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和威と山岸  作者: かわ
1/2

 初めてヤツと視線を交わしたのは、一年前のこの河原だった。




 その日は年に一度、夏祭りの開く日だった。

 台風のせいで延期はしたが中止にするという選択肢はなかったらしく、例年より五日遅れての開催となった。

 この祭りは寂れた田舎町にしてはかなり大きなイベントで、毎年町の外からも大勢の人が遊びに来るほどだ。町の方でもこれを貴重な収入源にしていて、その年ごとに様々な趣向を凝らしている。

 けれど十二の時都会から越してきた俺には、街の喧騒を彷彿とさせるこの祭は少々苦手だった。

 家にいても絶えず雑音が聞こえてくるため、祭りの日は決まって町の外れの河原に行くのが自然と習慣になった。そこは傍らに広がる木林が吸収するのか、祭りの象徴ともいえるお囃子の音や賑々しいざわめきすらも滅多に届かない。

 俺がその河原を気に入っている点がもう一つ。それは花火がよく見えると言うことだ。

 花火は空で見るもの、けれど俺は下を見る。水面に映る火の華は流れのせいで揺らめき、酷く幻想的だ。誰もいない河原でその様を独り占めできるのはこの上ない贅沢だとは思わないか。

 午後十時。そろそろ祭りが終わる。足を少し速めて河原に向かう。誰もいない、静謐に満たされた俺の聖域。

 けれどそこには先客がいた。

 身じろぎもせず、真っ直ぐに一点を見つめてヤツは立っていた。


 今まで一度としてなかった状況に、一瞬ポカンとなる。

 なんというか、その光景はある種荘厳で、俺が立ち入ることは許されないかのような神聖な空気に思えた。そんな錯覚を植付けるほどにその人物は張り詰めた空気を纏っていた。

 だからその人物が見覚えのあるヤツだと気付くのが遅れた。何故なら学校で見るヤツは、ヤツを傍目にでも知っている者が見れば戸惑うほど纏う雰囲気が違ったからだ。

 俺の見知る限りヤツはとても活発で、校庭や中庭、果ては廊下などの屋内ですら友人たちと戯れては教師陣にお小言を貰い、それでも平然と笑っているような少々傍迷惑な存在だったはずだ。

 今日だって日程は終業式だけだと言うのに、いつもと同じように友人連中と陽気にドッチボールに興じていたのを図書室のカウンターから何とはなしに見ていたのだ。

 元来頼まれると断れない俺は委員でもないのにカウンターに立ち、唯一の気晴らしの彼らを目で追ううち、自然とヤツの顔を覚えた。

 別段特筆するほどの容姿のきらめかしさはない。けれども本当に心から楽しそうに遊びに興じるヤツの明るい笑顔は、太陽光のせいだけでなく一際眩しく目を惹き付けた。

 そのヤツが、だ。まるでそれまで俺が見てきたのは幻だといわんばかりの無表情を晒している。


 こいつ、こんな顔もするんだ…。


 だんだん俺はこの光景を見ているのが辛くなってきた。それは多分、じっと俯くヤツの目が哀しみを宿しているのに気付いてしまったからだろう。でも僅かな身動きすらこの空気を壊してしまいそうで、どうしたものかと案じているとヒュルル~と間の抜けた音のあとに破裂音が響いた。

 ああ、花火だ。

 毎年の密かな楽しみを不意にするのは惜しいが、この場を離れるにはまたとない助け舟ではある。この音に紛れて戻ろうと踵を返す。ヤツの注意を引かないようにそっと後退し、確認のためにちらりと振り返る。

 ヤツの目は花火には向いてはいなかった。その目線はヒタ、と俺に向いていたのだ。

 思わず心臓がドキッと跳ねる。

 その不意打ち的な視線を受け俺は大いに慌てた。慌てすぎたのと暗くてあまり安定してるとは言いがたい足元のせいで見事にスッ転んだ。

 俺がいたのは雑木林の外れで、そこは川にかけてやや傾斜している。そのろくに障害物すらない傾斜を俺の体はゴロゴロと転がって転がって、ヤツのすぐ傍でやっと回転地獄から開放された。

 けれどあまり強くない三半規管は今の眩暈をすぐに処理するには少々役不足で、俺は自分のおかれた状況を把握するのに暫し時間がかかった。

 ようやっと落ち着いてきた俺のごく近くで空気が途切れ途切れに漏れる音が聞こえてきた。

「普通あんなに慌てるかな…」

 いつも切れ切れに聞こえていたのとは違う、しっかりとした少し低めの声。

 それを聞いた途端意識がはっきりした。苦笑交じりの声に反感を持ったからではなく(いや、それも全く無いじゃないが)その声の近さにだ。

 声は俺の真後ろ、耳に息がかかるほど近くから聞こえ、あろう事か脇の辺りからはニュッと俺のものじゃない腕が生えている。

 有り体に言えば、後ろから抱きつかれている状態だ。

 その体勢に再び慌てた俺は急いでその腕の中から逃げようとしたが、腹に回された腕はさっきよりもきつく俺を押さえつけてきた。

 なんでどうして、いつから気付いて。いやそれよりこの体勢は何だ何事だと半ばパニックになり、手足をばたつかせる俺を苦も無く更に拘束しつつヤツは楽しげに話しかけてくる。

「盗み見してたんだからこれぐらい我慢してくれないか、山岸クン?」

 当然のように名前をよばれて硬直する。恐る恐る振り返りいぶかしむ俺を見て艶然と笑みを返すヤツには、先程の雰囲気は少しも残っていない。俺の見間違いだったのかとも疑うほど空気が違っていた。

 そんな俺の違和感をよそにヤツは俺の顔を覗き込んでくる。

「こんなところで何を…。ああ花火か」

 ここは穴場だからね、と一人納得しいている様子だが俺はこの状況に全然納得がいかない。

「…離せよ」

「ん?何で?」

 何でって…、居心地が悪いからに決まってる。よくも知らない輩に抱えられて大人しくしている趣味はない。思うだけでなぜか言葉にならないのがもどかしい。

 顔を真っ赤にして口をパクパクさせるだけの俺を見てまた少し笑い、

「ちょっと感傷に浸りすぎた。悪いけどちょっとだけこうさせて」

 などと辛そうに言われれば俺は強く出れなくなってしまう。

 抵抗をやめたが体中を硬くしたままの俺にアリガトと呟き、そのあと肩に思いのほか柔らかな髪の毛の感触と微かな重みを感じる。

 そのままヤツは動きを止めた。手持ち無沙汰になった俺はというと益体もないことに考えを巡らす。

 先程の雰囲気は確かに今のコイツには無い。だけど毎日のように目にしていたヤツでもない。

 今、俺を抱えてるのは酷く不安定な存在に思える。伏せられた瞼の震えを微かに感じるし、暗がりの中でぼんやりと見える俺の腹に置かれた掌は、その大きさによらず頼りなく映ってしまう。

 想像してたより大きい掌。長い指の感触や背中の熱を薄い夏服越しに感じ、微妙に居心地が悪い。なのに身じろぎすら我慢している俺を自分でもどれだけ人がいいんだと情けなくなってくる。

「今日は眼鏡じゃないんだな」

 ぼそりと言ったヤツの言葉でいつも掛けてる眼鏡が無いことに気づいた。大方転んだときに落としたんだろうが、この暗さでは探すのも無理だろう。

 何でそんなことを知っているのだろう、ああそういえば俺の名前も知っていたし。もしかして同じクラスになったことがあったとかか?いやいや。流石にそれなら俺も覚えているはずだ。

 俺が何気なく見ていたように、ヤツも俺を見ていたのだろうかとも思ったが、それだと名前までは知られていたことに説明がつかない。調べればわかるだろうがそこまでする理由は、見ず知らず並みに関係すらない俺たちの間には見当たらない。

 …もしかして知らずに恨みでも買っていたのだろうか。

 なかば疑心暗鬼に陥り答えを返さないでいると独り言のようにヤツが呟く。この近さで無ければ聞き逃していただろう声で。

「山岸、毎日図書室にいるよな。あんまりよく見かけるから気になってツテ使って聞いてみたけどさ、友達に頼まれるんだって?そんな頼み断ればいいのに何で引き受けるんだろうって思ってたけど。…なんとなくわかった」

 なるほど。そんな理由で興味をもたれたのかと思うと同時に本気で情けなくなってきた。俺は人に何か頼られると、余程の事情がなければ断れない。もともとの性質でもあるが、引っ越してきた当時ここでの暮らしに慣れるための術として、それはますます顕著になった。今だってそのせいでコイツを突き放せずにいる。きっとヤツはそれに気付いたのだろう。

 何で俺はこう、意志が弱いんだと憂う俺にヤツは吐息だけで、山岸は人より優しさの度合いが大きいんだと囁いた。

 それを耳で受けて思わず背筋をびくつかせる。

 なななんて声出すんだ、と背筋に走った悪寒に目を白黒させる俺。

 妙に落ち着かない声音で更に言い募るヤツ。

「ずっと気になってたんだ。どんな奴なんだろうって。何が好きで何が嫌いなんだろう。怒るとどんな顔するのか笑ったら可愛いかな、とか。他にもいろんなこと想像した。気がつくと目で追うようになってたけど、いつもどうしても声が掛けられなかった」

 言われたことには微妙に引っかかることも含まれていたが、自分はそんなに付き合いづらそうに見えるだろうかと、さっきから落ち着かない頭をひねる。

 どちらかと言うと自分でも意識しているためか、人には警戒心を持たせないやつだと言われることが多いのだが。

「ここはね、俺の友達が死んだところなんだ」

 その突拍子もない告白にそれまでの思考が吹っ飛ぶ。いきなり何を言い出すんだ、この男は!?

「俺とは幼馴染で、ちょっと思い込みは激しかったけどよく気が合ったし、一番仲のいい友達だった。けど、あいつは違う想いを俺に持ってた。なんだか裏切られた気分だったんだ。当然俺と同じでいてくれてるだろうと思ってたのに、そうじゃないって否定された。それに怒って頭に血ぃ昇らせて怒って喧嘩して。俺はあいつの気持ちをを受け入れらずに拒絶した。それから…」

「あの」

 言いかけた言葉はぎゅっとしがみついてきた腕が止めてしまった。

 微かに漏れた言葉は痛々しくて、息が苦しくなるほどの締付けはきっとコイツが感じてる苦しみと比例するんだろうと思う。けど。

 酷なようだが俺に語られても困る。俺はその人を知らないから、共感してやることもコイツの重荷を一緒に背負ってやることも出来はしないのだ。

 俺に出来るのはしがみついてくる腕を振り払わず大人しくしていてやることぐらいだろう。でも、だんだん腕に加わる力が増してくる。息をするのも苦しくなってきて、思考力が追いつかなくなって、きた。

 それに気付いたのかヤツは俺を抱きしめる腕の力を抜いた。思わず漏れた溜息にヤツが苦笑する気配。

「でもな、これまで全然わからなかったあいつの気持ちが今になってやっとわかったんだ。多分、今の俺とおんなじような心情だったんだと思う。だから、あの時の俺の行動がどれ程あいつを苦しめたかわかる。…山岸」

 呼ばれて軽く振り返る。奴も今まで回していた腕を取り、俺はヤツと向かい合う体勢となった。そこには少しぼやけて見えるが、月明かりを反射する強い意志を込めた一対の瞳がある。

 いつの間にか花火の音はやみ、聞こえるのは水の流れる微かな音だけ。

 祭りの余韻や虫の音すら不思議なほど聞こえなかった。

 静寂が、辺りを包みこむ。

 最初に感じた荘厳さが蘇ってくる。けれどさっきほど居心地の悪さを感じないのは、俺がこの空気の一部であるからか。

 それまで真一文字に閉じられていた唇が開き、覚悟を込めたように硬い声が空気を揺らす。



「俺は幸せになってもいいだろうか」



 "あいつを拒絶した俺に、その資格はあるのだろうか"



 唇だけでそう呟くその聞こえないはずの声が、俺には聞こえた気がした。

 コイツの背負うものは俺には見えない。

 その幼馴染とやらとの関係も、死んだという経緯もまるでわからない。

 正直、コイツ自身の事ですらよく知らない俺が言う言葉に、どれだけの意味があるかなんてわかるはず無い。わかるはずも無いが。


「きっとそいつもあんたが不幸でいるより、幸せでいた方が嬉しいんじゃないか?」


 だって友達だったんだ。

 それはつまり種類は違えど、お互い相手のことを良く思っていたってことだ。それなら相手の不幸なんて望んでるはずはないと思うのは俺だけじゃないだろう。

 顔をあげて、ヤツを見る。

 真っ直ぐ俺を見つめて何かを噛み締めるようにしているヤツを、だから俺も真っ直ぐ見返す。

 暫く視線を絡ませたあと、ちょっと躊躇ったかのように手が差し出される。

 なんとなく、それをつかもうと俺も掌を差し出す。その手を思い切り引っぱられてよろけた俺は、またしてもすっぽりヤツに抱え込まれた。

 ヤツの手が背中に回され、自然ヤツよりか随分背の低い俺の頬がヤツの心臓の辺に押し付けられる。心音は穏やかに、けれど少しだけ早く脈を刻んでいる。


「山岸。俺の傍にいてくれるか?」

 少しだけ掠れているように響いた声が上からふってくる。

 その低めの声は耳に心地よく、俺は無意識に肯いていた。が、一つ大事なことを聞いていないことに気付いた。

 目の前の厚めの胸板を、ヤツの顔が見えるくらいまで押し返し、そのときの礼儀だろうと思い目線を合わせる。

 そうするとヤツはどこか陶然とした様子で俯いてきた。

 ヤツの少し伏せた瞳を見つめ、俺は口を開く。


「お前の名前、知らないんだけど何?」


 名前も知らないんじゃ友達になりようがないだろ。

 そういうとヤツは何故か数瞬硬直し、力尽きたかのように俺に凭れかかって来た。

 ヤツの体重を支えきれず、俺は無様に後ろ向きに倒れこんだ。ヤツの手に庇われ固い石に頭をぶつける事はなかったものの、運悪く左足がグキッと嫌な感じに曲がり、俺は無様に苦鳴をあげた。


 その声に隠れるようにヤツも何か呟いたようだが、俺に聞きとることはできなかった。




 そして今、再びこの河原に来ている。

 聞けばコイツは毎年ここへ来て自分の罪とやらを思い出しているらしい。けれど、とやっぱり俺は思う。コイツの幼馴染とやらはこんな行為は望んでいないだろうと。

 だってあれから少しずつ聞かせてくれた思い出話では本当に仲のいい友人同士だった二人だ。相手に寄せる純度の高いその信頼は幼いころからの付き合いだからこそ培われたものだ。そこにはたとえ多少の気持ちの誤差があれど、負の感情なんて存在すら許されないで消えていくだろう。

 隣に静かに佇み、無言の懺悔を続けるその片割れをみやる。面に浮かぶのはかつて見た無表情。

 ヤツの中ではきっとずっと自身は許されないのだろう。


 それなら、俺が許そう。


 誰がなんといおうと、おまえ自身が己を断罪し続けようと、そのたびに俺が許しを与えよう。

 おこがましいとは俺も思う。でも俺以上にそれを望んでるのは他でもないキミだろう。



 未だ悔恨を拭えない友人の傍を、一匹の蛍が飛んでいった。

(2006/5/13)

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