夜のまんなか
夜の商店街は、少しだけ広い。
昼間は人や自転車で埋まっている通りも、夜になると、すっと奥まで見渡せる。シャッターは半分以上が下り、灯りはぽつり、ぽつり。
街灯の下だけが、丸く明るい。
時計屋のシャッターは閉まり、その前の石段は冷えている。けれど、ガブはそこにいる。
昼よりも背中を丸めて、しっぽを体に巻きつける。
遠くで、定食屋の裏口が開く音がする。
かちゃり。
遅い時間まで仕込みをしていた店主が、外に出て空を見上げる。
「今日は静かだねえ」
誰に言うでもない声。
ガブは片目だけ開ける。
夜は匂いが変わる。
昼間の魚や野菜の匂いは、薄くなっている。その代わり、アスファルトの冷たい匂いと、遠くの家々の夕飯の残り香が、ゆるく混ざる。
ときどき、自転車が一台、通り抜ける。
タイヤの音がやわらかい。
夜の商店街は、音が少ないぶん、ひとつひとつがよく響く。
からん、と小さな鈴の音がした。
喫茶ひだまりの扉だ。
女性が片づけを終えて、外に出てくる。エプロンを外し、伸びをする。
「はあ」
小さな息が白くなる。
ガブは石段から下り、少しだけ近づく。
女性はそれに気づき、笑う。
「今日もいたね」
夜の声は、昼よりも低い。
「夜は寒いよ」
ガブは返事をしない。
ただ、街灯の下へ歩いていく。
そこは、光が丸く落ちている場所。
影がくっきりとできる。
女性はその様子をしばらく見てから、店に戻り、何かを持ってくる。小さな布切れだった。
石段の端に、そっと置く。
「おいてくだけ」
それ以上は何もしない。
ガブは布を見つめる。
近づき、匂いをかぐ。
コーヒーの匂いと、洗剤の匂いと、少しの不安の匂い。
やがて、その上にゆっくりと体を乗せる。
布は薄い。
けれど、石よりはやわらかい。
女性は満足そうにうなずく。
「じゃあね」
シャッターが下りる。
夜は、もう少し深くなる。
魚屋の大将が、裏口からごみ袋を持って出てくる。
ガブを見つける。
「番か」
それだけ言って、ごみを出し、戻る。
八百屋のおばさんの家の窓には、テレビの光が揺れている。笑い声が、かすかに漏れる。
時計屋の奥では、ちく、たく、が止まらない。
夜でも、針は進む。
ガブは布の上で丸くなりながら、目を閉じたり、開けたりする。
遠くで救急車の音が鳴る。
赤い光が、商店街の壁を一瞬だけ照らす。
それが去ると、また静けさが戻る。
夜のまんなかは、少しだけさびしい。
けれど、そのさびしさは、やわらかい。
誰もいないわけではない。
見えないだけで、みんな奥にいる。
灯りの向こうに、それぞれの暮らしがある。
ガブは立ち上がる。
通りの端まで歩く。
昼間は気づかない小さなひび割れや、落ち葉の影が、はっきり見える。
夜の商店街は、ガブのものみたいに静かだ。
けれど、本当に自分のものではない。
ただ、借りているだけ。
やがて、空の色がほんの少しだけ薄くなる。
まだ朝ではない。
けれど、夜の底を過ぎた色。
ガブは時計屋の石段に戻る。
布はそのまま置いてある。
その上にもう一度丸くなる。
目を閉じる。
夜は終わる。
またシャッターの音がして、パンの匂いがして、声が通りを行き交う。
夜の商店街は、誰にも見せない顔をしている。
けれど、ガブは知っている。
灯りが消えても、商店街はちゃんと生きていることを。
野良猫ガブは、今日も何も守らない。
ただ、夜のまんなかで丸くなっていただけだ。
それだけで、夜は少しだけ、あたたかい。




