愛される娘
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「お姉様のモノを欲しがってはいけませんよ」
物心ついた時から、きっとそれ以前からずっと、母にそう言い聞かせられてきた。
幼い頃はその言葉の真意がわからなくて、姉の真新しい手鏡や新調したドレスが羨ましくても、欲しがってはいけないんだとぼんやりと理解していた。
実際に、欲しいと口にしなくても、裕福な侯爵家の娘なのだから、妹の自分にも待ってさえいればそのうち新品があてがわれた。
たとえ、全く好みじゃなかったとしても。
それらはみな、上質で品の良い品だった。
愛されていないわけではない。
三歳上の姉を、家の後継者として常に優先するだけの話なのだから。
自分はずっと気楽に生きていけばいいのだろうと、クラウディアは漠然とそんな風に思って生きてきた。
クラウディアが十二歳の春、姉の婚約者が決まった。伯爵家の三男で姉より二つ年上の、優秀だと評判の令息だった。
「お姉様のモノを欲しがってはいけませんよ」
姉の婚約者が初めて邸を訪れた日、母はクラウディアの肩を抱きながらいつもの様にそう言った。
その時、クラウディアは初めて母の言うお姉様のモノが何かを理解した。
「勿論ですわ、お母様」
にこやかに母の喜ぶ答えを返した後、堪えきれずに一人自室で吐いた。
気持ち悪い。
母の言っていることも、母自身も。
涙と一緒に胃液まで吐き出したクラウディアの内心は、ただただ嫌悪感で溢れていた。
姉の婚約が決まった後すぐに、クラウディアの婚約も取り決められた。
三つ歳上の公爵家の嫡男で、父親同士が爵位を継ぐ前のほんの数年近衛騎士の同僚だったというだけの、極めて政略的な色の薄い、かといってこれ以上ない良縁の相手。
「アンナマリーと同い歳なのですね……」
クラウディアの婚約を纏めたと父が告げた時、母の口から吐いて出た言葉はそれだった。
暗に姉の方が相応しいと言っているのを母は自覚しているのだろうか。
「アンナマリーは後継だ。公爵家の嫡子と縁付けるわけがないだろう」
何をばかな事をといった父の一言で、それ以上はもう何も、母は喋らなくなった。
ただ不機嫌そうにその場にいて、黙って紅茶を飲むだけだった。
姉だけは、瞳を輝かせてクラウディアの婚約を祝ってくれた。
「おめでとうクラウディア!お相手のエドモンド様はご立派な方よ。学園でも評判だもの」
優しい姉。
優しくて努力家で、いつもクラウディアを可愛がってくれる。
そんな姉だから、クラウディアは理不尽だと感じることがあっても姉を傷つけたくなくて、ずっと黙って飲み込んできた。
だから今日も、そうするだけだ。
「初めましてクラウディア嬢。エドモンド・クラーケンです」
婚約者として初めて対面したエドモンドは、快活に笑う少年だった。
蜂蜜色の髪にアメジストの瞳。整った顔立ちなのに貴族令息らしからぬ日焼けした肌が健康的だった。
「初めましてエドモンド様。クラウディア・フェルズです」
今日のために特訓したカーテシーで挨拶すると、何故かすぐに止められた。
「ああ、堅苦しいのはやめよう。クラウディア嬢は……ディアって呼んでいい?」
「え?あ、はい……」
「良かった。ディアは何が好き?一緒に楽しめることを探していこう!」
「え……」
「俺はこんなんでガサツだからさ。嫌われたくないし」
「えっと……」
三つも年下の幼い少女だから、気遣ってくれているのだろう。優しい人だ。
「あの、私、あまり自分の好きなこと、とか考えたことがなくて」
「え?そうなんだ!」
「はい……それで、これから見つけるのでもいいでしょうか?」
恐る恐るエドモンドを見上げると、柔らかな瞳と視線がかちあった。
「勿論っ!」
躊躇いの無い快諾に、何故か不意にクラウディアの胸が痛んだ。
「これからよろしくね!」
「はい。よろしくお願いします」
差し出された手をそっと握れば、少しだけ強く握り返される。
その温かさが気恥ずかしくて、クラウディアは視線を逸らすことしか出来なかった。
◇
エドモンドと婚約して四年。
半年後に姉の結婚式を控えたその日、異変の兆候は確かにあったのだ。
「クラウディア、これ受け取ってくれない?」
朝、学園に向かう直前。姉に呼び止められた。
「お姉様?」
姉が手にしていたのは姉の瞳の色と同じ宝石があしらわれた髪留めだった。
「もらえないわ!それはお姉様のだもの」
クラウディアは母の言いつけを破ったことがない。今まで、姉のモノは一度もねだったことも、貰ったことも無かった。
「そう……でも貴女に貰って欲しいから、私の部屋に置いておくわね。気が向いたら受け取ってちょうだい」
「……お姉様?」
寂し気に笑う姉に、確かに違和感を覚えたのに。
「引き留めてごめんなさい。遅れないようにね」
「え、ええ。行ってまいります」
「行ってらっしゃい」
クラウディアはそれ以上、踏み込むことをしなかった。
「アンナマリーはどこにいるのっ!?」
学園から帰宅すると、邸の中は酷い騒ぎだった。
姉が出奔したのだ。
クラウディアが知らなかっただけで、婚約する前からずっと、姉には想う相手がいたらしい。
「探しなさいっ!早くっ!探してっ!!」
母の悲鳴の様な叫び声が、邸中に響き渡る。
クラウディアが帰って来たことにすら気づかずに、半狂乱のまま家令を叱責する母の横をすり抜けて、クラウディアは自身の部屋へと向かった。
部屋に入るとすぐに違和感に気づく。
クラウディアの机の上に煌びやかな髪留めと、一通の封筒が置かれていたからだ。
そっと封を切る。
〝ごめんなさい
でもこれ以上は無理なの
もう優秀な姉ではいられない
ごめんなさいクラウディア
ごめんなさい
愛してるわ
貴女だけでもどうか
幸せになって〟
◇
姉が出奔してから一週間。
邸には、姉の婚約者とその父である伯爵が訪れていた。
姉は隣国に渡った事が確認されている。
想い人と一緒に。
けれどその先の足どりはわからなかった。
随分と念入りに準備をしていたらしい。
勤勉な姉らしいと、クラウディアは妙に納得していた。
「婚約はこちらの有責で破棄とし、慰謝料としてこちらの領地を差し出します」
家令に頼んで応接室の外から様子を窺っていると、憔悴してはいるがしっかりとした父の声が聞こえてきた。
姉の婚約者には継ぐべき爵位がない。今後良縁に恵まれなかった場合も想定して、どこかの飛地を差し出したのだろう。
貴族にとって領地は命にも等しい。姉の犯した過ちを償う、父に出来る最大の誠意だった。
「そんなっ!あそこは小麦がっ!!」
母の叫び声が鼓膜に突き刺さる。
どうやら譲り渡す領地は母のお気に入りの避暑地の一つのようだ。小麦は後付けに過ぎない。
母は領地運営なんて、少しも気にかけてこなかったのだから。
「そうだわっ!クラウディアと婚約させましょう!!」
母は閃いたとばかりに喜色の滲んだ声を上げた。
「だってこうなってしまったらクラウディアがこの家を継ぐしかないじゃない。なら婚約者を代えればいいわっ!」
まるで名案だとばかりの母の芝居がかった言葉に、無意識にため息が溢れ落ちた。
後ろに控えている家令からも侍女からも、気遣わし気な空気が伝わってくる。
「馬鹿なことを申すなっ!クラーケン公爵家にまで泥を塗るつもりかっ!これ以上家門に傷をつけるな!」
父の怒鳴り声が響き渡る。
声を張り上げるところなんて初めて聞いた。
これ以上の醜態は誰のためにもならない。
クラウディアは家令に応接室の扉を開ける様に指示をする。
「失礼いたします」
しっかりと礼をとって入室をする。困惑する男性陣の中で、母だけが味方が来たのだと期待に満ちた視線を向けてきた。
「クラウディア!貴女からも言ってちょうだい。婚約すると」
「やめないかっ!」
制止する父の言葉も聞かずに走り寄って来た母は、クラウディアの腕に縋りついて懇願した。
クラウディアは母の顔をじっと見つめると、静かに口を開いた。
「まあ、お母様。私、お言い付けには背けませんわ」
「何を言ってるの!?領地がかかってるのよ!」
聞き分けの無い子だとでも言う様に、クラウディアの腕を掴む母の指に力がこもる。
「そうおっしゃられましても……お姉様のモノは欲しがってはいけませんもの」
「な、にをっ……」
「お姉様のモノを欲しがってはいけませんよ。……小さい頃からのお母様のお言いつけですわ」
「ク、クラウディア……あ、あなた……」
血の気の引いて行く母に、にっこりと笑いかけてから、クラウディアは姉の婚約者へと視線を向けた。
「お姉様の婚約者様は、お姉様のモノでございましょう?」
キシリと、柱の軋む音だけがやけに大きく耳に届く。
「私が欲しがるなんてありえませんわ」
ふふふっと愉快そうに笑うクラウディアを呆けた様に見つめていた母の指からは、いつしか力が抜けていた。
◇
「ねぇディア。やっぱりもう家で一緒に暮らさない?」
数日後、邸を訪れたエドモンドは、出迎えた瞬間に真剣な表情でそう言った。
「俺が我慢出来ないんだけど!これ以上ディアが嫌な思いすんのっ!」
いつだって真っ直ぐに感情をぶつけてくれるエドモンドの正直さに、クラウディアは救われる気がした。
「ありがとうございます。でも父も気がかりですし」
「あー」
「もう少し、この家にいますわ」
「まあ、あの人はいなくなったし」
「ええ」
先日の醜態で、これ以上の醜聞を恐れた父により母は実家に戻されていた。
母の実家とは長らく疎遠で知らなかったが、どうやら叔母の嫁いだ相手は、以前母の婚約者だったそうだ。
「義父上も災難だったね」
「まあ、ずっと母に無関心でしたから」
「じゃあ被害者はディアと義姉上だけってこと?」
「んー」
どうやらエドモンドは姉と学園で同級生だったこともあり、お相手と顔見知りらしい。
随分と同情的だった。それは嬉しいが、婚約者を見捨てて逃げたことは、やはり姉が背負うべき罪だろう。
「姉の元婚約者様とそのご実家も?」
「それはそうか。けど領地が手に入ったんだから十分だろう」
「そうですか?」
「そうだよ。伯爵家の三男と子爵家の次男なんて大して変わらないのになぁ」
「!」
まるでなんてことの無い様に言うエドモンドに、クラウディアは目を丸くした。
貴族にとって爵位の差は重大だ。下位とはいえ王位継承権を持つ公爵家の嫡男だからこそ出来る発言だろう。
「お姉様のお相手は子爵家の方なんですか?」
問題になりそうなところは避けて、クラウディアは気になった部分だけをエドモンドに尋ねた。
普通に話していても身長差でどうしても上目遣いになってしまうのだが、エドモンドはそれがお気に入りらしくクラウディアの頭を撫でながら嬉しそうに答えをくれた。
「ああ。いいやつだよ。優秀だし、最初からあいつと婚約させてやればよかったのに」
「……」
きっと母が難色を示したのだろう。子爵家など相手にしなかったに違いない。
母にとって姉は分身。
優秀で非の打ち所がない姉が伯爵家の婿を迎えることこそが、きっと母の長年の恨みを昇華する方法だと妄信していたのだ。
そうしてクラウディアのことはずっと、愛する人を横取りした妹と重ねて見てきたのだろう。
真実はわからない。叔母にもその夫にも言い分はあるはずだ。
けれど、彼らが若い頃に犯した行いが原因で、自分たち姉妹はずっと母の妄執に囚われてきたのだ。
「ディア」
俯いて考え込んでしまったクラウディアの顔を、心配そうにエドモンドが覗き込む。
「大丈夫。落ちついたら帰って来られるから」
誰がとは訊くまでもなかった。
きっと数年もすれば、姉は愛する人と夫婦になってクラウディアの前に姿を見せる。
エドモンドがそうしてくれる。
常に優秀であることを求められた姉。
姉から何も奪わないように強いられた妹。
歪な母の愛で囚われてきた姉妹は、それでもお互いを思いあって生きてきた。
けれどそれが出来たのはきっと、自身を誰よりも愛してくれる存在がいたからだ。
だから今、大切なものを見失わずにここに立っていられる。
「エドモンド様」
「うん?」
「……エディ様」
「えっ?」
「大好きです」
「!!」
何度ねだられても恥ずかしくて呼べなかった愛称と共に、クラウディアはありったけの想いをエドモンドに告げた。
けれど結局すぐに何倍にもなって返されてしまうのだから、愛とは難儀なものだと、クラウディアは声を上げて笑った。
お読みいただきありがとうございます!
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*8/16に叔母様目線の過去話をUPしました。
ぜひそちらもお読みください!
*誤字報告もありがとうございます。
直したりそのままだったりですがありがたく拝見してます!




