嵐
『蛍』の番外編。6年前の事件の真相。
物心ついた頃から俺の傍にいたのは和威、お前だけだった。
母さんは俺がまだやっと歩き始めた頃、我慢の限界を迎えてこの寂れた町から出て行ったきり。父さんは父さんで仕事だ何だと俺をばあちゃんに預けたきり滅多に顔も見ない。
ばあちゃんはそれなりに良くもしてくれたけど、俺に逃げてった母さんの面影を見るのが嫌なのか、必要以上に関わってこない。
だから本当に俺にはお前しかいなかった。
和威だけが傍にいて、家庭にモンダイがあってその上軟弱でいじめられがちな俺を庇ってくれた。
同情でも皮肉でもなく、ただのオノサキユウヤとしての俺に接してくれた。
それがどんなに俺の支えになったかわかる?
それはそれはヒクツだったこの俺が、周りから見ても和威の傍にいるのが当然だと周囲に認めさせるほど立派な自分に変える努力させるほどに。
ねえ和威。
和威は俺のヒーローだったんだよ。
テレビの中だけの俺を助けてくれない、偽者の安っぽいヒーローなんかじゃない。
本物のキュウセイシュ。
俺の、すべて。
その和威に否定された俺は、一体どう生きていけばいいんだ?
だって友達だった。俺の誇りだった。
俺が俺でいるために、必要不可欠だったのはオレという人格じゃない。和威と一緒にいられるオレだ。
だから俺と口も利かず、他の誰かといる和威を見て気がふれそうだった。
だって友達だったら嘘はつかないんだろ?
和威は俺の友達だから、だから和威の全てを俺は求めたし俺も全てを和威にあげる気でいた。
嘘はいけない。だから正直に動いた。それの何がいけなかったんだ?
ああ、頼むから和威。俺を見て。
俺以外にその笑顔を見せないで。
俺の傍にいて。
…寂しいんだ。不安なんだ。
和威がいないなら俺なんて意味がない。俺なんて要らない。本当に何の意味もないんだ。
俺は立派になったつもりだった。でも"つもり"でしかなかったんだ。
本当の俺は卑屈なまま。その卑屈をうまく隠す仮面を作るのに成功しただけで、根っこの部分はまるで変わらない。変われないでいる俺に気付いた。
だからなのか?
俺は昔から変わらず、和威に全てを依存している。だからいけないの?
和威の言った、対等な相手に俺はなれていないから。
それなら俺は変わるから。
今度こそ、つもりではなく本当の中身から変わるから。
最初から完璧には無理かもしれないけど、頑張るから、お願いだから傍にいて。
俺を見て、そうして笑って。俺を、ほんの少しで構わないから、俺を想って。
気が違いそうなほどに和威を求める想いを体現するように荒れ狂う大気の中、俺は独り川に向かった。
和威との思い出が詰まった川だ。思い出と一緒に、弱い俺が強く根付く場所。
そこで今までの俺と決別するよ。そうしたら和威、お前に逢いに行く。
俺を変えると決めたけど、それは一人では出来ないから。きっと、また和威を怒らせることもあるだろうけど、それでも俺にはやっぱり和威が必要だから。
俺は水際ギリギリに立った。
目を閉じると眼裏に様々な光景が浮かぶ。
この川で泳いだこと、釣りをしたこと。あの時和威はじっとしているのに耐えられなくて、直接川に入って折角かかりそうだった魚を逃がして悔しそうにしてたね。その後服をびしょびしょに濡らして帰ったせいで、二人しておばさんに叱られたっけ。冬には薄く張った氷を割って歩いて、春にはメダカを追いかけた。夏祭りの日は決まってここから花火を見た。空だけでなく川にも映る花火はそれは綺麗に辺りを照らした。
そういえば、今年はこれなかったな。そう思ったとき、轟音に紛れて和威の声を聞いた気がした。
目を開けて振り返ると、和威が何か言いながら走ってくるのが見えた。
声はここまでは届かない。けれど幾日かぶりに向けられた俺への視線に俺の鼓動は跳ねた。
和威待ってて。
今、弱い昔の俺を捨てるから、そんなに走らなくていいよ。すぐに済むから。
俺はゆっくりと和威に背を向け、右手を川に向けて伸ばす。握りこんだ掌を下にして、一本ずつ指を開いていく。
けれどそれは突然起こった強風に邪魔された。
足場が濡れていたのも手伝い、足を滑らせた俺は岸に留まることができずに、川へ倒れこもうとしていた。
和威が手を伸ばす。到底届かないとわかる距離なのに、思わずという風に。
俺は思わず笑みがこぼれた。
俺を助けようとしてくれたのも勿論だが、和威が俺をその瞳に映してくれたことのが何倍も嬉しかった。
多分、この激流に飲まれれば俺は助からないだろう。それでも構わないと思えるほど、今の俺は満たされていた。
ああでも、これで俺が死んだら和威は泣くのだろうか。
和威は俺のヒーローだった。だから例え俺のためでも泣いては欲しくなかった。
俺が死んでもどうか悲しまないでほしい。
涙なんかいらない。どうせ俺のためにくれるなら満面の笑みがいい。
独り孤独にさいなまれていた俺を救ってくれたあの笑みが。
どうか笑って。この際俺に向けたものじゃなくても構わない。だからどうか。
俺は今、これまでと比べ物にならないほどの幸せの中にいるんだ。こんな気持で逝けるのは、和威のおかげだから…
この幸福の一欠けでも和威に宿ればいい。
和威の叫ぶ声が聞こえる。俺はクスリと笑みを刷く。
ちゃんと笑っているか、見に来るからね。
それきり、何も聞こえなくなった。
(2006/5/14)