1、遠ざかるものと近づくもの
「おはよっす、広瀬」
「あ、おはよー、大岡くん」
例の出来事があってから、私と大岡くんの距離は、前よりぐんと近くなった。元々、彼とは多少なりとも話したことはあったのだが、今は「友だち」と普通に言えるくらい仲が良い。
しかし、一方の早見くんとはあれから一週間がたった今でも、一言も口をきいていなかった。
「でもさ、俺、本当に信じられないぜ? あの竜ちゃんが、浮気してたなんて」
「だって、私見たもの。早見くん、心美ちゃんを抱きしめてたんだからね」
私は、一週間前のことを思い出して、思わず唇を噛み締めた。
根室心美。彼女は、学年で一、二を争うと言われている程の美少女だ。おまけに、行動も小動物を思わせ、可愛い。早見くんが、こんな平凡すぎる私を嫌になって、心美ちゃんをすきになる可能性は十分にあった。
「・・・ふうん。でも、一方的に怒ってるんじゃなくて、話してみるのも大事だぜ?」
「分かってるけど、嫌なの! 本当に悪いと思っていたら、向こうから謝って欲しいもの!」
私は、モヤモヤとする気分を抑えきれなくなり、ガタンと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。
「おおーい、広瀬~。どこ行くの~」
「ト・イ・レ!」
嘘だった。しかし、今のこの気持ちのまま教室にいても、誰かに当たってしまうだけだと思った。それなら、一人でどこかで寝ていたほうがマシだ。
何も考えずに、一人で頭をカラにできる場所・・・。
気がつくと、私は心美ちゃんと早見くんが抱き合っていた例の場所に足を運んでいた。
ここは、学校内でも有名な告白スポットである。ウルサイ学校内でも、一番静かで、それでいて何だか神聖な雰囲気のある場所。
私は、その芝生になっているところで、ゴロンと横になったのだった。
「・・・・・・」
しかし、やはり頭に浮かんでくるのはあの日の、あの二人の姿。そして、心にも無い「大嫌い」という言葉を言ってしまった自分。
「・・・っつぅ」
涙が溢れ出る、両目を見られないように、右腕で強く抑えた。自分の右腕が、どんどん濡れていくのがわかる。
「あーあ。また、一人で泣いてんじゃん。広瀬」
カサっという、誰かの足音の後、いつかと同じ人の声が上から降ってきたのだった。
「何でいるのよ。今、五時間目の授業中でしょ。怒られるよ」
「へへへ。眠いからおさぼり! 五時間目に英語の授業って怠いだろ?」
目を抑えていた右腕を、そっと退ける。そして、私は勢いよく上半身を起こしたのだった。
「俺でよかったら話きくぜって、前言ったばっかりじゃん。一人で抱え込むのが、一番辛いんだぜ。竜ちゃんに対する愚痴でも何でもいいからさ」
そう言って、大岡くんはふにゃっと笑った。彼の短いツンツン頭が、太陽の光を浴びて黒々と光っている。
「本当、大岡くんってお節介。・・・でも、そういうお節介なところに、この前も今も助けられてるかも」
私もフッと微笑み返す。肩の力が、一気に抜けていった感じがした。
「ねえ、広瀬。竜ちゃんは、本当に良いやつだよ。親友の俺が言うんだから間違いない。だから、本当に一度だけでもいいから、広瀬から竜ちゃんに話してやってほしいな。それでもし・・・」
大岡くんは、そこまで言うと、何故だか顔を徐々に赤らめていった。何だか、恥ずかしいことでも言おうとしていたのだろうか。それとも、この燦々と照りつける太陽の日差しで日焼けをしてしまったのだろうか。
「もし?」
「・・・いや、何でもねえ! さ、じゃあそろそろ五時間目終わるし! 教室戻るかあ!」
彼は、素早く回れ右をすると、駆け足で教室まで走っていったのだった。
それから、二分もしないうちに、授業終了のチャイムが学校中に鳴り響いた。