29話
翌々日。
最早日課と化しているリエルとの夜の散歩で、王都郊外の小高い丘に出た。
「今日も月が綺麗だな」
今日の月は十六夜の月である。少し欠けた円が明るく夜道を照らす。
このゲームの月は異様なまでに大きく明るい。
……いや、落ちてくるわけは無いか。流石に。これは乙女ゲームだし。残り三日の世界とかではない。オカリナ吹かない吹かない。
月が大きく明るいのは、こういった夜のイベントにおける視界の確保、それからファンタジックな世界観の演出だろう。
グラフィックにとことんこだわったゲーム、というのが売りだったのだし、これは間違っていないと思う。雰囲気も悪くない。
「ダフネ」
隣を並んで歩いていたリエルが不意にこちらを向く。
「なんだ」
「俺、赦されようと思う」
そうか。報告の義務はないから好きにしてくれていいんだが。
「あいつじゃなくて、俺自身に。あいつを言い訳にしてずっとこのままでいるのはもうやめるよ」
「やっとこれで心身ともに自由になれたな」
だからさっさと居候をやめろ、と思うが、ぐっとこらえる。今こいつに出て行かれたら困る。殺せない。
「ああ。だから、これからは成り行きとかじゃなくて、俺自身の意思でダフネに仕えたい」
どうしてそうなった。
……あれか。ヒモとしての本能に目覚めたか。まあ、稼がなくても食っていけるんだからなあ……。
「それじゃあ今までと変わらないだろう。いいのか?」
「ダフネさえよければ。……結果が同じでも、俺自身の思いが違うんだ。……ダフネ、忠誠を誓わせてくれないか?」
真っ直ぐ見てくる目が非常にうっとおしい。早く殺したい!後2日!明後日だから!明後日だから!と自分を諌めつつ、非・VR版のイベント通り、微笑んでリエルの手に手を重ねる。
うん。イベントだ。これはこういうイベントだから仕方ない。
相手はAIだ。所詮電子の記号の羅列が生んだものだ。そこに嫌悪は無い。
ただし、うっとおしくはある。
現象自体に嫌悪は無くても、その現象の裏の意図に対しては非常にうっとおしいと思わざるを得ない。
リエルは跪いて『ダフネ』の手の甲に口づけて、顔を上げた。
「ダフネの命令なら俺は命だって捨ててみせる」
しかも重い。なんだこいつ。
「させないさ、そんなこと」
捨てるなんてとんでもない。
しっかり花火の燃料として使ってやるから安心しろ。
時代はエコ志向だからな。
微笑んでやれば、リエルも満足したようだった。ちょろい。
これで花火の準備は全て整った。火種になるレヴォル、燃料や機材その他は怪しい集団が用意してくれる。ついでにリエルも燃料にして燃やしたら丁度いい。
後は盛大に打ち上げるだけだ。
サティア(11月)10日。
遂にレヴォルのルートでは大きな分岐点となる【全てを破壊する魔法】が発生する。
リエルの【隷属と忠誠】も起きているから、恐らくリエルも同時に燃やせるはずだ。
という事で、早速イベントを始めようじゃないか。
昼頃、不意に空気に漂う魔力がざわめいた。
それこそ、これは異常だとすぐに分かるレベルで。
「リエル」
「ん?ダフネ、どうかしたのか?」
「感じないか、魔力の高ぶりを」
なにいってんだこいつ、というかんじの中二病真っ盛り感あふれる台詞だが、イベント通りの台詞だ。仕方ない。
「恐らく東の森だ。様子を見に行ってくる。リエルは」
「付いて行くよ」
よしきた。
早速、リエルを連れて東の森へ瞬間移動する。
……そう。リエルの【隷属と忠誠】は、発生してからあちこちにリエルが付いてくるというものだ。
なので、ハーレムエンドを目指す時にはこれを発生させる前に他の攻略対象の好感度をある程度上げておかなければならない、というめんどくさい奴なのだ。
リエルが付いてきているとサージスは告白しない。
リエルが付いてきているとキルシスはすぐに主人公を殺す。
リエルが付いてきているとエーリックと一緒に居る時、刺客が襲ってこない。
……碌な事が無い。
イベントを組み立てるのが大変だった。
魔法で移動した先では、より大きく魔力がうねっていた。
「うわ、俺、魔法使えないけど分かる。空気がぴりぴりするな……」
「魔力が大きくうねっている。原因は……あっちか」
このイベントは『魔力』がある程度無いとレヴォルを見つける事すらできない。
魔力を辿っていけば、少し開けた場所に出た。
そして、そこでは大きな魔法陣が描かれ、中心にレヴォルが立ち、周りに数名、フードを目深にかぶったローブ姿の男がいる。
「レヴォル」
「っ!……あ、アンタですか」
レヴォルはこちらに気付いて動揺したものの、平然を装ってこちらを見返してくる。
「何をしているんだ」
「古代術式の復元です。特定の魔力だけを破壊する魔法で、魔王の魔力を破壊します。……そうすれば、魔物を根絶やしにできるんです」
勿論嘘である。
フードの男たちは単純に、魔力の暴走に指向性を持たせる研究をするためにレヴォルを実験台にしようとしているだけだ。
「レヴォル……?」
そこでリエルがレヴォルの名前に引っかかったらしく、じっとレヴォルを見つめているが、レヴォルはリエルに気付かない。
まあ、4歳の子供が10年前のお兄ちゃん的存在の顔を覚えている方が不自然だな。
ちなみに、このイベントでレヴォルもリエルも助けると2人は感動の再会を果たしつつ主人公の取り合いを始めるという非常に愉快な事になるが、関係ないことだ。
「レヴォル、魔王の魔力はもう大地にすら染みている。国境付近が消し飛ぶぞ」
「いいじゃないですか!あんな所、別に、消えたって!」
レヴォルとリエルの居た村、というのは国境付近にあった。
だからだろう。レヴォルは激昂して、しかし魔法陣の上からは動かない。
「……いいのか、レヴォル。これはかなり大きな魔力を使う術式だろう。お前自身がどうなるかわかったもんじゃない」
「はい。覚悟の上ですよ」
そう言いつつ、レヴォルは目を逸らす。
「本当にか」
問い直すと、レヴォルは声を荒げて続ける。
「俺自身なんか、とっくにもうどうでもいいんです!俺は憎しみだけで生きてるんです。憎しみで魔物を殺せるなら安い物じゃないですか!それに、今更、俺自身に、魔物を殺す事以外に、未練なんて!」
「私はどうだ」
魔法陣がふと、揺らいだ。
それに気づいてローブの男たちが慌てはじめる。
つまり、レヴォルの気持ちが揺れている、という事なのだろう。
レヴォルの表情は良く見えない。
しかし、相当に動揺してはいるのだろう。魔力の揺らぎが不安定になってきた。
「私は、お前の未練になれないか、レヴォル」
「お、俺は……魔物を、皆殺しにするために、生きて……」
魔法陣の一角が光になって消える。
ローブの男の1人がそこに魔力を注いで補強して、なんとかもとに戻した。
「レヴォル」
もう一度名を呼ぶと、更に魔力は不安定に揺れる。
「あの女を何とかしろ!このままじゃ暴発する!」
ローブの男の内何人かがこちらに魔法を飛ばしてくるが、当たらなければどうという事は無い。
「レヴォル!お前がどうでも良くても、私はどうでも良くなんてない!私はお前が必要なんだ!」
魔法陣に踏み入り、レヴォルの顔を覗き込む。
「居なくならないで」
レヴォルの見開かれた目と目が合った。
その瞬間、魔法陣が完全にレヴォルの物では無くなった。
レヴォルに接続されたまま、その魔方陣はレヴォル以外の意思で動く。
「くそ、手間かけさせやがって」
「もういい。このまま起動するぞ!」
起動用の魔力が流れ、それがレヴォルの魔力を引きずって魔法陣に流していく。
魔法陣が光を帯び、動き出す。
魔力が唸り、肌を刺すように激しく震える。
レヴォルがその意味に気付いて『ダフネ』を陣の外に突き飛ばそうとし、リエルが『ダフネ』に駆け寄り、そして、『ダフネ』は。
……その2人の間で、魔力で1人分のシェルターを作って防御の構えを取った。
……本来、『魔力』が足りない時に、シェルターが1人分しか作れずにこうなる。
ノイエの【晩餐】のイベントで、こちらが手を抜けばステータスが基準以上になっていても基準を下回る時の結果を出すことができる、という事はもう実践済みだった。
そして、今回も無事、そうなったのだ。
辺り一面、荒地になった。
この威力はローブの連中も意図していなかったらしい。彼らも消し飛んだ。
『ダフネ』が立っていた場所だけ土や草が残り、その周りは土すら巻き込んで吹っ飛ばしたらしく、荒地どころかクレーターになってすらいる。
勿論、リエルとレヴォルも無事、始末することができた。
死体、遺品どころか塵すら残っていない。
人を殺す時は、死体が出ない方がいい。
死体の欠片、遺伝子の欠片すら残さなければ死体の発見から殺人が露見することも無い、と、何時か読んだミステリにあった気がする。
……別に、殺人では無く事故だし、露見したとしても問題ないのだが。
さて、帰って風呂に入って、久々に1人で飯を食べられるな。よし。
今日は何にしようか。中華にするか、エスニックでもいいな。香辛料の類が市場にたくさんあるのを見つけているから……いや、間を取って鳥の水炊きだな。うん。
買い物を済ませて家に帰り、夕飯を作って美味しく食べ、久々にゆっくりと、のんびりとストレスフリーな就寝と相成った。
寝間着に着替えて寝室に入ると、心得た、とばかりにスライムたちがくっつき合ってマットレスになってくれる。
そこに埋もれて眠るのだ。ああ、幸せ。
さて、明日からキルシス関係のイベントを進めなくてはいけないな。
魔王討伐は最後になるが……それまでに残りの殺害を済ませなければならない。
あと1件、スぺラ○カー野郎を除けばもうイベントの力を借りられない。
完全に、あのバグと戦う事になるだろう。
魔王討伐の前にサージスと、国王、ペロミアさんと、それから名前が設定されている貴族数名も、か。
一応作戦は練ってあるが、果たしてどうなることやら。