時計屋のおじいさんと、止まった針
商店街の真ん中あたりに、古い時計屋がある。
大きなショーウィンドウには、丸い掛け時計や小さな目覚まし時計が並んでいる。どれも少し時代が古い。けれど、どの針もきちんと動いている。
ちく、たく。
ちく、たく。
店の中は、いつもその音で満ちている。
時計屋のおじいさんは、細い背中を丸めて作業台に向かっている。片目に小さなルーペをはめ、止まってしまった腕時計をのぞき込んでいる。
店の前の石段には、今日もガブがいる。
定位置だ。
日差しがちょうど差し込む場所。石はあたたかく、昼寝に向いている。
ガブは目を細めながら、店の奥を見ている。ガラス越しに、おじいさんの背中が見える。
「……ふむ」
小さな声が漏れる。
おじいさんの指はゆっくりだ。急がない。小さなネジを回し、歯車をひとつ外し、布でそっと拭く。
外では八百屋のおばさんの声が響き、魚屋の氷の音が遠くに聞こえる。
それでも、店の中は少しだけ別の時間が流れている。
ちく、たく。
ちく、たく。
午後になると、陽の角度が変わる。
ガブは一度体を起こし、向きを変える。影が伸びてきたのだ。
そのとき、店の扉がからん、と鳴った。
若い女性がひとり入ってくる。手には古い腕時計。
「すみません」
「はい」
おじいさんはゆっくり顔を上げる。
「これ、動かなくなってしまって」
差し出された時計は、革のベルトが少し擦り切れている。文字盤も、少しくすんでいる。
「父のなんです」
女性は言う。
「形見で」
おじいさんはうなずき、時計を受け取る。
ルーペをはめ、じっと見る。
「止まっていますな」
当たり前のことを、静かに言う。
女性は少し笑う。
「直りますか」
おじいさんはすぐに答えない。裏蓋を開け、小さな歯車をのぞき込む。
ガブは石段から立ち上がり、扉の前まで歩いてくる。中の様子を、じっと見ている。
「……直るかもしれません」
やがて、おじいさんは言う。
「少し、時間をください」
女性はほっとしたように息を吐く。
「お願いします」
時計を預かると、店はまた静かになる。
ちく、たく。
ちく、たく。
おじいさんは預かった時計を作業台に置く。
「時間、か」
ぽつりとつぶやく。
ガブは店の中に入らない。敷居の手前で座る。境目の場所だ。
おじいさんは時計を分解しながら、ふと窓の外を見る。
「お前は、急がんでいいな」
ガブは目を細める。
「腹が減れば食べる。眠ければ寝る」
小さく笑う。
「わしは、そうもいかん」
細い指が、止まった歯車をつまむ。
午後三時を回るころ、商店街は少し静まる。日差しはやわらかくなり、風が通り抜ける。
ガブは石段に戻り、丸くなる。
店の中では、まだ小さな音が続いている。
かち。
かち。
やがて、ひとつの音が変わる。
ちく。
ほんの小さな動き。
止まっていた針が、わずかに進む。
おじいさんは息を止めて、それを見る。
ちく、たく。
ゆっくりと、確かに、動き出す。
「……よし」
誰も聞いていない声。
ガブの耳が、ぴくりと動く。
夕方近く、女性が戻ってくる。
「どうですか」
おじいさんは黙って時計を差し出す。
針はきちんと動いている。
女性の目が、少し潤む。
「動いてる」
「ええ」
「音が、する」
耳を近づける。
ちく、たく。
ちく、たく。
「ありがとうございます」
深く頭を下げる。
おじいさんは首を振る。
「まだ、しばらくは大丈夫でしょう」
女性が店を出ると、ガブがその足元をすり抜ける。
夕日の中、時計の針は静かに時を刻んでいる。
店の前に、また静けさが戻る。
おじいさんは椅子に腰かけ、背中を伸ばす。
「止まることもある」
誰に言うでもなく、つぶやく。
「けれど、動き出すこともある」
ガブは石段の上で、目を閉じている。
時間のことなど、考えていない。
ただ、今ここにいる。
ちく、たく。
ちく、たく。
商店街の音と、時計の音が重なる。
夕暮れがゆっくりと降りてくる。
おじいさんは店の灯りを落とす前に、もう一度ガブを見る。
「明日も、そこか」
ガブはしっぽを一度だけ動かす。
シャッターが半分下りる。
針は止まらない。
商店街の一日も、止まらない。
野良猫ガブは、今日も石段で丸くなる。
時間のそばで。




