信号機
初投稿。ヤマなし、オチなし、意味なしの短編小説です。
ぼくは今日も、この道路の脇に立っている。
晴れの日も雨の日も風の日も雷の日も、毎日この場所に立っている。
ぼくは、ここで、いろいろなものを見てきた。
とある春の日。
紫と黄色の花束を抱えた人たちが、悲しそうな顔をしてここを通り過ぎていった。
黒い服を着た男の人と、黒い服を着た女の人の真ん中に、黒い服を着た小さな女の子。
女の子は一番辛そうな顔をしていた。ときどき、泣きそうになるのを我慢してしゃくり上げていた。
どうしてあの人たちが悲しそうにしていたのか、ぼくには何となく分かっていた。
その時の桜並木は満開で、青空に舞い踊る花びらが綺麗だった。
とある夏の日。
虫かごを首からぶら下げた2人の男の子が、ここを通り過ぎていった。
だいぶ時間がたって、夕焼けが見えるころになると、2人はまたここを通り過ぎた。
なぜか、虫かごの中は空っぽだった。
あの子たちは虫を捕まえたのかな、なんて思っていると、さっきまで鳴いていたひぐらしが急に静かになりはじめた。
たぶん、あの子たちは虫かごいっぱいのセミを捕まえたんだろう。
なんとなく、そう思った。
とある秋の日。
お祭りの音が遠くから聞こえていた。
夕日が沈んでいっても、ここを通り過ぎる人はだいぶ少なかった。
お祭りってどんな所なんだろう。きっと、人間がいっぱいいて、騒がしくて、そして楽しい所なんだろう。
みんなが夢中になるほど楽しい所なんだろうなあ、なんて思っていると、ぼくに向かって歩いてくる人を見つけた。
女の子をおぶったおじいさんだった。女の子はすやすやと静かに息をたてて、目をつむっていた。
おじいさんは、ゆっくりとした足取りでここを通り過ぎていった。
お祭りの音はだんだんと騒がしくなっていき、赤いトンボがそこらじゅうを飛び交っていた。
とある冬の日。
ここで、人と車がぶつかった。
しばらくたってから白い車が来て、倒れている人を乗せてどこかへ行った。
あの人は、死ぬんだろうか。死ぬとしたら、ぼくを無視したことが一番の原因なのかもしれない。
ぼくのことをよく見ないで、あの人は急いでここを通り過ぎようとした。
そして、車とぶつかって倒れた。
あの人が怪我をした跡を隠すかのように、雪がちらちら降ってきた。
周りの景色が白くなっていくのが、なぜだがひどく悲しく見えたのをよく覚えている。
その他にも、いろいろなことがあった。
黒い筒を持った女の子たちがここを通り過ぎるのを見た。
地図を持った男の人が、通りかかった人と何か話しているのを見た。
おめかしした男の子が嬉しそうな顔をして、大人たちと一緒に歩いているのを見た。
着物を着たおばあさんたちが、寒そうな顔をして歩いていくのを見た。
ここに立っていて、退屈したことは一度もなかった。
本当に、本当に面白いことだらけだった。
そんな毎日も、今日でどうやら終わりらしい。
新しい人が、ぼくの代わりにここに立つことになったからだ。
飾り気のない車で運ばれてきたのは、ぼくよりも少しおしゃれな感じの子だった。
ぼくの体はもう汚れだらけだけど、その子の体はまっさらでピカピカしていた。
ちょっと辺りを見回してみると、ぼくを取り替えようとしているおじさんたちに混じって、いろいろな人たちが来ていた。
「信号、新しいのに変わっちゃうんだねえ」
「ずいぶん長い間、ここにあったからね」
「何か…さみしいなー」
「私が生まれた頃からあったんだよね、あの信号」
―――みんな、思った以上にぼくのことを見ていてくれたらしい。
うれしい。ぼくがここに立って過ごした分、みんなはぼくを見ていたんだ。
『よかったね』
新しい子が、ぼくの方を見て言ってくれた。
『うん。とても、よかった』
『わたしも、みんなにこう言ってもらえるようにしなきゃ』
『君ならできるよ。がんばれ』
『うん』
ぼくの体が、固い地面から引き抜かれる。もう目は見えなくなっていたから、声だけ感じる。
『ありがとう、みんな。さようなら』
ぼくは、これからどこに行くのかな?