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隔離学級  作者: 武来安
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プロローグ

「それでは今年の宿泊研修についての話し合いを始めようと思います」

 教壇に立つのは教師ではなく目つきの鋭い女子だった。その女子は半ばめんどくさそうに話を続ける。

 黒板の上に掛かっている時計。その針は現在が十六時過ぎだということを示している。

 もう授業も終わり、遠くで部活の掛け声が聞こえてくる。窓から視認することはできないが多くの生徒が部活で汗を流し青春を謳歌しているのだろう。対照的に、この教室には暗雲とした空気が流れている。

 そんな中僕、夕闇紅も心の奥から一時でも早い帰宅を希望していた。

「今年の宿泊研修を行うことに賛成の人は挙手してください」

 まるで天命を告げられたかのようにクラスの空気が張り詰める。

 教壇に立つ目つきの鋭い女子が真っ先にピンと手を天井に向けて伸ばす。それに続くように二人の女子も手を挙げた。ちらほらと上がる手に便乗して僕も挙手する。

 ちらりと横の窓ガラスを見る。窓ガラスにはうっすらと教室の中が反射して映っている。そして僕のすぐ真後ろ、教室の窓側の最後尾の席に座っている女子の手も上がっていることを素早く確認すると目線を黒板に戻す。

 黒板には正の文字が一つと正の一本足らずがチョークで書かれていた。

「それでは宿泊研修に反対の人は挙手してください」

 今度真っ先に動き出したのは金髪頭の男だった。ポツポツと手が上がる中、僕にとって最も目立って映ったのは、辺りをキョロキョロと挙動不審な動作でタイミングを計る女子だった。

 目つきの悪い女子が人数を数え正の文字を書き上げていく。正の文字一つそれと二本足らずが一つ。つまり八人だ。

 おかしい。誰もがそう思っているはずだ。このクラスの生徒の数は十八人だ。つまり九と八だと合計十七人ということになる。どう考えても一人足りない。

 しかし、本人はもちろんクラス中のみんなが多数決に参加していなかったのは誰か承知済みだった。

「どういうこと?霧崎君」

 唯一多数決に不参加だった男子、霧崎徹が名指しされる。

 霧崎はメガネをはずし、ポケットから布を取り出すとわれ関せずといった様子でメガネを拭きだした。目も黒板ではなく机に広げられた参考書に向けられている。霧崎の視力なんて知ったところではないが、メガネなしでは参考書が読めない可能性は高い。つまり、参考書から目を離さないのには嫌味な意図が込められていると推察される。

 クラス中全員の視線が霧崎に集まる。

「聞いているの?」

 閑散とした空気を破る鋭く甲高い声が発せられる。数人の生徒がその声に気圧された。

「では賛成で」

「ちょっとそれでいいの?」

「仕方ないでしょう。僕が反対すれば八対八。ただ話し合いが悪戯に長くなるだけですよ」

 霧崎の平然とした態度に教壇に立つ女子は顔に怒りを灯すが爆発寸前のところで耐えた。

「それでは十対八で今年の宿泊研修は行うことに決定しました。この会議の旨は私が先生に伝えておきます。では解散!」

 語尾に力がこもった終了宣言を聞くや否や一斉に椅子を後ろに下げる引きずった音が教室中に鳴り響く。それと同時にガヤガヤと話し始める生徒もちらほら。賛成組、反対組それぞれ態度で判別できる。

 即座に反対に一票を投じた金髪は自分の意見が通らなかったのがよほど気に食わないのかカバンを担ぐと荒々しい足取りで退室していった。他にも不満そうな顔つきの奴がいたがもっとも印象的だったのはあの挙動不審な彼女だ。俯いて机を眺めながら今にも泣きだしそうに瞳を潤ませている。霧崎といえば参考書をテキパキとカバンにしまい帰りの身支度を済ませている。

 僕にはわかっていた。霧崎の言動の意味が。全十八人で多数決をした場合引き分ける可能性が生まれる。だからこそ手を挙げなかった。今回のように後で多数のほうに賛同すれば必ず一回で終わる。もし二人以上の差が出たなら霧崎の一票に関わらず決定になるのでわざわざ賛否を求められることはない。

 周りを見渡し自分で手の数を数えれば怒りを買う必要もなかろうに。それをしなかったのは参考書を読むほうが有意義という価値観、そして他人の怒りを恐れないという霧崎の性格の表れだろう。

 さてと僕も帰ろうか。僕にはこれ以上他人の様子を観察する趣味なんかないので帰宅を思い立つ。すぐに帰る気でいたのですでに教科書の類はバッグに詰めてあった。

 僕は徐に立ち上がる。ふと先ほど注目を集めていた霧崎がこっちを見ていることに気付いた。残念ながら、いや別に残念でもないがメガネが電灯の光を反射し奥の瞳を窺うことは叶わなかった。

 僕は別に不良ではないためガンをつけたりはせず気が付かなかったふりに徹する。人の視線は好まないためさっさと教室を後にした。

 僕はこのクラスの雰囲気が嫌いではなかった。といっても好きとも言えない。可もなく不可もなく、僕にとって教科書に偶に載っているコラム程度の印象だ。

 ただクラスの九割が団結し、残り一割は仲間外れ。なんてクラスよりも全体的にギスギスした空気のこのクラスのほうがマシだった。みんなでお手手つないで仲良しこよしなクラスで、手を繋げないよりも周りも手を繋いでいないクラスに在籍するほうが楽だ。

 僕たちの通うクラスは田舎にある公立高校の一部ではあるが通常のクラスとは隔離された棟にある。玄関も別に用意されてあり、学校にいる間は、体育や移動教室以外では滅多に棟から出ない。敷地には体育館や武道場などの施設を除けば三つの棟が並んでいる。校門に近いほうから一棟と呼ばれ、僕たちの教室がある棟は三棟だ。この校舎は学校内で最も古く、さすがに木製ではないが薄汚れていて不気味な雰囲気を醸し出している。

 僕たちはこの校舎に閉じ込められている。このクラスの生徒はみんな中学時代に何かしらの問題を起こしている。普通に学校に通えなくなった生徒をまとめて突っ込んだという感じだ。

 一般の高校で不良の問題児を一つのクラスに集めたドラマを彷彿させる。

 生徒には問題の加害者そして被害者がいるのだろう。馬の合わないヤツも多い。でも大人たちにはそんなことを考慮するほどこのクラスの取り組みに熱心ではない。

 クラスは派閥で分かれ一致団結なんてものは存在しない。それでもお互いに無関心でいれば争いも起こらず山も谷もない高校生活を送ることができる。少なくとも入学当時の僕はそう思っていた。

 だけど、あれは今から二か月前の五月の初め、僕たちの教室で一人の女子生徒がバラバラ死体で発見された。


時刻は午後五時前だが今は七月。まだ全然明るい。もう歩き慣れた通学路を帰宅する。帰宅といっても実家ではなく学校から徒歩十分の学生寮だけど。

 早く一人だけの閉ざされた空間に身を置きたいという欲求を振り切り歩みを止める。一歩分余分な足音がアスファルトを伝わるかのように僕に届く。

 つけられていた。いつから?教室を出た時からだ。誰に?後ろを振り向けば分かるさ。

 深呼吸をするとパっと振り返る。……誰もいない。仕方ない。

「何か用?出てきなよ」

 僕は尾行犯に呼びかける。しかし返事はない。

「用がないなら帰るけど。聞こえてるだろ?」

 なおも反応なし。だったら最後の手だ。

「君に言ってるんだけど黒森真宵」

 僕は尾行犯の名を告げた。すでに正体がばれてこれ以上隠れることに意味はないと悟ったのか曲がり角から黒森が笑みを浮かべて出てきた。

 僕の後ろの席の少女、黒森真宵。外見は西洋人形的な美しさと不気味さを併せ持つ。クラス内では無表情で通しているため笑顔が不気味さをより際立たせる。

「どうしてわかったの?」

「以前から君に目をつけられていることは気が付いていた。それよりどうして僕を尾行してたんだ?」

 正直僕は困惑していた。入学から一度もまともに会話をしたことのない黒森と二人きりなんて。それに普段の無表情の仮面はどこへやったのやら。こぼれる笑みに寒気を感じる。

「夕闇君の家ってこっちなんだな~と思って」

「尾行した理由になってないよ」

「単なる知的好奇心だけど」

 嘘だな。僕は直感で見抜く。あのクラスにいる人間は基本他人に興味がない。最小限の他人との関係を結べたなら後はどうでもいいとでも言うように。校内では常に一人でいる黒森も例外ではないはず。

 もし興味を持つとしたらそれには裏がある。考え過ぎか?黒森の思考は底が知れない。ここは無難に話を合わせるほうが得策だ。とっさにそう判断を下した。

「家っていうか寮なんだ」

「夕闇君って数少ない寮生の一人だったんだね。初めて知ったよ」

「黒森は家こっちなの?」

「ううん、違うよ。私の家はあっちのほう」

 黒森が示す先には学校が。おい、正反対じゃないか。

「もう暗くなるから帰ったほうがいいんじゃないかな。ほら女の子一人で夜道を帰るのは危険だろ。まだ明るいけど急いだほうがいいよ」

「なら送ってくれない?」

 黒森は悪びれもせずとんでもないことを口にした。

「何で僕が?」

 絶対に嫌だという感情を表に出さないよう最大限の努力をする。

「中原恵」

 黒森の口走った名前に僕は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。今では誰の口からも聞くことのなくなった名前だ。

 中原恵。僕たちと同じくして入学し、同じ教室で学び、そして二か月前に殺害された。

「どうしたの?顔色悪いよ。そんなにショックだった?」

 何とか冷静な態度をとろうとするが突然すぎたためなかなか治まらない。冷水をぶっかけられた後の震えに似ている。

「あ、当たり前だろ。あんな事件、誰だって記憶の彼方へ忘れ去りたいに決まってるよ。だいたいなんで、その、な、中原の名前が出てくるんだ?」

「私はあんなブロックのおもちゃみたいになるのは嫌だなって。もう二か月も経つのにまだ犯人が捕まらないなんて怖いよね」

 確かに、クラス内だけでなく街全体でも不穏な空気が流れている。警察の捜査も虚しく犯人の特定には至ってない。

「でもあれから殺人事件は起こってないわけだし、怨恨による一回限りの殺人だったんじゃないかな。ニュースでもそう報道されてた。だから僕たちは安全だよ」

「でもクラスの空気は悪いよね。みんな、夕闇君も内心では疑ってるんだよね?」

 ああそうだよ。心中で肯定した。黒森が言わんとしていることを次の言葉を紡ぐ前に察していた。

「あのクラスの中に犯人がいるって」

 黒森は淡々と言い放つ。あたかもその言葉の持つ重みを知らないがごとく。

「いくら問題児集団って言ってもたかが高校生だよ。殺人なんてそんな大それたこと」

「マラソンなんかでさ、途中でリタイアする人たちがいるじゃない?一度リタイアした人はもうレースに復帰することはできないのよ。仮に走っても評価や順位はもらえない。私たちも同じ。一度人生の道からコースアウトしてしまったら他の人たちと同じ道を進んでいるようであってもそれは全く違う道なんだよ」

「つまり僕たちはもうまっとうに生きることはできないと?」

「うん」

 迷うことなく肯定された。自分たちは犯罪者予備軍。そう言いたいらしい。あながち間違っていないのかもしれない。あのクラスの連中なら人殺しくらいやってもおかしくない。そんな気になってきた。

「でもクラスに犯人がいるなんて公言したら…」

「パニックになる」

 僕のセリフは途中で黒森に遮られた。やっぱりわかっているじゃないか。薄ら笑いを浮かべる表情。からかわれているようで気分を害する。

 現状ではクラスの誰しもが近くに犯人がいると疑惑を抱いている。それでも緊張し合い空気が淀む程度で済んでいるのは胸の内に秘めたままにしているからだろう。例えば誰かが多くの視線がある中で犯人を言及しようと詰め寄ろうものなら、言い争いの嵐が起こる。終いには僕の好きな映画のように武器を手に取り最後の一人になるまで殺しあうなんて可能性もある。

 少しの刺激で爆発するような危険な状態。これ以上膨らむ余地のない風船同然だ。

「そうそう、宿泊研修決定してしまったね。殺人犯と一夜を過ごすとなると怖いよね」

「黒森は賛成側だったじゃないか」

「どうして知ってるの?」

「僕の視界に入った手の数が七、僕を入れて八。残りは唯一真後ろで見えなかった黒森の票だと推理した」

 本当は盗視したとは言えないよな。

「すごい推理力だね。夕闇君はどうして賛成にしたの?殺人犯怖くないの?」

「殺人犯は怖いけど賛成多数になると思ったからかな。ほら警戒しながらも、もう殺人は起こらないって楽観視する空気も流れているし。賛成多数の中、反対して目をつけられるのも嫌だったから」

「そうなんだ。私もそんな感じだよ」

 中原の死により予定されていた宿泊研修が懸念された。犯人はクラスの中にいるのではないかという意見と外部の異常者による犯行という意見が対立していた。警察によると外部の者の線が強いらしく力づくで中止にするわけにもいかなかった。そこで決定は本人たちの自主性に任せるという名目、よくある丸投げのパターンで多数決となった。

「ねえ、夕闇君」

 黒森の表情が一瞬で変わる。顔から笑みが消え真剣な表情になった。スポーツ選手が試合のコートまたはフィールドに足を踏み入れた途端顔つきが変わる様子を連想する。

「実はね私犯人を知っているの」

 僕は時が止まったような錯覚に陥った。

「って言ったらどうする?」

「は?」

「もしもの話だよ。私が犯人を正体を知っていたら夕闇君はどうするかって話」

 どうやら僕は遊ばれたようだ。黒森の言葉に驚かされたのはもう二度目だ。

「そういう古いボケは止めてくれよ。使い古されていて誰も使わないから」

 言葉とは裏腹に心中では引っかかった自分に嫌気がさしていた。

「もしそうなら犯人はお前だ!って言うよ」

「ふふっ、今日は楽しかった。そろそろ帰るね。ばいばい」

 一方的に楽しんだかと思えば、一方的に帰ると言いだし、もと来た道を戻りだした。展開が早くついて行けなかったので別れの挨拶をするタイミングを逃してしまった。中途半端に挙げたまま振ることの叶わなかった右手をグッと握りしめ下ろす。

 黒森は数歩進んだところで振り返り小声で何かつぶやいた。そして何事もなかったように歩みを進めた。

 夕暮れ時の交通量の少ない路地。はっきりとではないがかすかに僕の耳が黒森の言葉を捉えた。

「さっきの話は本当」

 さっきの話?流れから犯人の正体を知っているというやつだよな。それともそれ以前の会話を指しているのか?

 犯人がわかるなら普通警察に通報しないだろうか。犯人が未逮捕である以上彼女の言葉は嘘である確率が高い。

 でももしかしたら――彼女は本当に犯人を知っているのかもしれない。

 根拠なんて全くないけど。だとしたら黒森が僕に話しかけてきた理由は…。

子供が新しく買ってもらったおもちゃを友達に自慢して羨望の眼差しを受けたがるのと一緒だろうか。それとも目の前に人参をぶら下げてどんなに走っても届くことのないにもかかわらず必死になっている馬をあざ笑うためか。

 これは僕の勘であるが後者なのではないか。

 そしてその相手を僕に選んだ理由は――彼女は知っているんだ。

 黒森真宵、彼女があんなに饒舌に話す人間だなんて知らなかった。彼女の恐ろしいところは言葉を選ぶことをしないところだ。彼女の言葉が孕む危険。気付いていないはずがない。にもかかわらず平然と口から音として出す。怖いもの知らずとは彼女のことを言うのかもしれない。

 今日話してみて可能性を見つけることができた。僕がずっと探してきたのは黒森だったのかもしれない。事件の起こった日、僕を目撃した人物。見つけ出さなければならない。

そして――。

 僕は制服のズボンから十字架型のナイフを取り出し、暗くなりつつある空に掲げる。

「これを使う日も近いかもしれない」


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