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隔離学級  作者: 武来安
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第一章

 翌日、チャイムが鳴る五分前、僕のいつも通りのベストタイミングで教室につく。ドアを開けるともう大半の生徒が来ていた。この特別学級は少し距離のあるところから通学している人が多い。特別な事情の生徒が集められているのだからなんら不思議なことではない。しかし交通機関にも事情というものがあって、そんな生徒たち一人一人に斟酌を加味することはできない。よって、朝早くから登校せざるを得ない人が大勢いるわけだ。

 僕は挨拶するような仲の相手もおらずそそくさと着席する。後ろの席にはすでに黒森がいたが話しかけてくる様子もない。昨日披露したよく回る舌はどこへ行ってしまったのか。糊を食べておばあさんに切られてしまったわけでもあるまい。朝だから睡魔と格闘中なのかもしれない。それとも大勢の人がいる空間で口を開くことに嫌悪感を抱いているという可能性もある。

 どちらにしても僕も口をききたくはなかった。正直僕は入学当時から彼女のことが苦手だった。要因はあの西洋人形のような容姿だ。推理小説を嗜む僕にとって西洋人形は死の象徴といっても過言ではなかった。初見で黒森のことを推理小説から飛び出した殺人人形かと妄想してしまうほどだった。そして、このクラスで唯一の人ならざる者という印象は未だに吹っ切れていない。

「栗花落、今いいわよね?」

 鋭い刃物が潜んでいそうな声に自然とそちらに目が行く。

「聞こえないの?栗花落」

「あ、あの…何か、よ、よ、用?」

 あの目つきの悪い女子が取り巻きを二人引き連れて気弱な女子に話しかけていた。目つきの悪いのは昨日教壇に立っていた西條真理恵。気弱そうなのは昨日挙動不審だった栗花落杏莉。取り巻き二人はいつも西条の陰に隠れていて名前は知らない。正確には入学したての頃の自己紹介で耳にしているけど忘れた。

 思い返せば西條が何かと因縁をつけて栗花落に絡んでいるのを以前にも目にしたことがある。

 これは一種のいじめではないだろうか。隣に殺人犯がいるかもしれない教室で一体何がしたいんだろう。

「怖いのよ」

 突然テレパシーのようなものが聞こえて唖然とした。上体だけ後ろを向くと黒森と目が合う。

「え~と……今のは黒森?僕に…話しかけた?」

「うん」

 黒森は表情を変えずできるだけ口を動かさずにしゃべっていた。周りの人は黒森の声が届いていないようだった。

「…すごい技術を持っているんだね。腹話術師になれるよ」

 実際に腹話術なんかしたら人形が人形を操る奇妙なえになるがここは素直に褒めておく。黒森はどう受け取ったのか口をつぐんでしまった。

「それよりさっきのどういう意味?」

 僕もできるだけ小声で窓の外を眺めながら話す。口を動かさずに言葉を発する技術はないため手で口元を隠す。これで端から見ている人はまさか僕たちが会話しているとは思わないだろう。

「彼女は殺人犯が近くにいることが堪らなく恐ろしいのよ。だから他人を貶めることで気を晴らしているの。まあもともとの性格もあるけど」

「でも彼女宿泊研修は賛成派だったよ。相当図太い神経をしていそうなものだけど」

「夕闇君って頭がよさそうなのに他人に対して鈍感なのね。いい?このクラスは獰猛な獣が跋扈する檻の中と同じなの。互いが互いを警戒し合っている。彼女だって例外ではないわ。夕闇君は大物だね。このクラスで一番神経をすり減らしてない」

「そんなことないよ。ところでどうして栗花落が標的なの?」

「理由は二つあるわ。一つはあの気弱さ。檻の中にウサギが一羽だけ迷い込んだみたいじゃない。それと純粋な嫉妬。ほら栗花落さんの体を見て」

 僕は縮こまっている栗花落の体を観察する。男子生徒の平均的身長の僕とあまり変わらないくらいの身長がある。それに加えグラビアモデルのような発育のいい体つきをしている。性格と体格が見事にミスマッチだ。

「同性から見たら気に食わなかったりするの?」

「そうね。女の嫉妬は恐ろしいからね」

 性格も体格もいじめを受ける原因となっている。これはもうそういう星の下に生まれきたとしか。でも、

「ウサギにも牙があるよね」

 そのセリフにずっと能面づらだった黒森の口元が緩んだ。

「いつか逆に噛みつかれないといいけど」

 ここでチャイムが鳴り担任の雪野鶫先生、後から副担任の杉浦豪先生が教室に入ってくる。朝のホームルームの時間だ。

 ホームルームの途中で金髪頭、阿守省吾が登校してきて雪野先生に注意される。阿守も僕と同じ寮生だ。なのに遅刻なんて――さすが不良としか言葉がない。

 確かうちの学校は遅刻三回で欠席一回扱いになるはずだけど出席日数は大丈夫だろうか。僕はガラにもなく心配なんてものをした。

 ホームルームが終わり一時限目の授業が始まる。このクラスには学力に差がある。長期間の休学を経験しているらしき人もいるから仕方ないだろう。基本的に学力の低い生徒ばかりなので目立つことを好まない僕としては不本意ながらクラス二位の成績をとっている。ちなみに一位は霧崎だ。メガネは頭がいいというのは都市伝説ではないのかもしれない。

 授業は淡々と進んだ。今時英語の授業でペアでコミュニケーションをとってみましょうなんて高校ではやらない。ありがたいことだ。授業中にたびたび黒森の視線を背中に浴びた気がしたけど自意識過剰だろうか。

 昼休みは仲がいい人のグループが固まって昼食を摂る。むろん僕はソロプレイを満喫している。後ろの黒森、不良の阿守、いじめられっこの栗花落も一人で昼ご飯を食べていた。

 僕は授業中の発表以外で話したりしないスタンスを貫いていた。

 朝の黒森のパターンは初めてだ。後はよく杉浦先生が「元気かー?」と背中をバンバンと叩いてくるので「どうも」と返す。

 杉浦先生は体育を担当する教師のため常にジャージを着ている。もしかすると不良生徒に襲われた場合、迅速な処理を行うためかもしれない。だとすると担任の雪野先生は女のうえにきっちりとスーツをきこなしていて度胸があるというか、不用心というか。二人ともまだ若いのによくこんなクラスを受け持ったものだ。きっと若いうちの苦労は買ってでもしろというのがこの学校の方針なのだろう。

 そして六時限目になる。僕の頭を悩ませる授業がただ一つだけある。それはまさに今から行われる体育だ。別に運動が苦手とか全く泳ぐことのできないカナヅチというわけではない。体育といったらやはりペアになったりチームに分かれてコミュニケ―ションをとらなければならない。杉浦先生の指導がやたら熱いというのも要因の一つか。

 今日の体育は男子がサッカー、女子が水泳。男子は十人なので本格的なゲームはできない。せいぜいミニゲームだ。

 僕はいつも余り者同士阿守とペアを組む。

「おい」

「うい」

 ……今のが僕たちの間の会話。ちなみに僕は「うい」のほう。熟練の夫婦のように以心伝心しているわけではなく話す内容がないからお互い通じていなくてもいいというだけ。

 こうして大量のエネルギーの消費とともに本日の全ての授業が終了した。

 六時限目の体育。僕は嫌悪感を抱いていたけどよく考えるといい面もあるかもしれない。六時限目の授業が体育の日は帰りのホームルームがない。女子の更衣室は教室から距離があるし着替えに時間がかかるということを考慮しているからだ。

 つまりこのまま帰ってしまえば黒森をまくことができる。彼女とはいつか正面から向き合わないといけないんだけど…明日から頑張ればいいか。面倒事を後回しにと決心する。

 その時、左肩を力強い手でがっしりと掴まれた。その手は鍛えられていてゴツゴツとしている。感触だけでわかった。杉浦先生だ。

「夕闇!今日掃除当番だろ」

 ああ~、そうだった。僕って運がないよな。せっかくの好機がつぶれてしまった。

「失念していました」

 ガッカリと肩をおろし自分の席に着く。阿守はいつも通り一番に教室から姿を消していた。みんなも続々と帰路について行く。彼らに羨望の眼差しを向けながら、自分は下校することのできない状況を悔しく思う。

 僕は壁に貼られた掃除当番表を確認する。今日の当番は僕と…。

「栗花落かよ!」

黒森かと疑っていたが見当違いで安堵する。しかし今朝話題に上がっていただけに因縁を感じる。いやこの場合は運命だろうか。いっそのこと宿命でもいい。

 掃除を行わなければ教師に叱咤されるが一人でしたからといって問題はないだろう。二人きりの教室という気まずい空気に浸かる時間を最小限にするため僕は一人で清掃活動に取り掛かる。

 二十分後、一通りの掃除が完了した。しかし栗花落は現れなかった。辺りに人の気配がまったくしなかったため途中で来ないと感づいていた。

 サボったのだとしても別に責める気はなかった。むしろ一人気ままに作業できて感謝したいくらいだった。

 時計の針が動く。待っていても仕方がないので僕も帰ることにした。

 僕たちの教室は二階にあるため、階段を下りる。手すりに触れながら階段を下り、玄関で靴を履きかえる。放課後になれば誰しも足取りが軽くなる。僕もそんな性分ではないはずだけど元気が溢れ校舎を飛び出していた。

 そして僕の目が捉えたものは――水着姿の女の子だった。

 僕は呆然とした。錯覚か思春期男子にありがちなイタイ妄想の類かと頭を悩ませた。

 いや幻覚が見えたら重症だろ。

 よく目を凝らして観察すると僕の表面上の待ち人、栗花落杏莉その人だった。

 何で水着でいるんだろう?プールエリアの境界線がわからないとか?この学校の敷地すべてがプールサイドみたいなもんだーみたいな?

 栗花落の髪は遠目に見てもびしょびしょで表情は俯いていて見えない。

 ――関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。関わるな。

 脳内に警告アラームが鳴り響く。

 正しいことを行うことが正解じゃないんだ。むしろ間違っている。中学時代に学んだはずなんだ。社会では誰も助けてはくれない。

 知らんぷりして通り過ぎようとする。

 小粒の涙が頬を伝わるのが見えた。

 僕の脚が止まる。脚が勝手に栗花落へと向かう。後悔した時にはもうすでに栗花落に話しかけていた。

「今日はグラビアの撮影日ですか?」

 人付き合いが苦手なだけに精一杯のユーモアを効かせたつもりだった。

「ひゃひゅ~」

 栗花落は涙とともに言葉にならない鳴き声を上げた。

「…ごめん。別にからかっていたわけじゃないんだ。ただ心配して…」

 冷静になれば今のはなかった。あれだと嫌味な男子そのままだ。でも僕の“心配“という単語に食いついて口を開いてくれた。

「…ないの」

「え?何が?」

 人前で水着になる羞恥心が?

「…着替えが」

 大まかな事情が想像できたので栗花落に事の詳細をゆっくりと話してもらった。

「つまりプールから上がったら更衣室に栗花落の着替えを含む荷物が無くなっていたと」

「うん」

 僕は頭を抱える。予知能力を持たない僕でも未来の映像が見えた気がした。

 協力してあげたいのは山々なんだけど。あれ?僕は協力してあげたいのか?落ち着いて考えよう。これは最小限の良心の呵責であって彼女に対する同情や共感というほど大げさなものではない。うん、そうだ。

 一人頷く。

「とりあえず僕の部屋に来る?シャワーとかタオルとかあるし」

「…いいの?」

「もちろん」

 栗花落が首肯した。本当は寮生以外は寮に入れたらいけない規則なんだけど。それ以前に男子寮に女子を招くのは教育的にまずいよな~。

「裸足だけど大丈夫?熱くない?」

 栗花落の脚事情を心配する。本当に身に着けているものが水着しかない状態だ。

「…熱くないよ」

「日が暮れてきてよかったね。日中だったら熱されたアスファルトで足がステーキになるところだったよ」

「…うん」

 会話続かねー。どういう形であれ僕から話かけたわけだしこっちからコミュニケーションを図ったほうがいいのだろうか。ええと、焼き肉で足の裏の部位は何て名前だっけ?外食で焼き肉店に行ったことないからな。部位の名前なんて気にしたことないし。そもそも足の裏って食べられないんじゃないのか。

「………」

 栗花落が何か言ったようだが聞き取ることができなかった。小声のうえに下を向いているため発する言葉が僕の耳まで届かない。

 僕は近づいて栗花落に耳を傾ける。

「…変…じゃないかな。やっぱり…私…水着で…ここお外だし」

 どうやら公共の道路で水着姿なことで羞恥心に苛まれているようだ。確かにこんな人がいたら人の目を引くばかりか最悪不審者と間違われて警察に通報だってあり得る。だけどここで本音を漏らせば泣き面に蜂だ。その辺を配慮し慰めることにした。

「でもほらプールも近くにあるわけだしさ。ここもプールサイドの延長だと思えばいいんじゃないかな。海水浴場だってビーチを水着のまま出てアスファルト道を歩いている人が結構いるじゃないか。ああいうのって厳密に境界線があるわけじゃないから。今だって別にルール違反を犯してないからいいと思うよ」

 本校の校則によると登下校時は制服着用だが、この際無視する。

「…そっか」

栗花落は納得してくれたようだ。素直過ぎる性格をしていた。コミュニケーションのおかげで栗花落に元気が宿り難なく寮に到着した。

 寮といっても公立高校それも田舎だから外観はもはや廃墟に近い。勘違いした人が肝試しに来たことがあるらしい。近くにある女子寮はここよりマシだ。男子は多少汚くても我慢しろという差別が垣間見える。何が男女平等だか。

 こんな田舎の高校にわざわざ遠くから来る人も珍しいため男子寮にはたった五人しか住んでいない。だから改築される望みはない。

 寮の入り口から入ると中もひどいありさまだ。陰鬱な鉛色の壁が続いている。僕が先導しその後を栗花落がついてくる。暗い廊下を歩き左折して階段を上る。僕の部屋がある二階についた。

 鍵を回す音とビニール袋がこすれる音がする。ちょうど阿守が自室に入るところだった。阿守とは同じ寮に住んでいるけど話すことはない。阿守は中学時代は有名な不良で伝説みたいなものがあるとの噂だ。

 自分の部屋の前に立つとポケットから鍵の束を取り出す。銀色の和に三つの鍵がかかっている。初見では判別しにくいかもしれないがすべて違う鍵だ。そして全て同じ用途、僕の部屋のドアの開閉に使われる。

「どうして鍵が三つもついているの?」

「防犯のため。最近は物騒だから」

 慣れた手つきでドアのロックを解除し栗花落を部屋へ招き入れる。この寮はもともとアパートだった建物を改築しているためキッチン、バス、トイレつきだ。入ってすぐ右手にキッチン、左手にユニットバス、奥にリビングだけという手狭な部屋だ。ベランダはないため洗濯物は部屋干しか乾燥機行きになる。

「シャワー浴びてきなよ。ユニットバス自由に使っていいから。これタオルと着替え」

 干してあったタオルとジャージ、Tシャツを手に取り渇いていることを確認して栗花落に渡した。さすがに女性用の下着はないから勘弁してもらおう。もしこの部屋にあったりしたら冷たい視線をもらうことになる。

「それと脱いだものはこれに入れて」

 僕は栗花落の見ている水着を指差し近所のスーパーのビニール袋を出した。

「ありがとう」

 栗花落は渡されたものを大事そうに抱きかかえるとユニットバスの扉を開け、中に消えていった。僕はリビングで待つことにしようと踵を返す。背中でユニットバスの扉が閉まる音がした。女子のシャワー中の音を聞くのはいい趣味ではないのでリビングを隔てる戸を閉めた。狭い部屋なのでシャワー音は部屋中に響いた。その音を打ち消すようにテレビをつけて流し見しながら栗花落を待つ。

 十分もかからずにジャージ姿の栗花落が戸を開けて現れた。

「あの…」

何やらもじもじとせわしない。その姿に何となくだけど理解する。

「直にジャージは気持ち悪いかもしれないけどさ。悪いけど女性用の下着はないから我慢して」

「そうじゃないの…」

 どうやら見当外れだったようだ。

「あのね…おトイレを借りてもいい?」

「許可をとらなくてもいいよ。自由に使っていいって言ったよね」

「悪いと思って」

 どう考えても漏らされるよりは悪くないと思うけど。それに水道管工事のおっさんとか普通に借りていったりするんだぞ。遠慮し過ぎだろ。

「じゃあ…借りるね」

 栗花落は再びユニットバスの中へ入っていく。その後ろ姿を眺めながら思案に暮れる。

 栗花落杏莉とはああいう人間なんだろう。わざわざ許可をとる融通の効かなさ、自ら決定するに乏しそうな意思。彼女は大人しく平和な人生を送ろうとしてきたのではないだろうか。それでも周りの環境がそれをさせなかった。栗花落は殺人犯像とはあまりに一致しない。だから彼女は危険視されていない。

 でも彼女もきっと心に傷を負っている。ある出来事で性格が大なり小なり歪むなんてよくある話だ。心の傷は牙を生む。彼女は牙を一体どこに隠し持っているのだろうか。

 用を終えた栗花落を向かって左側のベッドに座らせ僕はちゃぶ台の前にある肘掛椅子に腰を掛ける。栗花落は他人の家だから落ち着かないようだ。

「栗花落は帰りはどうしてるの?」

「親に送り迎えしてもらってる」

 うちのクラスで一番多いタイプだ。栗花落も遠くから通学しているようだ。

「今日はどうなってる?両親には…伝えてるの?」

 僕が言うや否や栗花落の顔に影が差し、両目からは涙がこぼれる。

「ええと…その…お父さんとお母さんには…話してないの」

「まあデリケートな問題だよね」

「今日は遅くなるって言ってあるけど…あんまり待たせるのも…」

「そうか。じゃあ、とっとと無くしたものを取り戻そう」

 僕は重い腰を無理やりあげる。

「でも…ね…盗…もうないかも」

 盗まれた、誰かの故意ということを口に出すのも恐ろしいらしい。どれだけ謙虚なんだか。ここにいるのは俺と栗花落の二人だけ。本人がどこかで聞き耳を立てているわけでもないのに。我慢せず言ってしまえばいいのに。

「多分学校にあると思うよ。だいたいあの手の人は困らせてやりたいだけなんだよ。十分窃盗行為だけど、隠す程度なら犯罪じゃないって考えてるわけだ。理解できないけど…。僕も手伝うから手早く探そう」

「うん」

 

栗花落の説得に成功し一緒に学校に戻ることになった。靴は僕のランニングシューズを貸してあげた。もちろん寮を抜ける際には細心の注意を払った。

「どこから探すの?」

「こういうのって大体トイレとかゴミ箱とかじゃないかな」

 あ!いきなり厳しいことを突き詰めすぎた。僕はよく口にしてから後悔することが多い。

「そう…だね」

 栗花落のテンションがもともと低かったけど今はどん底いや底なしかもしれない。

「とりあえず三棟の校舎だけでいいから」

「一、二棟はいいの?」

「犯人は十中八九西條とその取り巻きだよね。あいつらならまずあっちの校舎に行ったりはしないよ」

「でも」

「だってさ、特別学級の生徒の立ち入りを禁止してはいないけど歓迎もしていないよね。人目がある時間帯に赴くのは厳しいと思うよ」

「確かに。そうかも」

「もしどうしても見つからなかったら最後に探しにいこう。先ずはこの三棟を手分けしてしよう。分担は僕が三棟周辺と一階を栗花落は二、三階で」

「りょ、了解」

 僕たちは二手に分かれて捜索を開始する。僕は先ず三棟周辺をぐるっと散策する。ところどころに木が植えられているが隠し場所になるようなスペースはほとんどない。これだけ開けていれば隠そうとしても丸見えだ。西條が小学時代超が付くほどのかくれんぼ下手でもなければこんなところに物を隠そうとはしないだろう。

そう推測し校舎内に入る。三棟一階は化学実験室などがあり薬品の匂いが充満している。窓を開けていても一向に逃げていかない。これは建物自体に匂いが染みついている。夕暮れ色に染まる校舎内をトイレ、ゴミ箱を中心に探した。ゴミ箱は溜まっているゴミを漁って調べた。他人に見られたら学校七不思議に加えられかねない光景だ。明日登校したら妖怪ゴミ箱漁りなんて怪談が騒がれていたらどうしようか。

 今僕は何をしているんだろう?靴を履きながら嘆息した。

 合流したのは玄関だった。栗花落は二三階を探し終え、俺を探しに戻ってきた。捜索の甲斐虚しく成果はなかったようで俯いている。

「探す場所が見当はずれだったね。外を探そうか。栗花落も靴を履きなよ」

「もういいの。もう…」

 泣き崩れてしまう。そんな栗花落を励ますように肩に手を置いた。

「諦めるのはまだ早いよ。実は今ひらめいたんだ。荷物の在り処を。でも僕だけだといけないから一緒に来てくれる?」

「…本当?どこなの?」

「それは歩きながら説明するよ」

 僕は手を差し出す。栗花落は僕の手を取り立ち上がる。まだ疑心が残っているようだけどほんの少しの信用を勝ち得たようだ。僕はエスコートをする形で案内する。

「栗花落の話を整理すると、着替えに戻ると荷物が全部なくなっていた。先生なら力になってくれるかもと思って玄関の前にいた。てことだよね?」

「そうだけど…それがどうしたの?」

「初めに探すべき場所を忘れていたんだよ」

「それって…」

「ここだよ」

 僕たちが到着した場所は女子更衣室の前だった。

「あのね…だからね…ここには無かったの」

 栗花落は僕がとんでもない勘違いをしていると思っているようだ。もしかしたら自分の話を聞いていないのかもしれないとさえ疑っているかもしれない。そのくらい瞳がオロオロと左右に揺れる。

「それは栗花落がいた時の話だよね。つまり西條たちは荷物を一旦盗って栗花落が更衣室から出た後に戻しておいたんだよ。そうすれば盲点になって発見しにくいし、教師に見つかる心配もない。一石二鳥だね。疑う気持ちもわかるけど自分の目で確かめて見なよ」

 僕に促され栗花落は更衣室に入っていく。と、思ったら飛び出してきた。

「あった、あったよ。着替えがあったの」

 栗花落は初めて僕の前で笑顔を見せた。瞳には涙が溜まっていたけど。まあうれしい時くらい泣いてもいいだろう。

「貴重品もなくなってない?」

「大丈夫。私ねケータイとお財布は制服にいつも入れているの」

「よかったね。早く着替えてきなよ」

「うん」

 栗花落は水着からジャージを経て制服姿に戻ることができた。これで問題は解決だ。ジャージとTシャツは返してくれたらいいと言ったが栗花落は洗って返すと言って聞かなかった。本当に律儀なやつだ。

「じゃあ気を付けて帰ってね」

「うん、あのね、今日はありがとう。夕闇君ってすごいんだね。まるで探偵みたいだった」

 目を輝かせた栗花落は最後に言いたいことだけ言って帰って行った。

 最後の言葉が胸に刺さる。

 僕が探偵みたいだったか…。どちらかというと犯人役だよな。今日はもう疲れた。帰ってすぐベッドに横になりたい。

 僕の前進を疲労感と倦怠感が襲う。しかしそんなものが吹き飛ぶような鋭い視線を感じた。

 まさか!夏の暑さを吹き飛ばすような寒気を感じた。殺気にも似ている。まるですぐ後ろからナイフを突き詰められているかのような。

 フェンスと小川を挟んだ向こう岸に彼女は立っていた。黒森だ。どこからともなくふいてきた風に髪をなびかせながらこちらを窺っている。

 僕も見つめ返すと街中に溶け込むように消えて行った。まるで亡霊か幻のようだった。

 見ていたぞ――あたかもそう言っているようだった。

見られたのか?それで僕の弱みを握ったつもりなのか?まだ大丈夫だ。僕の弱みとしては不十分だ。――いざとなったら栗花落を切り捨ててしまえばいい。


 疲労困憊の僕を寮の前で出迎えてくれたのは雪野先生だった。雪野先生は特別学級の担任でスーツを着こなし、できる女といった風貌をしている。まだ若く美人で一般生徒の男子にも人気があるらしい。まあ異性の生徒に好かれるのなんて若いうちだろうけど。

担任の自己紹介時、「ちなみに独身。よろしくね」なんて蛇足をつけて最高に滑っていた。ノリはいいらしい。ただ問題児クラスで歯牙にもかけられていないことをドラマから学ぼうよと印象に強く残っていた。

「こんばんは夕闇君」

「こんばんは雪野先生。今日の男子寮の宿直は雪野先生なんですか?」

「いいえ、私は女なので男子寮には泊まりません」

「それは残念です」

「あら夕闇君は私なんて誘わなくてももっと若い女の子部屋に連れ込んでいるんじゃないの?」

なるほど。そういうことか。栗花落を部屋に挙げたところを誰かに見られていたんだ。一体誰だ?

「…太田ですね」

「……それは教えられません」

 ビンゴ…だろうな、その反応は。太田優、僕と同じクラスで寮生の一人。男子寮には五人しか生徒がいない。うち二人は一般生徒であの時間帯は部活中。阿守は先生にチクるタイプじゃない。そしてもちろん僕は除外。消去法で密告犯は太田。外れてどうかなるわけでもなしただのハッタリだったけど成果は上々だ。

「僕は罰を受けるんですか?停学とか」

 さすがに退学は困るかな~。僕本人よりも両親が。

「心配しなくてもいいですよ。別に罰を与えようってわけではないんです。ただ教師という立場上見過ごすわけにはいかないんです。もう女子を部屋に上げないって約束できますか?」

「はい」

 僕は即答した。言われるまでもなくもう上げるつもりはない。自分の部屋は何人も汚すことのできない聖域だからな。

「よし、じゃあこの話はおしまいです」

「僕がこういうのもおかしいですけど甘すぎません?」

「生徒が過ちを犯しても許す。私は学園ドラマで学びました」

「先生のこと何クミって呼べばいいですか?」

「先生の名前にくみは尽きませんよ」

「そうですね。うちのクラスが病ん組ですもんね」

 雪野先生が噴き出した。そして、慌てて体裁を取り繕う。

「今のはなかったことにしましょう」

「そうですね」

「夕闇君って面白い子だったんですね。学校では無口だからもっと大人しい子だとばかり思っていました」

「そうですね」

「それからは学校でも話しましょうね」

「そうですね」

 雪野先生に頬を思いっきり伸ばされた。僕はおたふくになった頬をさする。

「先生の話は一字一句正確に聞き取りましょう」

「…わかりました」

「よろしい」

 雪野先生は満足したようで満面の笑みになる。

「引き留めて悪かったですね。じゃあまた明日」

 用が済み手を振りながら去っていく。僕もそれに応え手を振った。消えゆく後姿を眺めながら違和感を感じて振っていた手を胸に当てる。雪野先生に触られたからだろうか心臓の鼓動が早くなっている。どうしたんだろう。


 部屋に戻った僕はリビングに突っ伏した。今日は僕に似合わずあまりに多くの人と会話をしてしまった。

 一休み終えると寝転がったまま頭を上げて腕を伸ばしベッドの下からゲーム機を取り出す。現在のゲーム事情に疎いので何世代前かはわからないが旧式の黒色でキューブ型をしたハードだ。ボタンを押すと上の蓋が開く。中にソフトが入っていることを確認すると閉めた。寝転がった状態から腕を動かすだけでケーブルやコンセントなど準備を完了させた。全てのパーツが繋がったところでパワーボタンを押す。

テレビには軽快な音楽が流れゲーム画面が映し出された。昔大人気だった対戦ゲームだ。現在では新機種版が出ているようなので今時プレイする人はあまりいないかもしれない。

 僕はコントローラーでキャラクターを選択した。自分はピンクの丸い生物でコンピューターは緑の恐竜だ。ちなみにコンピューターは強く設定してある。

 正直コマンドと技が一致していないが勘と連打で戦うとりあえず浮くと吸い込むが使えればいい。とりあえず正面攻撃、風向きが悪くなるとプクプクと膨らみ風に乗って逃走。恐竜は舌を伸ばしているがこちらは攻撃が届かない位置から高見の見物。

 ゲームをしながら思案にふける。僕はこのピンクボールみたいなやつが一番のお気に入りだった。浮きながら移動できることもあるが最も思い入れがあるのはコピー能力だ。自分にはない他人の能力が使えるなんて夢のようじゃないか。

僕は自分に嫌悪感を抱いている。自分にはないもの持っている他人に嫉妬しているんだ。自分ではない誰かになりたい、そう思うのは誰にでも共通することなのかもしれない。誰だって劣等感を持っている。だけど僕はその心が他人より強い。それはもはや嫌悪を通り越して畏怖といっても過言ではないかもしれない。

 意識をゲームに戻すと僕の操るキャラクターは負けていた。コントローラーを持つ手に力がこもり途中からボタンを押していなかった。

 コントローラーを投げる。やっぱり僕はこの手のゲームが苦手だ。誰かさんのようにはいかない。手先の器用さが足りないのか。いや、思考瞬発力が低い。

ゲームって不思議だなと思う。操作する人間が違えばステータスが上がっているんじゃないのかと錯覚するくらい違う動きを見せることがある。キャラクターを生かすも殺すもプレイヤー次第か。

 ゲームをしていたら肩が凝った。後ろに背中から倒れ体を伸ばす。伸ばした僕の手が触れビニール袋の音がした。不思議になり起き上がってみると白いビニール袋が…。

 恐る恐る確認すると中にはバスタオル……と水着が。

「忘れて行ったのかよ!」

 バスタオルは置いていってもいいけど水着はダメだろ。僕も迂闊だった。栗花落が手ぶらだったことを疑問視しないなんて。今になって考えるとあの状況はおかしかった。 まあ、今日はもう帰ってしまったし明日渡せばいいだろう。

 僕はビニール袋を部屋の端にでも置いておこうと手を動かし、そして止まる。

 ちょっと待てよ。水着って使用後は早めに洗わないといけないんじゃなかったっけ?このまま放置しておいたらカビが繁殖するかもしれない。一日くらいなら大丈夫か。でも他人のものだしな。自分のものならが妥協できるが。

悩みに悩んだ結果、行きつけのコインランドリーに赴く。手には水着入りビニール袋と単行本、後は小銭だ。

 洗濯時間は三十分程度だった。選択中に読書に励んでいるとあっという間に時間が過ぎ去った。ちょうど大団円というところで選択終了の合図が鳴りしぶしぶ本を閉じる。

 流れ作業のように水着を乾燥機に移しスタートさせる。小説の続きが気になり再び本を開いた。解き明かされた謎、予想外の犯人に大興奮の僕。まさかあの人が犯人だったとは。主人公も何度も二人きりになっていて危なかったな。もう少しで殺されていた。

 そういえば栗花落はどうなんだろう。僕と二人きりで狭い部屋に入ることに抵抗はなかったのだろうか。僕は中原殺しの犯人ではない確信を持っているとか?誘った僕が言えることではないか。

 栗花落は危機感を持ったほうがいい。危険に脅かされないで済むのは犯人だけなんだから。

 回る乾燥機で思い出す。水着は乾燥機にかけたらいけないんだった…。すぐに乾燥機を止めるが時すでに遅し。過去の過ちをやり直すことはできない。僕にできるのはただ縮んでいないことを祈るだけだった。


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