ったらすぐ、スライムごと地上へ瞬間移動する。
鞄の側に移動すると、気を利かせたスライムが体を伸ばして回復薬を拾ってくれた。
そして、その中身を自らが取り込み、空気を送り込むのと同じようにして『ダフネ』の口内に回復薬を流し込む。
それだけで、体がまた動くようになった。
どこまでも素晴らしいスライムは、斬られた腕もくっつけてみてくれたらしい。
ただ、腕はつながりはしたが、感覚が鈍い。少なくとも、剣を握るのに不安がある程度には。
もう1本飲んでみてもそれは変わらない。
くそ、仕様か。
……迷ったが、剣をしまう。
完璧な状態の腕でないなら、最初から魔法一本に絞った方がいいだろう。
湖が派手に水しぶきを上げた所を見ると、どうも例の見えない剣はそうそう待ってはくれないらしい。
まあ、あの程度で完全にバグが解除されるとも思っていない。自分はどうも、そのあたりの調整が苦手なようだから。
さて、魔法で戦うなら余計に地上じゃ分が悪い。
スライムを連れて、すぐ湖に飛び込む。
……短期決戦だな。
魔法を使いすぎると睡眠不足か貧血の時のように、どんどん集中力が欠けていく。
疲れも損傷も知らないような化け物相手だ。長引かせても勝機は無い。
そして、もう後が無い。
ここでサージスを倒せなかったなら、どうせゲームオーバー一直線だ。
鍛え抜いた表情筋を駆使して表情を作るとしよう。
さて、『ダフネ』は今、何を考えているのだろうか。
水の中で戦うもう1つの利点があるとすれば、空気より水の方が流れを感じやすい、ということだろう。
特に、見えないものが動くならば、その価値は計り知れない。
ましてやこんな戦況だ。1つでも多く情報が欲しい。
水の中に浮きながら、落ち着いて水の動く様子を探る。
それは魔力の流れを読み取るのにもよく似た感覚だった。レヴォルやらキルシスやらのおかげでそこに不安は無い。
……右だ。もっと深い所。水底に近い位置をゆったり動いている。
霊水晶を取り出して、こちらも待ちの姿勢に入ると、不意にそれは動き、真っ直ぐこちらに向かって突っ込んできた。
それを確認するのとほぼ同時に『氷の霊水晶』を投げ、魔法をぶつけて暴発させる。
それがどのぐらいの暴発具合になるか全く想像がつかないので、結果を確認するより先に瞬間移動して湖から出る。
……結果は湖の外からでも分かった。
凄まじい音とともに湖の水の1割程度が凍り付いた。
おそらく、あの中に見えない剣も巻き込んでいるはずだ。
よし。これでいい。これで地上で戦うリスクを減らせた。
湖に戻ることなく、その場で待つ。
何故なら、水中よりも声が通るから。それだけだが、それが何より重要だろう。
数秒と掛からず、派手な水しぶきとともにサージスが水面から飛び出す。
生きのいいこって。
「サージス!」
右手に霊水晶を握り、左手に魔力を込める。
「愛してる」
サージスは明らかにその言葉で動きを止め、結果、そのまま飛び出した湖に再び落ちる。
その1瞬、それで十分だ!よし!死ね!
『氷の霊水晶』を投げ、左手から出した魔力の障壁でサージスに押し付けるようにすれば、それはまたしても暴発した。
サージスを巻き込んで湖を凍り付かせていく。
なんかサージスの声が聞こえたような気もしたが、そんなことはどうでもいい。
あとはひたすら、愛してる愛してる、と言葉を絶やさないようにしながら氷塊を湖から引き揚げて(スライム達が手伝ってくれた)、凍ったサージスをやはり愛してる愛してると言いながら削っていき、削った端から燃やしていく。
……ああ、くそ。
「ダ、フネ」
驚くべきことに、朦朧としてはいるものの、サージスはまだ意識があるらしかった。
まともな台詞を発しているという事は、バグはひとまず収まっている、という事だろうか。
「愛してるぞ、サージス」
しかし油断はしない。死ね。
「ダフ、ネ……何、故……」
「明日には魔王もサージスの所に送ってやるから、安らかに眠ってくれ。愛してる」
今日の夕飯はどうしようか。
頑張ってくれたスライム達にも何かふるまった方がいいだろうか。
「魔、族が……憎い、の、か」
「……愛してる」
適当な事を考えながらサージスの首も削って燃やし尽くせば、やがて灰が光って消えた。
……メニュー画面を開いて確認すれば、きちんとサージスは消えていた。よし。
……これでひとまず、だが、試合に勝って勝負に負けた気分だ。
このゲーム、市場にリリースされたら、今度はこういう手じゃなくて、きちんと真っ向からやりあって勝ちたい。
何度でもコンティニュ―して、プレイヤースキルをもっと磨いて、もっともっと強くなって、真っ向からへし折ってやりたい。
その時はもうちょっとサージスと仲良くしてやろう。うん。




